ツール・ド・沖縄

出場記録
開催年月日 出場種目 備   考 記  録
タイム 平均速度 成績(着/完走)
2012.11.25 市民レース140km  DNF覚悟のスタート、なんとか完走 4:42:45 29.7km/h 138/214
2011.11.13 市民レース140km  トラブルなしだったのに、昨年より10分速かったのみ 4.51:23 28.2km/h 126/198
2010.11.14 市民レース140km  スローパンク、後ろから10人目で、ギリギリ完走 5:01:25 27.7km/h 177/186
2005.11.13 市民レース120km  辺戸岬から与那までは豪雨、完走率30% 3:28:09 34.6km/h 67/92
2004.11.14 市民レース120km  トップは3:07:10、平均速度38.46km/hr 3:22:19 35.5km/h 39/126

市民レース140km 2012 コース

2012年・・・全くの準備不足、DNF覚悟の出走

レース前日


 前日午前9時、一昨年・昨年同様ま〜し〜さんに自宅近くまで迎えに来ていただき、クルマで高松へ移動。高松空港から沖縄へ。高松空港では、210kmに出場するmasaさんと一緒になり、挨拶&談笑。午前11時30分発で、一路沖縄・那覇へ。期待していた機上から四国・空撮の旅、今年は雲が多くて十分には楽しめなかったのが残念だった。
 2時間弱で那覇着。毎年、到着ロビーでは暑さにムッとするのに、今年は2週間遅れたためか意外と涼しく感じた。レンタカーで名護へ移動。まずホテルに向かい、ま〜し〜さんの郵送していた自転車を受け取り、組み立て。受付会場へ向かい受付の後、ホテルに戻ってチェックイン。
 そして、一昨年・昨年とJINさんプロデュースで大いに盛り上がった前夜祭の場パーラーわかばへ。実はこのパーラーわかばでの前夜祭があまりに楽しいので、オキナワにはレース以上に前夜祭が楽しみで来るのが一番の目的と言ってもいいくらいであった。ところが、今年はJINさんが気合入っているらしく前日100kmスタート地点泊とのことで前夜祭なし。と言う訳で、前夜はま〜し〜さんと二人だけとちょっと寂しかったが、駆けつけたパーラーわかばでは、オリオンビールに美味しい沖縄料理をみんなの分まで食べ過ぎて、ついつい泡盛まで飲み過ぎ。真摯にレースに臨んでいる方には大変失礼かもしれないが、こんな楽しみ方があってもいいのかも、とお赦しを。

レース当日
 
 午前5時50分、ま〜し〜さん3yanaさんと3人でレンタカーで名護を出発。予想外に寒く、まさかとは思いながら持ってきた、レッグ&アームウォーマー、ウィンドブレーカーを着用してちょうどいいくらいだった。
 午前6時40分頃?、オクマ到着。自転車受け取り。まずは、3人で普久川ダム登り口までアップ。帰ってくると、既にスタートの場所取りで自転車多数。ほぼ最後尾に並ぶ。エタップ組のFkngさん6位入賞!)を見つけて挨拶。陽が当たり始めても、なかなか気温が上がらないようで、自転車受け取りと同時にレッグウォーマーとウィンドブレーカーをクルマに置いてきたので、寒さに震えるくらいであった。そのせいか、腰痛と下腿が攣るような嫌な感じ。スタート前から前途多難。

 9時47分頃、スタート。スタート直後はみんな比較的落ち着いていて、後方(200番手くらい)スタートだったが、トンネル入り口までに50番手くらいまでに上がることができた(予想外)。例によってふたつ目の緩いカーブのあるトンネル内では、後方から「ウォー」という喚きが響き渡ったが、落車の音はなし。過去2年間、この与那までの平坦区間でさえ結構きつかったのだが、今年はペースがやや遅かったのか意外と余裕で前に出ることができた。

 しかし、普久川の登りに入ると、例年なんとか付いていける緩斜面区間でさえ既に遅れ始め、あっという間に200人くらいに抜かれた感じ。片道通行制限区間では、混雑で立ち止まるくらいに。その後もさらにどんどん抜かれる一方。エタップ組・Ogwさんに声をかけられたのもその辺りだった記憶。その後少し進んだところで後ろを振り返ったら、後続がいない。ありゃりゃ、もう最後尾か。もう少し登ったところで、前方に昨年エタップ&沖縄でご一緒したFkmさんと思われる人発見。追いついて声をかけると、やはりそうだった。
 抜かれるばかりで抜くはほとんどなく、なんとか普久川の登り終了。山岳賞ポイント手前だったか、応援の人から「先頭から3分少し遅れ」の掛け声。あれっ、こんなに遅いのに一昨年の先頭から4分遅れより速いなんて、やはり今年は先頭のペースが遅いのか。

 下り区間に入ると、ある程度バラけて少人数だったので、苦手な下りも危険を感じずにマイペースで走れた。東海岸北上のアップダウンに入ると、30名ほどの集団形成。1回目の普久川で遅れたメンバーのペースは、速過ぎず遅過ぎず、ちょうどいいくらいだった。Fkmさんもずっと一緒のグループだった。Fkmさん時々先頭に出るなど、調子は良いようだ。この辺りは少し余裕があって、時折見えるオキナワの海の風景をチラッと見て楽しむこともできた。
 奥の登りで、市民210kmのトップ逃げ数名に追い抜かれた。驚くほど速いペースではなかったが、確実に差は開いていった。登り区間では、同じグループ内で先頭近くに出ることになったのは、昨年、一昨年と同じ。下って、西海岸の平坦区間。同じ集団内で43km前後のいいペースで走っていたところ、後方から210kmの大集団が追いついてきた。一気にペースが48km前後にアップ。210km組に遠慮&敬意を払ってか、それともやはり実力か、140km組は大集団後方に陣取る格好で普久川の登り口まで併走。

 普久川、2回目の登り。昨年はここで同じ140km組の集団からも切れたが、今年は同じ集団内で走れた。追い抜くのは100km組ばかり。210km組は少しずつ離れていった。また後方からパラパラと単独で追い抜いていくのも、当然210km組ばかり。先頭集団から遅れていてもやはり速い。峠までの少しの下り区間でも、210km組のスピードが断然速かった。
 頂上近くの補給ポイントで水・ボトルをいただく。(ここ、スポーツ飲料と水、左右に分れればもう少し補給しやすいだろうに)。その前後で右大腿前面に痙攣が起こりそうな気配があったが、なんとか騙し騙し走っていると、その後は起こらなかった。ピークから安波の下りも少人数でマイペース。ほとんど抜かれず、また追い抜けず、結局最高速度は69.9km/hだった(遅い、せめて75km/hくらいじゃないと話にならんね)。

 続いての高江への登り区間。例年のように、この辺りから記憶が曖昧。ここも普久川の2回目の登り同様、追い抜くのは100km組ばかり、追い抜いていくのは210km組、ほぼ同じペースなのは近くを走る140km組数名。後で地図を見ても、なかなかこの辺りのコースが把握できない。緩やかな下りがあったり、また少し登ったりする。地図を見ると海岸から少し離れているだけなのだが、地形のためかコース上からは、ほとんど海を見ることはできない。幸いなことに、一昨年・昨年と異なって、今年は次々と追い抜いていく210km組に便乗したり、平坦の速い100km組の人に便乗したりで、随分と助けられた。下りきっての東村付近の海岸線沿いでも、常に何人かの集団となって単独走を免れたのが、今回の結果の最大の因子だと思う。これまで参加した中で最も天候が安定していた今回、この付近でも脚はいっぱいいっぱいであったが、精神的に余裕があり、海の美しさが多少なりとも楽しめた。

 120kmコースだった頃の源河への分岐部・慶佐次から現在の140kmになっての山越え分岐部までは、小さな登りが2ヶ所あったと記憶していたが、実はもう1ヵ所あった。おまけに最後の峠を越えれば、少し平地を走って内陸へ向うと記憶していたのに、一端海沿いを大きく(たかだか4kmほどだが)回っていた。その最後の登りで追い抜いてきた140km組の3人が、平地区間で追いついてきて「一緒に行きましょう」と声をかけてくれたのだが、平坦では彼らのペースが速く、切れずに着いていくのがギリギリの状態だった。内陸部に向うところで、210km組の数人が追いついてきて一緒になり10名余の集団で最後の羽地ダムの登りへ入った。前方の登り坂途中には、点々と走者が見える。ここまできたら、なんとか完走は大丈夫、後はトラブルないように、最後まで気を抜かずにと言い聞かせ、前方走る人にひとりでも多く追いつくことを目標に登り続けた。
 最初の長い登りで、後方から「や ま さ〜〜〜ん」と声をかけてきたのは、masaさん。1ヶ月前の骨折にも係らず、210km完走だから凄い。いつものように、やや重めのギアでぐい〜っと登っていく。この付近になると、140km組も210km組もさほどペースは変わらなかったが、masaさんのペースは周囲より少し速く、いつの間にか視界から消えていた。なんとか、ダム湖沿い最後の登りもこなして、後は下りのみ。しかし、国道58号線に出る直前は向かい風。ここでも後方から来た人が少しばかり牽いてくれて助かった。

 左折して国道58号線。有難いことに追い風。この片道3車線の広い道、前後に人はいなくなったが、単独でも40km/hを越えるスピードで走ることができた。みんながジャスコ坂と呼んでいる最後の緩い坂。手前からは随分と登っているようにも見えたが、追い風に助けられて、ここもなんとかこなせた。ただ、その付近ではGPSから後3kmと思っていたのに、後5kmの表示を見つけて、ちょっとばかり疲れが出た。が、もう後は楽しんで走れる。前方に140kmの単独走を人を見つけて追いつき、「完走できましたね」と声をかけると、「初めて参加しましたが、いやあ半端なく堪えました」とのこと。話しながら走っていたら、後方から210km組3人ほどに引き連れられた140km組2、3人が追い抜いていった。追いつくこともできたが、後はもうゴールまでを楽しむのみ。それでも少しばかりスピードアップ。
 完走すらも覚束ない、と懸念しながらのスタートであったが、予想外に走れてのゴール。昨年や一昨年のほうが、国道58号線に出てきて最終関門を通過して完走できると確信できた時の感動というか感慨がずっと大きかったのだが、やはり完走できたことはうれしかった。

レース後

 ゴールすると、先にゴールしていた210km組のmasaさんが声をかけてくれた。腹も減ったので何か食べに行こうと、一緒に出店に向っていたところで、JINさん御一行に遭遇。座り込んで喋っていたところ、ま〜し〜さんからDNFのメール。四方山話をしていると、ま〜し〜さんも到着。お楽しみ・ヨルクラの大まかな段取りをして、ま〜し〜さんとオクマまでレンタカーを取りに自走。平坦なので大丈夫だろうと思っていたが、ハンガーノックでま〜し〜さんを大変待たせる羽目になってしまった。
 走りながら、海の色が北へ行くほど美しくなることを改めて認識。また途中に遠望できた古宇利島に架かる古宇利大橋は、ひょっとすると角島大橋にも匹敵するかと思われた。いつか是非走ってみたいもの。

 さて、無事レンタカーでホテルに帰着・一服の後は、JINさん&エース・ISAOさんISAOさんの療養仲間・安室パパ主催?のヨルクラへ突入。ジョッキ自体がキリリと冷えたオリオンビール(4杯?5杯?)に泡盛(銘柄覚えていない)、旨い料理をたらふく食って大満足。誰が率先したのか、その後すぐ隣のカラオケに梯子(無芸大食の当方は傾聴のみ、ただISAOさんのエンターテイメントとホスピタリティには全く脱帽)、午前様でホテルへ。

 翌日はゆっくりと朝食後、何処かへ寄るには時間が足りなかったので、まっすぐ空港へ。出発まで2時間も余裕を持っていたのに、自転車受付には長蛇の列で、なんと1時間待ちだった。保安ゲートも長蛇の列。レース以上くらいに疲れて、やっと機上の人に。
 予定より30分ほど遅れたため、帰宅後直行で職場の研修(次期システムの)へ。

レース後記
 モチベーションは落ちる一方、加えていろいろ体に問題は出てくるは、練習はしていないは、それにもかかわらず前夜には飲んで、体調は最悪であった今年。しかし、その割に、うまい具合にいい集団に恵まれたこともあって、完走できたことはもちろん、この3年間では意外にも一番気持ちよく走れた、と自己満足していたレース直後(自分のGPSでは平均時速が30.2km/hだったので、やっと30km/h台で走れたと喜んだ)。しかし、それもリザルトを見るまで。他の同世代が140kmではもちろん、210kmでも素晴らしい結果を出していることや、ほぼ同じタイムでゴールした人(辺戸岬周辺でもずっと同走で、時々先頭にたっていた)に64歳の方がいたり、数分後にはなんと70歳の方がゴールしているのを見ると、自己満足の風船も一気にしぼんでしまった。
 毎年、レース直後はモチベーション&テンションがあがって、ようし、来年はちゃんと練習して、もっと納得できる走りをしようと思っていたのだが、今年はどうも違う。 さて、来年はどうなるか、どうするか、今のところ全く未定。
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