那賀川中流域の道 林道下司林谷線 大美谷ダム湖南側の道 拝宮谷川・菖蒲谷川沿い
 林道下司林谷線という道に気付いたのは、いつも参考にさせていただいているとくしま林道ナビのHPでです。HPは適時更新されていて、それまで記載のなかった記憶だったこの道に気付いたのは1年くらい前だったでしょうか。林道自体は6.5qほどと短い距離なので、何処かとひっかけて冬場に走ってみようと思っていました。偶々、地方紙で近くにある東尾集落が消滅集落として取り上げられていたこともあり、今のうちに走っておかないと通行できなくなるかもと向かってみることにしました。 (2023年 3月 1日 記)

林道下司林谷線から一宇・白石方面 (2023.02.05)
 当初は旧木沢村の大用地や小畠方面の走っていない道も周ろうと思っていたのですが、計画していくうちに昨今の脚力ではとても無理と判断。結局、下図のように、まずは林道下司林谷線を走って、大美谷ダム湖南側の道、そして拝宮谷川沿いの道と菖蒲谷川の道往復が妥当なところかということになりました。ちなみに、林道下司林谷線は現時点(2023.03.01)でも地形図では一部が繋がっていません(Google map では記載あり)。


コース  長安口−下司林谷線−大美谷ダム−栗坂−東尾−長安口
走行距離   65q   積算標高 1750m
最高地点   東尾 標高660m
走行日   2023年 2月 5日  天候:快晴  GIANT CONTEND
 拝宮谷川と菖蒲谷川沿いの道は、いずれも30年前に上那賀で仕事をしていた時に走ったことがありましたが、ほとんど記憶が残っていません。もちろん、記録も写真もなし。徒歩移動が主体だった頃には、上勝側から竜峠、大美谷ダム湖方面からは笹峠を越える山道、また菖蒲谷川と拝宮谷川も尾根を越えて繋ぐ徒歩道が主だったそうで、地形図では現在でも徒歩道として記載されています。上勝から竜峠を越えて東尾、さらに笹峠を越えて、という一周コースが取れないものかと考えていた時期もありました。が、現状は・・・。
 好天で気温が上がる一日と予想されていましたが、長安口ダム湖畔をスタートした午前8時20分の気温は−1℃でした。完全冬装備で臨みますが、手先足先は冷たくてたまりません。出合大戸トンネルはパスして旧道を走ります。分岐後すぐに素掘りのトンネル。森林組合などがあるので、旧道も路面に問題はありません。那賀川沿いに出合の橋まで出てきました。手前に黄色い旧出合橋が見えますが、通行禁止。地形図でも既に記載がありません。
  
 出合ゆず大橋の袂には、真新しいベンチと自転車用ラック、それに近隣の案内板が設置されていました。出合の橋を通り過ぎて木沢方面に向かいます。まもなくある日眞トンネル直前を左手に折れ、日真向橋(橋とトンネルで真の字が異なっていました)を渡るところから林道下司林谷線(以下、林道と略)が始まります。
出合ゆず大橋 案内板 日眞トンネル南口を左へ 林道下司林谷線起点
 日眞トンネル100mほど手前から、対岸に登っていく道が確認できました。そこそこ登っているように見えます。実際に走ってみると、この見えている部分で10%。その後は14%くらいの勾配が続きます。下右は地形図。林道部分は一車線道から軽車道となって途切れています。
 
対岸から見た林道 日真橋から上流方向
 林道沿いは、ほぼ全線が杉林(時に檜が混じる)に覆われ展望がありません。路面はコンクリート舗装が所々に混在するアスファルト舗装です。ところによっては、かなり綺麗な路面状況。落ち葉や落石で通行困難かも、最悪は途中撤退も予想していたくらいですが、いい意味に外れました。多少なりともクルマが入っているようです。途中、3軒ほど民家を見かけましたが、いずれも廃屋のようでした。下右の写真は、初めて南側の視界が広がって、ダム湖上流が見えたところ。陽が当たる集落は、出合から共通区間だった国道193号線と195号線が分かれる平谷地区です。
 上 杉林が繁る
 左 下司集落の廃屋
 右 平谷地区が見える  
 道周辺の杉は立派に育っているところもあるのですが、間伐されずに貧相なところもありました。落葉樹はほとんど見かけません。単調で特に何がある訳でもないのですが、初めての道は何があるかなと、やはりワクワクします。そんなワクワク感を満たしてくれたのが、林道の半ば付近から見えた冠雪の山(トップの写真)。山を見せるためではないのでしょうが、ここだけ杉林が伐採されていました。この日随一の展望です。山肌に見える集落は白石・市宇であることは間違いありませんが、後方の山々は何処でしょう。

綺麗なアスファルト舗装区間

松久保付近、ここも廃屋
 下の2枚は、全区間で展望があった3ヶ所のひとつ。下左:下方に那賀川と国道195号線が見えています。下右は南南東方面。ふたつ下左が国道195号線からここを見上げた写真です。この付近が林道の最高地点で、GPSでは標高480mくらいでした。
 ひとつ上・右下の写真:松久保を記載のある付近にあった民家も廃屋のようでしたが、そのすぐ先の陽当たりの良い広いところに人が住んでいる大きな家が一軒ありました。様相から住む人はそれほど高齢者ではなく、家族も多いように見えました(下左)。下司側からほぼ直線的に走ってきた道は、この民家の先から本格的に下り道になり、U字も含むコーナーが何ヶ所かあります。下っていくと、中内の集落に出てきました(下中、下右)。
  
 下左の写真は、国道195号線に出て2q弱下った蔭平発電所近くから林道を見上げたところ。写真中央の稜線近くに二つ上の写真を撮ったところのガードレールが見えています。標高差はおよそ200m。山肌はほぼ杉に覆われています。この季節、少し茶黄色っぽく見えるのは、葉先にある雄花のためのようです。下右3枚の写真は、国道195号線と193号線が合流する地点のすぐ上流にある大殿の吊橋。渡り口には「歩行者3人、原付二輪車まで」と標示されています。通行不可ではないので進んでみましたが、上下に加えて横揺れも強く、酔ってしまいそうな感じ。上の地形図によると、松久保集落までの徒歩道の記載がありますが、通行できるかは確認していません。
左 国道195から林道を見上げる
上 大殿の吊橋
右 大殿の吊橋
 国道195号線に戻って、出合ゆず大橋まで戻ります。途中、大殿と良く似た吊り橋がもう1本ありました(写真割愛)。地形図によると、その吊り橋からは下司地区に徒歩道が続いています。ほぼ無風で、ダム湖面は鏡のように周辺の山肌から空までくっきりと映していました。
 出合からは国道193号線を旧木沢村の中心部(写真:下左上)まで進んで、大美谷ダム方面への道へ向かいます。この道、八重地方面からは何度も下ってきたことがあるのですが、木沢側から登るのは初めてのように思います。いつも下りながら急勾配だなあと思っていましたが、その通り。ここも14%くらいの登り坂が続きます。狭い谷筋で陽が当たらないため、所々の路肩に凍結した雪が残っていました。国道の分岐から1qほど登った当山口というコミュニティーバス停のある分岐部(写真:下右上)を右手へ。
 ここからは初めての道ですが、最初の民家までの300mくらいは半端ない急坂で、GPSの標示は蛇行しても19%。あっという間に標高を稼いでいきますく。国道193号線から見上げていた黒瀧寺の帰路に立ち寄った風車が、目線に近づいてきました(写真:下中、右手からの稜線・左に見えていますが・・・)。さらに進むと、左手の一端下る道へ進みます(写真:下右下)。この分岐は地形図で予め確認していましたが、分岐部には当山終点の標示がありました。地形図では左手を直進すると徒歩道となって大美谷ダム湖の吊り橋に繋がっているようです。
 当山地区では数軒の民家を見かけましたが、上中の写真でも獣害対策が成された畑に野菜が育っているのがわかるように、ほとんどが在住のようでした。下左の写真は、上の分岐部から少し右手に進んだところにある民家前の道路から。どっしりと構える奥の山は、地形図から六郎山でしょうか。手前右手からの稜線には風車と近くにあった電波塔か何かの鉄塔群が見えています。遠望があったのは、この民家のところまで。地形図では軽車道として記載されているこの先は、林道下司林谷線同様ほとんどが杉林の中で展望がありません。勾配は随分と緩みました。進むにしたがって道端の凍結した雪の姿が増えてきましたが、杉林が幸いしてか路面にはほとんど雪は残っていません。ただ谷筋に当たる部分では、何ヶ所か凍結。轍が何本かついていたので直近にもクルマは入っているようでしたが、轍部分は凍ってツルツル。道後半は杉木立の奥に大美谷ダム湖の上流付近がチラリを見えましたが、ダム湖がすっきりと見えるところはありません。
 標高600m付近を走って、その後は下りです。下りも慎重に。凍結部分はあっても数m程度なので、ほとんど問題なく走行できました。写真:下右下は、八重地方面からの道(左手一番上の道)と合流する手前。ここにも民家が2、3軒ありましたが、水田も耕作が続いているようで、働いている人の姿も見えたし草刈り機のエンジン音も聞こえてきました。ここからは左上に見える道で木沢の町へと戻ります。
左 当山地区の民家と六郎山?
上 杉林が続く 時に凍結
右 大美谷ダム湖上流の田畑
 林道下司林谷線走行後にこの道を走ることを選んだ理由は未走であったことが一番ですが、復路に大美谷ダム湖と水力発電の排水口を見る目的もあってでした。ダム湖の上流付近、湖底が浅い部分では湖面が凍結していました(写真:下左)。白いのは凍結した湖面に積もった雪が凍ったのでしょうか。水の色がもう一つなのは、湖水の透明度が高くて泥状の湖底を反映しているためかと思います。写真:下中は、当山から徒歩道が繋がっているらしい吊り橋。この付近の湖水はいつでも透明度が高いのですが、この日はこれまで何回か訪れた中で最高でした。おそらく数m以上はあると思う湖底まではっきり見えて、ちょっと気味悪いくらいでした。ダム湖なので湖底はそれなりですが。
 そして例の排水口(写真:下右)。通常より水量が少な目に見えましたが、それ故にいつもなら強過ぎる水の勢いによる気泡の範囲が狭くなった分、これまであまり意識したことがなかった湖底までくっきり見えました。ここも水深は数m以上あると思われます。人口の産物であることが残念ですが、気泡のひとつひとつが深部まで確認できます。動画も撮ってみたのですが、満足できるようなものが撮れず。吊り橋付近とこの排水口付近、技量のある人が写真、もしくは動画を撮ってSNSにでもアップすれば話題になる光景かと思いますが、個人的好みに過ぎないかもしれません。人影もなく、独占してゆっくりと一人悦に入れる今の状況が私的には有難いです。
  
 当初の目的、未走の林道下司林谷線と大美谷ダム湖南側の道を走った後は、拝宮谷川沿いの道へ向かいます。国道193号線を出合方向に戻って、拝宮橋で左折。折れてすぐ、新しい橋を建設中とかで未舗装部分がありました。その後、すぐに14%前後のつづら折れの道となりました。拝宮集落までにこんなきついつづら折れの道があったとの記憶は全く残っていませんでした。拝宮の集落に入る手前で道は2本に分かれます。右手の道は復路にと、左手に進みます。すると、見えてきた光景に記憶が蘇ってきました。写真:下右、正面やや左手、稜線近くに民家が見えています。他は全て記憶がなくなっているのに、この光景だけは鮮明に残っていました。訪れる前にはもう廃屋だろうと予想していましたが、遠目にも今も人が住んでいると思われる佇まいです。この時点で(30年前も)、あそこが地形図にある栗坂の最終民家だとばかり思っていました。
 左 国道193号線からの分岐部
 上 急勾配が続く拝宮への道
 右 拝宮集落手前にて
 写真:下右は、上右のポイントから少し進んだところで、拝宮集落一部をを上から見下ろしています。陽当たりが良く、田畑も手入れが行き届いており、ほとんどの家屋が人が暮らしている気配に満ちています。山肌側には、しっかりと石積みされた棚田(写真:下左)。耕作放棄地になっているところは少ないようです。これだけの石積みだけでも大変な労力が必要だったでしょう。先程の稜線近くの民家が右手に見えています。少し標高差が無くなってきました。
 写真:下左は、拝宮手漉和紙工房のようです。30年前、当時でもそこそこの年齢の方が就労されていたと耳にしていました。当時60歳代だったとすると、今なら90歳代。入り口らしきところにも何の表示もなく、道上から眺めたところも実働しているようには見えませんが荒廃した様子もなし。実際のところはどうなのでしょう。さらに進んでいくと、前方に轟集落が見えてきました(写真:下中)。近くまで行くと左手に登る道があって、その先は広場になっているように見えます。おそらく、と思って登ってみると、やはり轟小学校跡でした。私が通った小学校にはありませんでしたが、その昔小学校によく設置されていた二宮尊徳像が残っていました(写真:下右)。この轟集落に向かう付近から、道の進む方向が先程の民家と尾根筋ひとつ異なっているように思われてきました。
  
 他に道はなかったので構わず進んでいくと、轟の集落(ここもまだ住んでいる人がいるようでした)から最終の栗坂まではどれほどもありませんでした。標高550mを越え山影となって、路面凍結さえなかったものの、路肩には残雪が所々で見られました。漸く拝宮から見た最終の民家に到達したかと思ったのですが、下から見上げた雰囲気とどうも異なります。下方からガードレールが見えて、登ったらそこまでの道筋が鳥瞰できるだろうと思っていたのに、手前の林で見晴らしが全くありません。しかも、民家は既に廃屋化しつつあるようで無人。さっきの民家は何処にあるのだろうと、上の人の住んでいない民家を越えて進むと、写真:下右上のようなクルマが回転できるスペースがあって、その先は未舗装路が続いています。スマホの地形図で現在位置を確認すると、やはり栗坂の最終地点に間違いないようです。この先、未舗装路が多少あるようですが、行き止まりのようです。菖蒲方面に向かう徒歩道は、見逃しかもしれませんが、何処にも見つけることができないままでした。
左  栗坂の廃屋
上  廃屋前には枝垂れ桜
右上 未舗装に変わる部分
右下 スマホの地形図での現在地
 復路は新しい小型の消防車が配備されていた轟集落を過ぎて、拝宮集落を通る・登り時に右手だった道に進みます。耳にしたことがある拝宮農村舞台が何処にあるかと捜しながらゆっくり下りましたが、それらしき建物は見つからず。帰宅後確認すると、拝宮集落の少し上手にあった白山神社の境内にあったようです。道には神社の標示しかなく、荒れているように見えたので全く気付きませんでした。リサーチ不足を後悔。栗坂の最終民家だと思ったいたお宅は、その白山神社のすぐ上方から右手に折れる道の行き止まりにある民家だと確認しました。30年前、職場で栗坂の最終民家まで走ってきたと話した記憶があるのですが、下から見た民家とは異なっていたことに気付いていなかったようです。
轟集落 消防車があった 問題の民家 拝宮集落までの道
 拝宮から下っては、国道195号線を長安口ダムのすぐ手前まで引き返して、以前地方紙に掲載されて話題にした東尾集落に向かって菖蒲谷川に沿って遡ります。ここも30年前の記憶は、拝宮谷川沿い同様ほとんど記憶が残っていません。写真:下は長安口ダム直上に架かる橋上から菖蒲谷川方面を眺めたところです。東尾は左奥に見える稜線の山肌付近。上勝と繋がっていた竜峠は稜線最頂部の右手、大美谷ダム湖と繋がっていた笹峠は左手に当たるはずです。
 しばらくダム湖沿いの平坦な道を走った後は、谷が狭まってそこそこの勾配で登り始めます。狭い谷向こうに見えてきたのは、桧曽根の集落(写真:下右)。右手下の家屋は人が住んでいないようですが、奥に見える民家には人が居住している気配がします。さらに1qほど進むと、菖蒲の集落です(写真:下左)。数軒ある民家は、ほとんどがまだ人が暮らしている様子が伺えました。道を歩いている女性(私と同年配くらい?)とも出会って挨拶。
 桧曽根への分岐部には東尾(竜峠)の案内板がありました。先に進むと、少し開けて菖蒲集落です(写真:下左)。長安口ダム湖から見えていた奥の山肌も近づいてきました。道からの入り口にキウイが植えられた民家も見えましたが、人の気配がしない家も見かけます。柚子か何かの収穫に使用されていたのでしょうか、久しく使われずに錆びついた作業用モノレールの姿もありました。
左  菖蒲集落全景
上  錆びついた作業用モノレール
右上 キウイが植えられていた
右  東尾(竜峠)の案内板
 しかし、菖蒲の集落をZ字に折れた坂で通り過ぎると、路面状況は地方紙に記載されていた通り小石や小枝が散乱していて荒れてきました。おまけに勾配も10%を越えるところが多くなります。
 道は谷筋から離れると、地形図通り折り返すコーナーが続きます。道周囲は、何処も杉を中心とする林に覆われていて、展望は全くありません。進むにつれて、路面の荒れ具合も増してきました。
 登り進むと、平地が広がっているところに出てきました。拝宮谷川の一場面と同様、この光景も何故か鮮明な記憶として残っています。菖蒲谷川の道筋で唯一やや平坦なところがあって、そこが東尾の終点だった記憶です。放置され錆びついた軽トラの向こうに見える家屋には、これも私と同年代くらいの男性が襖を開けて掃除をしているようでした。写真を撮った道路の反対側は、二反くらいの平坦な田畑が広がっています。耕作はされていないようですが、草は刈られて管理は行き届いているように見受けられました。掃除をしていた方は、在住ではなく管理に訪れていたのだろうと思われます。下左の写真は、その先すぐにあった民家。無人のようですが、荒れ果てた様相はありません。
 左上の民家を手前右手に折れて、最終の民家と思われる家屋周囲は枯草が背丈以上に伸びて屋根だけが見えています。その後方にはコンクリート製の二階屋が建っていましたが、いずれも人はもう随分と住んでいないようで入っていく道筋もわかりません。そこを越えて左手に曲がったところが、下右の写真です。クルマが回転できる広場があって行き止まり。使用されていたらしい犬小屋や風呂桶などが放置されていました。スマホの地形図で現在位置を確認すると、写真:下左下の通り。竜峠や笹峠に進む徒歩道がないかなと周囲を見回してみますが、道の面影さえも確認することができませんでした。ここでこの状況なので、竜峠や笹峠への道を走破することはまず無理かと思われました。
 左上 最終の民家と思われた家屋
 上  振り返ると、さらに奥に屋根
 右  行き止まりの広場
 左  右地点での地形図現在地
 一服して下り始めて、ふと振り返ると、先程最終民家だと思ったさらに上、ちょうど林との境に、もう一軒屋根が見えました(写真:上中)。行き止まりだった広場から道がついているのでしょうが、その手前に道から10mと離れていない民家の入り口も分からないくらいだったので、この民家に辿りつくことさえ難しいかもしれません。上述のように、以前から一度、竜峠や笹峠を越えて上勝から周回出来れば面白いだろうと思っていましたが、体力・気力の低下ない頃でも難しかったかと思われました。。

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