川への想い   

    2014 Etape du Tour   Pau 〜 Hautacam  痛恨、2度目のDNF!  (2014.07.20)


Col du Tourmalet から西側への下り
 それにしても、まさか2度目のDNFになるとは思ってもいませんでした。2012年のAct 1(距離160qで積算標高4800m)に比較すると、150qで3700m程度のコースはそれほどきつくはないと思っていましたし、制限時間も11時間。練習としても、それ相応のコースを遅いペースでしたが走っていたつもりでした。雨・寒さ対策も、2011年・Act 2 DNF の教訓を生かして、2012年・Act 2で実証済みと思っていたのですが・・・。
 前日、宿泊地の Lourdes(ルルド)から参加受付のために会場の Pau(ポー)まで向かったバスの運転手が、受付会場をちゃんと把握できていなかったらしく、一時間あまりも翌日のコース上を迷走(それはそれでコースプロフィールからは一見平坦に見えるスタート直後が結構なアップダウンであることがわかって良かったのですが)。曲がりくねった道のおかげで、車酔いしてしまったことが一因だったのでしょうか? 帰路、自走(約40q)で帰って少し気分が改善しましたが、夕食時に目の前にあるワインに、まったく手が伸びません。車酔いだけのせいではないと思われましたが、アルコールが手につかないとは、かなり不調かなと感じました。
   

 天気予報は雨とのことで、モチベーションも落ちまくっていましたが、幸い当日朝は曇天でした。最初から雨よりは、よほど救われます。食欲もあって、朝食はいつも通り食べられ(午前4時半)、Pau までバスで移動です(写真:上右下)。まだ暗い中、準備を始めます。途中からは絶対に雨と判断して、合羽と防水手袋にシューズカバーも背中のポケットとサドルバック内に詰め込みました。
 漸く辺りが薄らみ始めた午前6時過ぎ、一抹の不安も抱かずに会場に並びました。その数10000人以上(エントリー数13000人)。写真:下左から2枚目に写っているのは、全体の4分の1くらいでしょうか。スタートゲート付近には、日の丸を振る何人かのマダム達。どうも私達以外にも日本人の参加者がいるようです(写真:下右から2枚目)。
 午前7時、先頭のグループからスタート開始。1000番台以降は1000人単位でのスタートです。5000番台の私は7時35分頃にスタート。

 実は今回の Etape du Tour では、スタート直後や街中・下りなど、あまり停車できないところでは動画を撮ろうと、ウェアラブルビデオをハンドルに装備してきました。ところが、スタート直後、なぜかスイッチが入らなくなってしまいました。どこかで間違ってスイッチを押していてバッテリー切れになっていたのでしょうか? 前日 Pau からの帰路では、ちゃんと作動することを確認していたのに・・・。Pau の街を抜ける付近には、2006年にツール観戦した街中の一直線の下り道のいいポイントがあったので、ここだけでもと思っていたのですが、とても残念。

 上述のように前日のバス迷走のおかげで、把握していたプロフィール上では平地に見えながら、実は眉山程度の登りが二つ三つとある走り始めてすぐの区間は、そこそこのペースでこなせました。周囲にはるみちゃんや同じグループの方が3人ほどが確認できていたのですが、みなさんそれぞれのペースで先に行ってしまったようで、いつの間にか見失ってしまいました。るみちゃんはブログで知り合った大阪の友人。以前から是非一度と思っていた Etape du Tour に新婚旅行を兼ねての参加です。
 最初のエイドステーション(35q地点 Pontacq・ポンタック)は、パス(写真:下)。今回の失敗のひとつが補給です。結構手持ちもあると思っていたのですが、途中で品切れ。後半は雨となったので、エイドの写真もほとんどありません。エイドに限らず、また天候のせいだけでなく、今回の写真は今までで最低の出来です。これまでの経験が全くいかされてないこと、心に余裕がないことを、つくづく痛感&後悔。

 最初の3級の登り(Cote de Benejacq)は、スタート直後の丘より緩やかで楽でした。同じツアーのどなたかも述べられていたように、およそ写真など撮っている参加者(まして走りながらとなると)は、ほとんど皆無です。ちょっと奇異の目でも見られるような気もしました(初参加の2006年時にも感じた)が、結構喜んでポーズをとってくれる人も多いのも事実です。
 事前にグーグル地図で確認していたAeroport de Tarbes-Lourdes-Pyrenees(タルブ・ルルド・ピレネー空港)付近を過ぎてしばらくまで、丘状の起伏を除けば、ほとんど平坦でした。写真:下左下、白い小さな三角は航空機の尾翼です。参加人数が膨大なので、ペースはまちまちですが、追いついたり追い抜かれたりしながら、何度も集団形成が繰り返されます。この空港付近で、それまで便乗していた集団が中切れ。前方に乗り遅れまいと、ひとり追ったのが、失敗その2だったかも。行く手には今にも降り始めそうな重い雲が立ち込めています。雨が降り始めるまでに、少しでも先へ進んでおこうと、やはり心に余裕がありません。
 

 Etape du Tour のコースは田舎道を走ってくれることが多いので、時々思わず感嘆の声を挙げる美しい集落に出会うことがあります。が、今年はそんな思わず立ち止まってしまうような街は、あまり見かけなかったように思われました。天候のため、それとも心に余裕がなかったためでしょうか?
 道沿いでは、ツール本番に向けて様々な意匠を凝らした飾り付けが行われている集落もよく見かけます。写真:下左上、この集落(50q付近)では、黄色ではなく、なぜかピンク色に塗られた自転車が何台も飾られていました。Lunne(ランヌ)というこの村、後日BSプレミアム・世界で一番美しい瞬間という番組の「ツール・ド・フランスが運ぶ美しい瞬間」(2014.08.28 放送)で取り上げられていました。周囲に民家のない沿道でも、見ず知らずの私達に声援を送ってくれる人々があちこちにみられます。
 

 幸い、まだ雨は降ってきません。二つ目の3級峠・Cote de Loucrup も、比較的なだらかな登りでした。1級や超級の峠には常設の表示(後述)があるのですが、が、それに加えて Etape du Tour 専用の表示もありますが、3級程度の峠では Etape du Tour 専用のものだけのようでした。写真:左下のように赤に白抜きの峠までの距離や補給地点を示す看板がそうです。表示はフランス語と英語です。
 

 道脇には、これも馴染みになった道標がみられます。写真:下右上、道脇に見られる上が黄色のキャップようの白いモニュメント様のものがそうです。黄色い部分に道のNo.が書かれています。ここは、D937。
 ところで Etape du Tour の参加者(HPには詳細がでているはずですが)、年齢層は結構高いように思われます。どう見ても還暦前(2014年当時)の私より年長と思われる方も多数。でっぷりしたオヤジ体型の方も多いのですが、パワーで走っていく感じです。特に下り平地は速い。女性も結構多いです。それでも10%以下でしょうか。そして結構速く、下りなんか私よりずっと速くぶっ飛んでいくのですが、登りもみんなそこそこのペースで登っていきます。 しかし、一部の人を除いて、制限時間内でマイペース完走を目指す人も多いように思われます。私が走っている周囲ではという限定付きですが。ただ有名な峠などで写真を撮っている人は時に見かけるのですが、走行途中に写真を撮る人はほとんど見かけません。

 Cote de Loucrup を超えて、行く先にはトウモロコシや牧草、小麦畑に小さな林も加わった丘陵地が広がっています(写真:下右)。天気が良ければ、もう少しすっきりした写真が撮れたかもしれません。Cote de Loucrup を下って10qほどは、そんな丘陵地のアップダウンが続きました。
 

 D937からD935に入ると、しばらく平地が続きましたが、行く先の山は既に雨雲の中(写真:下中上)。70q地点弱にあったBagneres-de-Bigorre(バニェール・ド・ビゴール)の補給地点で小休憩。ここでももう少しゆっくりするべきでしたが、雨の降らぬ間に少しでも前へ進んでおこうと相変わらず焦っていたようです。
 ところで、上述のようにスタート地点で日の丸を振っている日本人と思われるマダム数名を見かけたのですが、その方々がここに先回りされていました。私達のツアー以外どなたかの応援かと思われましたが、道状況などにかなり精通している方がおられたのでしょう。フランスに住んでおられる邦人かもしれません。この年、それまでほとんど見られなかった日本人の姿が、Tour de France 観戦時にも結構見られるようになってきたのも時代の変化でしょうか。
 街を少し抜けたところで、Col du Tourmalet、Col d'Aspin、Col de Peyresourde(いずれも2012年Act 2で走った峠)の表示を見つけました(写真:下右)。緑に白抜きの OUVERT の表記は開放されている、峠は通れますよということらしいです。この先で Col du Tourmalet は右手へ、Col d'Aspin、Col de Peyresourde へは左手へと進みます。この時点でスタートから70qほどで、約2時間半経過していた記憶です。
 

 まもなく雨が降り始めたので、合羽、手袋、シューズカバー着用します。平坦を少し走った後に、D918に入って、いよいよTourmaletへの登りが始まりました。前述のように1級や超級の峠では自転車用の常設表示があります(写真:下右から2枚目、左手の白い看板)。

 雨は小降りになったり本降りになったりするものの、止む気配は全くありません。次第に写真を撮る意欲もなくなってきました。防水カメラでもないので、故障する可能性も多分にあります。まあ、峠東側は西側と比較すると、随分と風景の壮大さに欠けるので良しとするか、先へ進みました。大きな右カーブを回って(写真:下右)、記憶に残るスノーシェードを潜ると、まもなく峠手前のスキーリゾート地・la Mongie(ラ・モンジ−)です。写真:右下、常設の表示と、その下に赤白抜きの Etape du Tour 専用表示。
 

 La Mongie には、ほぼ正午に到着(写真:下右)。峠まで後4qほどです。ここでも、まだ峠の西側に補給地点があると思っていたので、補給を最低限にしたのが体調悪化の一因となったようです。ちゃんと事前に補給地点もちゃんとチェックできていないとは、隙があり過ぎです。
 

 La Mongie からも、ひどくはないものの雨が降り続きました。時折、霧雨になるものの止むことはありません。ただ登りなので、さほど寒さは感じませんでした。峠からは最後の Hautacam(オカタム)への登り口まで40q弱下りなので、制限時間内には余裕があると思い、小雨の中を時々立ち止まって写真撮影。ただ、構図なんて考える余裕はなく、記録としてただシャッターを押すのみ。峠まで後3q、2q、1qと表示毎に、その脇を登る人々の姿を。晴れていれば広大な牧草地(スキーゲレンデ?)と、後方には急峻な峰々が立ち並ぶ、ピレネーならではの山岳光景が見えるはずなだったのですが。
 最後の1qからも、結構急勾配が続きます(写真:下左)。雨の中にもかかわらず、道脇で応援してくださる方が多いことにも驚きです。この時点では大多数の方が合羽を着ていたのですが、中には半袖・指切りグローブの方もポツポツ。登りはともかく、下りは・・・。とにかく、2011年時も2012年時も感じたのは、向こうの人は寒さにかなり強いのじゃないかってことです。まあ、日本人にも寒さ強い人はいて、ウインドブレーカーと指切り手袋でかなり早い順位で完走した方もいましたが、比率からいうと向こうの方は圧倒的に寒さに強そうです。

 なんとか12時半に峠着。ここも水しかなかったので(事前のコースマップにはちゃんと記されているのだが)、じっとしていると寒いこともあって、長居をせずに下りに入りました。ちなみに、峠でのGPSの気温表示は4.8℃だったとかで、10数回 Etapeに参加しているKdさんの経験でも過去最低だったそうです( 2011年・Act 2では5℃)。
 峠からはひたすら下りです。2006年にツール観戦時に西側から登った時、周囲の圧倒的な山容にただただ感嘆するばかりだった記憶が今でも鮮明です。その時の印象が強烈なので、Col du Tourmalet を登るなら、絶対に西側からがいいと思っていました。そのため、西側が下りとなる今回は、ここを動画で撮ろうと企てていたのですが、機材不調がなかったとしても、この天候では思うような映像は撮れなかったでしょう。そんな中、峠から1、2qばかり下ったところで、少しだけ視界が開けてきました。立ち止まるのは少し躊躇われましたが、幸い前後にそれほど走る人が詰まっていません。ここを逃したら、もう写真を撮る機会がないかもと、何度か立ち止まって撮影です。

 晴れていれば相当なスピードで下っていく向こうの人々も、さすがに抑え気味に走っているようでした。滑って落車もともかく、寒さもあってのことでしょう。2012年・Act 2では西側から登るコースでしたが、途中から今回のような霧の中。しかも col d'Aubisque、Col du Tourmalet、Col d'Aspin、Col de Peyresourde 4峠悉く霧雨の下りだったのですが、今回ほど寒くはなかった記憶です。
 結局、その後は雨脚が強くなったことや、ほとんど周囲の景色が見えなかったこともあり、写真撮影のために立ち止まることはありませんでした。冷えるので、できるだけ脚は休めないように回していた(つもり)。半分くらい下ってくると、少し気温が上がったようにも感じましたが、着ている合羽が古くなったのか、少し防水機能が落ちていたのでしょうか? なんとなく内側が少し湿ってきたように感じました。途中にある3ヶ所ほどのS字コーナーや、道両脇に小奇麗なホテルや商店が並ぶ Bareges(バレージュ)の街など、晴れていれば絶対に写真撮影に立ち止まるところもでも、スピードをやや落としただけで通過。

 峠から約20q、Luz-Saint-Sauveur(リュズ・サン・ソヴァール)の街に到着した時は、大分体が冷えてきたようにも思いましたが、まだ余裕があると思っていました(写真:上右下)。とにかく何か食べようと思ったのですが、ここも水だけでした・・・。仕方なく、まあ1、2枚写真でも撮って、と思った時、突然、左大腿前面が強烈に痙攣。脚が攣ることは時には経験しますし、ツール・ド・沖縄では走行中に攣った経験も2度ほどありました。その時は、なんとか走りながらリカバリーできたのですが、この時はこれまでに経験したことのない強烈な痛みでした。しかもなかなか治まりません。中腰のまま、どれくらい同じ格好でいたのでしょう。なんとか収まってきたので、しばらく休んで先に向かうことにしました。この時点でも、まだ少し腹が減っているのと、痙攣したくらいにしか思っていませんでした。
 Luz-Saint-SauveurからHautacamの登り口までは10数q、緩やかな下りです。しかし、走り始めると今度は右足、そして両足と次々に痙攣。幸い下りなので、脚を休めたり片足で回したりとだましだまし走りました。その横を40q/h以上のスピードで、数人ずつのグループが追い抜いて行きます。便乗したかったのですが、とても無理。20km/h後半で進むのがやっとやっと。写真を撮る余裕なんて全くありません。下りの惰性で進むのみ。そのうち、脚だけでなく、どうも体調がおかしいなと漸く感じてきました。

 ここまでの冷たい雨をあざ笑うかのように、途中から道は完全に乾いてきました。気温も少し上昇したようです。時折日が差すと、体が温まります。しかし、その程度で回復しない体調の異変は、もう疑うことができなくなっていました。下りだからなんとか前へ進んでいるのですが、最後の登りはとてもだめ。登り口でDNFと断念した補給地点でもある Ayros-Arbouix(エーロ・アルブイ)に到着した時、どこかから「や ま さ〜ん」と黄色い声。ああ、ついに幻聴まで聞こえ始めたか。と思ったら、るみちゃん奥様の姿。幻聴・幻視ではなかったようです。補給(半ば手遅れでしたが)を貪りつつ、「もうだめなので、リタイアします」と伝達。
 気持ちも体も完全にリタイアでしたが、晴れ間ものぞいてきました。なによりもフランスまでやってきて、またDNFとはという気持ちもあって、まだ制限時間まで4時間以上あったので、後14qほどで標高差約1000m、とにかく進めるところまで行ってみようと再びサドルにまたがりました。不思議とその後、脚は攣らなかったのですが、まったく力が出ません。登り始めは、道の両側から応援の人が迫り出してきて声援を送ってくれ、まるでツール本番のようでした(写真:上左上)。うれしいけど、やっとやっとの状態だったので、なんとかカメラを取り出して一枚撮影が精一杯。レンズが曇っているのにも全く気付かず。

 その後4qほどはなんとか走って登れたのですが、力が入らない以上に、どうも心臓が必要なポンプ運動を行えず体の隅々まで血流が行き渡っていないような感じです。確かに頻脈。不整脈?低体温で何か異常を生じた?ハンガーノックも加わって?いろいろな悪条件が重なったのか?何が起こっているのか明確ではなかったのですが、かなり危ないと判断。降りて押してみましたが、それも少し進むと歩けないくらいの状況でした。ゴールまで後6〜7q地点だったでしょうか。Kdさん、続いてOgさんが追い抜いていきました。「もう何処かでリタイアします」と力なく声掛け。100mほど乗っては降り、100mほど押しては立ち止まり、座り込む始末です(上上の写真は、座り込んだ状態で撮ったもの)。休んでいる時間のほうがずっと長く、カタツムリ以下の歩みです。しかもまた雨が降り始めました。
 とうとう、後5q地点で立ち往生。そこで、道路脇にキャンピングカーを止めて応援していたムッシュが「どうした、大丈夫か?ここへ座って休んでいけ」と椅子を差し出してくれました。おまけに「○○はどうだ、XXは何個だ」と聞いてきます。当然仏語。なんとか理解して、二つお願いで、いただいたのは熱い紅茶・砂糖2個入り。ツアーの誰かがやってきたら、ここでリタイア宣言するつもりでしたが、誰も登ってきません。30分くらい休まさせていただいたでしょうか(一緒にもう一人休んでいた人は、そのまま下っていきました)。僅かですが回復した気もしたので、ムッシュ&マダムにお礼を言って(写真:上左)、もう少し進んでみることにしました。後3qまで辿り着ければ、なんとかなるかもと思っていましたが、体は全くいうことを利きません。というより、正直身の危険を感じてきました。
 とうとう後4qで、もう一歩も前に進むことが出来なくなってしまいました。ゴールは少し上に見えてきたのですが・・・。小雨の中、自転車にもたれていたら、またまた別のキャンピングカーのムッシュが「大丈夫か、ここで休んでいけ」と、また椅子を差し出してくれました。ここへきて初めて寒さからかガタガタ震えていると、マダム達があれやこれやと上から保温の衣類をかけてくれ(濡れているのもお構いなしに)、暖かいコーヒーもごちそうしてくれました。時折、「大丈夫か」と声をかけてがくれるのだが、的確に現状を表現する仏語が喋れないので適当にうなづくのみ。
 誰かツアーのメンバー通ったらDNF伝達をと思っていましたが、うつむき加減だったので、2、3人は通り過ぎてから気付く始末。30分ほど経った頃だったでしょうか。見覚えのあるジャージが登ってきて、ちょうどこちら側にやってきました。「るみちゃ〜ん!」力なく呼んで、漸く気付いて貰えました。体調不良でここでDNFすること、帰路に一緒に下ってもらうため待っていることをお願い確認して、ゴールを目指するみちゃんを見送ります。それから30分後くらいだったでしょうか。エマージェンシーシートを持ってるみちゃんが下ってきました。制限時間まで90分くらいあり、コース上には、まだまだゴールを目指している人が多数。普通に歩ければなんとかゴールできそうですが、少し回復したものの、ここで何かあっては同行のみなさんにも迷惑をかけるばかり、とDNF決定。1時間以上お世話になったムッシュ&マダムに熱く御礼を伝えて(伝わったかな?写真:上右)、るみちゃんのアシストを受けながら、なんとか無事に下山。
 失意、落胆、悔恨、安堵、様々な思いが交錯する中、2014年のetapeは終了したのですが、今回こんな目に遭って、一番感謝感激だったのが、二組のムッシュ&マダムの救援でした。誰ともわからぬ東洋人のおっさんを、おそらく Etape du Tour の参加者でなかったとしても、自転車乗りが疲労困憊していると、当たり前のように声をかけてくれて、座る場所を提供してくれ、暖かい飲み物をくれ、濡れて汚れているのも気にせずに、暖かい保温の衣類を着せてくれたこと。こんなところにも、自転車文化が根付いている、いやひょっとするとヨーロッパ全般の自転車にも関係なく、困っている人には手を差し伸べるという精神なのかもしれません。

ご意見・ご感想・新しい情報はこちらへ

Etape du Tourに戻る TOPに戻る

inserted by FC2 system