勝浦・坂本の雛飾り  生比奈の河津桜
 勝浦町では毎年「ビッグひな祭り」なる催しが開れています。調べてみると、1989年からだそうです。その後、千葉県の勝浦市や和歌山の那智勝浦でも勝浦繋がりで同様の催しが開かれているようです。2020年で32回目だそうですが、私は興味がないので訪れたことがありません。そのイベントが開催されている人形文化交流館から少し上勝側に進んだ県道16号線旧道に沿った坂本地区で雛飾りがあることを知ったのは、K氏と一緒に大川原に登って上勝側に下った2008年のことでした。早春の風物詩として、その後も時々訪れているのですが、前後に同じ勝浦町・生比奈の河津桜を訪れることも定番行事です。今回、この10年余の訪問記をまとめてみました。振り返ってみると、改めて気づくことがいくつかありました。十年は一昔・・・。(2020年 2月28日記)

勝浦・坂持坂本地区の雛飾り(旧県道16号線沿い 2019.02.22)
コース  徳島−佐那河内−大川原高原−上勝−坂本・旧道−勝浦−徳島
走行距離   65q  積算標高 1100m
最高地点   大川原高原 (標高900m)
走行日   2020年 2月24日 天候:晴れ GIANT TCR (2008.03.092012.03.202016.02.272017.03.042019.02.22
 初訪から12年の月日が経ちました。その間に上記のように、今回を含めて記録にある限りで6回訪れています。何処でも初めて訪れた時の印象が強いものですが、ここも例外ではありません。
 雛飾りのない時期にも、この旧道を何度か走っています。下を抜ける新坂本トンネルは1990年完成とのことなので、それ以前に訪れている可能性もあるのですが、記録はなく記憶もはっきりしません。旧道は今でも現役の生活道ですが、道沿いの集落は、雛飾りの時期以外に走ると四国の何処にでもある寂れつつある中間山地の様相を呈しているように思われます。
 2008年に初めて訪れた時は3月に入っていましたが、大川原から上勝側の下りは積雪と凍結でした。斜面の雪には何か動物の足跡が残されていて、途中一部は乗車できない状態でした(写真:下左)。K氏が坂本の雛飾りの話を持ち出してきたのは、走り始める前だったのか上勝側へ下る途中だったのか記憶は定かでありません。訪れる前は、雛飾りに興味があるわけでもないけど通り道だから寄ってみよう程度の気持ちでした。
 ところが、訪れてみると、なかなか味わいがありました。お雛様というと室内に飾るものという先入観念ですが、全く違和感なく情景に溶け込んでいました。狭い旧道に沿って並ぶ民家の軒先に、緋毛氈を敷いた上に飾られたお雛様。多くは一段飾り。豪華なものでも、三段か四段飾りでした。
 どのお雛様も、顔つきや衣装の様相から最近のものではなく、そこそこに年季が入ったもののように見受けられました。華やかというほどではないのですが、屋外に飾られたお雛様達は素朴な中にどこか誇らしげにさえ見えました。上と下の写真は、いずれも2008年のもの。下左は、その後現在に至るまで、一番多くのお雛様が飾られている三軒隣のところです。定点撮影とまではなっていませんが、その後の写真と見比べてみてください。一方、下右は旧坂本トンネルの東口すぐのところです。上の2枚はトンネルの西側で、どちらも2020年の時点では雛飾りの姿が見られなくなっていました。
 一方、写真:上左の両隣三軒は、その後飾られるお雛様の数が増えています。写真:下の4枚は、2度目に訪れた2012年のもの。ほぼ同じ場所である写真:上左と下右を比較するとよくわかると思いますが、4年の間に軒に届くくらいまでの段数になっています。花や飾りも増えて豪華になっていますが、個人的には、2008年時のような、ちょっと控えめ・質素なのが好みです。
 左上 ひとつ上左と同じ軒先
 上  トンネル西北川の民家
 左  最前列は3重、4重に
 右  左上の東隣り二軒
 下の3枚は2016年時のものです。2012年よりさらにお雛様の数が増えて、賑やか、煌びやかになっているのがわかるかと思います。ただ、造花などの飾りがないほうがいいと思うのは私だけでしょうか。
 左2枚 いつもの賑やかな両隣三軒
 右   旧坂本トンネル
 2016年の一押しは、トンネル西側を出て少し下ったところにある森本家を訪れたことでした。森本家の存在はそれ以前から耳にしていましたが、場所がわからず3回目にして初めての訪問でした。旧道から急な坂道を少し下ると、こじんまりとながらも質実剛健そうな一群の建物が現れました。国の有形文化財で、いずれも江戸末期から明治にかけて建てられたものだそうです。建物もさることながら、庭も手入れが行き届いています(残念ながら写真なし)。
 そして邸内や縁側、そして庭や塀に至るまでに飾られたお雛様。ひとつの小宇宙、別世界を呈しているとは言い過ぎでしょうか。旧道沿いの民家に飾られているお雛様も味わい深いものがあるのですが、ここのお雛様達はまた一段と格調が高く見えます。おそらく、建物と同じ時代のものでしょう。どれもとても保存状態が良く、今にも動き始めそうなくらいです。
 写真:上左のように、お雛様とは少し異なる人形もありましたが、ひな祭りの準備光景でしょうか。いずれも小道具も含めて、とても精緻に作りこまれています。
 この年は、旧道沿いの雛飾りが、私にとってはオーバーデコレーション気味に思われたこともあって、適度に配置され、清楚な中に動的な情景も見られる森本家の飾り方に、とても魅せられました。
 人形の写真はもちろん、家屋や庭の写真ももっとたくさん撮っておけばよかったとはまさに後の祭り。2019年に再訪してみると、旧道からの入り口に、「今年は一般公開しません」との表示が立っていました。詳しい状況はわかりませんが、お雛様を展示するだけでも大変でしょうし、さらに一般公開となれば、いろんな問題もあるのでしょう。できることなら、ぜひ一般公開(有料化してでも)を再開してほしいものです。
 下の4枚の写真からもわかるように、2017年もカラフルと言ってもいいくらいの華やかさでした。私が訪れた12年の間で、2016年・2017年が一番飾り物が多かったようです。このまま、拡大傾向が続いていくのかとも思いましたが・・・。
 2017年の旧道沿いの様相
 左・上は、ほぼ定点の三軒隣
 ところが、2019年は少し様相が変わってきました。いつもの三軒隣の飾り具合(写真:上左と下右)を比較すれば一目瞭然。賑やかに飾られていた軒先が、余分な装飾がなくなって、シンプルな雛飾りだけになっています。個人的には、このほうが好みですが。2018年は病のため訪れていないので、2017年と2019年の間はどんな傾向だったのかわかりません。ただ、道端には塀の上などにも工夫して飾られていて、まだまだ雛飾りの勢いは残っているように思われました(写真:下左3枚)。
 2019年の旧道沿いの様相
 右 定点の三軒隣
 さらに驚いたのが、2020年です。この年は、西側から入ったのですが、これまで見たことのなかった崖沿いの雛飾り(写真:下左)と2008年以来ずっと飾られている旧坂本トンネル西側北の民家の軒先(写真:下中)以外、トンネル西側にはほとんど雛飾りの姿が見えませんでした。もちろん、森本家も前年と同じ看板が出ていて、一般公開なし。さらに、トンネルを抜けて東側に出ると、なんだか雰囲気がそれまでと少し違っているように思われました。
 何が違うのかなあとその時は気づかなかったのですが、今こうして過去の写真並べてみるとわかりました。一番賑やかだった三軒隣の真ん中の民家が取り壊されていたのです(写真:右)。取り壊された民家手前の雛飾りも、前年と比較して段数も減っています。
 今後、どうなっていくのでしょう。単に見学に行くだけの身にはわからないご苦労が沢山あるのだろうと思います。細々とでも継続されていくことを願いたいものです。
 閑話休題。
 勝浦・生比奈の和菓子屋さん前にある河津桜。初めて訪れたのはいつのことだったのでしょう。羽ノ浦で生活していた1991年には既に知っていた記憶です。当時は河津桜という品種名も知らず、なんだか随分早く咲く桜だなあというくらいの認識しかありませんでした。
 手持ちに残っている一番古い写真は、この2012年のものです。この時は、ちょうど満開。枝振りもしっかりしているように見え、花数も枝の先々まで沢山ついています。二階建ての屋根より高くまで伸びる姿は、なかなか見栄えがありました。
 2008年の写真がありません。と思っていたら、まだまだ元気だったので、生比奈方面に進まず、横瀬橋から婆羅尾峠を越えて徳島に帰ったことを思い出しました。
 次に訪れたのは4年後の2016年。この時は、満開には少し早かったようです。2012年時にはあまり注目していなかった、東隣りの広場奥に植えられた河津桜が大きくなって、沢山の花を咲かせていました(写真:下右下2枚)。この頃から、クルマを広場に駐車して花見をする人の数が増えたように思います。
   左・右  河津桜古木
 下・右下 河津桜幼木
 2017年、この年は、満開にほんの少し早いくらいだったようですが、写真:下右の全体像を見ると、主な幹が少し切られているように見えました。有名になったのか、駐車場となった広場には、見物客が入れ代わり立ち代わり次々と訪れています。奥の河津桜はさらに大きくなって、独特の濃い色合いと花数の多さが、満開をさらに見映えのあるものに仕立てていました。しかし、残念ながら最初からある道路脇の古木の花数は、これまで見た中でいちばん少ないように思われました。まあ、それはそれで奥の若木にはない風情があっていいなあと思っていました。栽培品種は長くて数十年程度らしいから、そろそろ寿命なのかなあとは、当時のブログに綴った言葉です。
 それが、2019年に訪れた時には現実のものとなっていました。近くまで行くと目に入ってくるはずの樹の姿がありません。近づいてみると、なんと根元から1mくらいの高さでバッサリ切られていました。2017年はそれなりに花をつけていたので、2年の間に災害でもあったのか、それともやはり樹命だったのでしょうか。とても残念。反対に、奥の河津桜はますます勢い強く、沢山の花を咲かせていました(写真:下4枚)。いずれは古木の姿を知る人もいなくなってしまうのでしょう。
 2020年、もう古木の姿がないことはわかっていましたが、通り道なので訪れました。以前にも増して、花見客は増えていました。広場奥の河津桜は満開。そして手前にある1本(写真:下)。これも河津桜?花の色調が少し薄めです。近くに寄って接写で一つ一つの花まで確認していませんが、樹形が桜ではあまり見かけない様です。この木も奥の河津桜と同じ頃(ひょっとしたら少し早い時期)に植えられていたと思います。年々、伸びやかに四方八方に枝を伸ばして、樹高だけなら切られてしまった古木に近くなってきたのではないかと思われます。もう少し広いところに1本だけ植えられていたら、さらに見映えが増すを思うのですが。これからは、この桜を見るために通うことになるかもしれません。
 こうして12年を振り返ってみると、その時その時ではわからなかった時の変化を再確認することができました。雛飾りの変遷しかり、河津桜の盛衰しかり。
 最後の一枚は、2020年2月24日、坂本を訪れる前に登った大川原高原にて。頂上の広場に到着して、東を眺めてみると、手前の稜線の向こうに、薄っすらと山影が見えます。この日は少し黄砂の影響ももあったのですが、紀伊水道を隔てた紀伊山地が見えていました。初めて大川原に登ったのは、いつのことでしょう。徳円寺方面からは1970年代に登っています。現在のオオカ〜ラコースは数十回以上登っているはずですが、このような紀伊水道を越えて靄の上に紀伊山地が見えた記憶はありません。人の手が加わったものの移り変わりは短期間で変化するものの、自然が織り成す光景は遥か悠久な時を感じさせてくれます。

 ご意見・ご感想・新しい情報はこちらへ

ツーリング中国地方へ戻る  TOPに戻る

inserted by FC2 system