妙体山へ
 脇町から西側では、ほぼ稜線が県境となっている讃岐山脈ですが、東側では少し低めの山が南北に分散していて(北側には女体山や矢筈山など、南側には城王山や妙体山など)、県境はその間を走っています。国土地理院地図を見ていると、徳島県側には山頂近くまで道がついているところが何ヶ所かあります。今回は、これまで登ったことのなかった台ヶ丸山を訪れることを目的に、ほぼ15年ぶりの妙体山にも立ち寄る予定としました。ところが、妙体山で迷ってしまい時間切れ。台ヶ丸山は次回のお楽しみとなってしまいました。本文中の()内A〜I表記は、下図参照(帰宅後確認)。   (2019年01月25日 記)
コース  川島−県道3号線−登り口−妙体山(下地図:A-B-C-D-B-C-E-F-G-H-I)−県道105号線−国道193号線−吉野川土手道−川島
走行距離  60キロ弱   積算標高 約1100m
最高地点  妙体山 標高785m
走行日・天候  2019年 1月13日  晴れ  シクロクロス
 最低気温は2℃。そのためか、西方向は一面の川霧です。残念ながら、川島の潜水橋傍にデポした頃には霧も晴れてきました。スタートは午前8時45分くらい。まずは、県道2号線・川島潜水橋を渡って善入寺島へ入ります。
 寒いこともあって、善入寺島をゆっくりと走っていきます。冬場なので休耕地も多いですが、ハクサイ、ネギ、レタス、リーフレタス、花菜、キャベツなど種々の野菜が様々な発育状態で栽培されているのを確認します。遠くには、高越山。もう少し早ければ、川霧でもっと幻想的な光景が見られたかもしれません。まず向かうのは、写真:右の左手の山(妙体山)。
 北岸に渡って県道2号線から高速道路に沿った道(広域農道の続き)で西進、そのまま県道3号線へ右折。登り口がわかるかなと思いながら県道3号線を進むと、しっかりした表示がありました(A)。下の写真を見ると15年前とほとんど変わりないですね。スタート地点から約15q。登り始めた道は思いの外、広いアスファルト舗装。クルマもそこそこ通っているようです。途中に数軒以上の民家がありましたが、廃屋はほとんどありません。
 勾配は緩やかではありませんが激坂というほどではなく、ゆっくり登ればなんとかなる程度。日陰は冷え込みますが、陽が当たると暖かく感じるくらいです。高度が少しずつ上がっていくと、山の間に吉野川が見えてきました。西隣の阿讃中央広域農道からの光景とちょっと似ています。写真を撮ったのは標高400mくらいだったでしょうか。ただ、吉野川方面も含めて、展望が広がるところは3ヶ所程度しかありません。
左上:県道3号線登り口(B)]A)
上 :迷った分岐部(B)
左 :崩落部(C)
右 :吉野川・川島方面
 道沿いに進むと分岐に表示があったのですが(B)、消えかけていて左右どちらを指しているのかよくわかりません。前回の記憶は全くなく、どうも右手・直進と思われました。スマホに国土地理院地図の一部を記録していたのですが、アナログ親父には印刷した地図を持って行った方が良かったようです。国土地理院地形図では、上記のようにかなり分岐があります。最初からひとつひとつ確認していたら間違わなかったかもしれません。
 そのまま1qあまり直進すると、数少ない廃屋の先に写真のような箇所。道の70%くらいが崩落とそれに伴う陥凹で通行止め(C)。自転車では問題なく進めたのですが、その先はどうもしばらく人が入っていないようで落ち葉満載。倒木もあります。頂上に神社があるので人が入っている筈、これは間違えたか、先刻の分岐が左だったかと引き返しました。
 戻って分岐の左手に進んだところ、いきなりの激坂です。3軒ほどあった民家を越えても、断続的に激坂が続きます。とうとう一度は降りて少しだけ押す羽目になってしまいました。前回の記憶がないので、地形図では何処もそんな感じだったよなあと進みます。道周囲は意外に檜が多く、鬱蒼としたところもありました(写真:下左)。
 大分登ったぞと思うところで、稜線に出ました(写真:下右D)。西側は下っています。あれっ、確か稜線手前から稜線に沿って山頂に向かう道があったように思うのですが(記憶違い)。西側にちょっと下ってみると、直下に脇町の県道105号線沿いの集落が見えます。間違っていたら、これを下って台ヶ丸山へ向かおうと、稜線付近で写真を撮っていたところ、軽トラが登ってきました。運転手さんに山頂への道を尋ねたところ、この道では行けず、先程の分岐直進が正解とのこと。「崩れてましたけど」と言うと、「自転車なら行けただろ、昨年も登ったのだけどねえ」という返事でした。おまけに、この道は下っても途中で行き止まりとのことです(確かにDから先、県道105号線に繋がっていません)。下らなくて良かった。
 いやあ、せっかく激坂を登ったのに仕方ありません。真っ直ぐで間違いないことが確認できたので、再度引き返します。崩落部位を越えて進んでみたところ、何のことはない、落ち葉が積もったところは風のたまり場だったようで(Cの北側のコーナー)、100mも進むと元のような道になりました。ちょっとだけ緩やかで日当たりのいい区間では、のんびりと進みます。
 さらに少し進むと右手から左手に登る道に鋭角で突き当たりました(E)。クルマは北側の道から登ってきているよう(上の地形図では少し切れていますが最初の登り口より奥に2ヶ所道があります)。折り返すように左折すると、すぐに鳥居。横には表示があって、これで、なんとか山頂まで迷わずに辿り着けそうだと確信できました。ちなみに、下記の記事は事前にチェックできてなく、鳥居があることも全く記憶に残っていませんでした。しかし、そこから勾配が一段ときつくなりました。下の記録を帰宅後見たところ、ちゃんとそんな記載があります。数えるのが面倒になるくらい沢山あったヘアピン(写真:下右)。前後どちらも10%を越える勾配ですが、やはりその急さが表現できていません。登るにしたがって、日陰の道端には雪の跡が見られるようになってきました。展望は相変わらず全くないままです。
 スタート地点から迷走含めて30q、3時間かかって漸く到着した山頂神社には、こんな感じの残雪(写真:下左)。左手が明多意神社、右手は女体神社だそうです。ちょうど正午だったので、補給休憩。山頂の碑を探してみましたが確認できませんでした。周囲の展望も、どちらを向いても木が繁っているので全くありません。ちょっとだけ休憩して引き返したところ、神社の東側すぐ横からこの光景。登っている時は、急坂だったのと山頂が目の前だったことで全く気づきませんでした。吉野川下流域と眉山、紀伊水道が見えますが、和歌山までは確認できませんでした(写真:下右)。
 少し下ったところから、登り時に確認していた脇町側へ下る道へと右折(写真:下中)。一度南へ向かって進みますが、ヘアピン(F)で北側へ進むようになるのは地形図で確認した通りで一安心。
 前回かなり荒れていたと記憶していた(下記)脇町側へ下る道は、予想に反してクルマが結構入っているようで比較的良好な状態でした(←)。道周囲の植生も、東側の檜など常緑樹が多かったのに比較して、落葉樹が主で明るく感じます。途中の横野という集落(F・3軒くらい)付近は、激坂のつづら折れが続いており(↑)、こちらから登るのは大変そうです(2002年に登っていますが全く記憶がありません)。
 山頂から少し下った付近からは、先程迷走した時にも峠部から見えた県道105号線沿いの集落が見えました(写真:下左)。肉眼では右手の山の向こうに吉野川とその後方に剣山山系の手前も見えていましたが、コンデジでは写りません。その後向かうつもりだった台ヶ丸山や大滝山方面も見えましたが(写真:下右)、手前の木々の枝が邪魔して写真にはすっきりと撮れませんでした。
 県道105号線に下ってくると、もう13時前。お初の台ヶ丸山には未練がありましたが、その後の畑仕事と完治しない腰痛再悪化を考慮し、次回のお楽しみにすることとしました。そのまま国道193号線に出て、早めに曽江谷川の左岸に渡り吉野川北岸から岩津橋を渡って南岸の土手へと向かいました。風がほとんどなかったのか、岩津橋上からの吉野川は鏡のようです。
 土手の上をのんびり走って(写真:下左、時々クルマが通る部分があるので、あまり気を緩めることはできませんが)・・・。
 
 最後は学島橋を渡って(写真:上右)、再び善入寺島へ。畑ではキャベツなどの収穫が行われていました。吉野川の水量は雨が降っていないので少ないのですが、透明度は本流とは思えないくらい澄んでいました。

妙体山周辺の道
 妙体山は阿波町と脇町の町境にあり、山頂に明多意神社と女体神社の2社を持っています。いずれの町からも山頂まで車道が通じていますが、どちらもコンクリート舗装で、積もる落ち葉が多く道も狭いです。ほとんど自動車が通らないので、自転車(ロードではちょっと厳しいか)にはピッタリ?初めて登ったのは、2002年2月3日。県道3号線を香川まで抜けた(当時も香川側はひどく荒れたダート)帰りに、脇町側からなんとなく登ったのですが、2004年12月19日に登ってみると前回の記憶が全く残っていないことを思い知りました。
        阿波中央橋−妙体山登山口−妙体山−百百橋−寒風・峠−土柱−阿波中央橋
時間(時分)  10:50----------11:50-------12:50---13:30----14:20---14:50----15:50
距離(km)    0--------------20----------28--------34-------40-------45--------65
標高(m)    30-------------155---------785------190------550------140-------30
コース   阿波中央橋−県道3号線−妙体山−多和脇線−寒風界隈−岩津−阿波中央橋
走行距離   約65キロ
最高地点   妙体山 (標高785m)
走行日・天候   2004年12月19日 曇り MTB  2002年2月3日(ルートはやや異なります)

妙体山周辺コース   (カシミール3D)
 阿波中央橋からスタートします。県道3号線への道は前回(2002年)阿波町内で迷いに迷ったので、今回はしっかり地図を読んでいたつもりなのに、やはり道に迷ってしまいました。軌道修正して県道3号線に入って妙体山への登山口はすぐにわかったのですが、なんと「道路崩壊、全面通行止め」の標示が・・・。
 県道3号線登り口 明多意神社の鳥居 山頂付近から東へ 明多意神社と女体神社
 しかし、自転車なら担いででもなんとかなるか、と強引に進みました。結局、生活道路でもあるこの道、簡易舗装の修復が成されていました。その年の台風の影響を思わせる土砂崩れの跡がそれ以外にも所々に見られました。登り口からもそこそこの勾配ですが、明多意神社の鳥居を越えると、道はさらに急な登りとなりました。山頂には、登り口からちょうど1時間で到着。頂上には明多意神社と女体神社が並んでおり、ちょうど地元の方が清掃奉仕の一休みをしていました。
妙体山山頂直下から、冬畑方面 妙体山山頂直下から、横野集落
 下りは脇町側へ降りるつもりでした。地図では少し戻ったところに阿波町側との分岐があるのですが、どうもそんな分岐部があったような気がしません。ゆっくりと下っていくと、「これかな」と思う落葉に蔽われたコンクリート舗装の道。半信半疑で少し下ると、地図通り大きく180°折返していたので、地図からも間違っていないと確信できました。
 脇町側は、山肌をトラバースするガードレールもない道で、阿波町側よりさらに激しい崩壊場所が3ヶ所ほどありました。それにしても、2002年に脇町側から登った時の記憶は全く残っていませんでした。 あまり展望のない阿波町側に比較して、脇町側の展望はなかなか良かったです。山肌に棚田を持った小さな集落がへばりつくようにある風景は、そこに育ったものでなくても、郷愁をそそられます。
冬畑付近から、妙体山(上の写真中央・山腹付近から逆に) 冬畑から土柱への地道、落ち葉が積もる
 百百橋まで一気に下り、少し脇町寄りに走った所から小さな橋を渡ると、冬畑方面への登りとなります。妙体山への登り下りでは、クルマとはほとんどすれ違わなかったのに、それより細く車道としては行き止まりと思われたこちらの道では、結構多くの自動車とすれ違ったのは意外でした。生活道路であるが故でしょうか。確かに、そこここに家が点在していました。
 これで最後と思われる家を過ぎると、荒れた地道となりました。ここからは地図上の道もはっきりせず見当で進みました。しばらく登ると尾根沿いに出ましたが、地図では尾根と直交するように、土柱側へ向かっているのに、道は尾根沿いに進んでいきます。
 道はさらに荒れ始め左右からは身丈以上もなる枯草が伸び放題。掻き分けながら進む状態でした。しかし、道は下るどころか妙体山へ向かって登って行きます。地図以外にも鳴門岳友会編「徳島145山」を参考にしていたのですが、どうも三頭山を経て妙体山へ戻る道を進んでいるのじゃないかと思い始めました。まあ、それならそれでいいか、と進んで行くと、やっと道は山の南斜面を下るようになりました。道もやや広くなって、ちょっと一安心。道の周りはクヌギなどの雑木で、路面は一面落ち葉。
 しばらく地道を走って下っていくと、コンクリート舗装にぶち当たりました。しかし、そこには鎖の封印が。下ってきた道は一般道ではなかったようです。そこから、急なコンクリート舗装を下ると高速道路・徳島道を跨いで、広域農道に突き当たりました。途中、分岐が多く、逆向きに登ったらきっと迷ってしまうでしょう。
 その後、実はあまり期待していなかったので、今まで訪れたことのなかった土柱に寄ったのですが、安っぽい土産物店が数軒あり、喧しい音楽がなって、しかも肝心の土柱は予想通り、この程度の規模かと思われるもので、早々に退散。岩津の橋(斜張橋)を周って、ノンビリと吉野川の土手を走って、スタート地点に戻りました。

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