川への想い   

    2011 act 2  Issoire 〜 Saint-Flour  痛恨のDNF!  (2011.07.17)


Issoire 〜 Clermont-Ferrand
 もう一度必ずやって来るぞ、と決意した初参加の Etape du Tour 2006年から5年。いろいろな条件が整って、2011年に2度目の参加ができることになりました。この年は、7月10日・17日と2回の etape(Act 1&Act 2)が開催されました。せっかく行くのだから少しでも多くの道を走ってみたいと、欲張って2つとも参加するコースにエントリーしました。この年の参加を決定づけたのが、Act 1のコースに Col du Galibier(ガリビエ峠)が含まれることを知ってのことだったのですが、中央山岳地帯を走る Act 2 のコースは、何処も聞いたことのないところばかりでした(もちろん Col du Galibier も知っているのは名前だけでしたが)。
 ただ、コースを見ると、標高2500mを越える Col du Galibier を含む Act 1 より、Act 2 は距離も200qを越え、中盤は峠の連続で、とても厳しそうです(上図)。これまで似たコースに参加されたIgさんから、Col du Pas de Peyrol(ペイロール峠)付近はかなりの急勾配で半数以上の人が押していたと聞き、フリーが23までしかない私は、随分と不安になりました。おまけに、前日まで快晴だったのに、Act 2 当日のみ荒天、最高気温は前日の28℃から19℃まで下がる予報です。そう聞いても、雨は嫌だけど炎天下より涼しくて走りやすいかも、なんて楽観していました。
Issoir・スタート地点にて

 さて、当日。起床後ホテルの窓から外を見てみると、空一面曇天ですが雨は降っていません。路面も乾いています。しかし、ラッキーと思ったのも束の間。スタート地点近くまで移動のためバスに乗り込むと同時に本降りになりました。スタート地点の Issoire(イゾアール)まで、断続的に強い雨。Act 1 の Col du Galibier で大満足してしまったこともあり、Act 2 は雨ならDNSと半ば決めており、前日 Saint-Flour での受付から Clermont Ferrant まで走って帰ったのも、翌日雨でDNSを見込んでのことでした。
 Issoir の街に入る数q以上手前から etape に参加するクルマで大渋滞です。そのため、5qほど手前でバスから降りることになりましたが、その頃には雨はとりあえず上がっていました。同行の皆さんは、やる気満々です。私はと言えば、相変わらず全く走る気になりません。が、皆さんの熱気が伝わってきて、せっかくやってきたのに、このまま走らずにDNSもなんだかな〜、と出走することにしました。雨の準備はほとんどしていなかったので、持っていたのは100円ショップで購入した合羽のみ。それも使い古して袖をハサミで切ったもの(写真:上右から2枚目)。Igさんから、オイルをお借りして脚に塗り込んだのですが、この時点でも、まあ夏の雨だから問題はないだろうと思っていました。
 幸いスタート地点に到着してから、スタートまでは雨が止んでいました。隣り合わせた方(雨具なし、グローブなしの素手!)が、「日本から来たのか」と話しかけてきたので、「その通り」と答えると、「長い旅だっただろう」と返してきました。「まったく」と笑いながら返す余裕があったくらいでしたから(片言の英語ですが)。
 定刻午前7時に、先頭集団はスタートしたようです。5000番台(エントリーは7000人超・出走は悪天候のためか4000人ほどだったそう)だった私のグループは、7時30分過ぎに漸く並んだ地点から動き始めました。
第一補給地点・Allanche の街

 スタートして、まずは Issoir の街中を進みます。路面は凸凹も多く、あまりいいとは言えませんが、平坦な道を、集団はそれほど速くないペースで慎重に走っています。ほどなく雨が降り始めましたが、気になるほどではありません。200qを越える長丁場なので、余裕のあるうちにと先へ進みました。Issoir の街を出ると右折して、緩やかな丘状の道となりました。この付近の記憶は曖昧です。スタート後40q付近までは平坦に近いコースです(実は小さな丘のアップダウンが続くのですが)。小雨が降り続くため、路面は完全にウェットで、前走者の跳ね返りが強いです。時折速いペースの集団が抜いていきますが、マイペースを保ちます。途中、線路を斜めに横切るところでは、滑って落車でもあったのか、交通規制が入っていて少しばかり渋滞していました。
 40q付近で、細い仮設らしい鉄板敷の橋で小川を越えると、いよいよ最初の登りに入りました。ここでも、まだ余裕があって、少し暑く感じて合羽のボタンを外して、ジャージのジッパーを少し開けたくらいでした。雨の止む気配は全くありません。
第一補給地点・Allanche の街 リタイアする人々と自転車達

 ところが、その後登りを終えて高原地帯(Issoir 標高410m、その付近1200m)に出たあたりから、調子がおかしくなってきました。真夏だというのに、体がどんどん冷えてきたのです。弱まる気配が全くない雨の中、対向するゼッケンをつけた自転車乗りが次第に増えてきました。どうもリタイヤして戻っているようです。雨による冷えもあって、ゆっくりと周囲の景色を眺める余裕(ましてや写真を撮る余裕は全くなし)はなかったのですが、標高1000mを越えているというのに、道の両側には丘状に広がる小麦畑や牧草地が続いています。緩やかに立体的な曲線を描く道の遥か前方まで色とりどりのジャージの自転車が連なって走る光景は、まさに etape の世界、ワクワクする光景だなあと思うのですが、如何せん立ち止まって写真を撮ろうという気には全くなれません。写真を見てわかるように、スタートゲートからリタイヤした第一関門まで、一枚の写真もありません(天候が良い時は、走行中に200枚以上の写真を撮っているのですが)。
 そんな寒い雨の中、道脇には合羽を着て熱心に応援して下さる沿道の方々には、本当に感謝です。しかし、雨脚はますます強くなってきて、おまけに向い風が吹いてきました。次第に分断されていく集団のスピードは、極緩い登りでも15q/hr程度。序盤でこの展開では、その後のノコギリ状峠群を考えると、完走は覚束ない(距離208qで制限時間は12時間)と思われてきました。体は、さらに冷えてきます。ちょっと気を抜くと、すぐ前走者と離れて、強烈(に感じた)な向い風に翻弄されます。なんとか、誰かの後方に付こうとするのですが・・・。
 手指が悴んできて、背中の補給を取ることもできません。まるで冬場の山を走っているかのようでした。補給地点で大休憩しようと思いましたが、なかなか最初の補給地点に到着しません。対抗する自転車乗りも続々と増えてきました。こんな天候なので、ひょっとしたら中止になったのかもしれないと思うくらいの数でした。かなり消耗したところで、緩い下り坂になりました。なんだか頭が朦朧としてきて、路面が揺らいでいるように思えます。手指は相変わらず悴んでいて、ブレーキングもままならない状況。ただ、下りはとても速いヨーロッパの人達との差も広がらないし、後ろからどんどん追い越されるということもありません。みんな、かなり消耗しているようでした。
Allanche の街 熱いコーヒーを振舞ってくれたカフェの納屋と親父さん(上右下ベレー帽)

 やっと辿り着いた第一補給所・関門 Allanche(アランシュ)には、寒さに震える参加者が多数屯していました。補給所で食べ物を取るのにも、苦労しているくらいです。私も震えながら、とにかく何か口に入れようと補給所へ向かったところ、Sさんに出会いました。先の Act 1・Col du Telegraphe(テレグラフ峠)をアウターでグイグイ登っていた元気そのものといった若者が震えながら「もう止めま〜す」。それを聞いて、ほっとしたのか、それなら私がリタイアしても当然だな、と屁理屈。完全に気持ちが切れてしまいました。もちろん、これは最後の一押しであって、これ以上進むとタイムアウトになる以前に、下りで落車する危険性を感じていたのが一番の理由です。
 周りを見ると、リタイア人回収用の大型バスは3台とも既に満席です。トレーラーに預ける自転車も、いったい何台あるのか。ひょっとしたら、今度こそここで中止になったのかもしれないと思ったくらいでした。
 そこへ、この年で etape 参加13回目という歴戦のKdさんが上下ゴアテックスの合羽で到着(さすがです)。前後して、数少ない同行メンバーが次々と到着してきました(出走10名中早いスタート順だった2名を除いた8名中7名)。私よりちゃんとした雨装備をしていたYoさんも完全に戦意喪失状態で、ガタガタ震えています。Kdさんの話によると、気温は5℃で、これまで13回の etape で最も低い状況とのことでした。5℃と言えば、徳島では真冬の気温。おまけに雨の中を夏仕様では、体温が冷えて消耗するのも当然でしょうか。
関門閉鎖後の Allanche の街

 早々にリタイアを決めた私につられて?YoさんFk奥様(今回紅一点)もリタイア宣言。「進みたいけどなあ」「どうしようかなあ」と先程もう辞めますと言っていたSさんは、Kdさんの姿に惹かれたのか、続行を決意しました。続いて、YgさんFkご主人も「行けるところまで走ります」と関門閉鎖直前に走っていきました。私は、みなさんに付いていってみようという気さえ全く起こりませんでした。上述のように、足切以前に、ブレーキをかける力がなく、下りでの落車を危惧していたからです。まだ全行程の3分の1。正直なところ、これからが峠連続の本番と言ってよいコースに、先に進んでいったみなさんも完走は難しいだろうなあと思っていました。
 4人が去って、間もなくゲートが閉鎖されました。相変わらず雨は降り続いていたので、何処か寒さをしのげるところへと、リタイア組3人でパン屋さんらしきお店に入ったところ、同じ考えと思われる人が多数。お店のマダムが「カフェは裏だ」という感じのことを言っています。店を出て、裏手に回ったところ、あったのは納屋。入ってみると、縦横10mほどのところに、数十人のリタイアした人がすし詰め状態でした。そのためか、随分と暖かく感じました。お店のご主人と思われる初老の方が、みんなに熱いコーヒーを振舞っていました。しかし、あまりに人が多く、品切れとなった後は白湯のサービス。ビスケットもいただきました。やっと少し落ち着けたのですが、後から次々と入って来る人は、みんな青ざめてガタガタ震えていました。
リタイア後、Allnche から Saint-Flour までのバス車窓から

 落ち着いたところで、正式にリタイアをと、自転車回収場所に出向きました。しかし、フランス語は全く理解できないので、身振り手振りと「リタイア」の一点張りで自転車を受け取ってもらいました。しかし、バスはもう満席なので、とりあえず向こうの家(maisonという単語だけわかりました)へ行けと言われます。リタイアした人が向かう方向に一緒に進んでいったところ、スタッフらしきお兄さん(ちょっと酔っぱらって上機嫌)が、ここだよと教えてくれたのは、体育館のようなところでした。その頃には、雨は小康状態となっていましたが、相変わらず気温は低いままのようで寒かったのですが、体育館の中に入ると(200人以上はいたでしょうか)暖かくでほっとしました。まあ、ここで待っていればいいのだろうと、待機です。
 しばらくして、スタッフと思われる人が大声で喋り始めました。がやがやしていた館内は一瞬で静かになりましたが、フランス語なので、何を言っているのか全くわかりません。重要なことを言っているらしいけど、困ったなあと思っていると、流暢に日本語を操るフランス人(参加者)が現れました。日本にも住んでいたことがあるらしく、日本人と思われる私達を見つけて声をかけてくれた次第。いや、助かりました。スタッフの話は、自転車を預けた人だけがバスに乗れる、それ以外の人は自走なり自分で手配せよとのことだったそうです。後でコース図を再確認すると、 Allanche から Saint-Flour まで、コースは130qほど(積算標高差は2500m)あるのですが、ぐるっと遠回りをしているので、最短コースだと40qもないようです。まあ、もしそれを知っていたとしても、とても自走で行く余裕はありませんでした。
 ところで、この体育館内で待っている間に、警備隊のような服装をした方が、みんなにアルミ箔のようなシートを配ってくれました。これが保温性抜群。広げてくるまっているだけで、随分と寒さが和らぎました。それでいて、生地の向こう側が透けてみえるくらい薄いことにも驚きました。
Saint-Flour の街に次々とゴールしてくる人々

 結局、2時間以上待って、3台目の最終バスにやっと乗車できて、ゴール・Saint-Flour の街へ。途中、自走している人の姿も何人か見かけました。バスはショートカットのコースを走ったのでしょうが、ここも丘状の牧草地や小麦畑の間に小さな美しい村が点在していて、好天ならとても素晴らしいコースだろうなあと思われました。Allanche の街もそうですが、ひとつひとつの建物に個性があって、新しくもなく使い勝手の悪いところもあるのでしょうが、愛着を持って使い込まれ、また美しく飾られている様子が、ちょっと見ただけでも伝わってきます。また、町全体としてはとても調和がとれて落ち着いた美しさがあります。中央山岳には、沢山のそんな町や村があるようです。
 バスでゴールの街・Saint-Flour に到着後、体育館のシャワー室で暖かいお湯を浴びて着替え、やっと生き返った気持ちになりました。一段落して、DNFの4人(先の私達3人より先にリタイア1名)で街を散策しながら(ここもまた美しい街でした)、ゴール地点に向かってみました。ゴールしてくる人は、みんな憔悴しきった様子でしたが、そんな表情の中にも完走した達成感と満足感が溢れていました。結構年配の方も多く、高台にあるゴールに向かって登って来る選手達を見ていると、あの時は一歩も前に進めないと思ってリタイアしましたが、やはり完走しなくては話にならないな、という思いが強くなってきました。加えて、関門ギリギリで再スタートしていった同行の皆さんも全員完走、しかも出場4000人強で完走者が1900人の中、全員が1000番以内。迷いながら走っていったSさんに至っては、なんと200番台(昨今の etape で200番台というとかなりのエリートでないと手にできません)。いや、皆さんの不屈の精神・体力に全く脱帽・感服するばかりです。完走した皆さんの話によると、意外にも第一関門までが一番厳しかったとのことですが、それを乗り切れた者と乗り切れなかった者の差は大きいですね。悔しいとか残念だったとかいう以前の問題。タイムアウトか機材トラブルなどでリタイアすること以外は予想もしていなかったのですが、自分の非力・何が足りなかったのかを深く考えさせられる、いい機会となりました。
 完走できなかったこともありますが、好天ならおそらく素晴らしいコースであったことは間違いなしです。中央山岳を走る Etape de Tour が再度開催されることがあれば、美しい光景を見ることも含めて、絶対にもう一度参加してみたいと思っている次第です。

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