県道36号線(日和佐上那賀線) 六丁轟林道 (付:玉厨子山)
 六丁轟林道を初めて走ったのは、1993年のことでした。その一週間前に走ってきたという勤務先の職員から、通行止めのところは無かったとの情報を得ていました。ところが、いざ走ってみると、ほぼ中間地点で山腹大崩落のために200mほどにわたって道が完全に分断されていました。急な斜面となった崩落現場を恐る恐る担いで通り抜けた思い出が強烈です。当時は全線地道でした。その10年後、道は全線舗装になっていました。それから、また10年、久しぶりに県道36号線・大越峠や六丁轟林道などを走ってきました。1993年当時全面崩落してコンクリートで補強されつつあった場所も、今ではすっかり苔生していました。      (2021年 3月10日 更新)

杉木立の中を走る六丁林道
コース  鷲敷−赤松−日和佐−大越−川又−六丁轟林道−霧越峠−上那賀−臼ヶ谷林道−竹ヶ谷−鷲敷
走行距離  一周 約130キロ   積算標高 約2200m
最高地点  大越峠(標高約710m) 霧越峠(標高約750m) 臼ヶ谷峠(標高約630m)
走行日・天候  2014年 2月17日 晴れ GIANT TCR  2007年2月12日 2003年 2月 9日 1993年
 午前9時、道の駅・鷲の里を出発。まずは走り慣れた国道195号線を那賀川に沿って相生まで。相生・川口ダムからは赤松越えで日和佐へ。この県道19号線・阿南鷲敷日和佐線は、初めて走った頃から比べると格段に道が改良されました。トンネルでショートカットされた前後には、迂回する旧道が僅かに残っています。多くの道が改良されると自転車ツーリングにとっては味気ない道となってしまうことが多いのですが、この道は周囲の田園風景がさほど変化していないのと、勾配も緩やかなことに加えて交通量もほとんどなく、道が改良された今でも魅力はあまり失われていません。ツーリングとしてはもちろん、高速集団練習も可能なのは、毎年の新春走り初めでもみなさんご存知の通り。

県道19号線、相生・雄 付近にて

県道36号線、玉厨子山を後方に
 日和佐まで25kmほど、ちょうど1時間。今度は県道36号線で日和佐川に沿って、旧上那賀方面へと向かいます。日和佐川は有名なカヌーイスト・野田知祐さんが住んでいるので、いつも気になっているのですが、この日も水量は少なく私の目にはあまり魅力的には見えませんでした。6kmほど進んだところで県道に沿って右折。ちょうど玉厨子山(下記)を右手に見上げながら回るように進みます。序盤こそ勾配も緩やかですが、最後の民家を過ぎた辺りから勾配は次第に増してきます。

県道36号線、杉林

日和佐川
 道は途中から旧道然とした細い一車線になりますが、それ故いい雰囲気です。時折、よく間伐された杉林木立があるかと思えば、暖帯常緑樹林が繁る部分が続いたり、また横を流れる日和佐川は水量が少ないと上述しましたが、意外とかなり上流まで水量が保たれていました。伏流してしまうところもありましたが、所々に存在する渕では、海部川・玉笠川を思わせる宝石のような青碧の輝きを見せてくれました。そうそう、川原の石は、吉野川と異なり野根川や奈半利川のようなやや黒っぽい色調でした。

県道36号線、稜線付近が峠

県道36号線、次第に谷も深く
 日和佐側から峠までは、あまり勾配はなく距離もさほどないと思っていたのですが、後半は結構急勾配なところもあり、またもうすぐと思っていた峠まで随分距離がありました。南側の展望はあまりない記憶でしたが、峠手前からは日和佐方面の展望(絶景というほどではありませんが)が広がっていました。漸く峠に到着したのは、11時半。日和佐からちょうど25km、ここまで出会ったクルマは皆無でした。

県道36号線、峠手前から東方面へ 海が見える

県道36号線・峠、右手は六丁方面・行き止まり
 峠で補給休憩。危うくハンガーノックに陥るところでした。峠から西へ向けて伸びる林道は、将来は六丁轟林道と繋がるのかと思いますが、2007年時時も2013年現在もまだ行き止まりの表示(林道谷山霧越線として開通、2020年4月に走行)。峠から少し下ったところから、北西方向に剣山山系と思われる冠雪の山々が垣間見えました。

県道36号線、峠少し北から北東、剣山山系

古屋川東
 峠から旧上那賀・谷山までも、思っていた以上の下りでした。この日、日差しは暖かでしたが冷え込んでおり、木陰の多い下り坂は結構冷え込みました。谷山・川又では、数軒の家が以前同様しっかりと生活を営んでいました。六丁轟林道の分岐部・川又には、ちょうど正午に到着。分岐点は記憶に残っていた通りでした。小さいですが、六丁轟林道の表示もありました。
 ここからは、ちょうど10年振りです。記憶では前半緩やかに登って、最後に山肌斜面をつづら折れに登る印象だったのですが、今回走ってみると、前半から所々で短いながらもややきつい勾配個所もあり、また何度かアップダウンもありました。全く記憶というものは、いい加減で当てになりません。

左手・日和佐方面へ、 右手・六丁轟林道

古屋川西を遡る
 六丁轟林道は、まさに林業のための道と思われます。両側には植林された杉林が続きます。そこそこ整備が行き届いていて、また木を切り出しているところも何ヶ所かありました。横を流れる那賀川支流・古屋川西は、1993年当時勤務先の人に連れられてアメゴ釣りに来たことがあります。時々川を覗き込みましたが、水量は少なめ。当時の記憶は、全く回想することができませんでした。
 記憶と異なる前半同様、後半は逆に記憶ほど登ることなく稜線に到着。ここからは東方向へ林道谷山霧越線の表示がありますが、谷山の何処に繋がっているのでしょうか(ウォッ地図で確認したところ、未だ不通のようです 追加・2020年4月に開通していて走破)。この地点から少し霧越峠方面に進んだところから、太平洋が見えるポイントがあります。

この先も行き止まり、いつかは県道36号線・峠と繋がる?

六丁轟林道から東方面
 霧越峠には13時に到着。海川まで国道193号線を下ります。この道はもちろんですが、川沿いの道はやはり川に沿って登るのに限ります。昼過ぎでしたが、下りは寒く、路面は適度に荒れていて、また小さなカーブも多いので、那賀川支流・海川谷川東俣の流れもゆっくり楽しむことができません。時折立ち止まって覗き込んでみたものの、曇り加減だったので、川面も暗く鮮やかさに欠けました。結局、日和佐から海川までの約65kmの間、工事と狩猟で山に入っていた数名の方を除くと出会った車は2台のみでした。

長安口ダム湖

杉地臼ヶ谷林道から旧上那賀方面
 海川から十二弟子トンネルを抜けると、ここも初めて通った頃には考えられないほど整備された国道193号線を一気に下って平谷へ。長安口ダム湖畔を走って、旧上那賀からは、迷った末(14時15分)に杉地臼ヶ谷林道へと進みました。
 ここは2回目。1993年、まだ開通してなかったこの道を途中までよく登っていました(当時の職場がすぐ近くだったので)。民家のある前半は急勾配です。数軒の家は、いずれもまだ人が住んでおり、よく手入れがなされていました。コンクリート舗装とアスファルト舗装が繰り返すこの道で、この日初めて汗をかきました。後半部分は一度だけしか走っていないので、記憶が曖昧でした。民家を過ぎると180度右に折り返し、山肌に沿って左に180度、さらに緩く左に回りながら、最後は右手に180度近く折れて、まだ暫く登りが続きました。展望はないと思っていたのですが、途中上那賀方面を見下ろせるところがありました。結局峠まで標高差450m。ゆっくり走って、所用時間45分。

杉地臼ヶ谷林道・峠

左手・竹ヶ谷へ、右手・西納へ
 峠自体は全く展望がありません。相生側へ少し下ったところに、西納方面と竹ヶ谷方面への分岐。前回は西納方面へ向かいましたが(竹ヶ谷方面通行止めだったため)、今回は竹ヶ谷方面へと下りました。ここ急なコンクリート舗装です。谷に向かって下るので、展望は一切なし。
 かなり下ってアメゴ養殖で有名な淡水荘まで下ってくると、すぐそばには小さいながらも整備された棚田がありました。その後は那賀川支流・紅葉川に沿って西納に下り、県道291号線で鷲敷へと向かいました。ここでも、平野を過ぎたところで左手に折れ、これまた初めての四方見坂トンネルを越える道へと進んでみました。

西納付近の山村風景

四方見坂トンネル
 今回のコース、これと言った大きな見所はないかと思います。しかし、横を流れる川はいずれもなかなか侮りがたいものばかり。コース取りから全てが遡るコースと言うわけには行かないのが残念ですが、ツーリングとしては十分に楽しめるコースです。また全長130kmほどで、いわゆる交差点の信号は3ヶ所のみ。交通量も非常に少ないので、練習コースとしても魅力的と思います(下りはスピードが出せませんが)。ただ、県南とはいえ、冬場は結構冷え込む&補給地点があまりないことにご注意を。夏場には、マムシにも注意が必要のようです。


玉厨子山  2007年 2月12日
 玉厨子山は、四国霊場23番札所・薬王寺で有名な日和佐町の町内から日和佐川を5kmほど遡ったところに入り口があります。1998年、1999年と旧牟岐町で勤務していた時、早朝に牟岐から日和佐まで国道55号線を北上し、山河内から県道36号線方面に入るコースを時々走っていました(帰路は南阿波サンライン)。その時県道36号線から左手に見上げるように玉厨子山が聳えているのを見ながら走っていたのですが、当時はその名前も知りませんでした。頂上に電波塔が見えるので、きっと自転車でも登れる道がついているだろう、山頂からの眺めも良いかもしれないと思っていたのですが、それきりになっていました。

県道36号線、分岐部

いきなり地道、荒れてます
 その後、山に登る人々のHP(自転車関連に比較すると遥かに多い)や「徳島145山」鳴門岳友会:著(改訂版「徳島250山」が出ています)で自転車で登れそうな道がついていることを知り、国土地理院地形図などでも確認していました。山頂からの展望はなかなか良好のようです。ということで初めて訪れたのは、2007年2月。その日は事前に大越峠東西の行き止まりダート西側は霧越方面まで開通)などを走っていて、あまり余力がなかったのですが、折角だから&今後いつ機会があるかわからないので玉厨山を目指しました。

鬱蒼と繁る杉林と羊歯類

標高340m付近から、日和佐・大浜
 県道36号線・日和佐町から5km弱のところ、原ヶ野という集落付近に小さな表示板があります。ここを北へ、日和佐川を渡り、集落を過ぎると、いきなり急勾配の荒れた地道となりました。当日、拡大地図を持っていなかったので、本当にこの道で正しいのだろうか、と随分迷いました。冬場だと言うのに薄暗い杉林と羊歯が鬱蒼と繁っており、道には大小の小石が散乱していました。
 1kmほど進むと左手には小さな小川。海にも近く、走行前にはあまり雨量もなかった記憶でしたが、水量があるのは山に元気がある証拠でしょうか。この流れに沿った区間こそ勾配は緩やかでしたが、流れを離れて270度左折すると、20%くらいのコンクリート舗装となりました。その後、山肌をトラバースする区間になると、再び荒れた地道となりました。。

山頂から剣山方面

2007年2月時の路面状態
 時折、日和佐方面の展望が広がります。日和佐方面の展望は、山頂よりもこの標高340m付近のほうが良かったです。結局、山頂までずっとこんな道が続きましたが、2012年後半の時点では舗装区間が増えているようです。県道36号線の分岐部の案内板には「山頂まで徒歩100分」とありました。自転車なら半分の50分でいけるかな、と思っていましたが、結果的には70分かかりました。標高差約500m、距離7kmほどでした。山頂は乱立する電波塔と木々で、期待したほどの展望はなく、山頂を示す小さな標高530mという碑があっただけでした

玉厨子山 2021  2021年 2月20日
 上述の初訪から14年。登り始めの分岐・県道36号線はその後幾度となく走っているのに、ほとんどがロードバイクで訪れていたので、いつか再訪しようと思いながら、なかなか足が向かないままでした。今回は日和佐から南阿波サンラインで牟岐、さらに海南からやれやれ峠を越えて、一度県道36号線を経由する土佐街道で日和佐で戻った後、シクロクロスに乗り換えて玉厨子山へと向かいました。
 2007年時にあった玉厨子山への分岐部・県道36号線脇の「玉厨子山」の標識は、いつの間にかなくなっていました。写真:左は、分岐してすぐ。日和佐川を渡る原ヶ野橋から上流方向です。玉厨子山山頂は写真の斜め右上に切れています。確か、この付近では山頂の電波塔が見えなくなってしまいます。10軒ほどある原ヶ野の集落を抜けると、道は上り坂となります。
 随分前に何処かのHPで舗装されたみたいな記事を読んだ記憶があったのですが、もう一度その記事に辿り着くことができません。もう完全に舗装されているのかと思いながら進むと、コンクリート舗装からまもなく以前通りの荒れた未舗装路となりました。
 前回はMTBでしたが、シクロクロス車ならさほど問題はありません。しかし、ロードバイクでは無理でしょう。ロードバイクのまま進まなくて良かった。
 周囲は、下の写真のように、まずは植林された杉林が続きます。勾配はそこそこ。前回はMTBでもきつかった印象が残っていたので、体力の衰えた今回はもっと堪えるだろうと思って臨んだのですが、ちょっと意外でした(前半は)。進んでいくと、道幅一杯に下って来るハイエース。道に工事区間もなかったので、おそらく山頂にある電波塔の関係者だったのかもしれません。
 荒れた路面と杉が多く繁る道両側の様相は前回の記憶通りでしたが、道の横にはそこそこの水量が保たれた谷川が続いていることは、全く記憶から飛んでいました。上記を確認するとちゃんと記載しているのですが、そんなことも忘れるくらい荒れた道の印象が強烈だったのでしょう。1本道なのに、何処かで間違ったのかと不安になったくらいです。走行前に、それほどの降雨があった記憶もないのですが、時々は道と高低差がほとんどないくらいの位置になったりしながら、海に近くそんなに深くもない山の谷なのに、その水量には驚きました。残念ながら、うまく川面が見えるところがあまりありません。写真:下右のように少し谷川が覗いても、日向と日陰のコントラストが強すぎて思うような写真が撮れません。
 そんな荒れた未舗装道を2q弱走ったところに林道玉厨子伊儀谷線・起点の標示がありました(写真:下左)。そこからは、比較的新しく見えるアスファルト舗装となりました。沢沿いの道がしばらく続くのですが、勾配は増してきます。このあたりで、何枚か写真を撮っておくべきでした。せっかくの雰囲気が伝わりません。あまり発育の良くない杉林の中を谷川と共に、道は登っていきます。
 林道玉厨子伊儀谷線の標示を見つけていたものの、谷川が流れている記憶がなかったことと、山頂に至る林道名が本当にこの道で正しいのか、登りながらも、ずっと不安なままでした。しかも、勾配はどんどんきつくなってきます。以前のままの未舗装路なら、途中で挫折していたこと間違いなしです。
 舗装路になんとか助けられながら進んだところ、やっと記憶のなる南斜面をトラバースする区間に入ってきました。勾配も少し緩くなってきました。記憶通り、山側の斜面にはシダ類が繁茂しており、杉木立より雑木が目立つようになってきました。
 これも記憶通り、2か所ほど木々の間から日和佐の町方面が見えるところがありました。写真:左、海に面したところが日和佐の町の一部。県道36号線は手前の水田の右手を走っているのですが、最近原ヶ野のすぐ下流にある馬木という集落への橋を渡って、日和佐川の左岸を走ることが多いです。道の左手には、冬でも澄んだ水を絶やさない用水路が設けられています。
 余談ですが、日和佐川も少し雨が降らないと干上がって伏流しているところが多く見られます。写真の水田の辺りでも同様。日和佐川沿いの土佐街道や大越に向かう県道36号線を走る時は、雨が降った少し後が川の水量が増えていいように思えます。
 緩やかなままなら良かったのですが、勾配は再び増してきました。おそらく10%以上。唯一、北側の展望がチラリと開けたのは、勾配がきつくなる前だったでしょうか。体力はもちろん、気力も無くなってきて、記憶がはっきりしません。残念ながら、それほど空気が澄んでいなかったので、遠くの山々までは見えませんでした。前回の山頂から剣山方面としている写真は、ひょっとすると山頂少し手前のこのポイントで撮影したものかもしれません。
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 山頂手前は再びコンクリート舗装となって、これでもか、というくらいの急勾配。さらに短いながらも再度荒れた未舗装路となりました。電波塔がチラッと見えていたので、もうあと少しだということだけで、なんとか山頂に。写真:下左は、山頂付近から日和佐の町と左手は阿瀬比ノ鼻付近。
 やっとNHKとかNTTだったかの二つ三つある電波塔に到着したものの、周辺をウロウロしても山頂の標示が何処にもありません。おまけに、木々が繁っていて、以前見ることができたはずの剣山方面の展望も全くありません(これは記憶違いかも)。さほど展望はなかったという記憶でしたが、ここまでないとは思っていませんでした。山頂の標示が見つけられなかったので、写真:上右のように、地元の小学生が登山記念に残した標示で一枚。
 写真:右上の標示の一番上に、おそらく玉厨子山山頂と書かれていたように見えますが、朽ちていてわかりません。その横に530m? 実は、いつものようにいい加減な事前チェックで、玉厨子山の標高は400m台だとばかり思っていたのです。地形図では540mと記載されています。おまけに良く見ると、平成18年(2006年)と記されています。前回走った2007年時には、真新しこの記念碑があったのかもしれませんが、これも全く記憶に残っていませんでした。
 おそらく道程は数キロで標高差400m弱と思っていたので、1時間もはかからないだろうと考えていたのですが、原ヶ野橋から山頂までちょうど1時間。元気のあった前回が70分とあるのは、全線荒れた未舗装路だったためと思われます。
 展望もないので、早々に下り始めます。多少の落石はありますが、やはり舗装路の下りは快適です。未舗装路区間も注意して、登り時は余裕がなくて撮らなかった写真も、左のように撮ってみたりしながら下りました。
 山頂からの眺めが全くなかったので、もう一度訪れることがあるかどうか、現時点ではあまり前向きでなないです。ただ、前半の谷川併走の部分は、もう少しじっくり眺めながら登ってみたい気はします。

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