Diary または 吉野川だより 2004

2004. 12.31  締めくくりの仕事も無事終了   この一年を振りかえって
 まだ12月になったばかりと思っていたのに、あっと言う間に大晦日である。で、やはり一年を締めくくるべく、反省など。(昨年のdiaryを読んでみると、良く似たことを書いていたり、目標が達成できたこととできなかったことなど、一目瞭然!)
 なんといっても、この一年で一番大きな糧は、昨年にも増して自転車仲間が増えたこと。大川原掲示板を中心とする仲間はもちろんのこと、SK自転車倶楽部のみなさん、Minutemanのみなさん、さらに県外に飛んで、
M氏KONAさんシメモさんなどなど。HPならではの繋がりに感謝。みなさん(当HPにアクセスしていただいた方も含めて)、今年一年お世話になりました。来年もよろしくお願いします。とこの場を借りてお礼。
 それにしても、今年は知り合いの事故によるケガが多かった(故障された方の一日も早い復帰を祈っております)。他人事ではない、といつもかなり気を使いながら走っているつもりだが、やはり自転車のことを知らな過ぎるドライバーが多すぎる、と思うのは私だけか?一方、自転車乗り(多分に一般)のマナーもなっていないことが多い。高校生に良く見かける、メールを打ちながら走っているやつ。それから、こちらが対向しているのに、まったく避けないで並列で走るやつ(これは高校生に限らず)。並列で走るなとは言わない。道が空いていれば多いに結構。しかし対向者がいれば、即座に道を空けるのがマナーでしょうに・・・(この場で、こんなことを言うつもりはなかったのだが)。
 で、今年の反省。仕事がいろいろな条件もあり、昨年までより比較的余裕があったので(後半は綱渡り的な日々もあり)、まず走行距離が飛躍的に増加。この10年余、ほぼ平均して年間走行距離は5000〜6000kmだったのに、今年はなんと12000kmを越えた。これにはすーさんのHP・走行距離大会の影響も多分にあり。こちらにも改めてお礼。
 レースに関しては、富士山美ヶ原愛媛ロード第1戦のように、自分の持つ力を十分に出せた大会もあれば、乗鞍沖縄秋季リッツのようにもうひとつ納得のいかないものもあり。来年に向けての課題も山積み。
 ツーリングは、行きたかった新緑の剣山スーパー林道、初夏の四国カルスト、そしてちょっと時期は遅れたものの別府峡の3コースを走ることができた。唯一残念だったのは、秋に3日くらい走れそうだった東北北部が、仕事の都合で没になったこと。暑かったこともあり、紅葉という言葉が忘れられた秋でもあった。しかし、一年大きな事故も故障もなく走りつづけられたことはありがたいことである。
 そして、この世の中。一年を表す漢字が「
」であった、という舌の根も乾かないうちに、大津波の難。台風もかってないほど、次から次へと四国を襲った。幸い私には直接の被害はなかったが、四国内の到るところで大きな被害が出た。大自然の力の前には、如何に人間の力が及ばないか。自然に対する畏敬の念を忘れるべからず。謙虚さを持って(自然に対してだけでなく)生きることの大切さを思う。
 相変わらず、川の話にまではなかなか進まず、仕事のこともいろいろ考えながら、またひとつ歳をとる来年は、なんと年男だ。
2004. 12.11   だるま  (再び、音楽について)  
  今年初めての「だるま」を拝む。午前7時、今朝は冷え込みが厳しくなかったのと、東方に雲がほとんどなかったためか、写真の条件としては今一つであった。 たかが日の出であるが、されど日の出である。昨今、日の出、日の入りの見たことのない子供が多いらしい(残念ながら、我が家もしかり・・・)が、私にとっては素晴らしい時を感じさせてくれる壮大な自然ドラマの一瞬である。
 前回に続いて、音楽の話。何故か、今FMで「S&G」の特集が流れている(ほとんどが知っている古いバージョンなのでちょっと残念)。 9日、テレビでドリームズ・カムトルーを見る(聞く?)。吉田美和ののびやかな歌唱力を堪能。好き嫌いは当然あるのだろうが、その持って産まれた才能(それに気付いていない、もしくはいかせていない人も多いだろう)に拍手。音楽には人を和ませる、豊かにさせる、その他もろもろの素晴らしい力があると思う。
 才能と言えば、先日の夜練でも
N川氏のアタック?に、その持って産まれた能力の違いを痛感。ましてやこの年齢、何を目指そうというのか。自己の持つ能力の限界に挑みたいのか(仕事に関してはまたちょっと異なるので、ここでは趣味の、しかも自転車競技の話に限定)。身近には、リョウさんという素晴らしい先達もいることだし、まだまだ精進の世界である。

 ちょっとボヤけていますが・・・。 
2004. 12.8   師走の一日  今日は何の日?
 そろそろ、だるま(1月6日参照)の季節である。寒い早朝、吉野川河口へと自転車を走らせるが、今朝は雲がかかっていて水平線から昇る朝日は拝めず。これから1ヶ月ばかりが地理的にだるまが拝める(それ以外の季節は、紀伊半島から日の出となるため)のだが、そのうち気象条件のいい日は何日あることか。今朝も既に3人ほどがカメラを構えていた。
 仕事は、久しぶりに午後からちょっと余裕。しかし月曜から火曜にかけての34時間労働の疲れが残っている。にもかかわらず、たまに早く終われたので、TOKU・Minutemanを中心とするメンバーの夜練に初めて参加させていただく。眉山八万とその麓の住宅街の結構急な坂の周回。時間が限られていたので八万2回と3周回で早退となったが、やはりみんなと練習するのはいいものである(いろんな意味で)。
 夜、塾帰りの息子を待つ車中のラジオから、S&Gの「Scarborough Fair」が流れてきた。昨年、再結成?されたときのライブ録音とのこと。どうしたらアコースティックギターでこんな音がだせるのかなんて技術的なことも考えるものの、なによりも曲そのものに浸る。この曲を初めて聞いたのは30年以上前(ちょうど今の息子と同じ年齢)。何年たってもいいと思うのは、他に進歩がないのか、単に感傷的なのかという捕らえ方もできるが、素直に受け入れたい。それにしても、最近はゆっくりと音楽を楽しむ時間さえ持っていない。
 忘れるところだった。「今日は何の日?」 8月15日も新聞の一面を占める割合が小さくなっていることを書いたが、今日なんかほとんど一面にこの記事が載っている新聞はなかった。陸上自衛隊幹部の改憲案問題といい、なんだかおかしいぜ。

2004. 12.4 未明  HP開設・丸2周年
 昨夜気がつかなかった!のだが(なさけない・・・)、HP開設から丸2年が経過した。当初のペースで、大きな変更はないままぼちぼち更新中。おそらく、自転車に興味がない人にとっては、「なんのこっちゃ?」と思われる、自己満足の世界に過ぎないのかもしれないのだろうが、時たま頂けるメールや掲示板への書き込みは、管理人にとってそれ以上の励ましはない、一番ありがたいことである(アクセスされたみなさん、初めての方もお馴染み様?も、ぜひご意見、ご感想をお願いします)。
 3年目となるこれからは、新たな展開があるのか? まとまった時間があれば所々、リニューアルしたいページも多いし、仕事のページも創ってみてはとも思うのだが、仕事に関してはいろいろと責任もでてくるので、やはり別サイトにしたほうがよいかと思ったり・・・。いろいろな人のサイトからリンクで飛んで行くと、本当に自転車関係のHPだけでも限りないくらいあることに驚いてしまう。素敵な文章や美しい写真、センスあるデザインに出合っては感心する日々。さらに魅力あるHPを目指して、レースへのトレーニング同様精進しますので、皆さん、これからもどうぞ御贔屓に!
 明日(本日)は朝一番で大阪へ。終日仕事のセミナー受講。セミナー終了後、最近新規開店した某サイクルショップに立ち寄り、目の保養をしてくる予定。

2004. 12.3 未明  プチ・同窓会
 先に同級生が某OO教授になったので、遅れ馳せながらのお祝いを兼ねて、近隣の同級生が寄り集まりプチ・同窓会の開催となった。卒業以来20年余振りに逢う輩もいたが、意外にみんな変わっていない。よく久しぶりに集まったら、自分のことはさておき、どこのおっさんどころかじいさんの集まりかと目を疑った、という話も聞くことのある同窓会だが・・・。10人余だろうと思っていたのに、20人強が集まる。卒業後しばらくよく一緒に遊んでいたKwとも数年振りに逢って話せたし、その他久々に逢う連中と進んできた環境・現状は異なるものの、年月を感じずに時を過ごせたのは、同級生ならではか(といって、学生時代にそんなにみんなと付き合いがあった訳でもないのだが・・・)。
2004. 11.23   ツール・ド・オオカ〜ラ
 仲間内の掲示板「大川原ヒルクライム掲示板!」主催の第3回ツール・ド・オオカ〜ラが本日、絶好のサイクリング日和の中行われた。今回は前2回とやや志向を変えて、大川原1本のみ。過去最高の20人強が参加。初参加の方もあり、ヒルクライム後の懇親会?でも自転車談義を中心に多いに盛り上がって、とても楽しい一日であった。レースでもなく、かといってサイクリングでもない。中途半端かもしれないが、私としてはひとりでも多くの自転車乗りといっしょに楽しめたら、という思いが一番叶うイベントである。50人、なんて大きな目標も掲げたりしたが、20人強がまとまりとしてはちょうどいいのかもしれない。しかし、いつかは50人規模で盛り上がってみたいと思う。
 無風で小春日和の好条件もあり、成績は自己新記録が続出であった。徳島市内から登り口に向かうまで道沿いを流れる(先日の台風で増水し大きな被害をもたらした)園瀬川の水が、今までいた中で一番といっていいくらい透明度が高かった。山頂の風力発電(仲間内では御本尊と呼ばれる)は無風で停止中。
2004. 11.21   県道35号線  
  北へ走るか、南へ走るか、迷った挙句南へ。第1回那賀川センチュリーランで迷走して以来の、相生町から阿南市新野へ抜ける県道35号線を尋ねる。相生まで約50キロ。町役場付近で国道195号線を右折し、那賀川の南岸へ。2キロほど川沿いに下って、登りとなる。この川沿いの道から峠にかけては、ほとんど車も通らず、路面状況も良好。落ち葉が風に舞うように落ちてくる様がなんとも言えない情景であった。加えて、峠まで約3キロで200mばかり登る(そうそう、センチュリーランではみんな苦しんでいたっけ)ので、そこそこの勾配。ロードの練習にはピッタリ、ぜひみんなを誘おうと思っていたのだが・・・。峠を越えて阿南市に入ると、突然道が細くなり、両側は杉木立で鬱蒼として、路面には枯葉と小石が蔽う。よほど道を間違えたのじゃないかと思ったが、一本道だった。センチュリーランでこんなひどい道を走ったかなあ、と考えながらゆっくり下る。と、突然2車線のりっぱな道路となった。新野へ出た後、これまた10年以上振りの阿瀬比を登って帰って来た。
 県道35号線の峠からは、おそらく美杉峠と思われる道、それに剣山と思われる山がほぼ真西に見えた(帰って来て地図で確認)。ところが、前述のひどい下り道、地図を見る(2種類で確認)と、県道をジグザグに縫うようにさらに細い道が走っている。こちらを走ったのだろうか?それにしても他に道はなかったと思うのだが・・・。

 県道35号、相生・阿南境界の峠へ 
2004. 11.16   ツール・ド・沖縄
 ツール・ド・沖縄、市民120km、なんとか完走。生まれて初めての沖縄を堪能することもほとんどなく、足掛け3日間が3時間あまりのレースのためだけに過ぎた。詳細は、また本HPに掲載するとして、一番痛感したのは、このままではいけない、ということ。未だかって経験したことがない120kmというレース距離。一体どんな展開になり、どんな対応ができるのか全く未知数であった。リョウさんなどから200kmでも出場できるよなどと煽てられもしたが、結果的には、やはり今の実力では120kmが精一杯であった。来年への課題が、先日のリッツ・クリテリウム以上に山積みされた。しかし、120kmというのは、苦しいけど楽しい。道半ばで先頭集団から遅れたが、それでもまだ数人で追いかける展開ができたり、いつも参加している高々20km前後の大会とは比べ物にならない、いろいろな経験ができた素晴らしい大会であった。100km以上走れる大会がせめて年に3大会くらいあればいいのにと思ってしまう。
2004. 11.12   南へ
 昨日は春の嵐を思わせる天気であった。朝から強風、吉野川大橋の風速計が14m/sを示していた。かなり風が吹いている日でも10m/sを超える日は滅多にない。ましてや昨日の風は妙な生暖かさ。今日も前線通過後で冷え込むかと思えば、暖かいまま。
 今週は、当直やら雨やらでとうとう全く練習しないまま。見切り発車で沖縄へ出発の予定。

2004. 11.7   南へ
 またまた、絶好のサイクリング日和。今日は、先日リッツクリテリウムに一緒に行ったK氏、H氏と南へ。往きは国道55号線、そこそこで行こうと言っていたのは何処の話?追い風にのって、しばし40km/h over で日和佐直行。帰りは、走ったことがないというH氏のためにも日和佐〜由岐〜伊座利の海岸コース。いつも以上にほとんど車が通らず、最高のサイクリングコースであった。考えてみると、今年の正月に走って以来のこのコースであった。  夜、沖縄に向けて自転車宅配のための梱包。まだまだ先と思っていたのに、目前にやってきた。後はなんとか体調が普通になるように・・・。
「蒼穹の昴」、読み終える。中国史に疎い私でも期待通り、いや期待以上に面白かった。小説として多分に脚色されているせよ、登場人物の志の高さに惹かれる。あまりに大局を見ない(見えない?)御仁が身辺に多いだけに。
2004. 11.6   セカチュー  
  3日同様、あまりの天気の良さに、沖縄の調整も考慮せず遠出。なぜか瀬戸内海を見ようと思い、徳島から一番近くてまだ走ったことのなかった、庵治町からさぬき市・津田にかけての海岸線を走るべく国道11号線(およそいつもならコースに入れない)を高松目指して走る。津田からすぐと思っていた五剣山(大坂峠からも見える、切り立った山肌が特徴的)であるが、津田から志度、八栗口までが結構遠く感じられた。
 庵治町は高松市の隣町、産業は庵治石(庭石、墓石など)くらいの小さな漁港町。それが、「世界の中心で、愛をさけぶ」というベストセラーの映画化時にロケ地になったとかで週末は結構な賑わいだそう。比較的本は読むほうだと思っているが、なぜかこの「セカチュー」は欠落。内容もほとんど知らない。で、今日も単に瀬戸内の海岸を見たいという目的で走った。結果的に時間が足りなくなって志度から津田にかけては次回のお楽しみとなったが、志度湾に沿った県道36号線は車も少なく、信号はなく適度なアップダウンがあってロード練習にもピッタリ。しかも備讃瀬戸ほどではないが、内海の風景も楽しめる。特に高尻付近の砂浜は、香川・徳島の他の砂浜海岸と異なり、やや荒目の、とても白い砂(庵治石と関係があるのか?)で美しかった。

 庵治町・高尻付近 
2004. 11.3   世界に、はばたく  
  別府史之選手が、来期あのランスの所属するディスカバリーチャンネル(現USPS)に移籍するという。今、日本人選手で最も強いと言われる彼の活躍を心待ちにしている。また、田臥勇太選手がNBAに開幕登録されたとのこと。今季のイチローや松井の活躍、小野や中田のサッカーに続いて、若く能力のある人達が世界を相手にはばたいていくのはなんとも頼もしい限り。オヤジレーサーにとっても楽しみであるとともに刺激的でもある。それにしても、田臥選手は全国紙に結構大きく取り上げられていた(インターネットでも)が、別府選手の話なんてスポーツ面のどこにも載っていなかったような・・・、やはりマイナーな競技だからか。彼の活躍が一般全国紙にも大きく掲載されることを願っている。
 本日、天気があまりに良かったので、体調不良も無視して、久々に掘割峠へ行ってきた。山川までの吉野川沿いは強烈な向かい風に泣かされたが、峠からの眺めはいつものように眼下に善入寺島と吉野川、向こうには讃岐山脈が鳴門方面から竜王山まで一望。帰路、追い風にのって大坂峠を回るが、16時前になると随分と冷え込む。

 掘割峠から吉野川・善入寺島 
2004. 10.31   Rits クリテリウム
 懸念していた空模様も午後からほんの少し小雨が降った程度で済んだものの、成績は最悪。少々体調が悪かったのだが、これほどまでとは思っていなかった。春の反省と目標は何処へやら。今回は反省材料さえ浮かばないくらいに撃沈。また一から出直しです。
2004. 10.30   9℃
 この一週間で随分と朝は冷え込むようになった。吉野川大橋と加賀須野橋(こちらがいつも1℃低い)に気温を示す電光掲示板があるのだが、昨朝は9℃。15℃を下回ると、ちょっと肌寒く感じる。つい先日まで26℃だったのが嘘のようだ。北へ向かって走っていると6時20分頃に日の出。本日は断続的な雨のため、完全休養。
「蒼穹の昴」:浅田次郎・・・期待通り、面白い。私は歴史が苦手なのだが、もう少し前近代中国歴史の素養があれば、もっと背景を想像しつつ読めるかも。

2004. 10.22   台風
 「美しい秋の日」を蹴散らすように、また台風がやってきた。徳島市内でも、1m以上もの浸水したところがあったそうだ(拙宅からほんの数キロしか離れていないところで)。人命が失われたり、家屋や仕事に多大な被害・損害が出たり、とても人事ではなかった。私はと言えば、ちょうど東京出張。それはそれでまた大変であった。航空機は飛ばない、なんとか新幹線で大阪まで帰って来たのものの、本四連絡橋が通行止め。翌朝漸く運航したバスは、途中淡路島で高速道路が通行止めで下道を走ったのだが、これがまたとんでもない大渋滞!出張もしくはレースで関西へ行く度、こんなに走ってないのに4車線はもったいない、と常に思っている淡路島の高速道路だが、こうして通行止めになってみると、これほど渋滞するくらい通行量があるのかと改めて見直した。
 それにしても、今年は10個目の台風上陸だそうだ。そのほとんどが四国に多大な被害をもたらしている。旱魃はしょっちゅうであっても大雨なんか縁のなかった田舎・香川でも大雨による被害が続いた。徳島をはじめ山間部では、林道はもちろん主要道もずたずた。復旧の前にまた災害、である。自転車乗りにとっては最高の季節であるのに、今年ばかりは山道の紅葉も諦めざるを得ないか。

2004. 10.17   美しい秋の一日 −その2−
 まだ半袖で十分と思っていたのに、3日ほど前から急に肌寒いくらいに冷え込んできた。朝練にはレッグウォーマーとウインドブレーカーがかかせなくなった。一昨日、今日と往路の吉野川大橋上から、和歌山の山影から昇る朝日を見る。一昨日の朝は、11日と同じくらい澄み切った空であった。鳴門方面から徳島に向かって帰って来ると、手前に眉山、その背後に重なるように中津峰から大川原さらには剣山山系が連なり、ちょっと西には高越山が、どこまでも高く透明な空の下、早朝の斜光線により立体感が強調され鎮座していた。冬場には、時に山頂が雪で白くなるのもこの連なりの標高1000mを越えるあたりから。 
 ところで、先週、出張で盛岡へ行ってきた。出張での仕事が終了したら、週末、20数年振りの奥州路・錦秋の八幡平や奥入瀬を走りたいものだと思っていたが、仕事の都合でたった一日でとんぼ帰りとなる。暮れなずむ北上川の流れの向こうに、雲に半分隠れた岩手山を垣間見たのみ。盛岡市内の紅葉はまだであった。
読書の秋。最近読んだ本、これから読む予定の本など。
「アフリカの瞳」:帚木蓬生・・・「アフリカの蹄」の続編。フィクションであるが、きっと実世界のいたるところでも人知れず献身的に働くこんな医師が幾人もいるのだろう。
「アフターダーク」:村上春樹・・・相変わらず、グイグイと惹き込まれる不思議な世界、読後感。村上ワールド。
「天国で君に逢えたら」:飯島夏樹・・・飯島夏樹は知る人ぞ知る、プロボードセイラーである。私が boadsailing に没頭していた10数年前、すでに日本のトッププロとしてワールドカップを転戦していた。その彼が、末期肝臓癌で余命いくばくもないという。そんな中で書かれたという一冊。できることならまだまだ一冊でも多くの著書を増やせる時間を・・・。
「代筆屋」:辻 仁成・・・上記と同様、なぜか代筆屋の話である。代筆屋はともかく、話を創るうまさに感心。まあ、小説家であるから職業と言ってしまえばそれまでだが、才能あればこその仕事である。ロックミュージシャン(こちらはあまり知らない)であり、写真集もあり、映画も撮り、マルチ才能人間である。年齢は私とほぼ同じ。恋愛小説(実生活でも大変おもてになるらしい)もさることながら、「白仏」は最高。おおっ、こんなのも書けるんだ、とガツンと一発食わされたくらいの衝撃であった。
「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」:Stephen Webb・・・書評で見つけて以来、読んで見たかった本。ちょっと毛色が異なり(日常の瑣末事を、そんな取るに足りないことと感じさせる壮大さを期待)、最後まで読み通せるか。
「蒼穹の昴」:浅田次郎・・・「日輪の遺産」「シェエラザード」など太平洋戦争に関連した小説がなかなか面白かったので、時代背景は異なるが、期待しているところ。

2004. 10.11   美しい秋の一日
 台風一過の昨日が思ったほど澄んだ大気でなかったのに、今日の一日はまさに「秋日和」そのもの。暑からず寒からずはもちろんのこと、抜けるような青空とくっきりと浮かぶ山々。地の緑はさすがにちょっとばかりくすんできたが、写真を撮るにはいい条件。仕事が台風状態で、ゆっくりと時間が取れない中、大坂峠眉山へ登ってきた。大坂峠からは遠く播州の地が、眉山からは和歌山が、一年のうちでも何回あるかというはっきりした状態で見ることができた(例によってそんな時はカメラをもっていない)。台風状態の仕事で気がめいっていても、ちょっとした自然の美しさを感じられる余裕を忘れないように。
2004. 9.26   Mt. 富士ヒルクライム 
 トップページにも書きましたが、Mt. 富士ヒルクライム、40歳代の部に、今中大介氏(確かまだ30歳代?)が特別参加。10km過ぎのちょうど垂れかかったところを、引いていただけました。中盤から垂れたままで終わらずに、なんとかペースを取り戻し最後まで切れずに走れたのは、今中氏のおかげです。もちろん、氏がこちら(もう一人一緒でした)のペースに合わせてくれたのですが、それでも2、3km追走して少し勾配が強くなったところで、おさらばでした。
 ゴールの後、出場者(50歳以上の上位の方)と談笑していた氏を見つけて、引っ張っていただいたお礼を述べました。超有名人であるが故に声をかけるのは、ちょっとためらったのですが、「いやあ、いい走りでしたよ!」との社交辞令もいただき、持っていた携帯で one shot(ついでに傍にいた人に氏との two shot を撮っていただいたはずなのに、こちらは撮れていませんでした、残念!)。とても気さくで親しみやすい人でした。下山の際に、もう一度会ったので再度挨拶。結果も満足できるそこそこのものでしたが、今中氏との並走?が何より一番の思い出となるでしょう。

2004. 9.19   SDA クロスマウンテンバイク 100km
 「天気が良ければツーリング気分で」と臨んだ SDA クロスマウンテンバイク 100km 。スタート時こそ曇天だったのでカメラを持って出発したもののまもなく雨が降り始め、以後約5時間にわたって時折強い雨脚が断続的に。ドロドロの道との格闘と寒さにツーリング気分は吹っ飛んでしまい、かと言ってレースに専心するというのでもなく、ちょっと中途半端な走りになってしまいました。それでも、30kmを過ぎたあたりに続く広葉樹の原生林や巨大なヒノキの林立、落葉松林の中を行く道など随所に素晴らしい情景がありました。残念ながら、手もドロドロ、雨中にリュックからカメラを取り出す気にもならず、ほとんど写真を撮りませんでした。天気が良ければ、御嶽山の雄大な姿を眺めながら走れたと思うととても残念です。しかし、雨にもかかわらず、通常では体験することのできない御岳周辺のダートを走る楽しみを、今までに参加した様々な大会の中でもっとも長時間(7時間少々)にわたって味わうことができました。天気が良ければ、今回の印象とはまた格段と異なったものになると思います。
 ところで過去に経験したことのないタイプ(ほとんどアップダウンばかりのダート100km)だけに、いったいどんな準備(補給食など)をしたらいいのか、自転車の装備は?と疑問も多かったのですが、初めからツーリングと決めていたので、今回はそこそこで臨みました。その結果、もっとも痛感したのは、ダブルサスでもチューブレスタイヤでもなく、よく効く整備されたブレーキが一番重要ということ。新品ではなかったですが、前後ともほとんどブレーキシューがなくなって思うように減速ができなくなってしまいました。おかげで足よりも前腕のほうがへたってしまいました。ディスクブレーキを試したことはありませんが、私のような下りへたくそにとっては、ダブルサス以上に有効もしくは必要な道具かもしれません。

2004. 9.14    10000ヒット
 昨日午後、10000ヒット達成! アクセスカウンターは1度不調になって、しばらく中止の後今年5月に再開。統計によると、ほぼ毎日平均70回くらいのアクセスがある(このところちょっと減少気味)ようです。 こんなマイナーなHPにアクセスしてくださっている方々、この場を借りて改めて御礼申し上げます。やはり、発信しているからにはそれに対する反応が多少なりとも気になるものです。アクセスカウンタ−はその意味でも貴重な情報です。欲を言えば、掲示板にももっと書き込みが欲しいところですが・・・。こちらもよろしくです。
 昨朝は、仲間と大川原へ登る予定が、徳島市内は晴れていたのに佐那河内に入った途端、雨。大川原は中腹から上が黒い雨雲の中で、集まった3人で迷うことなく退却。代わりに眉山を登ってきました。この日、眉山では、なぜか自転車に乗った人と多くすれ違いました。私達3人の他に、トライアスリートのふーきゃんさん、吉野川大橋の上で知り合ったハンソンさん、黄色いコルナゴに乗った方、その他、バックパックを背負ったMTBのおふたり、白いクロスバイクに乗った方、計9人。早朝1時間そこそこの間のこと。なんだかとてもうれしくなりました。徳島市の中心に近いこの眉山、標高270mばかりの低山とは言え、なかなか勾配が急なので登るにはちょっと気合が必要です。そんな眉山、アタックするなりサイクリングなり様々に自転車で楽しむ人が増えたらいいなあ、と思っています。

2004. 9.6   地震、台風
 9月1日は、かの関東大震災が起こった防災の日、毎年各地で災害訓練などが行われている。また二百十日の9月11日前後は台風がよく上陸する特異日とされてきた。そんないつもなら暦の上での話が、今年はいずれも我が身の話に。昨夜は2度にわたる結構大きな揺れ(徳島では震度3)。そして、先週に続いて明日はまた同じようなルートで台風が列島を縦断しそうである。 「天災は忘れた頃にやって来る」 
 週末の昨朝、市内は雨にもかかわらず県中部は曇りとの情報。K氏、S氏、H氏の4人で、雨に遭うことを覚悟の上、板野町−脇町−大窪寺−引田−大坂峠−板野町の100km弱を走ってくる。距離はさほどなく、3度の大休止が入ったが、途中は結構メリハリがあってかなり堪えた。一人では決してできない追い込んだ走り。 結局帰ってくる頃には薄日の差す天気に。
2004. 8.31   台風一過   8月も終わり
 昨夜は台風17号の接近で、徳島は凄い風(瞬間最大風速54m!)でした。ちょうどその時間、無謀にも徒歩で帰宅。途中の小さな橋では、欄干を離さずに歩くことは不能、小走りすると体が思わぬ方向に飛んで行く、あちらこちらから物が飛んでくるなど、ちょっと生きた心地がしませんでした(思いの外、雨には濡れませんでしたが・・・)。
 台風一過の今朝、吉野川の河川敷は水没、しかし街中は意外と被害が少なかったようです。一転して、今夜は眩しいくらいの月夜です。
 乗鞍の正式タイム、MSPOのHPに掲載されていました。 1:13:45 年代別22位、総合229位でした。

2004. 8.29   シマノスズカ乗鞍、速報 (追って詳細をアップ予定)
 南の海上をさまよう台風17号を懸念しつつ、27日の夜に鈴鹿に向けて徳島を出発。28日早朝より、オープンV、続いてオープンUを走り、その足で乗鞍へ。3年越しの乗鞍、雲の中でしたが、ちょっと小雨が降った程度で、無事開催。昨年の怨念(荒天で中止)を晴らしてきました。しかし、さすがに前日までの疲れか、体調不調(加えてスプロケットを交換したため後変速機も不調)。それでもなんとか最低目標の75分以内は達成できました。すでに来年の目標設定。かなり重症の坂中毒になってきているようです。それにしても、65分以内に登り切る人の走りは別格ですね。
2004. 8.21   夏が往く  
 昨夕そして今朝と、あれっと思うような涼しさ。「涼しい」と言うにはまだまだ高い気温かもしれませんが、それでも昨日までの暑さとは比べ様もない程度。これで、暑さが過ぎたとは決して思えませんが、朝のクマゼミの合唱もいつの間にやら遠のいて、夕暮れのアブラゼミやツクツクボウシの妙に物悲しい鳴き声が目立つようになってくると、もう夏も終わりだなあ、と思ってしまいます。

 19日の早朝、自転車で走り始めたところ、西の空に吉野川を跨ぐような虹が。右の写真は吉野川橋上から四国三郎橋方面を撮ったものですが、愛媛県や香川県に大きな被害をもたらした豪雨のせいで吉野川も濁流。空に露出があっているせいで、濁流で茶色の川面(写真の下方)が陸のように写っています。悪しからず。

  吉野川橋から
2004. 8.13   帰省   夕日のふるさと
 多忙の中、一泊二日で帰省。旧友といつものように深酒する予定がなくなった(その前後にあまりに飲み会が多すぎた友人の休肝のために中止)こともあり、夕方、落日を見ようと海辺まで自転車を走らせた。片道2km弱。快晴故にあまり期待してなかったのだが、西の空には夕焼け雲も僅かながらあり、思いのほか大気も澄んでいて、瀬戸内海に点在する島影も結構はっきりと見渡せた。夕食前の20分くらいのつもりだったのが、飽きることなく眺めていると、いつのまにか小1時間が過ぎていた。特に美しい海岸でもないのだが、幼少時から慣れ親しんだ風景だからか。徳島ではお目にかかれない風景。
 野田知佑・著 「少年記」(文春文庫) を読む。氏の文庫化された作品はほぼ目を通しているつもりだが、その原点がここにある、という印象であった(冒頭の終戦前後の話も貴重に思えた)。日本はおろか世界の川を旅して知り尽くしている野田氏が、どうして日和佐川に住みついたのか?ずっと疑問に思っていたのだが、その解答のひとつが少しわかったような気がした。(8月16日、記)

  燧灘・落日
2004. 8.12   阿波踊り
 今夜から、徳島市の阿波踊り開幕です(鳴門市は昨夜から)。なかなか好きになれなかった徳島ですが、眉山、吉野川に加えて、阿波踊りは結構気にいっていました。もちろん、自分が踊るのではなく、その日本離れしたリズミカルさ・ダイナミックさに魅了されたのです。テレビなどでみると、笛や鐘の高い音ばかりが強調され軽く感じますが、実際は太鼓の音が重く響き、とても重厚かつ軽快です。東京の高円寺などでも有名だそうですが、味わったことがない方は是非1度体験して見てください。他の盆踊りなどとは一線を画するパワーに圧倒されることでしょう。なにより特別な型がないのがいい。今夜は、職場の面々も、連を成して踊りに行きました(まあ、有名連とは違って、練り歩くと評するほうが妥当かもしれませんが・・・)。私はと言えば、ただでさえ踊らないのに、昨朝からの36時間勤務の疲れ。2日分のアルコールでリフレッシュ?中?
 この阿波踊りへの情熱を、一部でも日常生活に注ぎ込んだなら、徳島県ももう少し変わるのでは、と思うのは、所詮外様人間の思いでしょうか?

2004. 8.6   豪雨   広島「原爆の日」
 とても暑い日が続いていると思っていたら、台風10号、11号のおかげで徳島のこの1週間は大雨でした。徳島市内では、那賀川上流で大きな被害をもたらした10号より11号の方が局地的な豪雨はひどかったようです。特に4日の22時過ぎは凄かったです。ニュースでは、よく「時間雨量OOo」と表現されますが、なかなかピンときません。で、興味があったのですが、やはりその時の徳島の時間雨量は55oとかなりの量だったようです。
 あまりの雨に、自転車を職場に置いて歩いて帰宅となったため、翌朝も歩いての通勤(まだ雨が残ると予報では言っていたのに、台風一過の晴天でした)。歩いたおかげでひとつ発見。興源寺川という普段はほとんど流れのないドブのような川-川と呼ぶのもためらわれる-があるのですが、この朝ばかりは割と澄んだ水が流れていました。しかも、メダカや黒い小さな小魚(フナではないような)、ニホンザリガニがそこそこいて、水面には沢山のアメンボが。いつもこんな風だと、この川も甦るのでしょうが・・・。ちなみに数年前、興源寺川流域(水路と呼んだほうが的確?)を整備して親水公園にする、という計画もあったそうですが、予算がなく中止になったようです。川の再生にはやはり「水」ですね。
 今朝は、晴れだと思っていたのに小雨。このところ早朝練習がお休みになること多し。
 本日は、広島「原爆の日」。この2、3年、マスコミ(特に当日の新聞)の取り上げ方が依然に比較して少ないような気がするのですが・・・。
2004. 7.25   愛媛ロード・第2戦 寒風山ステージ
 楽しみであった愛媛ロードに参加してきました。第1戦同様、昨年の記録をどこまで伸ばすことができるか、がひとつの目標でした。結果的には1分少々短縮できたようですが、もうひとつ満足できず。どうも、昨日炎天下に60kmほど走った疲れとウォーミングアップ不足が原因のひとつかと思われました。反省。それにしても、ゴール地点(標高約1100m)は肌寒いくらいであったのに、下山してきた加茂川河川敷の暑かったこと。そこそこに吹く川べりの涼しい風が焼け石に水、と思えるくらい。去年はこんな暑くなかったと思うのですが・・・。
 この時期は、やはり山ですね。ということで、レース後、瓶が森林道を走ろうとレースコースを車で再び登ったのですが、生憎の雨。しばらく快適な気温(少し肌寒いくらい)の林道起点で様子を覗っていたものの、稜線は雲の中。諦めて高知側へ下山し、道の駅「木の香」でゆっくりと温泉につかって、帰宅の途につきました。
 それにしても、毎度ながら越智サイクルのみなさまの好意・熱意には頭が下がります。いつも素晴らしい企画の主催・開催ありがとうございます。この場をかりてお礼申し上げます。これからもよろしく!
2004. 7.20  レンコンの花
 と、言う訳で、早速早朝、カメラを持って松茂町まで走ってきました。一面のレンコン畑。到るところで花が咲いていますが、いざ写真を撮ろうとしたら、なかなか良い条件のものがありません。そこかしこに、まだ蕾のものから少し膨らみ始めたもの、ちょうど咲き頃のもの、すでに散り始めたものと、一見選り取りみどりのように思えるのですが・・・。ちょっと遠かったり、光線の具合が悪かったり、まわりの葉の状態が今一つだったり・・・。まあ、自転車に乗って行って、畦道から見える範囲での話ですから、この程度でご勘弁を。
 今しばらくは咲き続けているようなので、興味を持たれた方は、近日中に訪ねて見て下さい。ただ、畦道の所々に「花・葉、取るべからず、巡回中」の立て札がありました。心無い人がいるようです。この畑に咲いている姿がいいのに。ところで、レンコンを掘るのはとても大変な作業だと聞いていますが、花や葉にも商業価値があるのでしょうか?単にマナーの問題なのか、どなたかご存知の方ありましたらお教え下さい。(7月23日、記)

  レンコンの花
2004. 7.19   蓮?の花
 早朝、定番の国道11号線を北上(櫛木・大谷まわり)。11号線の西側・松茂町から鳴門市大津町にかけては、一面のレンコン畑が広がっています。毎年、初夏の早朝には大柄な美しい花を咲かせます。今年も先日から、多少気にしながら自転車を走らせていたのですが、今朝は何故か満開!到るところで、白から淡紅色へのグラデーションが美しい清楚な花が緑の葉の中にまさに「ポッ」という感じで点在してました。明日は、カメラを持って早めに出動ですかね。
2004. 7.17   7月は海の月だそうですね。  紫陽花
 早朝、大川原高原へ登ってきました。例の「大川原ヒルクライム掲示板!」の一環でもあるのですが、今朝は紫陽花見物を兼ねてのつもりだったのです。ところが、肝心の紫陽花は一部を除いて、ほとんど花なし! 同行のsaikiさんの話によると、株が大分弱っているようだという情報があるとのことでした。せっかくカメラを持って行ったのに、無用の長物(重物)になってしまいました。
2004. 7.11  梅雨明け、 参議院選、 380km
 以前から一度実行しようと考えていた、超ロングラン(400km以上)--本当はまだ涼しい5月あたりと思っていたのですが--をやっと実現することが出来ました。コースは徳島市内出発-南下-室戸岬-野市-四ツ足峠経由-徳島市内。ほぼ30kmごとに休息を取り入れ、その平均時速は休息を含めて平均25km/hを目標としました。
 午前5時20分、K氏と徳島市内を出発。国道55号線を一路南へ。最初のCP・福井にはほぼ30km/hで1時間後に到着。小休止と補給をして、出発。さばせ大師、野根と休息を取りながら、室戸岬に到着が9時50分。野根から南は走りやすいこのコース設定の中でも特に快走できる道で、K氏が前になると36〜37km/hのペースでした。
 キラメッセ室戸で休止の後、芸西村・和倉のローソンで休息(それにしても県南・室戸に随分とコンビニが増えているのには驚きました)。室戸岬を回っても、緩いながらも緩い追い風でいいペースを保てました。ここまでで180km。しかし、やっと道半ば。ここから後半は、疲れも出てくるし、暑くなるし、しかも山越え、と3重苦?
 高知市内は混雑すると考えられたので、野市から県道237というローカルな道を通って、土佐山田・神母ノ木で国道195号線に入りました。道は次第に登りとなりますが、交通量も少なくここでも緩い追い風で助けられました。しかし大栃の手前からは、さすがに次第に勾配のきつくなるところが出て来るようになります。ペースダウンで、そこそこ無理のない走行速度で進みました。かってはいたるところで工事中であった195号線ですが、現在は完全に2車線となり、自動車にとっては快適な道になっています。ただ自転車にとっては、こんな走りにはともかく、ツーリングにはちょっと味気ない道ですね。横を流れる物部川も、木頭村の那賀川と比較するとその水量、水質とも随分と見劣りしました。
 約25年振りの四つ足峠トンネルに到着したのは15時45分、ここまでで246km。最後の3km弱はそこそこの登りでしたが、これを登り切れば後はほとんど下りと思うと、何とか走りきれました。四ツ足からは、下りの快走でしたが、少しばかり向かい風となりました。出合で小休止の後、鷲敷まで一気に走りました。鷲敷までは336km。時刻は18時40分でそろそろ薄闇が広がってきました。ここでK氏と相談。徳島まで帰っても400kmにはとても届かない、360kmくらいにしかならないので、どうするか。結局、徳島まで戻って、その時点でまた考えることに。
 ライトを点灯し走りつづけましたが、夜間走行はほとんどやったことがない私と、仕事後夜間練習を行っているK氏との間には歴然とした差が。必死になってK氏を追いつつ徳島市内に辿りついたのが、20時30分、356km。結局その後マリンピアを5周回して20km稼ぎ、自宅まで合計 382.5km 、400kmには後一歩届かずでしたが、天候恵まれ、上々の一日となりました。次回は必ず400km over?

 実測 382.5km 、12時間45分、 平均速度 30.0km/h でした。ちなみに今回、初めての超ロングであったのでハートレートモニターを装着していたのですが、最初の2時間は120後半、室戸前後の快走時は140後半、195号線に入っては130後半くらいでした。

 この日、四国は梅雨明けだったようです。例年より随分早い? また、参議院選でしたが、当日はまず無理と判断していたので、私は前日に済ませてきました。

室戸岬付近

四つ足峠トンネル
2004. 7.7   小暑・七夕
 小暑という今日ですが、全国的にこの夏最高の気温のようです。昨日、今年初めてクマゼミのあの騒々しい鳴き声を聞いたと思ったら、今日はもう最盛期といった風でした。七夕、今年は晴れで迎えれましたね。
2004. 7.3   暑〜い!
 やや寝不足気味ながら、大川原へ登ってきました。下界ではあまりの暑さにしおれ始めた紫陽花が、高原では漸く3〜5分咲きです。来週あたりが見頃かなあ。一仕事の後、もう一度走りましたが、頭が朦朧とするほどの暑さ(近所の国道上の標示は32℃でした)。サイクリング以下のスピードでした。もう7月に入ったので当たり前のことなのかもしれませんが・・・。
 昨夜は、真ん丸の十五夜でした。晴れが続いてそれほど大気が澄んでいるとも思えないのに、妙に冴えわたって光る美しい月夜でした。そんな月を取り入れたインパクトのなる写真を撮りたいものですが、やはり一眼レフが必要かなあ。
2004. 6.23   台風一過
 昨日早朝、台風一過で空気が澄んでいるかな、と思い眉山へ登ってきました。予想通りベストとは言えないものの、大気の条件はまずまずで、和歌山県の山並みも結構はっきりと見えました。それにしても驚いたのは、台風の爪跡。ちょど台風6号が徳島市上空を通って行った20日朝から21日夜まで仕事だったので外の様子があまりよくわからなかったのですが、眉山山頂では、根こそぎ倒れている桜の木が十数本以上。それも植樹されて間もないものではなく、そこそこの樹齢のものです。登る途中の山肌では倒木など見かけなかったので、風を遮るものが無い頂上の条件と、人工的に植えられた植物の弱さ故でしょうか。徳島での最大瞬間風速は35m/sくらいだったようです。以前住んだことのある室戸では50m/s以上ということが何度かありましたが・・・。台風や強風の後に眉山へ登ったことは何度かありますが、このような被害は初めて目にしました。
 話は変わって。F1・佐藤琢磨選手、やりましたね。F1に特に興味はないのですが、日本人が世界最高峰のレースで結果を出したことに惜しみない拍手を送りたいと思います。今後のさらなる活躍が楽しみです。ところで、佐藤選手が高校・大学時代に自転車競技をしていたことは(自分でクラブをつくり、さらには学生選手権で優勝した)みなさんご存知のことと思います。彼が、そのままロードレースを続けていたら・・・。

2004. 6.17   梅雨の合間に
 今週の日曜日以来、さわやかな毎日が続いています(昼間は仕事でよくわからないのですが、夜から早朝にかけては)。日曜日は、快晴の下、ツール・ド・オオカ〜ラと称して、およそ140kmで、積算標高約2400mを走ってきました。当日は、台風一過に近く、空気が澄んでいて、大川原高原や眉山から本州や小豆島を見ることが出来ましたが、剣山からは山陰の大山が見えたそうです。
 こんなさわやかな天気が続けばいいのですが、結構昼間は暑く乾燥するらしく、夜帰宅すると猫の額ばかりの庭にある鉢植えの花は半分しおれかかっています。いつか、庭・野の花のページも作ってみたいのですが、花の写真もセンスあるものはなかなか撮れないのですね。

2004. 6.1   自転車レース
 Giro d'Italia は弱冠22歳のクネゴ選手が優勝。でも同じチームのエースで優勝候補であったシモーニ選手との関係はどうなっているのでしょうね。個人競技であるようでありながら、トップはチームプレイの競技なのですが、今回のことは私にはちょっとわかりません。数年前、ウルリッヒがツールで初優勝した時は、同じチームの前年優勝者リースがその時の状態でスムース?にエース交代したような覚えがありますが。
 Tour of Japan は、BSの福島晋一選手が日本人として初めて優勝。詳細は知らないものの、前半リーダージャージを守っていた別府選手も拍手ですね。
 日曜日には、愛媛・八幡浜でMTBのオリンピック代表選考最終戦が行われ、竹谷選手が圧倒的な強さを見せたようです。この週末は、自転車レース本番を思わせるものでした。ただ、やはりまだまだマイナーな競技。一般のテレビ放送はほとんどありません。が、新聞にもそこそこ出ていたし、先日テレビでチラッと見た女子ホッケー選手の境遇なんかに比べたら、自転車競技はまだまだ恵まれているのかも知れませんねえ。
2004. 5.30   気温 32℃
 入梅とのこと。先日からこの週末は土曜日の後半から雨、と決め付けていました。昨夜の天気図を見ても「明日は雨、ちょっと疲れ気味なのでいい休養になる」と思っていたのに、朝、目覚めると雨音なし。一仕事終わる頃には、晴れ間が出てくるほどに。こうなると、外に出て走らないと損をしたような気分になってしまい、午後から出動。ただし、昨日午後の走りで登りの足がないことを確認していたので、山は遠慮して吉野川を遡ることに。ゆるい追い風に助けられて、力の入らぬ足で快走。第十堰、柿原堰の流れや、河原に繁る低木や雑草の緑を楽しみながら、西へ西へ。結局、脇町から北へ進んで(久しぶりに走った県道105は、路面も結構荒れていて、疲れた足には思ったより勾配があって疲れました)大窪寺を回り、市場町から再び吉野川の土手を走って戻ってきました。復路も風が少し西寄りに振ったせいでひどい向かい風とはならず、疲れた足でなんとか帰宅。
 走っていると風も受けるし、真夏ほどの照り返しもなく、それほど暑いとは思わなかったのに、山川にあった道路標識で「ただいまの気温 32℃」には驚きました。ボトルの水を手足に浴びながらの半日。

2004. 5.29   アルコールエネルギー
 「大川原ヒルクライム掲示板」でお近づきになったメンバーで、早朝から大川原に登ってきました。6月13日には第2回「ツール・ド・オオカ〜ラ」を開催の予定なので、その予行演習?でした。午前6時スタート(仕事の関係で)にもかかわらず、7人が参加。いい練習になりました。ところで、午前5時過ぎに自宅を出たところ、吉野川では、とんでもない方向から朝日が昇っていました。空を被う雲のためにとても美しい朝焼けとなっており、おりしも陽光が吉野川に反射。カメラを持たなかったことを後悔しました。
 今年はいろいろな条件が重なって、かってない程練習が出来ています(距離にして過去10年間の平均の2倍位)。こんな事がいつまで続くことやら、と思いながら走っています。せっかくの機会なので、事情の許す限り、追い込んでみます。
 ところで、私を少し知る人からは想像できないようですが、飲兵衛です。これで、アルコールを断ったら、後2kgは優に減量できると思うのですが、リラックスと、こじ付け酒は止められません。今もしっかり飲んでいます。
 最近、読んだ本のことなど。
 先日、亡くなられた鷺沢萌「失恋」(新潮文庫)。そうと知って読むからかなあ?多少いつもと違う思いで読破。村上春樹訳「世界のすべての七月」現在読書中。かなりの期待を持って読み始めたのですが・・・。
鈴木厚「日本の医療に未来はあるか」(ちくま新書)。これは凄い!私が日頃思っていることを、データをもとに的確に述べている。是非、医療従事者以外の方に呼んでほしい。ご存知の方、お気付きの方、はたまた全くお気付きでない方もあるでしょうが、当方、医療従事者です。その思いは、いつか近いうちに別項で述べたいと思っているのですが、この本は述べるところは、大局的な私の意見とほぼ一致です。
 後、先日東京出張の際に、買ってきた、「ダム撤去」(岩波書店)、「日本の桜」(学研)、南木佳士「冬の水練」、森絵都「永遠の出口」、読破中。

2004. 5.21   大都会
 17日から19日まで、出張で東京へ行って来ました。年に1、2回行く度に、新しいビルが増えているのに驚き感心するのですが、今回はまた格別でした。羽田空港からモノレールに乗って浜松町まで、都心に近づくほどガラス張りのビルが昨年より随分と増えています。そして昨年以来話題の、汐留。その巨大な高層ビル群を真下から見上げてきました。圧倒的な存在感で立ちはだかっているように見えますが、ふと先日(4月21日)地方紙で読んだ、高村薫氏の論評を思い出しました。「百年先を考えた都市を」というテーマです。現代のハイテク建築物であるのでしょうが、コンクリートの耐性は高々数10年。いったい100年先に(当然私は生きていませんが)、この構造物はどうなっているのでしょう?「廃墟」という言葉さえ浮かんでもきます。私達は、そして都市は何処へ向かっているのか?
 そんな思いを持ちつつ、往復のジェット機の中では、故・星野道夫氏の「ぼくの出会ったアラスカ」(小学館文庫)を読んでいました。氏の著作は何冊か読んでいるのですが、いつもとても重要なメッセージを感じます。現代の日本が進んでいる方向と対極、と言ってもいいかもしれない世界。忘れてはならない大切なこと、全く別の意味、価値観での豊かな世界。それを愛してやまないものだけが語れる真実がそこにあります。惜しむらくは、もっと長生きをして、メッセージを送り続けてもらいたかった。

2004. 5.8   感謝、御礼
 久しぶりにHPにカウンタアクセスを設置することができました。なかなか楽しいです。なんと言っても、励みになります。こんなマイナーなHPにも一日で100件近くのアクセスがあることが・・・、なんて開設者にとってはこの上ない励みです。訪れていただいた皆様、有難うございます。 これからも、よろしく!
 近いうちに掲示板も設けようと考えていますので、これからも御贔屓に! 当HP管理人としては、一層魅力あるHPにと精進いたすつもりです。

2004. 5.6   ゴールデンウィーク
 みなさま、ゴールデンウィークはいかが過ごされましたか?
 私は、例年になく仕事も落ち着いており、毎日1時間程度で仕事を片付けて、適当に走っておりました。
 29日は大川原、1日は大坂峠、2日は今季初レース・リッツクリテリウム、3日も大川原。しかし唯一のツーリングを予定していた4日は大雨との予報に早々に断念。土砂降りを予想していたのに、晴れ間が見えたりの煮え切らない一日でした。5日は「こどもの日」なので、一応親である私もそれなりに・・・と思っていたのですが、当の相手にその気無しで、大坂峠・眉山を走ってきました。
 29日、大川原から帰路、沖浜の国道を通ったのですが、車が渋滞していて歩道をゆっくり走る羽目になりました。その時。女子高校生、30歳前後と思われるサラリーマン風、それともう一組、いずれも二人組なのですが、歩道を並列で走っている。他に歩行者・自転車がいなければ並走してもいいと思いますが、歩行者がいたり、前方から自転車が近づいてくれば、その時だけは縦列になってほしいものです。同じことを4日夕方、吉野川大橋でも経験しました。私は、わざと隅に寄らずに中央付近を走るのですが、それでも避けませんねえ。注意をしたところで、ヘルメット・ゴーグル・レーパンの変なおっさん、何言ってるんだ、と思われるくらいで聞く耳を持たないような気がします。自転車が少しでもメジャーになるためには、そんなマナーから始めることも必要じゃないかと思うのですが、どうすればよいのでしょう?(某日、街へ向かって通勤自転車で走っている時、前方を集団でゆっくり走る某高校の野球部員たち、後方の私に気付いて声をかけて道を開けてくれました。)
2004. 4.25  那賀川練習会
 5月16日に開催予定の那賀川センチュリーランに、仕事の都合で出場できない saiki さんが言い出しっぺになって、同コースで試走・兼・練習会を行うことになり参加してきました。私は当初から、往路のみ、木沢からの復路はツーリングを兼ねて土須峠越え・神山周りで帰って来る予定で参加しました。
 同日開催の美山ロードを優先した「リョウさん」ら8人+2人(ショートコース)で出発。鷲敷あたりまではそこそこのペースでしたが、集まったメンバーがメンバーだけにいつのまにか例によってバトル。結局折り返し地点の木沢村役場(約65km)には1時間45分くらいで到着。最初のスローペースを考えるとまずまずのタイムでした。そこから、私と「こ〜さん」(大川原ヒルクライム掲示板・管理人)は予定通り、土須峠越え。他の6人は、リョウさんがしきりに称えた大美谷ダムに行くということになりました(結局、復路は戻らずに、八重地越・上勝まわりで帰ったそうです)。12、3年振りの木沢側からの土須峠でしたが、坂洲木頭川の水量は予想外に多く、例年より早い新緑の芽吹きもあって、改めてその良さを見直した満足の一日となりました。
 
  スタート地点の羽ノ浦で
左から、しんさん、かばさん、こ〜さん、リョウさん、肉玉モダンちゃん、saikiさん、かばさんママ、すーさん、ちょめさん
2004. 4.24  目に青葉・・・
 ここ数日、初夏のような暑い日中であったが、今日は一転して肌寒い北西が吹き荒れる一日となった。東北、北海道では降雪の可能性さえあるらしい。が、徳島では、この数日で欅や柳の新芽が一気に伸びて透明感のあるライトグリーンが街に潤いを与え始めている。久しぶりに登った眉山では、八重桜さえ終わり、野生のフジがそこかしこに目に付いた。そういえば通勤途中に、同じような淡紫色の桐の花も咲いていた。サクラの話をもう少ししようと思っていたのに、時は待ってくれない。
 ところで、例のイラクで拉致されていた3人に対する話。相変わらず、自宅にまで非難を送りつけるものが多数いるらしい。しかし、徳島新聞・読者の投稿(4.22)にも私と同じような意見が2つ載っていた。また、アメリカ・パウエル国務長官の発言や仏紙・ルモンドの意見も新聞やネットで目にする機会が何度もあった。いずれも「人道的価値観に駆り立てられた若者を誇るべきである」との見解で、「自己責任」(意味を取り違えている)だとか「経費を払え」とかいう、日本の政治家やメディアの対応とは多いに異なる。計らずも日本・日本人の一面(けっして誉められることではない)を露呈した事件ともなったようだ。4.23付の朝日新聞にも、この問題についての3人の論評が載っていた。
 もうひとつ政治の話でなんだが、先日の日曜日は徳島市長の選挙であった。結果をどう読むせよ、投票率が50%以下と言うのはいただけない(という私も、以前はほとんど選挙に行かなかった・・・職場が転々として選挙権が無い事が多かったせいもあるが・・・)。多分、以前の私のように行っても変わらないと思っている人がまだ多いのだと思う。しかし、早くそうでは無いと気付いて欲しいものだ。そう気付いている人達がどんどん増えてきているのも事実だと思うのだが。   
 ウ〜ン、やはり政治の話は簡単にまとまりませぬ。 いろいろな意見があって当然なので、反論、ご意見など何なりとお寄せください。   ご意見・ご感想・新しい情報はこちらへ

2004. 4.16  未明
 作家・鷺沢萌さんが亡くなった。熱狂的とまではいかないまでもそこそこの読者であった私としては、もう新しい作品を期待できないことがとても残念である。初めて氏の小説を読んだのが、10数年前、「帰れぬ人々」であった。当時まだ二十歳になるかならないかの女性がこのような作品を創作できることがちょっとショックでもあった。その後、「少年たちの終わらない夜」、「スタイリッシュ・キッズ」など10数作品を読んでいる。ごく最近も文庫化された「失恋」を買ってきたばかり。どうも「自殺」らしいそうだが、「死」とくに若い人の死はやはりとても重い。ご冥福を祈る。
 閑話休題。イラクの拉致されていた3人が開放されたようだ。この問題については、国策を巻き込んだ議論となりかけたが、3人の家族、HPなどに誹謗、中傷の類いが殺到したと言うのには、驚きを越えて怒りさえ感じる。確かに、危険極まりない地域に(目的は何にせよ)自己判断で立ち入ったことは非難されることかもしれない。しかし、彼らのようなボランティア(イラクに行くということではなく)が出来る人がどれだけいることか?  私は、評価、評論できるのは、自分がそれ以上のことを出来る人のみ許されることだと思っている。イラク支援に行ったという自衛隊が、彼ら以上のことを現地でやっているのか、国民には一向に見えてこないのが現状ではないか?それにしても、自衛隊派遣が国民の半数以上の支持を受けている、というのは本当なのだろうか?私のように、彼らを非難するのをおかしいと思うのは少数派なのだろうか?YAHOOなどの掲示板でも非難の声が多いように思えるが、幸い大手全国紙(と私は思っている)である朝日新聞だけでなく、地元の地方紙(あまり信用していないのだが)のコラムにも私と良く似た意見が載っていたのでちょっと安心。
 2.7に書いた大分県の高校生の話といい、卒業式における日の丸、国家斉唱に対する東京都の教員処分問題といい、どうも日本は変な方向に向かっているように思えてならない。インターネットはとても便利な道具ではあるが、同時にとても危険な道具であることをもっと認識しなくてはならない、と思う。また、勝手に言い放題ではなく、自己発言に責任を持つことも。あまり政治の話はしたくないのだけれど・・・。
2004. 4.9   さくら、サクラ、桜

しだれ桜(丸山公園)
 3日間、出張で大阪でした。仕事前、早起きして京都往復、丸山公園のしだれ桜を見てきました。満開にはちょっと早かったようです。早朝のせいか、やたらとカラスが多いのが気になりました。2年連続、3度目のこのしだれ桜も、少し元気が無くなってきているように思えました。しかし夜のライトアップではまた別の顔を見せるのでしょう。
 昼休みには、かの有名な造幣局の通り抜けをしてきました。100種類以上もあるサクラは、満開のものからまだ蕾のものまでさまざまでした。白妙、関山、楊貴妃、鬱金 etc.・・・。ソメイヨシノを見なれた眼には、花の色や形の多様さが新鮮に写りました。通り抜けに並行する大川(旧淀川)沿いにも、満開のソメイヨシノの並木が両岸に続き、こちらもまたなかなか見応えがありました。それにしても、サクラの写真はうまく撮れないものです。

鬱金(造幣局)

枝垂桜(丸山公園)

大川(旧淀川)沿い
2004. 4.3   さくら

石井町・農業大学にて
 唄の影響だけではないでしょうが、空前のさくらブームのようです。3月半ばには、今年の開花は例年より早いと言われていましたが、その後の冷え込みでほぼ例年通りになってきたようです。昨年は4月6日に満開であった、農業大学、畜産試験場は今朝、7〜8分咲きでした。畜産試験場は、やはり「立ち入り禁止」となっていましたが、(昨年と比較すると格段と)小さく「桜祭り」の立て札がありました。知らずに訪れた人は、周りからながめるのかなあ?
 往きに立ち寄った第十樋門・例の場所は、菜の花が満開です。

2004. 3.20   春分の日
 午後から雨と睨んで、早朝から徳島市近辺を走ってきました。目的のひとつに、上板・畜産試験場のサクラの開花状況を確認することがありました。去年の記憶をたよりに辿りついた試験場の入り口には、なんと「鳥インフルエンザのため関係者以外立ち入り禁止」の立て札が。こんなところにも余波が及ぶとは・・・。今年は満開の季節も一般人の花見はできないのかもしれません。まあ、私は周りの道から眺めるだけでも十分ですが。で、肝心のサクラはまだ蕾でした。満開になるとあれほど見事なサクラ並木も、今はまだ冬枯れの木々。それにしても、あと数日で華麗な変身。この生命の摩訶不思議さにはただ感嘆するばかりです。
 ここ数年、サクラのことが妙に気になっています。「桜の文学史」(小川和祐著、文春新書)なんて本を読みしましたが、古典教養のない私にとってはやや読み辛かった?です。次回はもう少し、自然科学系の本を探そう。そうそう、「フォトコンライフ」(No.17・花を撮る)に沢山の素晴らしいサクラの写真が載っています。一枚の写真の中に、永遠を閉じ込めて、無限の物語を語らせる、そんな写真を一枚でも撮れたらなあ、とため息をついてしまいます。
 予想通り、昼前から雨となり少し冷え込みました。しかし、この季節の雨は一雨毎に暖かさを感じるようになり、木々や草花と同じように人の心にも春を運んで来てくれるようです。

2004. 3.16   ツール・ド・オオカ〜ラ(大川原ヒルクライム掲示板主催)
 3月14日、ヒルクライム仲間で徳島市近辺の峠?をめぐる「ツール・ド・オオカ〜ラ」を走ってきました。標高270mほどの大坂峠を南北から2本、眉山を南北から2本、標高300mの神山森林公園を1本、そして標高約900mの大川原を1本。移動途中にそこそこのアップダウンも入り、積算標高差は2350mでした。2年ほど前に瓶が森林道を走ったのに匹敵する距離&標高差でしたが、MTBでゆっくりツーリング(それでもバテバテ)と異なり、今回はいきなりアタックをかける輩もいて、追従してしまった私は道程半ばにして売り切れ状態。やっとやっとの完走でした。
 それにしても、当日は参加者みんなの日頃の行いが良いせいか、無風、快晴、絶好の自転車日和でした。馬酔木やサクラ、モクレンがそこかしこで咲き始めていたのですが、十分楽しめるだけの余裕はありませんでした。次回はゆっくりとお花見ツーリングと行きたいものです。

2004. 3.8   友、逝く
 今夕、友人から友の訃報を知らされた。闘病生活は半年足らずであったか。お互いにその病の行く末がどういうものか(職業がら嫌というほどわかっていただけに)一体どんな顔をして見舞いに行ったらいいものか、迷い悩みながら訪ねたのが、まだわずか一月前。思いのほか元気そうだったのでホッとした、というのが偽らざる心境であった。それでも奇跡でも起こらない限りあまり長くはない、とは予想していたが、これほど早いとは。
 友といっても、格別親友であったというわけではない。ここ数年は、年に一度も会えるかどうかといった付き合いであった。が、彼は紛れもない私達の同士であった。20年前一緒に同じ仕事を始めた私達7人は、当時毎夜遅くまで仕事をした後でも(疲れを知らずに)よく酒を飲んでは騒いでいた(もちろんまじめな話もしていたのだろうが)。それぞれの仕事が、次第に細分化し、職場も離れ離れになった最近でも、時には集まり気さくに話せる同士であり良きライバルであった。そんな一人が欠けてしまった。これまでにも、何人かの同級生・友人の死(事故、自殺、病気などによる)は体験してきたのだが、今回は何かが決定的に違う。多分それは、彼が「仲間」であったこと、それと私自身が歳を取ったことだろう(今回以前の一番最近の友人の死は10年以上前で、30代前半にとってはまだ病気による死が極めて特殊なことであった)。毎日のように死と背中合わせの仕事をしており、通常の人よりは自分の死も含めて死をいつも身近に感じているつもりではあるのだが、やはりこの友の死はいろいろな意味で限りなく重い。
 まだまだ遣り残したことがあるであろう友の冥福を祈る、合掌。
2004. 3.7
 昨日以上に寒くなった今日、急な仕事を終えた14時過ぎから、大急ぎで県道20号線(石井神山線)の童学寺トンネルを目指しました。なんの変哲もないトンネルですが、数年前にバイパスが下方に通ったことで、この10日から閉鎖されるとの情報を得たので、最後の一走り?をと。特に思い入れがある道でもないし、格別展望が良いというところもありません。ただ、自動車も走らず勾配も緩やかで自転車にとっては走りやすい道です。トンネル自体は府能トンネルに作りが似ています。府能トンネルも現在下方にパイパスするトンネルが作られており、いつの日かこの童学寺トンネルと同じ運命になるのかもしれません。トンネルの北側(石井側)は杉などでかなり暗い道で、所々にゴミが捨ててあるのが残念です。強烈な冬型であった今日は、道端に雪が残っていました。


 晴れ間がのぞいたかと思うと、一変して雪が舞う、そんな3月らしくない帰り道、吉野川に沿って走りました。例の(2003.3.2など)、第十桶門の南岸からです。今年ももう菜の花が咲き始めているのですが、今日ばかりは真冬に戻ったようでした。この写真を撮った瞬間も、南岸は日が差していましたが、北岸は曇り、阿讃山脈は雪雲に覆われていました。

旧童学寺トンネル

第十桶門、対岸にて

2004. 3.6   冬に逆戻り
 来週の日曜日に、仲間たちと大川原高原を始めとする6つのヒルクライムを繋げて走る、ツール・ド・オオカ〜ラを開催予定です。走行距離は約150km、積算標高は約2000mを越える予定。で、今日はその下見?に大川原へ登って来たのですが、強い冬型の気圧配置で北西風は吹き荒れ、途中からは雪の舞う冷たい天気でした。標高700mくらいからは所々凍結していました。山頂手前では約10cmの積雪。時々強風が山影のせいかピタリと止むと、そこは降雪時ならでは、独特の静寂の世界となりました。カメラを持っていかなかったので、雪の大川原を撮れず、残念。
2004. 3.4   早春、花だより
 少し寒さが戻ったようですが、ご近所の沈丁花が満開です。こんな早い時期に咲いていたかなあ?と思いながら通勤しています。同じ通勤途中に見るサクランボの花も、早くもチラホラ咲き始めています。モクレンももうすぐですね。

2004. 2.29  閑話休題
 明日から3月。このところ随分と暖かくなり、眉山山頂付近のソメイヨシノもつぼみがふくらみ始めていました。霜が降りていた新宮近辺でも、ミツマタの蕾がふくらみ、いよいよ春が近づいてきました。日の出も早くなり、日の入りは遅くなって、暑くなく、寒くなくの一番いい季節到来です。
2004. 2.22
 前回に続き、政治関係の話になってしまうのですが、今朝の朝日新聞・徳島新聞の一面。先日、参議院徳島選挙区へ立候補を表明した小池現徳島市長(つい数日前まで、「心の中にも頭にも参議院に立候補するつもりはない」と言っていた)のコメント。参院立候補を表明した後も、「第十堰可動堰反対を公約とする」の舌の根も乾かないうちに、その公約撤回である。有権者をおちょくるのもいい加減にしてくれ!私はこのような候補者を断じて許さない!旧建設省出身者でありながら、可動堰反対としたのは、単に徳島市の住民投票において圧倒的多数で可動堰反対が明らかとなり、我が身を守るための一策でしかなかったことが、今や明らかです。
 昨年、徳島県知事に就任した飯泉氏も、知事選直前にHPで「おっといけない」と可動堰についての意見を有耶無耶にし、なんとか当選しました。第十堰問題にかかわらず、もっと自分の信念をしっかり持って、それをちゃんと説明でき、住民を納得させることができるならば、民衆はわかりますよ。それくらい民衆の判断レベルは上がってきている。私はどっちかというと、ノンポリですが、そんな私を納得させる政策を持つ候補者が出てきて欲しいですねえ。

2004. 2.7
 立春も過ぎました。先週末はちょっと春を思わせる暖かさだったのに、今週はまた強烈な寒さが戻ってきて、震え上がっています。
 先日、宮崎県の一高校生が自衛隊イラク派遣に反対する署名を集めて、首相に届けたという記事を読みました。一人でも行動を起こすということに感動さえしていたのですが、これに対する首相の返答がなっていない。いわく「自衛隊はりっぱなことをやっているのだから、教師達はもっとそのことを生徒達に教えなくてはいけない」ってな内容だったように思います。その高校生がとった行動に対する正当な答えになっていないばかりか、戦前の教育かと思われるような発言ではないでしょうか。私は常々、どうして小泉首相の支持率があんなに高いのか(最近落ちてきたとはいえ)よくわかりません。どうも、なんだかあやしい方向に向かっているのじゃないかと思えてならないこの頃です。そんなこともあって「「憲法九条」国民投票」(今井 一 著、集英社新書)をぼちぼち読んでいます。いろいろな意見があるのですが、私を含めて多くの国民が基本的なことが十分わかっていないことが一番重要なことではないかと思います。議論するにあたって、まず公平で十分な知識を持つことが必要でしょう。この本を読み進める毎に、自分が如何に何も知らないか・わかっていないかを再認識させられます。
 国民(住民)の十分な議論がないまま、議会(本来は国民・住民が選んだはず・・投票率が低いのも問題)が、住民の本意とは違う方向へ進んでいくことは、我が吉野川・第十堰で十二分に学んだことです(余談ですが第十堰関係で今井 一氏の講演を聴く機会があり、ジャーナリストのいい意味での凄さと勉強量に驚きました)。様々なことに危機感と問題意識を持つことが事の始まりかと思います。何かの本で、フランスで子育てをした人が、幼稚園に通っている子供がすでにその年齢から議論することを学んでいる、ということを書いていました。先の高校生のように、問題意識を持って、しっかりした自分の意見を持ち表現できる教育こそが必要なのではないでしょうか?

2004. 1.30  最近読んだ本のことなど
 いくつか、 Diary の日付が間違っていたので訂正しました(2002を2003、2003を2004など数ヶ所、間違いに気付かれた人、ご連絡お願いします)。
 徳島も、この数日冷え込む日々が続いていましたが、今夜は少し暖かいようです。仕事からの帰り道(22時過ぎでしたが)ちょっと春を思わせる気配だったのは、先日までの寒さが厳しかったせいでしょうか? たまにはローラーをと思うのですが、疲れ切って帰ってくると、アルコールがいとおしく、とても練習モードにはなれません。今夜もしっかりとアルコールを補充。
 で、たまには趣向を変えて、読書の話など。今夜はとりたてて読む本もなかったので、家に転がっていた「暮らしの手帖」をパラパラめくりました。30年ばかり前、高校生の頃から、家にあったこの雑誌?を読むことがあったのですが、相変わらず、いい雑誌ですね。今回は「吉野川の第十堰」(これについては・・川への思い・・にいつかしっかり書き込むつもり)についての巻頭特集があったこともあるのですが。それを除外しても、本質的なことに対する記事や読者のお便りも心温まるものが多く、こんな人たちばかりだともっと世の中良くなるのになあ、といつもながらに思ってしまいます。
 最近(この一ヶ月くらい)に読んだ本のことなど。相変わらず節操のない乱読です。記憶は次々と消えて行く・・・。
逢坂剛「燃える蜃気楼」(講談社)・・作者のライフワーク?太平洋戦争前後の物語。作者お得意のスペインを中心と展開する物語ですが、ぐいぐいと引き込まれてしまいます。続編が楽しみ。
 養老孟司「いちばん大事なこと」(集英社新書)・・目下ベストセラー続出の養老先生。昆虫の話から始まる環境論、しかし一番感化されたのは教育の話。
 池澤夏樹「すばらしい新世界」(中公文庫)・「静かな大地」(朝日新聞社)・・前者は風力発電とチベットを題材とした小説、後者はアイヌを題材とした小説です。これからの世界と失ってしまった大切なこと。メッセージの多い小説です。
 南木佳士「急な青空」(文芸春秋)・「天地有情」(岩波書店)・・パニック・ディスオーダーに陥って以来、やや沈黙気味の著者ですが、医者と文筆家の二足の草鞋を履くものならでは、の真実がそこかしこに。小心者と御自分では言っていますが、誠実過ぎるのでしょう。
 バーロウ「水の戦争の世紀」(集英社新書)・・圧倒的なデータと論評。酒なんか飲んでる場合じゃない!
 鎌田實「病院なんか嫌いだ」(集英社新書)・・ベストセラー「がんばらない」の著者。医療過誤が毎日のように新聞をにぎわす昨今、こんな立派なお医者さんもいるんだ。またそれに勝るとも劣らぬ地域の人々の協力がすごい。徳島では、この十分の一の真似でもできないものかなあ。

2004. 1.12  浮島現象&だるま太陽 Part2
 6日以来通いつづけましたが、水平線上に雲がある日が続き、今朝漸くだるま太陽撮影に成功。露出アンダーをもう少し控えればよかったようです。しかし6日の写真と比べてもわかるように、明日あたりは浮島現象になった本州に引っかかってしまいそうです。だるまさん(人の頭のように見えますが)も本日限り?
 3連休の最終日の今日、仲間のすーさんと、塩塚高原−笹ヶ峰トンネル−浦ノ谷平林道を走って来ました。走行距離は70kmそこそこでしたが、積算高度は約2000m。疲れましたが、やはり塩塚高原の360度の展望は素晴らしく、また浦ノ谷平林道の峠からは雪を抱いた矢筈山や剣山が見渡せ、疲れを束の間、忘れさせてくれました。近日アップ予定です。

だるま、わかりますね?

2004. 1.6  浮島現象&だるま太陽
 6日以来通いつづけましたが、水平線上に雲がある日が続き、今朝漸くだるま太陽撮影に成功。露出アンダーをもう少し控えればよかったようです。しかし6日の写真と比べてもわかるように、明日あたりは浮島現象になった本州に引っかかってしまいそうです。だるまさん(人の頭のように見えますが)も本日限り?
 3連休の最終日の今日、仲間のすーさんと、塩塚高原−笹ヶ峰トンネル−浦ノ谷平林道を走って来ました。走行距離は70kmそこそこでしたが、積算高度は約2000m。疲れましたが、やはり塩塚高原の360度の展望は素晴らしく、また浦ノ谷平林道の峠からは雪を抱いた矢筈山や剣山が見渡せ、疲れを束の間、忘れさせてくれました。近日アップ予定です。

2004. 1.4  練習会・ロード走り初め
 日和佐まで、ロード走り初めをしてきました。総勢8人(10代二人、20代&30代・各一人、40代三人、50代一人のバラエティに富んだ)。往きは追い風にのって快走、帰りは思いやられると思っていましたが、途中から風向きが変わってなんとか助かりました。しかし、帰路は海岸沿いコース(海岸沿いなのにアップダウンが激しい)をとったためにヘロヘロに。約140km、いい練習になりました(最後に眉山へ登ってきましたが、ほとんど止まりそう)。
 ところで、ちょうど徳島駅伝(正月3日間、徳島県内を走る、市町村対抗の駅伝)と重なっていました。沿道には応援の人々が。昨日までの箱根駅伝もそうですが、駅伝というのは、どうも日本人の感性に合うのでしょうか?テレビで見るあの観衆の多さ。まるでツールの山岳ステージです。いつの日か、日本でも自転車レースがそんな状況にならないかなあ(ジャパンカップは結構人が多いらしいですが)。

日和佐・大浜海岸にて

2004. 1.1  
 昨日の天気と天気図から、初日の出はあまり期待していなかったのですが・・・。7時前に外へ出てみると空一面の雲でしたが、東の空だけは雲が切れていました。確か去年の日の出は7時15分(去年の写真を見ると雲があったのでその分遅くなっていたようです)くらいだったと思っていたので、まだ少し時間があるだろうと吉野川の河川敷をうろうろしていたら、昇り始めた太陽の頭が見えて、慌てて水辺まで行って写真を撮りました。日の出の条件としては、去年よりずっと良かっただけに、反省。吉野川大橋の上には去年は数人であったのに、今年は数十人にあまる人がいました。
その後、吉野川大橋と吉野川橋を朝焼けの川面を見ながらゆっくり一周。数枚写真を撮りましたが、やはりいい写真を撮ろうと思うと、事前の準備と十分余裕を持った時間が必要なことを再確認した次第です。

2004.1.1 吉野川河川敷より

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