日和佐川を遡る  野田知佑さんを偲んで
 カヌーで川を旅するツーリングカヌーの草分け的存在であった野田知佑さんが先頃亡くなられました。高校生の時に初めて訪れた富郷(富郷ダムができる前)で川の素晴らしさに触れて以来、川沿いを走ることも好きだった私がカヌーにも興味を持ったのは、野田さんの「日本の川を旅する」を読んだことが大きなきっかけでした。野田さんの著書を読んでは、カヌーで川を旅することに憧れていたものです。そんな日本の川はもちろん、世界の川を旅してきた野田さんが四国に居を構えるらしいと耳にしたのは何頃のことだったでしょう? 四万十川とか仁淀川かな、徳島県内なら穴吹川とか那賀川上流だろうかなどと勝手に想像していたのですが、日和佐川を拠点としたと聞いて、正直ちょっと驚いたものです。というのは、自転車で走る道から眺める日和佐川は、カヌーで川下りできる程の水量もなく、私にとってはそれほど魅力的に見えなかったからです。きっと「川で遊ぶ」ことを重視する野田さんの価値感が、私には十分理解できていなかったからでしょう。日和佐に住まれていると知ってからは、その付近を走る度に偶然出会うことがないかなとか、川で過ごす野田さんの姿が見られないものかと思いながら目を凝らしたものです。が、とうとうそんな思いも実現しないままとなってしまいました。この日は、そんな野田さんを偲びながら日和佐川を遡ってきました。 (2022年 4月30日 記)

日和佐川下流、西河内付近  (2022.04.09)
 走ったコースは下図。スタート・ゴール前後はおまけなので、地図省略。メインは旧国道55号線・日和佐の町に入る手前から、日和佐川に沿って県道36号線を走り大越の峠までの30qほどです。
コース 徳島−日和佐−県道36号線−上那賀−相生−上勝−徳島
走行距離   150q   積算標高 1600m
最高地点   県道36号線・大越  標高730m
走行日   2022年 4月 9日  天候:晴れ  GIANT TCR
 走り始めて10qほど、阿南市・長生地区では早くも田植えが始まっていました。天気は上々です。定点の牟岐線新野駅で一枚。県道24号線から国道55号線に出ると、福井駅の南側で牟岐線に沿った道へ左折。これも県南へ向かう時の定番です。短いけど狭く交通量も多い2つのトンネルを回避することもありますが、この牟岐線に沿った道と県道200号線の雰囲気が好みなのです。小野地区で高規格道が出来たことでほとんどクルマが通らなくなって快適に走れる旧国道55号線に戻って日和佐へ向かいます。
阿南市・長生、田植え中 JR牟岐線・新野駅 JR牟岐線・国道55−県道200間 高規格道・牟岐線の下をくぐる
 折角なので、県道294号線へと進み、大浜海岸経由で日和佐川河口から遡ることにします。写真:下左は、県道294号線・日和佐中学校付近から見た北河内谷川。日和佐川本流とこのすぐ下流で合流します(下記)。写真:下右上は、北河内谷川の上流・北河内付近。撮影は2008年4月。狭い棚田も美しく田植えが成されていたのですが、残念ながら今は耕作放棄地となり荒れ果てています。下右下は、写真:上右端の少し上流左岸です。土手沿いの道は余分なものがなく素敵です。撮影は2020年11月

北河内谷川上流・旧国道55号線沿い

北河内谷川沿いの道
 さて、大浜海岸に出てきました。右手に進むと日和佐漁港となる日和佐川河口です。写真:下右、河口の左岸が今回の日和佐川を遡るスタート地点です。2000年に行われた第一回日和佐うみがめトライアスロンのスイムでは、大浜海岸の波が高かったため、急遽日和佐川を厄除け橋の手前まで遡って折り返すコースとなったことも懐かしい思い出です。ちょうど写真に写っているところがコースでした。

日和佐河口 漁港入り口

大浜海岸
 いつもは厄除け橋を渡って右岸へ進むのですが、この日はできるだけ川沿いをということで、左岸を進みます。写真:下左は厄除け橋のすぐ上流。四国霊場第23番札所・薬王寺が奥に見えています。そのまま少し進むと上述の北河内谷川(右手へ)との合流部。JR牟岐線の鉄橋が見える右奥がこれから遡っていく日和佐川本流です。川向うに見える日和佐中学校の裏手を回っていきます。
 日和佐川下流の左岸にある水田でも、ちょうど田植えの最中でした(写真:下右)。この日、それ以前に降雨が少なかったため、普段でも伏流していることが多い下流域では、さらに川底の干上がりが広がっていました。写真:下左、伏流してきた川水が手前に出てきています。右奥はこれから裾野を回っていく玉厨子山です。
 まとまった雨があった少し後なら、多少なりと水量もあって見映えも随分と異なるはずです。左岸の道に沿って幅70pほどの水路があるのですが、こちらは凄く透明度の高い水が流れています。徳島市内や以前住んでいた羽ノ浦付近では農業用水としての水路は冬場は水が流されていないのですが、ここは真冬でも清冽な水が途絶えることなく流れています。水源は何処なのか、またいつも途中で見失ってしまうのですが最後は何処へ続いているのか、機会があれば探索してみます。柳瀬橋を渡って、県道36号線に。

透明度抜群の水路

柳瀬橋
 そこから山河内谷川の合流部までは、日和佐川の右岸を県道36号線で遡ります。が、杉などの木々が繁っていて、川面を見渡せる場所がほとんどありません。玉厨子山登り口である原ヶ野地区へ渡る原ヶ野橋の少し上流に、小さな潜水橋があります。夏場で木々の葉が繁ると見えなくなりそうです。写真:下右、奥は玉厨子山です。この少し上流にある通称くじら岩という付近が川遊びの場としては有名らしいですが、県道36号線からは見ることができません。

見逃しそうな潜水橋

玉厨子山登り口の原ヶ野地区
 日和佐川が山河内谷川と合流する所には水田が広がっていて、ここでも田植えが始まっていました(写真:下左)。日和佐川は、この付近で背後に見える玉厨子山の裾野を回るような恰好で流れています。写真:下右上の道を直進すると国道55号線に出るのですが、牟岐−日和佐間は長く狭く交通量の多い日和佐トンネルを回避するため、いつもこの道を通っています。この道を走りながら、野田さんは何処に住んでいるのだろう、何処かで出会わないかななどと思うことが密かな楽しみだったのですが・・・。

県道36号線通りに右折

直進すると山河内谷川
 山河内谷川と別れると、日和佐川は北に向かって進んでいくと思い込んでいたのですが、地形図を再確認すると西から流れてきているというのが正解です。しばらくは完全に伏流してしまっているところもあるのですが、上流に向かうにつれ次第と流れが連続するようになってきます。
 写真:下左2枚のように、ちょっとした渕もあります。が、水の透明度はあるものの、まとまった雨が降っていないので川底の石には茶色くて、川の美しさを損なっているように思えます。が、きっと野田さんならそんなことはあまり関係がないのでしょう。
 川幅と谷は狭くなったり、また少し広がったりしながら上流へ。吉野川可動堰の住民投票の時にも、いろいろと関与さえていた野田さん。ダム建設には反対の方だったと思います。さて、日和佐川にダムはあったかなと思いながら進んでみると、やはりいくつかありました。砂防ダムっぽいものですが、ほとんどが高さは15mもないように見えるので、堰と呼ぶのが正しいのかも。
    
 今回は川の話がメインですが、当然走っていくのは道。日和佐川中流域では、県道36号線は下の写真のような感じです。初めて走ったのは、おそらく上那賀で仕事をしていた1993年のことだと思います。今回の逆走で、日和佐から赤松越で戻った記憶です。この日、県道36号線に入って大越の峠まで出会ったのは、中型のダンプ1台と木を満載した中型トラック2台のみ。交通量も少なくて走りやすいのですが、県南ではありふれた道(周囲の情景も含めて)です。ひとつ南の霧越峠のある国道193号線に沿う海川谷東俣・海部川のほうが私にとってはより好みなので、県道36号線を走る機会は少な目です。徳島県南に位置するのですが、霧越峠同様冬場には積雪や凍結の怖れもあり、走ることができる期間も限られたり、台風などで通行止めとなることも多い道です。
 途中、3ヶ所ほどの川幅が広がるところには、平地も少しあって田畑と民家が見られます。下の写真、写っていませんが、道沿いには2、3軒の民家と小さな田がありました。川底の石は吉野川の青石と異なり、南の野根川や高知の奈半利川や安田川にも似た白っぽく茶色の混ざる色です。
 下の3枚は、日和佐川沿いの最終集落・大越地区での光景。川沿いの狭い場所を利用して水田が設けられています。ここはまだ水が張られていませんでした。対岸には、散り始めた桜が満開の名残を留めています。山肌まで点在する桜も人が植えたのでしょうか、それとも自生?
    
 大越を過ぎると、川幅も狭くなってきます。写真:下左、最初の右コーナーを回る少し手前くらいから勾配が上がってきます。
 日和佐川は眼下へと遠ざかっています。支流に堰がありました。水はきれいなので、人工的ですが渕の碧色は深く澄んでいます。二つ目の右コーナーでは、切り揃えられた木々の姿。先程擦れ違ったトラックの木材は、ここから搬出されていたようです。
    
 大分登ってきたなあと思いましたが、下左端は二つ目の右コーナーから進んで標高400mを越えた付近。川面が見えた最後の場所です。左から2枚目は3つめの右コーナー。奥の鞍部が峠です。その峠手前から唯一日和佐方面の眺めがあったところ(右から2枚目)は木々が大きくなって、落葉していたにも関わらず見晴しがなくなっていました。ちょうど正午に峠に到着(写真:下右端)。この手前・右手に分岐する道を進むと、林道谷山霧越線です。この日の主目的はこの峠まで。
 その後は適当な道でと、帰路につきます。まずはそのまま県道36号線で旧上那賀まで下ります。谷山地区の最初の民家に出るまでは、植林された杉林の中を蛇行する道を下っていきます。交通量が少ないためか、拳大くらいまでの落石が残っていることが多いのですが、この日はほとんどありませんでした。民家まで出ると、川俣まで古屋川東に沿って下っていきます。川俣からは林道六丁霧越線沿いを流れる古屋川西と合流して古屋谷川となった川に沿って下ります。峠の北側となる那賀町もほとんど交通量がありません。深森集落から下流では随分と道が拡張・直線化されてきましたが、それより上流は30年近く前とほとんど変わりありません。
下って最初の民家・谷山地区 県道36号線 古屋谷川 深森集落
 長安ダム下流(写真:下左)で国道195号線に出て、那賀川に沿って下っていきます。日野谷発電所西側にある日野谷橋、これまでずっと杉木立の間からチラリと見える程度だったのですが、川沿いの杉が伐採されて全貌がすっきりと見渡せるようになっていました(写真:下中)。そのまま国道を下るのも味気ないので、もみじ川温泉のところで県道292号線へ左折(写真:下右)。
    
 その後は紅葉川に沿う県道292号線を遡ります。途中で右折して鷲敷方面に抜ける県道291号線も好みなのですが、この日は林道杉地臼ヶ谷線で美杉峠を越えて上勝に下ることにしました。なんとか美杉峠まで登りきると、勝浦川本流に出る月ヶ谷温泉まではもちろん、その後もほとんど下りです。
 右  林道杉地臼ヶ谷線・美杉峠
 左上 県道292号線と紅葉川
 上  相明付近の民家
 右  正木ダム湖

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