津軽・下北紀行 2009

 2009年5月連休、旧友・North mountain氏(以下Nm氏)と一緒に走ることを一番の目的として、本州最北の地・津軽下北地方を訪ねてきました。Nm氏は中学時代の同級生。当時は毎日のように一緒に田舎の山や町を走り回って(足もしくは通学自転車で)いたものですが、考えてみると僅か1年あまりのことでした。それからもう40年近くになるのに加えて、その後は居住地も離れ、最後に会った時から20年が過ぎていました。年賀状のやり取りだけは続いていて、年齢を経るにしたがって、お互いに「いつか会おう」というのが合言葉になっていました。そんなNm氏が最近私に触発されて?自転車生活を営むようになり、ブログも開設。長らく実生活で会っていないにもかかわらず、随分と身近に存在を感じられていたのも、自転車とウェブの世界のおかげかもしれません。会うことはもちろん、まして一緒に走ることを実現するのはなかなか難しいかと思っていましたが、今回いくつかの条件がそろって目出度く成就することができました。(2010年10月17日)

Prologue & 1st stage
Ptologue
 さて、North mountain氏を訪ねて下北に向うと決めたものの、第一の問題は青森までの交通手段と走行ルートでした。滅多に訪れることのできない遠方なので、いろんなところを走ってみたいと欲張りたいのですが、当然時間は限られています。僅か2日間。
 その前後の移動手段を考えるのは楽しいことでしたが、なかなか厄介な面もありました。とにかく四国から青森は遠い(時間的には北海道のほうが遥かに近い)。航空機利用が一番短時間なのですが、青森空港、三沢空港ともの関西方面からの便数は少なく、時間帯も自転車で走るにはちょっと不都合でした。考えていてふと思いついたのが、夜行列車。これなら、朝一番に弘前に到着して、その日一日を有効に使うことができます。実は30年ほど前に、青森まで輪行をした経験があります。一度目は同じ黄金週間。青森から岩木山周辺を回って日本海、そこから新潟まで南下、さらに糸魚川から松本へ。二度目はその年の夏。青森から八甲田〜奥入瀬〜八幡平〜陸中海岸〜盛岡〜角館に続いて、蔵王、尾瀬を越えて北関東まで、さらに三国峠を越えて信州入りし、八ヶ岳を越え松本から上高地経由で富山まで走った時。利用した列車は、いずれも今は無き急行「きたぐに」。寝台急行でしたが、貧乏旅行だったので大阪を夜出発して翌日の夕方に漸く青森まで一般車両の座席旅でした。そのことを考えると、翌朝早くに弘前に到着する寝台特急は贅沢そのものでした。

林崎付近から見た 岩木山
コース  大阪=弘前−十三湖−蟹田〜脇野沢−むつ市
走行距離  135キロ
最高地点  中山峠(標高125m)  天候:晴れ LOOK KG-96
 当日は徳島からバスで大阪駅へ。ごった返す駅構内のコンビニで、二食分以上&アルコールを補給してプラットフォームへ。
 18時前、静かに入ってきた「日本海」に停車とともに乗り込みました。寝台列車はもちろん初めての経験でした。琵琶湖畔ではもう外は暗くなって、飲み慣れた銘柄が無かったアルコールは、ちょっと口に合わず悪酔い? あまり熟睡はできませんでしたが、車外はいつの間にか明るくなって、羽後本荘ではもう夜が明けていました。弘前には定刻の午前8時前に到着。
 写真:左は、大阪駅に入ってきた「日本海」とその車内。背負っていった荷物と、隣の袋は、しこたま買い込んだ食糧とアルコール。
左上:日本海、大阪駅にて
上 :日本海の車内
左 :弘前駅を出る日本海
 今回の旅の大きな目的のひとつは弘前城の桜を見ることでした。しかし、2009年は暖冬のためか例年より1週間以上も開花が早かったそうで、出発時には花見ができることを完全に諦めていました。弘前へ向う道中、秋田以降では山中に山桜が満開だったので、多少なりとも花が見えるかと期待したものの、到着した弘前駅舎横で自転車を組み立て始めたところ、四国以上かと思われる暑さに端から断念。
 真っ先に向かった弘前城は、散った花びらさえ残っていない完全な葉桜。しかし、並木のソメイヨシノの幹周りはふた抱え以上もある太さで、満開時にはさぞ素晴らしい眺めであろうと思われました。ちょうど出会ったツーリング中の方も足早に去っていかれました。

葉桜の弘前城

岩木山とリンゴ畑
 弘前までの行程同様、弘前からNm氏の住むむつ市までのルートについてもいくつか検討したのですが、Nm氏から津軽半島から下北半島に渡るフェリーの存在を教えていただき、おまけにNm氏がフェリーに乗って津軽側まで迎えに来てくれるというので、津軽を走って下北へ渡ることに決定。ただこれまた訪れてみたかった竜飛岬を回ると140kmあまりとなり14時出発のフェリーまでレースペースで走っても間に合うのは難しいと思われたので、未練を残しながら今回はパス。
 そのため、十三湖まで北上して蟹田に向かう80kmほどの行程としたので、弘前城を始まりとしてのんびりと走りました。なるだけ主要道は外して、弘前から板柳、そして五所川原へと進みました。南国・四国育ちにとっては、憧れのリンゴの花が咲き始めたところ。あっちで一枚こっちで一枚と、写真撮影に余念がなく、なかなか前に進めません。特に板柳の岩木川周辺ではリンゴ園が多く、その名もズバリ・りんご大橋という付近は広がるりんご畑の向こうに西に岩木山、南西方向には八甲田山系を遠望することができました。

津軽平野のリンゴ畑

斜陽館
 五所川原からは、国道を避けて東側の県道を進みました。このちょっと山手のローカルな道を選んだ理由は、津軽鉄道と平行して走っているためでした。しかし、1時間に1本弱の間隔で走る列車を何処かで見ることができるかもしれない、という淡い期待はその道中では適いませんでした。
 金木町では、生誕100年を迎えた太宰治の生家(写真:上右、地元の名家だったそうで豪邸)をチラッと眺めて、その少し北にある芦野公園へ。Nm氏から送っていただいたパンフレットにあった、桜並木から舞い散る花びらの中を走る津軽鉄道・芦野公園駅も訪れたい場所のひとつであったためです。残念ながらここも葉桜。駅の時刻表でチェックすると後10数分で列車がやってくるようでしたので、しばし待って撮影しました。

津軽鉄道 葉桜の芦野公園駅

十三湖 湖畔にて
 ここまで、余裕があると思い込んであまりにゆっくりし過ぎたため、いつの間にか正午も回っていました。時間があれば十三湖を一周しようと考えていた余裕は全くなくなり、金城から国道339号線を直進。おまけに風は真っ向から吹いてきました。
 弘前到着後、Nm氏とは適時メールで連絡を取り合っていましたが、芦野公園付近で蟹田から十三湖を目指しているとのメールが入りました。この分だとちょうど十三湖あたりで合流できるかなあ、思いながら進みました。事前にあまりチェックをしてなかったので、蟹田への分岐部まで十三湖が全く見えないことには気がつきませんでした。そのため、一足先に分岐部に到着した私は、そこから数百m進んだところに湖畔沿いの展望地を確認したので、そこでNm氏を待つこととしました。

蟹田港、八甲田山が薄っすらと

フェリーから脇野沢方面
 一服していると13時前となって、そろそろ蟹田へ向かわなくてはフェリーに間に合わなくなってしまいそうだったので、出発したところにNm氏から連絡。峠まで到着したものの、時間切れで引き返すとのこと。十三湖から蟹田までは20kmほど。途中中山峠という峠があるのですが、これも事前に標高さえチェックしていませんでした。結構登りがあるなら14時のフェリーに遅れてしまうかも、という不安がよぎりました。しかし、幸い(後で調べたところ)峠の標高は125mしかなく、とても緩やかで、登り区間になったと思ったら峠のトンネルへ。おまけに追い風で35km/hr超で快走。蟹田への下りはさらにスピードアップ。前を走っているはずのNm氏を追いかけました。途中左手に青函トンネルに向かう線路が併走していましたが、残念ながらここでも走っている列車の姿と見ることはできませんでした。

フェリーから、夏泊半島方面

脇野沢近くの鯛島
 蟹田直前で前方にNm氏らしき自転車乗りを発見。追いついて挨拶。本当に久しぶりでちょっと緊張するかと思いましたが、そこは同じ自転車乗り&幼馴染。ブログの書き込みのおかげか、いつも話していたかのように再会が始まりました。蟹田から脇野沢まではフェリーでちょうど1時間。考えてみると自転車ツーリングで船に乗ったのも約30年ぶりでした。北国の5月初めとは思われない暖かさに、デッキで座り込んでお互いの近況から話は尽きることなく続きました。海は穏やかに凪いでいて、振り返ると津軽半島、行く先には下北半島、南には、夏泊半島の背後に八甲田山系がうっすらと見えました。鯛島の横を通り過ぎるとまもなく脇野沢に入港。港には、Nm氏の奥様(自称・おばちゃんライダーさん)がオートバイで登場。これまた20年ぶり・ほとんど初対面というのに、いつも会っている友人のように話が始まりました。

川内川のシロウオ漁

釜臥山
 脇野沢からむつ市までは約45km。国道338号線を走りましたが、アップダウンがあるだろうとの予想に反してほぼ平坦な道でした。海岸線には松林が多く、穏やかな気候と相まって、まるで私たちの故郷・瀬戸内海の海岸沿いを走っているかのような錯覚さえ思わせる情景でした。ゆるい追い風にも助けられて、30km/hrちょいの快走ペースでNm氏が先行。途中、川内川では、なんとシロウオ漁を見ることができました。徳島南部の椿泊でも春の風物詩として知られていますが、まさか下北で見られるとは。橋上からしばらく見物。なかなか漁獲があるようで、網を川面に浸して1分もしないうちに引き上げて獲物を魚籠に移すことを繰り返していました。あの一掬いで美味しい酒が飲めるだろうなあ、と思いつつ。
 むつ市外に入る直前にある自衛隊基地からは、釜臥山を眺めました。いつもNm氏のブログで、澄んだ空に聳え立つ釜臥山の姿とその山頂展望台からの眺望に刺激されていたので、今回の旅でもぜひ登ってみたかったのですが、この季節・まだ除雪ができてなくて山頂への通行不可とのことでした、残念。そこからは、地元民ならではの裏道を通って街中へ。途中、日本最古のアーチ式ダムというところなどに寄り道しながら、18時前に宿に到着。その夜は、下北の幸を頂きながら、四方山話に花が咲いたことは言うまでもありません。

2nd stage & Epilogue
 一夜明けて。この日は、前夜飲み過ぎてしまう前にNm氏を相談して、午前6時出発でまずは尻屋崎を目指すことにしました。先に書いたように、ほとんど事前計画を立てていなかった今回ですが、尻屋崎は釜臥山とならんで最も訪れてみたかったところのひとつでした。ただ、この日北海道へ渡るために向う大間とは反対方向にあり、むつ市からは片道約30kmで、しかも同じ道を往復しなければならないことから、気持ち的にも時間的にも難しいかと思っていました。しかし、Nm氏が早朝から走ろう(私のホテル・朝食に間に合うように)との提案をしていただけたので、即決となりました。

尻屋崎への道
コース むつ市−尻屋崎−むつ市−大畑−大間崎〜函館=札幌
走行距離  135キロ
最高地点  木野部峠(標高100m) 天候:晴 LOOK KG-96  
 予定通り、午前6時過ぎに出発、県道6号線はむつ市郊外へ出ると微妙にアップダウンが続きます。しかし、早朝ということもあってか、交通量は少なく快適に走れました。途中、廃校(結構きれいな校舎)を3つほど見かけました。小さな集落も3つくらい経由。雑木林や植林された杉林を横目に進んでいきました。信号はほとんどなかったと記憶しています。尻屋崎までのほぼ半分の行程付近で、前方に海が見えてきました。その後は緩やかな追い風にも助けられて、1時間少々で岬への分岐地点に到着。
 この尻屋崎、観光パンフレットでは寒立馬の姿が草原に映えていますが、季節柄新緑はまだまだでした。それでも岬周辺の風景は、この後訪れた本州最北端・大間崎よりもずっと雰囲気があって期待通りでした。件の寒立馬は、道産子に似た独特の体型で、あちらこちらでノンビリと草を食べたり寝そべったりしていました。

尻屋崎の寒立馬

尻屋崎灯台
 岬からは尻屋漁港方面へと回りました。途中一頭の寒立馬がノンビリと道を横切っていきました。Nm氏が近づいても我存ぜぬ風(写真:下左)。この写真でもわかるように、岬手前付近にも松林が多く見られました。尻屋の町は港からやや山側に上ったところにあります。ここにも新しい校舎の学校がありましたが、廃校のようでした。尻屋崎をゆっくりと一周して堪能した後、再びむつ市へ向けて来た道を引き返しました。

寒立馬

尻屋崎漁港
 朝食後、午前10時前に今度は大間に向けて出発。Nm氏の奥様がクルマでサポートしてくださる(Nm氏の帰路回収?)とのことで、背中の荷物がなくなりちょっと楽になりました。国道279号線で一路大間へ向います。途中の大畑辺りでは、道の両側に桜の並木が延々と続くところがありました。大畑桜ロードを名づけられているそうですが、名前負けしない立派な桜並木道でした。3桁国道とは思われない幅の広い道を、両側から道路を覆うように桜の枝が伸びています。満開ならさぞ素晴らしい眺めだったのでしょうが、残念ながらここも例年よりずっと開花が早く既に葉桜でした。葉桜ながらもなかなかいいカメラポイントがあったのですが、カメラを取り出しているうちにシャッターチャンスを逃してしまいました。
 大間までの途中、木野部峠(標高100m)というところ1ヵ所のみが坂道でした。峠からは、朝方に走ってきた尻屋崎方面が遠望(写真:下右の左端)、前方にはこれから走って行く大間方面が眺められます。この国道279号線は、函館とのフェリーがあるためか交通量がこれまでになく多く、またスピードを出しているクルマが多かったです。この日、朝は、どこかで目にした気温表示が14℃ととても暖かかったのですが、時間とともにどんどん気温が下がってきて、お昼前には7℃となって肌寒くなってきました。幸い強烈な追い風となって、30km/hを楽々と越える高速走行。途中、Nm氏が時折カモシカと出くわすというので、左手の山肌をチラチラ見ていたのですが、ついに出会うことはありませんでした。そのカモシカ、むつ市内でもよく現れるそうです。

木野部峠から大間方面

木野部峠から尻屋崎方面
 大間には、ちょうど正午に到着。Nm氏の案内で、まずは大間の牧という高台に登りました。天候が良ければ、北海道がくっきりと見えるそうですが、この日は弁天島の向こうになんとかかろうじてうっすらと見える程度でした。その後、丘を下って大間崎へ。この大間、マグロの一本釣りで有名だそう(後日帰宅後、誰に聞いてもよく知っていた、知らなかったのは私だけ)で、本州最北端の碑の横にはマグロのオブジェがありました。岬近くでちょっとばかり仕事関係に顔出しのNm氏を待って、フェリー乗り場へ。出港まで小一時間あったので、Nm氏ご夫妻とひと時の歓談。ちょうど前日から24時間。あっと言う間でしたが、とても濃密で充実した貴重な時間でした。

大間・弁天島 北海道がぼんやりと

本州最北端 大間崎
 蟹田からのフェリー同様、ここ大間でも乗船が出港のかなり前から始まりました。フェリーに乗ること自体が久しぶりだったのですが、四国と本州を結ぶフェリーは行先が京阪神であろうと中国地方であろうと出港の直前からあわただしく乗船するのが常だったので、ちょっと面食らいました。Nm氏夫妻には、また明日にでも会えるかのように、十分なお礼も挨拶もしないままに船上の人となってしまいました。Nm氏ご夫妻、大変お世話になり、ありがとうございました。必ずまた行きます。
epilogue
 大間から函館までは、フェリーで1時間40分ほど。風があったわりには、海は穏やかでした。函館は、32年前初めての北海道ツーリング時の帰路、まだ青函連絡船だった時代に、夜中に素通りしたことがあるだけで立ち寄るのは初めて。例によってあまり事前学習ができていなかったので、札幌行きの列車に乗るまでの1時間余を過ごす行程をフェリーの中で検討。下船してまず驚いたのは、函館は想像していたより随分大きな街だったこと。広い道路を走りながら、まずは五稜郭へと向いました。地図と道路表示に導かれて辿り着いた五稜郭は、ちょうどサクラが散り始め。花見客でにぎわっていたので、長居をせずに足早に通り抜けました。 

五稜郭にて

函館山方面から市街
 ついで向ったのが、是非登りたいと思っていた函館山(鳥瞰できる高いところが大好きなので)。しかし、登り口まで辿りついたところ、夕方以降通行止めになっていました。時間的にも頂上まで登る余裕はないかと思っていたので、すっきりと諦めがつきました。その余った時間で、赤レンガ倉庫付近(沢山の観光バスと大勢の観光客あり)を散策して、函館駅へ。

ハリストス正教会

赤レンガ倉庫と函館山 
 函館から札幌までは、また列車の旅となったのですが、夕暮れに染まる大沼と駒ヶ岳のシルエットが醸し出す静寂と幽玄の世界に、ここも是非一度走ってみなくては、と思った次第です。
ご意見・ご感想・新しい情報はこちらへ

ツーリング東北へ戻る  TOPに戻る

inserted by FC2 system