boadsailing

事の始まり
 1985年・6月の、とある土曜日の午後(ああ、もう25年も前だ・・・。当時は週休2日の職場はほとんどなく、通常土曜日は半日仕事であった)、「今日は天気もいいし時間もあるし、何をしようかなあ」と思っていたところへ、「ウィンドサーフィンに行こう」と職場の友人から誘われた。
 徳島に住んでいた前々年(仕事が忙しくてゆっくりとした休みが取れなかった)、吉野川に浮かぶカラフルなセイルを横目に見ながら、自分には縁がない「優雅な人たちだなあ」と思っていたものだった。ウィンドサーフィン(正式には boadsailing ・ボードセイリング)をやるのは結構ミーハーなやつらだとも思っていた。ちょうどいい機会だ、一度経験してみようとばかりに軽い気持ちで誘いに乗ったのだが、まさかその後、風が吹けば雪が降ろうと台風であろうと海・川へ駆けつけるようになるほどのめりこむことになるとは、その時は当然の事ながら想像もできなかった。
 その日、ボード一式をルーフキャリアに積み込み近くの海岸(愛媛・香川県境)まで走る間、友人からはボード上に立てることが如何に難しいかの講釈を散々聞かされた。曰く「セイルアップができるまでに一週間」

(こんな感じ 1985年夏 燧灘)
 ところが、海岸についてセイルを組み立て、一通りの説明を受けて、自分でセイルアップをやってみると、なんのことはない一発でセイルアップ。しかも微風をうけて、ボードはスルスルと海面を滑り始めたのである。 この時の感動!感動である。
  「な、なんだ、これは!」 未だ過って経験したことのない快感。もうそれだけで、これは面白いと確信した。
 しかし、この快感はほんの序章に過ぎなかった。
boadsailingは極楽だ!
 この表現は、もう10年以上 boadsailing から遠ざかっている今の私にとっても、なんの誇張もない表現である。自転車で走ることも楽しいし大好きだが、boadsailing はまさに異次元の世界!

 極楽! 極楽!

1987年 夏  淡路島・吹上浜にて (眉山、四国山地をバックに)
さて、この感動冷め切らぬ翌週末、今度は職場の先輩(散々その快感?を私に吹き込まれた)を巻き添えにして、仕事が終わるや否やボード一式を積み込み、意気揚揚と海岸へと向かった。セットアップするのももどかしく海へと繰り出したのだが・・・。
 あれっ、先週は初めてにもかかわらずあんなに簡単にできたのに、今日はどうも様子が違う。ボードに立ちあがってなんとかセイルアップしたと思ったら即、沈(ボードからひっくり返り落ちることを言う)。何度やっても同じ。おかしいなあ、こんなはずじゃ・・・。
 そう、ちょっとしてわかったことだが、この日は前回の海面フラット・微風の初心者用好条件と異なり、ほとんど風がなく、その割にちょっとしたうねりのような(当時の私にとっては)波が次々と押し寄せてきていたのであった。 boadsailing は風があってのもの。風の力で進むのはもちろんのこと、バランスも風の力を利用して保っている。不安定なボードの上に立って大きなセイルをアップしても、風が無い上に次々と波が入ると、当然のことながら初心者の私達は、の連続であった。結局、ほとんど乗って進むことはできず。前回はビギナーズラック? しかし、いっしょに行った先輩はそれでも私以上に boadsailing に魅されたようで、当時一式20万円強した Windsurfer艇をすぐ注文してしまった。
それからと言うもの、先輩と二人で海へ駆けつける週末が続いた。週末のみならず week day でも日暮れまで時間があった夏場は、仕事が落ち着いていれば夕方の一時間でも、いそいそとボードをルーフキャリアに積み込んで海岸へ駆けつけた。どちらか一人だけが行く時は、OO時までに戻って来なかったら探しに来るように、というのが申し合わせであった。事実、先輩は二度ほど流されて、日が暮れ、「ボードよ、あれが陸地の光だ」とばかりにパドリング(セイルを畳んでボードの上に腹這いになり手漕ぎすること)で帰ってきたことがあった(先輩の名誉のために言うと、そのおかげか私よりずっと上達が早かった)。

My boadsailing を購入
 しばらく友人のボードを借りていた私(それほど魅了されたのに、一式20万円の巨大なボードを購入するのはちょっと二の足を踏んでいた。お金はもちろんのこと、もし興味を失ったら粗大ゴミとなってしまうetc・・・と考え)も、とうとう自分のボードを購入した。当時、ボードセーリングの特許を取っていた Windsurfer艇が入門としてはもちろんのこと、圧倒的なシュアを占めていたが、私はみんなに唆され?、Windspeed社(とっくの昔になくなった?会社)という香港製のマーレア・ダッシュというボードを購入した。
Windspeed社 マーレアダッシュ
(1986年 冬 吉野川)
 今から思えば、これは安物買いのなんとかであった。 Windsurfer艇は one design であるので、マストもブームも調整する必要がないのだが、それ以外の製品は、通常風に合わせてセイルを変えるために、マストにもブームにも長さを調節する extention が付いている(このマーレア・ダッシュはそれらの部品の作りがもうひとつであった)。そんなことさえも知らないで購入したので、まず最初にセイルを組み立てるだけで大騒動(私に boadsailing を進めた友人もそれほど知識がなかった)。今でもセイルとマストのベストセッティングなんてもうひとつ良くわからないのだが、それでもまあなんとか適当に組み立てられるようになった。そうなるとそれまで以上に、風さえあれば(あまりなくても)雪が降っていようとお構いなしに、海へと走った。
 ちょうどその頃、本屋で「Hi-Wind」という boadsailing の雑誌を見かけ、早速購入した。超初心者だったこともあるが、そのグラビアを見ておったまげた。マスト(4.5〜5m前後)の倍くらいある波が後ろから迫っているところをセーリングしているのである(帝王 Robby Nash がたぶん Jaws でセーリングしていた写真と思う)。もうそれは別世界の出来事、想像を絶するもので、とても自分のやっている boadsailing と同じ物とは思えなかった。しかし、それはこのとんでもない魅力ある奥深い世界の一端に接した第2のポイントであった。

徳島へ転勤・吉野川でセーリング
 そんな生活を半年ばかり送った時、徳島への転勤命令が下った。職場は過って「 boadsailing なんて自分とは縁がない」と思いながら見ていた吉野川のほとり。当時(1986年)吉野川の吉野川橋付近は、徳島の boadsailing のメッカであった。吉野川橋北岸の広場には、ボード置き場があり、南岸には小さなショップもあった。そして週末になると数多くのカラフルなセイルが川面を滑っていた(注:数年前から−2000年頃?−は臭くうるさいジェットスキーのせいか、ボードセイラーはほとんど川内・小松海岸へ行ってしまったようである、最近−2009年−ではその姿は吉野川に皆無)。

Windsurferを操る某先輩
 仕事はそれまでより格段に忙しくなったのだが、職場・住まいからゲレンデまで1kmばかり。転勤して早速、吉野川デビューを果たしたのであった。
 週末になると、たいてい10数人が、風が無くても集まっていた。私は新参者で誰も知り合いがいない上に、へたくそ。みんなの邪魔をしないように隅っこで練習しながら、上手な人の観察に明け暮れていた。 boadsailing は風さえ吹いていれば風上にだって行ける。前方に進むことはすぐにできるようになったが、ことジャイブ(風下にターンすること)に関しては、なかなかできなかった(未だに美しいジャイブはできない)。ちょうど折り良く「Hi-Wind」誌にジャイブの特集が掲載されたこともあって、他人のジャイブも参考に研究と練習に励み、なんとか取っ掛かりをつかむ。
 その夏、前任地へ遊びに戻った時、私の技量が随分上達したのに驚いた先輩が言った言葉。「おまえ、ちゃんと仕事してるんか?」 そんな言葉を発した先輩も、私から一年遅れで徳島に転勤。またまた週末は先を争うように吉野川に駆けつけるのであった。まだまだハーネス(ブームに固定したライン・ロープを牽いて風の力を体重で受け腕の力を助けるために胸・腰などに引っ掛けるフックを取り付ける道具)を使うこともできず、ひたすらパンパンに張ってくる前腕をなだめながらのセーリングであった。
Short board (RUNFUN 290)を購入
 次第に知識も増えてくると、華麗なカービングターンを決めたり、かっ飛んでいく姿に憧れて、当時まだshort boardとも呼ばれていた、短く小さいボード・RUNFUN 290を購入(当時はまだまだ黎明期で、漸くスラローム・ウェイブというジャンルが確立されつつあった)。浮力が小さいボードは、ロングボートに比べて(ちなみにマーレアダッシュは360cm、RUNFUN 290は290cmの全長、容積は倍以上違う)安定性も悪いが、うまくなるとスピードは上がるし取りまわしは遥かにシャープ。加えて持ち運びも楽で場所もとらない。また風速があがると、ロングボードは暴れてコントロール不良となり、ショートボードの世界となるのである。
RUNFUN 290 (sail Gastra 5.3u)
 相変わらず、なかなかジャイブは決まらないものの、なんとかハーネスも使えるようになった。ブローが入って、ハーネスにラインを引っ掛けて、ストラップに足が入ると、体重がボード上からフッと抜けてかっ飛び始める(プレーニングと言う)。すると、頭の中はすっからかん、「キャッホー!」の世界なのである。おそらく、華麗なジャイブやジャンプが決められれば、もっと異次元の世界なのだろうが、水上を風力だけでまっすぐかっ飛ぶだけでも、十分異次元の世界である。「ほんまかいな?」と思われる方はぜひ1度トライして見てください。
 一時期、写真を趣味とする人が水面を滑走するセイラーを撮りに来ていたが、ある日、岸辺にひっくり返しているボードの裏をしげしげと見て「これって、動力は何もついていないんだ!」とひどく感嘆している人がいた。誇張無く、それくらい速く水面をかっ飛んでいくのである。
 ところで、徳島市内は結構いい風が吹く。冬場は北西、夏場は南東。おまけに吉野川は水面フラットで、初心者が練習するには持って来いの条件。万が一、流されたとしても、南岸か北岸に流れつくので、室戸(後述)のような心配は無い。
 後年、県南の牟岐にも赴任した。阿南以南の海は瀬戸内海より遥かにきれいだが、山が北西すぐ背後まで迫っているためか、あまりいい風には恵まれない。室戸も台風など強風のイメージで有名だが、あれは測候所が海岸段丘の上・風が一番良く当たる所にあるからで、街のあるところは意外と吹かないのである(逆に言えば風の当たらない所に街がある)
 翌年の夏、マーレア・ダッシュがかなり痛んできたのを機に、boadsailing のベンツを呼ばれていたMistral社(ドイツ製)の名艇 Equipを購入した。これは流石にちょっと高価(マーレアダッシュの約1.7倍)であったが、それだけに値する代物。細部に渡って作りが全く違っていた。また乗りやすく、よく走った。
 このことからもわかるように、boadsailing を始めた当初は、ボード・セイル一式があれば事足りると思っていたのに、これが大きな間違いであったことに気付くのに、さほど時間はかからなかった。
 まず、風速によってセイルのサイズを変更しなくてはならない。RUNFUN 290を購入した年末寒波の日。吉野川を横断したものの(冬の北西風は南岸から出廷)、北岸から帰ろうとすると何度試みても沈するばかり。とうとう疲れ果てて、ドライスーツのまま(恥ずかしさも顧みず)、吉野川橋をとぼとぼと歩いて渡り車を取ってこようとしていたら、ベテランの人が(それまで話したこともなかったのだが)、車で迎えに来てくれた。曰く「オーバーセイル(セイルの適応を超える風力)だったなあ」。5.3uしか持ってなかった私だが、その日は4uそこそこがちょうどの強風。それ以上ではセイルに入る風力に耐え切れず吹き飛ばされる、いわゆるハエ叩きになってしまうのだ。
 翌日、すぐに4.1uのセイルを購入。その後8.4uまで数枚のセイルを所有することに。加えて道具はどんどん壊れるのである。マストは折れるは、セイルは破けるは、ボード、ブーム、ジョイントは次から次へと破損するは・・・。

Mistral Equip  (sail Gastra 7.2u)
1988年くらいからは、モノフィルムと呼ばれる透明セイルが主流となり、当HPの写真のような色とりどりのセイルは過去のものとなりました。
Boardsailingのために、1BOX car を購入 だんだんと増えてくる道具。ちょうど、車の変え時が重なったこともあり、次期車種を考えていた。で、ステーションワゴンか、当時まだあまり一般的ではなかったRVを考えながら、ディーラーを回っていたところ、急浮上したのが1BOX car。ゲレンデでも通は1BOX carである。とにかく、広くて使い勝手が良い。しかも、価格が安い。
 結局1BOX car、しかも、商用車(NISSAN CARAVAN long body ガソリン車)を購入する羽目になったのだが、お値段はRVの半額以下!軽自動車なみであった。購入後は後部荷室にラックを組んで、ボード2本、セイル数枚、マスト、ブームその他もろもろ、おまけに自転車も積んで、車より内部に積んだ荷物のほうが金がかかっているくらいであった。職場では、その容姿から出入りの水道工事の車と思われていたらしい。
 通勤途中に突然ギアチェンジが出来なくなった不安と、お世辞にも良いとは言えない乗り心地が、家族から次第に不評となり手放すまで8年余。11万キロを越えるまで走り、 boadsailing はもちろん、後年では友人達とスズカなどへの遠征(なにしろラックを除くと室内に6台完成車のまま積んで、6人乗れた!)へと大活躍であった。もう少し乗り心地が良く、走りも良ければ、言うこと無しなのだが。
室戸へ転勤・太平洋でセーリング 1BOX carを購入したのは、時間が少しでもあれば、そのままゲレンデへ直行してすぐにセーリングできる、と考えたのが一番の理由であった。
 ちょうど同じ頃、室戸へ転勤になることになった。しかし、上述のように、世間また地元の人が思っているほど室戸は boadsailing にとっていい風は吹かないのである(沖に出れば別)。しかも沖にでると黒潮の影響でかなり潮の流れが速いらしい。現地でいろいろ見てまわった末、ここと決めたゲレンデ(地元では元の海岸と呼ばれていた。2005年に10数年振りに自転車で走ったら道が海側に広く拡張されて当時の面影が全く無かった)は、岸から1mも離れるとすぐに背が立たない深さになる。加えていい風が吹くと私の技量では太刀打ちできない大波。どれくらいかというと、岸で見ていた友人が、波と波の合間に入ると姿(セイルの高さは5m弱)が完全に隠れて見えなくなったとのこと。セーリングしている私から見ると、まさに立ちはだかる波の壁である。ただ、水温は高くて、冬でもウェットスーツでセーリング可能。海水はとても澄んでおり、沖に出ても10m以上はあるかと思われる海底が見られる美しさではあった(それはそれで何が出て来るかとちょっと不気味でもあったが)。
 boadsailing では、沈しても下は水なのでさほど大きなケガはしない(ウェイブだと別)。しかし、ブロー(風はいつも一定して吹いているわけではなく、突風様に吹くこともある)で吹っ飛ばされて、手足や腰、頭を道具のどこかで打ったり、岸辺の貝や岩で足を傷着けたりすることはしょっちゅう。唯一、この室戸でフィンで右足の甲を3cm程切って縫合したのが、ケガらしいケガ。しかし、室戸での強風時の波は半端でなく、ひとつ間違えば死ぬかも、と思えるくらいであった。足を切ったのも、ランディングに失敗したら強烈な波に引き込まれるので、それを免れようとしたため。また、ランディングに失敗してセイルを引き込まれて、泣く泣く見捨てたことも。それに比べたら吉野川は安全であった。
那賀川河口でもセーリング その後、転勤で羽ノ浦町(現・阿南市)に在住。ここでは、那賀川河口がゲレンデとなった。ここも吉野川と良く似た、それ以上にフラットでセーリングしやすく、波も弱冠入ってウェイブの真似事も出来るいいポイントであった。徳島よりも、県外(愛媛が多かった)ナンバーの車が多いくらいであった。
 ちょうどこの頃から、次第に自転車中心(当時はまだトライアスロンが主であったが)の生活に次第に変移していった。始めの頃は風が吹けば川へ、凪いでいれば自転車と使い分けていたのだが、いろいろな事情(仕事、家庭、資金etc・・・一番大きかったのは、やはり1BOX carを手放したことか?)でだんだんと自転車オンリーの生活になってしまった。しかし、決して boadsailing に飽きたり、嫌いになったりしたわけではない。今でもいい風が吹けば、すっ飛んで行きたい気持ち満々であることに疑いはない。

1987年 夏  淡路島・吹上浜にて

第1部  完
 お断り  もう10年以上も前の話。随所に間違いがあるかもしれません。
      間違いのご指摘、ご意見があればメール(下記)いただければ幸いです。

久しく遠ざかっている昨今だが・・・
 4年ほど前に、滅多に見ないテレビで最近の boadsailing 競技を見たのだが、私が入れ込んでいた時期とは随分と進化して、フラットな海面でもジャンプは当たり前、ループ(前転・後転などの宙返り)さえ自由自在。当時は考えられなかった極めてトリッキーな技も、「これでもか」というほど見せられて唖然。
 それほど高度なことは当然できないにしても、boadsailing を再開したい気持ちは一向に衰えていない。機会があれば、と思っているのだが、自転車に現を抜かしている現状では、お金も時間も余裕無し。最後に boadsailing したのは、もう10年近く前になってしまった。たまにすると部品が劣化していてすぐにどこか壊れてしまうのである。今日も年末寒波で強風、吉野川には白波(風波、ウサギが跳ねると仲間では言っていた)がたっていて、当時なら大急ぎで駆けつけただろうが、雪が降っても駆けつけていたほどの我武者羅さはさすがに薄れ、できれば暖かい夏場に、と思ってしまうこの頃である。
 しかし、きっと近いいつか復活してやるぞ!       (2010年1月 記)
(まだまだ) つ づ く (つもり)


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