川への想い   

    2006  Gap 〜 L'Alpe-D'huez   (2006.07.10)

 念願叶って初めての参加となった 2006 Etape du Tour は、下図のように Gap をスタートして、Col d'Izoard(イゾアール峠)と Col du Lautaret(ロータレ峠)というふたつの2000m級峠を越えて、Tour de Franceでも有名な L'alp D'huez(ラルプデュエズ)がゴールの全長188q、積算標高差は4000mを越えるハードなコース設定でした。目標は、なんと言っても時間内完走(前日の受付会場のインフォメーションには、40歳代−出場当時49歳−の制限時間は9時間11分とありました)。それに加えて、できるだけ写真を撮るということでした。しかし、このコースを9時間とは、なかなか厳しそうです。ということで、Col d'Izoard まではできるだけ走り続けて、後半に余裕を持たそうというのが、当初の思惑でした。
 結論から言うと、スタート前から周囲の風景や参加者の多さ、一緒に走る姿に圧倒され、制限時間を気にしながらも、立ち止まっては写真を撮ることを繰り返すことになりました。写真撮影休憩も沢山撮ったのに、Col d'Izoard 手前からは既に足が重たくなって、L'alp D'huez の登りはもうフラフラでした。公式記録は、8時間49分52秒。出走7548名、時間内完走者5477名中2569位でした。優勝者は、ほぼ6時間ちょうどと知って、ため息。さらに女子のトップが6時間30分ほどと知って、がっくり。Tour de France 本番(同年・15stage)では、同じコースをグルペットでさえ5時間を切ってゴールするのを見て、とても同じ人間とは思えませんでした。

Col d'Izoard への登り
 宿泊地の Grenoble(グルノーブル)から Gap(ガップ)まで約100q離れているので(スタート地点近隣に宿泊するのはなかなか難しいそうです)、当日は午前3時起床、軽食を摂って3時45分にバスに乗って出発です。辺りが漸く明るくなり始める頃、参加者と思われる自転車乗りが多数、同じ方向に走っていく姿を目にするようになりました。Gap には無事6時前には到着して、出走準備です。
 スタートは午前7時。30分ほど前に、事前にチェックしていた集合場所(参加者が8000人ほどもいるので、ゼッケン単位で集合場所が決まっています)に向かいました。前日の受付時や、その後自転車を組み立てて Gap 市街を少し試走した時でも、まだ日本にいるかのような感覚だったのですが、自動車、バス、トラックなどで大渋滞した道をスタート地点に向かっていくにつれて、次第に気持ちが高揚してきました。
 スタート20分前には集合地点に到着しました。入口付近ではコーヒーにカステラのようなお菓子のサービスもありました。500〜2000人単位で区切られた集合場所には、多数の参加者にも限らず、非常にスムースに誘導されていました。スタート地点は、既に自転車乗りでギッシリ詰まっています。前方を見ても、遥か先までヘルメットばかりで、スタート地点が何処にあるのか、全くわかりません。日本人の参加者は20名ほど。周りで交わされている会話は、フランス語はもちろん、英語、ドイツ語 etc。そんなスタート地点に立っているだけで、なんだか胸が一杯になってきました。沢山のレースやイベントに参加してきましたが、こんな感覚は初めてでした。
 

 そうこうするうちに午前7時が近づいてきました。「Trois、Deux、Un」というアナウンスに合わせた周囲のカウントダウンとともに、先頭グループは予定通りスタートしたようですが、5000番台だった私の周囲は全く進みません。しばら立ち止まったまま、みんな談笑しています。漸く進み始めても、歩く程度のスピードです。なんとかスタート地点を越えたのは、十数分後でした。公式記録によると、最終走者がスタートしたのは、なんと25分後だったそうです。
 スタート直後、極緩やかに丘を登っていく周囲のペースは、30km/hr以下くらいとゆっくりでした。4年前に参加して今回2回目だった同行のリョウさんから、最初の平坦なところは40〜45m/hrと聞いていたので、ちょっと安心しましたが、このペースで時間内に完走できるのか、ちょっと不安になりました。ちょうど後方からいいペースの小集団がやってきたので追従しました。流れに乗って快調に走っていたところ、突然前方から大きなクラクションのような音が繰り返されます。何か事故でも起こったのかなと思っていたら、右側に併走する線路を長い貨物列車が対向していきました。走行する参加者への機関士からのエールだったようです。

 丘を登り切った付近で、後方からお揃いのジャージを着た7000番台の5人程が凄いスピードで下っていき、周囲のスピードが一気に上がりました。しかし、周囲の人のペースは実に様々です。ちょっと危険も感じた私は、集団を見送ってマイペースで。最初の Col d'Izaord までは平坦と思っていたのですが、標高差200m以上の丘陵地が続きます。そんな丘を下ると、Lac de Serre-Ponson(セール=ポンソン湖)。湖を横断する橋は、自転車で大渋滞でした。青空の下、広がる緑の丘陵地と街、そして湖に架かる橋を埋め尽くす自転車乗りの光景を是非一枚写真に残したかったのですが、あまりの混雑に立ち止まることができませんでした。
 湖を渡ると、湖岸に沿ってまたアップダウンが続きました。湖沿いを過ぎると、道は北東へと向かい、道は緩やかに登り始めました。集団も少しだけばらけて、漸く落ち着いて写真を撮り始めることができました。誰も他に写真を撮っている参加者はいません。変な奴と思われたかもしれませんが、手を上げたり声をかけてくれる参加者も多数いました。通り過ぎる小さな街では、沢山の人が沿道で応援してくれています。
 さらに進むと、河岸段丘のような台地が左手に見えてきて、周囲の山々も次第に近く高く厳しくなってきました。先程の湖周辺の風景もヨーロッパらしく魅力的だったのですが、日本では見ることができない雄大な風景が始まってきました。前を向いて走るだけではもったいなく、時には後ろを振り返ったり、終始キョロキョロしながらの走行です。走り去っていくのが勿体ない様な光景が続きます。

 北上するN94からD902に右折すると、勾配が少しきつくなりました。しばらく走ったところで、また大渋滞です(写真:上中)。どうしたのだろうと思伊ながら進むと、第一補給地点でした(Guillestre・ギレストル)。スタートから54.7km地点。ここは素通りすると最初から決めていたのですが、とても補給を手にすることができないような大混雑でした。コース上まで人と自転車が溢れており、乗車したままはとても進めません。100m程の距離を進むのに、数分以上費やしました。
 補給地点から少し林の中を進んだところで、谷が急に狭くなりました。左手は、ちょっと怖いような断崖です。オーバーハングした崖下をくりぬいたような、やや下り気味の道です。これまたヨーロッパの山岳道路と言わんばかりの、石積みの低いガードレールだけです。是非一枚と思う光景でしたが、路面状況が今回のコース上で唯一少し荒れている上に、少し下りとあって、次から次へと走者がやって来るので立ち止まることができません。仕方なく写真撮影を諦め、後ろ髪を引かれる思いで前へ進みました。
 その狭い谷を過ぎると、再び周囲は広がった斜面を、道は緩やかに登っていきます。相変わらず、前も見ても後ろを振り返っても、アリの行列のような自転車が続いています。時折、スタッフや報道のクルマ、救急車、それにMAVICのオフィシャルカーや横を通り過ぎていきます。
 教会を中止とした街道沿いの小さな町では、古い自転車などを飾り付けて、Etape du Tour を走る私たちや10日後くらいに通過する Tour de France の選手達を歓迎していました。住民は200人にに満たないと思われる街にも、大勢の人が沿道に繰り出して声援を送ってくれていました。谷間のコース沿いに広がる畑は、収穫が終わった麦畑でしょうか。時折働いている人も見かけました。

 ほぼ直線的に走っていた道が峠手前最後の小さな町を通り過ぎると、大きく右にカーブして勾配は急になりました。いよいよ本格的な Col d'Izoard への登りです。 平均勾配7%で約15q、Tour de France でも超級山岳ポイントです。この辺りから、記憶があやふやです。はっきり覚えているのが、どうも調子が良くないなと自覚したこと。事前に、ヨーロッパの人は下りは速いけど登りはあまり速くないと聞いていました。おそらく自己申告を含めたタイム順だったと思われるスタート位置から、そこまでの緩やかな登りでは、よほど後方から速いペースで追い抜いていく人を除けば、登りではほとんど抜かれることはありませんでした。しかし、Col d'Izoard への登りに入った辺りからは、さほど速くもない周囲のペースに追従するのが精一杯。体に力が入りません。水分も補給も、そこそこ摂っているつもりでしたが、後から考えると、成田出発時以降、水分・食事を摂り損ね気味であったことに加えて長時間移動の疲れも重なっていたのかもしれません。
 周囲の人たちも、カメラを向けると笑顔でサインを送ってくれる人もいました。が、まだ全行程の半分にも達していないのに、だんだんとうつむき加減の人が増えてきました。振り返ってみると、他に登ってきた谷の道には、まだまだ沢山の自転車の列が後を走っていました(写真:上右、小さくてわかりにくいですが)。

 相変わらず、力なくサイクリングよりはちょっとだけ速い程度のスピードで Col d'Izoard を目指します。千里の道も一歩から。登り続けると、漸く前方に峠に続くと思われる稜線が見えてきました。写真:上左の稜線右手が峠です。その手前に3回ほどの九十九折れが見えます。写真が小さいのでわかりにくいですが、その道には延々と自転車乗りの姿が続いています。写真:上右は、峠直前です。平坦のように見えますが、多くの人がダンシングしていることから、勾配のきつさが多少は伝わるかと思います。
 なんとか峠に辿り着いた時には、スタート後4時間を過ぎていました。峠は第二補給地点、まだ道半ば(89km地点)です。ここでは水(500mlのペットボトル入り)と協賛のPOWER BAR の補給ができました。第一補給地点ほどではありませんが、ここも結構な混雑でした。先着者が捨てていった空のペットボトルをバリバリと踏み散らかしながら、水とPOWER BAR& POWER GEL をいくつかいただきました。峠の写真:下左(トラック後方のモニュメントなど)もゆっくりと撮りたかったのですが、なかなか近づけないくらいでした。まだ全行程の半分弱で、後二つも峠があると思うと、時間内完走が覚束なく余裕はありませんでした。
 そんなこんなで、Col d'Izoard ではそこそこに程再スタート。日差しはとても強かったのですが、標高2300m。若干肌寒く、ちょっと迷った末にウィンドブレーカーを羽織ります。峠からの下りも、写真になるような風景が目白押しでしたが、制限時間が気になったのと周囲のスピードが速く立ち止まるのは邪魔で危険だと思われたこともあって、余裕なく写真はほとんどありません。最初の大きなカーブが続くところ(写真:下右)では、落車して鎖骨骨折したと思われる人が腕を抱えていました。

 ここから下り区間の記憶がとんでいます。最後に曲がりくねった急坂を下りきると、第三補給地点の Briancon(ブリアンソン)・スタートから105q(写真:下左端)。さすがに第二補給地点までの混雑はありませんでしたが、それでも多数の人、人、人。自転車は道際に立て掛けて、テントのほうへ行ってみました。事前に補給地点にはサンドイッチなどもあると確認していました。近寄ってみると、確かにあります。早速ハムを挟んだサンドイッチをいただきました。それからバナナも。見たことのない携帯食もあったので、後ろのポケットに。しかし、一番美味しかったのはオレンジでした。Col d'Izoard ほどではありませんが、周囲の散らかり様は半端なく、空になったペットボトルをバリバリと音を立てながら踏み歩く始末です。跡片付けは、大変だったでしょう。
 ちなみに、その後の参加では、水は大きなペットボトルから各自のボトルに入れてくれるように変わっています。また協賛を外れたらしいPAWER BARはもちろん、サンドイッチなどもほとんど姿が見えなくなって、補給食も次第に簡素になっているような印象です。水、バナナ、オレンジ、カステラ様のケーキだけは、2016年にもありましたが。また、補給処から数百メートル以内に何ヶ所か、大きなネットを張って、走りながらでもゴミが捨てられるようになった箇所が設けられています。

 十分休息と補給をとって、さあ二つ目の峠・Col du Lautaret へと向かい始めたところ、いきなり10%ほどの坂が目の前に現れました(写真:上左から2枚目)。確か Col du Lautaret への登りは平均5%そこそこだったと思っていたのですが、こんなのが続くのとちょっと面食らいました。が、その坂を登り切って左折すると勾配は緩やかになりました。 その後は、比較的緩やかな勾配で気持ちよく登れました。平均15km/hrくらいのスピードでしたが、周りの人はもう少し遅くどんどん追い越せます。やあ、調子が戻ってきたかと思ったのですが、Col d'Izoard までに随分追い抜かれて後方になったので周囲のペースが遅かっただけだったようです。後日ツール本番のビデオを見ていたら、ここはアウターでぐいぐいと登っていました。
 峠の手前では大きく左にカーブ。前方の山肌に右上方へ登っていく道が見えました(写真:下左)。ええっ、まだあの道を登るのと打ちのめされそうになったのですが、良く見ると自転車乗りの姿は見えません。Col du Lautaret から Col du Gabilier(ガリビエ峠)への登りでした。走る参加者の頭の下がり具合から疲れの程度が想像できるでしょう。左手には峠の向こうに大きな氷河が見えてきました(写真:上右端・他)。これまた圧巻です。後で知ったことですが、ヨーロッパアルプスでも自転車で走れる道から、これほど大きな氷河が近くに見られるのはここだけだそうです。

 Col du Lautaret・134q地点には、ちょうどスタート6時間後に到着しました(写真:下左)。同じ頃、トップ選手はもうゴールしていたのですね。峠付近には、参加者や観光客などで、周囲の雄大な光景に反して、やや雑多な感じでした。峠の建物を含めたアルプスの写真、というのは難しそうだなあと立ち止まって写真を撮っていると、いきなり近くにいた人が、「写真を撮ってやる」と言ってカメラを奪い取っていきました。あっけに取られながらも盗人ではないようなので、ご厚意に甘えて一枚撮っていただきました(写真:下中下)。峠を越えていくと、応援している人が「ここから25qは下りだよ、頑張れ」と声をかけてくれました。

 Col du Lautaret 峠からの下りも最初に大きなカーブが2カ所ほどありました(写真:下左)。集団も適当にばらけて周囲のスピードも驚くほど速くもなく同じペースで走れるのですが、周囲の山々が美しくちょっと止まって写真休憩。道幅は広く、路面状況も良好。ガードレールも無いところが多いのですが、安心して下れました。途中、トンネルも何ヶ所かありました。トンネルの入り口といい内部といい、これまた何処とはなくヨーロッパを思わせる作りでなかなか味があります(写真:ひとつ下・右から2枚目)。

 下るに従って左手に流れる川が現れました。ロマンシュ川というらしいです。川は次第に広くなっていき、湖になりました。Lac du Chambon(シャンボン湖)というダム湖です。このあたりから10人あまりの集団で走り続けることになりました。多少のアップダウンがあったダム湖沿いを過ぎると、再び深く狭い谷(今度はロマンシュ川が右手)を下るようになりました。途中警備中と思われる警官がちょっと前を走る人に、右手前方の対岸・遙か上方の村を指して何か言っていたので、横を通るときに「d'Huez?」と聞くと、「そうだ」とばかりに頷いてくれました。これなら登れそうな標高差だと思ったのですが、道はそこからさらに下っていきます。
 漸く幅の広い平坦道に出てくると、さすがにみんな疲れているのか集団走行にもかかわらず30km/hr程度にしかならず、ギンギンに引っぱってくれる人皆無。みんなで仲良くサイクリングペースで進みます。前方にも20人ほどの同様の集団が見えます。再び左手になった川は水量が豊富で、今回のツアー中に見た中では、一番澄んだ水の流れでした。 ここも離れずに追従するのに精一杯で、写真がありません。

 なんとか最終関門でもある Alpe-d'Hues の麓・Le Bourg-d'oisans(ル ブール=ドアザン)に到着したのは、スタート7時間後(写真:下左端、173q地点)。登り口にあった第四補給地点で、ほっと小休止。あと14q(ただし標高差1100m)。トッププロの登攀記録が40分弱とのことなので、2倍かかるとしても1時間半。制限時間まで2時間あるので時間内完走は大丈夫だろうと安心して登り始めたのですが、それが大きな間違いであったことに程なく思い知らされることになりました。
 補給地点から少し走ったところから、いきなり10%を超える坂が始まりました。Tour de France 本番には比較になりませんが、道の両側には沢山の人が並んで応援してくれています。まだ最初の坂では周りの人を多少とも追い抜いていくくらいの余裕があったのですが、21あるというコーナー毎に番号と歴代優勝者の名前が入っているモニュメントを写真に収めようという魂胆は、最初のコーナーを回ったところで早くも諦めました。写真を撮る余裕があったのも、ここまで。疲れが一気に出てきて、速度計は常に7〜8km/hrを示しています。
  3番目のコーナー辺りから、次第に道端で休んでいる人の姿が目立ち始めました(ゼッケンが付いているので参加者とわかる)。時折ある木陰には、必ず数人が座っていたり寝転んでいたりする姿を見ます。半分以上登ってからだったと思うのですが、何ヶ所か山肌に水が流れているところがあって、何人もが休息と水補給を兼ねて集まっていました。私もたまらず立ち寄りました。
 休んでいる人々を見かける一方、登り始めてまもなく、逆走して下ってくる人と時々対向するようになってきました。最初は、応援の人か個人的にやって来ている人かなと思っていたのですが、よく見ると同じゼッケンが付いています。既にゴールしていた人が下ってきていたのです。いやあ、これもちょっとショックでしたね。

 切り立った崖に侍り着くような九十九折れの道は、まだまだ続きます。途中、何度休憩したことか。一度など休もうとしていたら、下山していた一人が近寄ってきて、「水はあるか、大丈夫か」とボトルを差し出しながら声をかけてくれました。よほど憔悴しているように見えたのでしょう。そんな私から見ても、さらに憔悴しきって道端に座り込んだり、木陰で横になっている人の姿が、さらに目に付くようになってきました。そんな写真も撮っておけば良かったかもと今では思いますが、私自身もそんなひとりで全く余裕なしでした。
 果たして完走できるのか、と不安になりながらも、カメのような歩みで登り続けました。周囲を走る人々のスピードもほとんど同じです。小さな教会を中心とした d'Huez 村に入った辺りから、漸くゴール付近のホテル街(ゴール周辺は有名なスキー場だそうです)が見え始め、斜面も若干緩やかになってきました。しかし、走っている道の勾配は一向に緩やかになりません。実は緩やかになっていたのかもしれませんが、疲れでそう感じたのかもしれません。 左手には、遥か眼下に麓の Le Bourg-d'oisans の町が見え(写真:下中)、深く切り立ったU字谷を隔てた向こうには、また雄大な山々が見えました(写真:上右)。Col du Lautaret 付近で見えた氷河は見えないかなと探してみたのですが、角度が異なるのか雪山の姿は見えませんでした。
 写真:左のコーナーを回った辺りで、ゴールまで後5qの表示が出てきました。なんとか時間内完走の目途がついてきましたが、相変わらず心には余裕がありません。
 後3qの表示を通過する時には、街までにあと二つのコーナーがあるように見えました。しかし、見えているコーナーまでがなかなか辿り着けません。なんとか、見えていた最後のコーナーを回ると、ホテル街に向かって真っすぐの道になりました。沿道には応援する人が随分と増えてきました。

 直線の道から、トンネル状になった曲道のところで、前方に日の丸を翻しながら走る自転車2台発見。同じツアーのモダンちゃんPIYOちゃんでした。二人は、この日、Etape du Tour には参加せず、Grenobel から自走で向かっていたのです。Grenobel からだと麓の Le Bourg-d'oisans までは50qほどなので、きっと先に到着しているのだろうと思っていました。どうして今頃コース上は走っているのかなあという疑問も瞬時に忘れ去って、どこかにまだ少しばかり残っていた力で追いついて声を掛けました。後で聞いた話によると、麓に辿り着いた時には、もう Etape du Tour の選手達が走っていたそうなのですが、スタッフが行け行けと誘導してくれたそうです。おまけにゴールでは完走メダルまでいただいたそうです。ここでも写真を撮るつもりだったのですが、なぜか立ち止まることができず、そのままゴールを目指しました。
 最後の左直角コーナーを曲がると、正面にゴールが見えてきました。Tour de France で上位でゴールしてくる選手達は、この坂を颯爽と登っていくのですが、これまた結構な勾配でした。最後は息切れしつつ、なんとか制限時間内にゴール。

 それまで、走ってきた道筋があまりに素晴らしかったので、完走できたことにはそれほど感動がなかったのが、その時の実感です。それどころか、安心したのか、どっと疲れが出てきて、その後4時間ほどダウンしていました。まだまだゴールしてくる人や、応援の人々、街や周囲の山々の写真もゆっくり撮ろうと思っていたのに、なんとか立ち上がれるくらいになってきたのは午後8時過ぎでした。外はまだ明るいものの、私がゴールした頃には立錐の余地もないほどの混雑だったゴール付近は、応援の人も自転車乗りの姿もほとんど消えていて、祭りの後という言葉がピッタリの閑散とした少し物悲しい静けさが漂っていました。暑く長かった、そして厳しい道ではあったものの素晴らしい光景が続いた、何事にも代え難い素晴らしい一日が、こうして幕を閉じました。

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