信州 2019  −1日目−
 ゴールデンウィーク4連休、初日おにゅう峠、2日目能登半島の基部と北陸地方を走った後、3日目は信州に移動しました。目的は、1979年に糸魚川から松本に向かって走った時に信濃森上付近から見た北アルプスの姿をもう一度見ること。初めて見た冠雪の北アルプスの山々、それはもう神々しいほどに思えたものです。果たして、もう一度あの感動を味わうことができるのか、そして同行のすーさんにも満足していただけるのか、ちょっと不安もありましたが。(2018年06月15日記)

信濃森上付近にて、北アルプスを眺める
コース   小谷−白馬−嶺方峠−鬼無里−小川アルプスライン−小川−木崎湖−白馬−小谷
走行距離   90キロ   積算標高 約1600m
最高地点   嶺方峠 標高1100m
走行日・天候   2019年 5月 5日  天候:快晴   FELT F1
 この日も快晴です。前日に続いて能登半島を走ることも多少考えましたが、折角なので当初の予定通り信州へと移動です。午前7時過ぎに、富山から高速道路で糸魚川へ。途中、立山連峰の雪山が迫って来ます。助手席のすーさんが早くも歓声を挙げています。高速道路だとスピードが速いので、どんどん情景が変わっていきます。もう一番いいところが過ぎてしまった入善PAで一時停車して雪山鑑賞(写真:下4枚)。
 富山・新潟県境の親不知付近はトンネルの連続です。ここも1980年のゴールデンウィークに直江津から富山へと走ったところです。もちろん高速道路はない時代で、国道8号線を自転車で。もうほとんど記憶が残っていませんが。糸魚川ICからは国道148号線。この道も自転車で走っているのですが、さすがに40年も前となるとほとんど記憶がありません。こんなにトンネル(スノーシェード含む)が多かったかなあ。おそらく随所で道が新しくなっているのでしょう。
 スタートは小谷村役場としました(写真:下左端)。ここをスタート地点に選んだのは、適当な駐車場があったこと以上に、ここから少し進んで、手前の山を回ったところで突然現れる北アルプスの大展望をすーさんに味わっていただきたかったことと、ひょっとしたら帰路輪行を考えたこともあってでした。
 姫川に沿って走る国道148号線は、そこそこの交通量あります(写真:下中2枚)。ちょうど信濃森上の少し手前で、二人のサイクリストが横道から出てきました。確認すると、ちゃんと道が通じているようだったので、これ幸いと交通量の少なそうな裏道へ進みます。姫川第二ダムを回り込んで、少し進んだところから写したのがトップの写真です。
 上述のように、糸魚川から走ってきて、突然水が張られたばかりの田園の向こうに雪山の連なりを見た時の感動は未だに忘れることができません。が、今回も期待を裏切られることは全くありませんでした。すーさんも大歓声。上記の入善や糸魚川から道中、こんなものじゃないですよ、とすーさんに吹き込んできましたが、大法螺吹きにならなくて良かった。道は多少変わっていても、この光景は全く変わっておらず、40年前の感動と同等以上のものを与えてくれました。
 展望が広がった田園で、すーさんはドローン撮影。その間、私は周辺をウロウロ。近くで初老のご夫婦が三脚を構えていたので、並走している大糸線に列車がやってくるのかなと思っていたら、その通り。小谷方面からの列車が通過していきました(写真:上)。
 山をズームアップしてみると、また圧巻です。スキー場のリフトも確認できます。知識がないのではっきりしませんが、唐松岳方面でしょうか。きっと、稜線付近は魔物の住む別世界なのでしょう。麓の標高は600mほど。稜線は3000m弱なので、軽く2000m以上の標高差。四国では絶対に見ることができない光景です。
 標高が上がるためか、ここもまだ桜が咲いていました。写真がありませんが、畦にはシバザクラも満開で、そのピンク色が一際鮮やかでした。ちょうど何かの祭りをやっているようで、この道を太鼓を積んだ軽四とその周囲に大勢の人が集まって練り歩いていました。信濃森上駅を横目に、先へ進みます。前日の富山湾を隔てた雪の立山連峰の光景も素晴らしかったのですが、間近に見る雪山は、また異なった魅力を持って迫ってきます。国道の裏道を進んで、こちらは支流とばかり思っていた・おそらく本流らしい姫川を渡るところで国道に復帰しました(写真:下右)。期待通りだった光景の余韻に浸りながら、少しばかり南へと進んだところで国道406号線へと左折、この日2つ目の目的地・嶺方峠(トンネル)へ向かいます。 
 国道406号線を少し進んだ峠への登り始めで、クルマ渋滞です。えっ、こんなところでと驚いたら、すぐ先に何か観光施設があって、そこの駐車場渋滞でした。そこを過ぎると、交通量はぐっと減りました。桜の花吹雪や芽吹き始めたばかりの爽やかなカラマツ林の中を走っていきます(写真:下左2枚)。勾配は、きついと感じるほどではありません。しばらく走ると、先程麓から眺めていた北アルプスが、手前の山の向こうに見えてきました(写真:下右から2枚目)。この道も1980年のゴールデンウィークに同じ方向で走っているのですが、峠(トンネル)以外は、ほとんど記憶に残っていません。道の勾配や周囲の状況はもちろん、途中でこんな風に北アルプスが見えた記憶も、全く記憶が残っていません。なので、峠付近まで道周囲は木々ばかりで、遠望はなかったとばかり思っていました。標高が上がってくると、まだ新芽を出していない木々が目立ってきました(写真:下右端)。
 さらに登ると、木々の向こうに北アルプスが見えてきました。相変わらず交通量は少なく、クルマは時に通る程度なので、ふたりで道を独占です。麓の平地まで見渡せるポイントもありました(写真:下右)。こんな光景も記憶には全くありません。前年・信濃森上付近からの眺めに魅せられて、柳の下の二匹目を狙い、翌1980年もやってきたのですが、少し天候に恵まれなかったため北アルプスの全容が見えなかったのかもしれません。それだけに、この道がこんな風に北アルプスを眺めながら登れるとは、予想・予定外の有難い展開でした。山や林を越えて見える北アルプスもいいですが、こんな風に麓から見えると高度感や壮大さがより増すように思えます。写真:下左、これでコンクリート塀とガードレールがなければ、ヨーロッパアルプスと言っても誤魔化せそう。
 そんな風に、ここでも北アルプスの景観を楽しみながら、嶺方峠に到着。峠の標高は1090mですが、登り口の標高がほぼ700mあるので標高差400m程度の登りでした。下の2枚は、峠(トンネル)のすぐ手前から西へ向けて撮ったものです。雑多な道路標示が、ちょっと目障りです。
 峠・トンネル西口には、クルマが4台くらい停められるスペースがありましたが、これも記憶には残っていないことでした。クルマでやってくる人も、ここからの眺めを知っているのでしょう、狭いスペースには入れ替わり立ち代わりクルマが出入りしていました。
 嶺方峠は、1980年当時でも自転車乗りの間で有名なところでした。鬼無里側から走って来てトンネルを抜けると、写真:左のように突然雪山の大展望が広がるからでしょう。当時は、現在のような角型ではなく丸い出口でした。角型になって趣が減った、との自転車乗りの感想を、以前何処かで読んだ記憶がありますが、確かにそうかもしれません。
 峠には、二人の自転車乗りが先着していたのですが、すーさんがドローンを飛ばして、そこそこの時間滞在した私達が再スタートする際もまだ出発せずにいました。よほどこの光景が気に入ったのでしょう。

 対照的に、トンネルの東側は展望が全くありません。ここから鬼無里の中心部まで約15qの下りです。時折見かける民家は、穏やかな快晴の下の影響もあるのでしょうが、何処も落ち着いた佇まいの光景です(写真:下左2枚)。
 下っていく途中、登って来るMTBでツーリング中の西洋人カップルと出会いましたが、暑いというほどでもなかったのに女性はタンクトップに短パン。もうひとり、ゆっくり登って来られたロードバイクの男性。彼の笑顔が最高でした。心から自転車で走っていることの喜びを、見ているものにも与えるような笑顔。こんな笑顔で走りたいものです。下り切って鬼無里の中心部に到着。ちょうどお昼にだったこともあり、ざるそば大盛で昼食休憩(写真:下右2枚)。ちなみに、白馬からここまでの25qほどの間には、食べ物を扱うお店・コンビニはもちろん、自販機も皆無なので、走る予定の人は補給食に注意が必要です。
 
 1980年は、ここから北・戸隠方面へと走ったのですが、今回は南へ向かいます。県道36号線は初めて走る道です。鬼無里の外れから、いきなり急な登りが始まりました。鬼無里の町は、どんどん下方に遠ざかって行きます。交通量は国道406号線よりさらに少なく、のんびりとというか、スピードが出ないので、ゆっくりと登坂。途中までは、ポツポツある民家の間を蛇行する道を登っていきます。
 白飛びしていますが、嶺方峠の稜線だろうと思わえる山の向こうには、また北アルプスの姿を見ることができました(写真:下2枚)。この道でこんな光景が見られることも、予想していませんでした。うれしい誤算が続きます。この県道36号線、小川アルプスラインと呼ばれるそうです(写真:上右端の表示)。
 勾配は少々きつい(4qで320m上昇)ですが、周りの景色がいいので、気がまぎれます。写真撮影という言い訳で、何度も足つき。北方面へ振り返ると、戸隠方面の山が黒く険しい山肌と稜線を見せていました(写真:下右)。
 県道36号線のピークを越えて少し下ったところに、小川天文台というところがありました。ピーク(峠というより稜線を回り込む最高地点)の北側は山ばかりでしたが、小川天文台の南東側は幾分緩やかな斜面で、開墾された畑の間には民家が点在していました。その光景の写真、撮り忘れ。写真:下左は西南西向き・北アルプス方面を撮影したものです。。
 下る途中に展望台があり、上の写真のように北アルプスの峰々の名前入り図示があったのですが、写真の山が何処なのか、なかなか把握して名指しすることはできません。
 小川天文台に歩いて登ると、外に天体望遠鏡が置かれていて、「太陽観測中、ご自由にご覧下さい」との表示がありました。ちょうど天文台の方がお出でて、黒点やフレアを見せてくれました。北アルプスの眺めも下の写真2枚のようにバッチリでしたが、宇宙のスケールは桁違い。いいものを見せていただきました。
 
 下の写真は、天文台から南西方面に向けて撮ったものです。白馬付近では見えなかった北アルプスの南部かと思われますが、何という山なのかは知識がなく不明です。上記の展望台は、北から南へ北アルプスのかなりの部分が見えるポイントでしたが、午後の時間となって鮮明さが少し落ちてきたように思われました。
 写真:下の2枚は、南からやや東方面へ向いて撮ったもの。下左、奥のぼんやりと見える冠雪の頂きは蓼科山だそうです(天文台の人の話)。下右は、美ヶ原方面と思われます。
 天文台付近のピークから坂道を一気に下ると、小川村の中心部手前で県道31号線に右折します。この道は長野オリンピックの時に整備されたそうで、オリンピック道路とも呼ばれているそうです。広い立派な2車線道路ですが、交通量が多く、旧道を直線化したと思われる箇所がここかしこに見られました。トンネル部分では、旧道を進みました。クルマが多くて写真がありません。道沿いの道の駅・ぽかぽかランド美麻で休憩。
 その少し先で、白馬へ直接向かう県道33号線を走るか木崎湖方面へ回り道する県道324号線(写真:下2枚)を走るか、すーさんと相談の上、後者を選択。天文台の方の話では、県道33号線は北アルプスをずっと正面に見ながら走れるがクルマが多いとのこと、県道324号線についてはあまり詳細をご存じないようでした。で、県道324号線に進んだところ、鄙びた旧道で、クルマがほとんど通らず、非常にいい感じだったのですが、如何せん急勾配の連続。2.5qで250mの登りだったのできつい筈。途中で、道の駅で先発した二人の自転車乗りに追いついて、きついですねえと話ながら前後して登りました。
 ピークを越えると左手にスキーをしない私でも名前は知っているヤナバ国際スキー場跡がありました。北西方向には木崎湖の向こうに白馬方面の北アルプスの姿(写真:下左)。登り道はきつかったですが、ご褒美は待っていました。雪山が白飛びしているのが残念ですが、肉眼ではもう少しくっきり見えていました。
 下り切って、その木崎湖西湖岸を半周しました。ここにも閉鎖したスキー場跡がありました。私はスキーをほんの少ししたことがあるだけですが、盛況だった頃のスキー場を知る人にとっては、時代の流れを感じる光景でしょう。季節柄でしょうか、スキー場以外も何処も閑散としていました。
 木崎湖からは、国道148号線の東側を並走する道を走って、途中から県道33号線に入って白馬へ向かいました。やや強めの向い風に閉口しましたが、すーさんが頑張って先導してくれました。交通量が少し増えて、前方に白馬方面の北アルプスが見えることは、天文台の方の情報通りでした。写真:下2枚は、クルマの来ない時を狙って撮影。
 国道148号線とクロスするところで、そのまま直進して、国道を避けて山側の道へ進みました。ギアチェンジの際にバチンと音がして、いきなりトップギアに落ちたのは、ちょうど写真:下左の付近。ありゃ、後変速機ワイヤ−が切れてしまいました。長いこと自転車に乗っていますが、初めての経験です。この日の走行は残り僅かだったので、とりあえず、インナーXトップで最後まで凌ぎました。
上   ジャンプ台
左   白馬山側の道
右上 斜光の稜線
右   姫川
 翌一日、山道しか予定を考えていなかったので、どうしたものか。なんとかデポ地に辿り着いて、宿泊地の松本までの途中にモンベルがあったので電話で問い合わせてみましたが、変速ワイヤーは単品で扱っていないとのこと。まあ、明日のことは、また明日考えようとクルマで松本まで移動。宿で汗を流した後は、3日連続のたんぱく質補給という名目の宴会で、ワイヤ−のことも忘れてしまいました。

 −2日目−
 

霧ヶ峰付近にて
コース   扉峠−和田峠−霧ヶ峰 美ヶ原ビーナスライン往復
走行距離   35キロ   積算標高 800m
最高地点   扉峠少し南  標高1700m 
走行日・天候   2019年  5月 6日   天候:快晴   FELT F1
 明けて5月6日、4連休最終日。この日、天気は午後から下り坂の予報でしたが、朝は快晴です。
 午前7時、駐車場の屋上からは、前日にも増して北アルプスがくっきり見えます(写真:左)。左は常念岳でしょうか。逸る気持ちを抑えながら出発します。向かったのは扉峠です。しかし、行く先を見ると美ヶ原方面の稜線は雲の中。途中で、光城山方面がいいかと少しばかり迷いましたが、デポ地を検索していなかったこともあり、そのまま扉峠へと向かいました。
 幸い、扉峠に到着する頃には稜線付近も晴れてきました。扉峠を初めて訪れたのは、1979年夏のことですから、今からもう40年も前。当時、ビーナスラインはまだ美ヶ原まで通じていなくて、扉峠で行き止まりでした。しかも確か和田峠からは未舗装部分もあったような記憶です。今回は、扉峠までクルマで登って、美ヶ原方面と霧ヶ峰方面まで、それぞれ往復が当初の予定でした。ところが、前日のワイヤートラブル。結局、そのままスタート地点で後変速機の調整ネジでトップから3枚目(14T)固定で走ることにしたので、どちらか一方だけとしました。
 デポ地に到着した時点では、美ヶ原方面はまだ雲の中。そちらの往路は結構きつい登りだった記憶(2005年頃・ツールド美ヶ原の前日に走っている)です。復路は良いものの、固定ギアで登り切れるか非常に疑問だったこともあり、結局霧ヶ峰方面に向かうことを選択しました。結果的にいうと、こちらもそこそこのアップダウンがあって、積算標高は800mありました。まずは、走り始めてすぐのところで、下の写真の光景に出くわしました。手前の稜線の奥に、おそらく穂高付近と思われる峰が見えます。
 その光景に気を良くしたものの、その後は予想外のアップダウンに閉口しながら、ゆっくりと進みます。意外と登ったら、今度は和田峠に向けて結構下ります。道路脇にある標高表示は、1700m(写真:下中上)。四国で普通に自転車に乗って走れる一番高い瓶ヶ森の駐車場付近とほぼ同じです。道脇には、時折残雪も見られました。
 和田峠からは、再び登り坂です。しばらく走ると、右手の展望が変わってきました。北アルプスの姿は見えなくなって、岡谷市街と諏訪湖が見えてきました(写真:下左)。八島湿原付近になると、道周辺は高原状となってきました(写真:下右)。標高1600m前後とは思えない広がりです。どの写真にも車両が写っていませんが、沢山のオートバイが結構飛ばして走り回っているのが喧しいのと危なっかしくて嫌でした。クルマもそこそこ通っています。大多数は紳士的な走りでしたが、2台ほど暴走しているクルマがいました。
 カラマツ林は、まだまだ冬の様相でしたが、2週間もすれば随分と様変わりしていることでしょう(写真:下左)。下右の写真は、霧ヶ峰付近手前。霧ヶ峰から先は、2013年にすーさんと走っています。初訪は上述の1979年です。この時は、松原湖から麦草峠を越えて、ビーナスラインへ入り、扉峠まで。そこから松本へと下りました。走れる力があるうちに、もう一度ビーナスライン全線を通して走ってみたいものです。今回は、前回デポ地だった霧ヶ峰の駐車場・霧の駅で折り返しです。
 写真:下左は復路・八島湿原付近、下右は八島湿原〜和田峠間でのもの。後者では、前方に美ヶ原方面、そして左奥には北アルプスが見える魅力的な光景だったのですが、道脇の雑木林が何処までも続いていて北アルプスを目線から隠してしまい、上手く全体を見渡せる写真が撮れませんでした。
 和田峠を越えて、最後の登り。34X14固定では、10%の坂はさすがにきついです。なんとか登り切って、今回のコースで一番標高の高い三峰茶屋から美ヶ原をバックに撮ったのが、下右の写真。ここからは、振り返ると走ってきた霧ヶ峰方面へのビーナスライン、北東方向には広い裾野を持つ浅間山を見ることができましたが、少し靄っていて、もうひとつすっきりしませんでした。デポ地の扉峠に戻ってきたのは、まだお昼前でしたが、4日間北陸と信州を十二分に満喫したのと、その後の長い帰路も考えて、ここで終了としました。
 それにしても、すーさんとのツーリングでは、チェンが切れたり、フリーにチェンが噛み込んだり、快晴だった天候が雪や強風になったりと、毎回必ず何かトラブルがあります。今回は、3日目の最後まで珍しく何事も起こらないなあと話していたら、後変速機のワイヤ−切れ。しかし、帰路を含めて交通渋滞には一度も遭わず、この程度のトラブル(初日だったら大変でしたが)で終わり、予想以上に立山連峰や北アルプスの景観も望めた最高のツーリングとなりました。

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