Diary または 吉野川だより 2005

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2005. 12.31  大晦日  
 また一年が過ぎていく。せめて気持ちだけでも少しはけじめを、と思っていたが、昨夜の当直疲れですっきりしない体調&ボンヤリした頭。そしてまるでその体調を写すかのようなどんよりした天候。何かをしようという気力も湧かず、しばらくボーっとしていたのだが、いやこの貴重な時間を、と結局MTBで走り始める。当初は眉山1本くらいのつもりであったのだが、走り始めたのに合わせたように日が差し始めた。ということで、定番・大坂峠へ。帰路は、途中からダートを経由して卯辰越えで帰路。久しぶりに走った卯辰越えは、相変わらず急勾配。それにしても、12月はゆっくりばかりではあったが、随分と大坂峠を走った。なぜ、大坂峠が多いかと言えば、1:適度な勾配で体調に合わせて、強弱どのようにも走ることができる。2:頂上からの展望が抜群。と、ロード練習としてもツーリング気分でも走れるのが良い。卯辰越えは、心拍ばかりあがってしまい、しかも眺望はほとんどなし。しかし、来年はもう少し練習コースに加えるべきかとも思う。そんなこんなで50km。平均速度は20km/hr以下。今年1年の積算走行距離ほぼ12000km。
 井内林道から昨日の撤退まで、雪に始まり雪に終わったこの一年であったが、こうして大きな怪我も病気もなく走れたことを感謝しよう。

2005. 12.29  その2  昨日・今日・明日
 今年も後僅か。
 来年への抱負を語る前に、まずは今年の総括・反省を。
 自転車関係:ツーリングでは、秋の大山周回、春の黒尊林道・四万十川、そして1月・雪の井内峠林道が甲乙つけ難いベスト3か? 400km 走ったのもいい思い出。一方レースでは、またまた今中さんと同走できて天候にも恵まれた富士山と、これまた素晴らしい景観を楽しめた乗鞍がベスト2か?毎年ちょっとばかり豪華な温泉気分を楽しむ美ヶ原も最高だった。沖縄は、やはり素晴らしい大会であったのだが、今年はあまりの体調不良と豪雨で評価低?丸岡美山は結果は出なかったが、そこそこ走れた思いがある。
 読書:長編では、村上 龍「半島を出よ」、福井晴敏「戦場のローレライ」、読みやすいところでは、浅田次郎「椿山課長の七日間」。他に、湯本香樹実「西日の町」、それに、辻 仁成、さだまさしなんかも良かった。それ以外にも、新書やノンフィクションなどいろいろと考えさせられる本多数。
 仕事:これまた思うところ多し。あまりに多すぎて書けません。国策としての医療行政、私が勤める職場での状況など、思いが多すぎて・・・。日常、眼前の仕事に対しては、do my best (そんな言葉あり?)をモットーとしようと実践しているつもりであるが、なかなか上手く運ばないこともあり。
 生活全般(仕事を除く):自転車に重きを置きすぎた嫌いもあるが、それ以上に時間がない?言い訳はしたくない。来年も、1分1秒を無駄にせず生きようと思っているが、たまには何をするともなくボーっとする時間も持ちたいとも思う。

2005. 12.29  その1
 徳島市内・12月の平均最高気温は、平年より5℃(11℃が6℃)も低かったということだが、ここへ来てやや寒さが緩んでいるよう。ここ数日の天候次第では、大川原もなんとか登頂できるかも。ところで、昨日書き忘れていたのだが、27日に大川原へ向かう途中、園瀬川の水が今まで見たこともないくらいに澄んでいた。いつもなら澱んでいる渕でも、すっきりと底まで見透せた。これも雪と関係があるのかしら?
 明日も、上々の天気らしい。大川原へ再挑戦したい気持ちもあるが、毎年恒例のお楽しみイベント・HANO氏と年末ツーリングの予定。行き先は・・・?

2005. 12.28  御用納め  ブログ
 本日は御用納め。珍しく落ち着いてゆっくりした一日と思っていたら、夕方になって「お仕事で〜す」。結局21時前に帰宅。
 昨日は、余りある年休を午後からいただいて、何処まで登れるかと大川原を目指した。標高250m付近からぼつぼつと凍結部分が現れ始め、標高500m弱ではアイスバーン状態のところも。なんとか標高700m弱(頂上まで後3kmほど)まで50分かけて登ったが、時間切れ。万全の体制で、後は押しの一手の覚悟なら、頂上まで辿り着けるかも。先日から検討中だったブログ(まだ十分判っていない)にアップしてみたので、こちら(ブログ版・吉野川のほとりから)も訪れてみて下さい。

2005. 12.25  小春日和
 移動性高気圧が西日本を被った天気図通り、久々に小春日和と呼びたくなる無風の一日となる。今日はさほど走れない予定であったが、昼前後に80キロほど走ってくる。天気の良さと無風に誘われて、定番・大坂峠を越えた後、何年振りかで鳴門スカイラインを周ってきた。昨日までより一枚薄着とするが、それでも汗ばむくらいで、しばしジャージのファスナーをオープン。しかし、気温は7〜8℃と思ったほど高くはなかった。
 その後、おそらく最後になる娘のピアノ発表会に。コンテストなどとはほど遠い、日頃の練習の発表会(例えが悪いが、自転車仲間のツール・ド・オオカ〜ラかな?)。みんな、それなりの演奏。聞きながら、持って産まれた才能について考える。しかし、職業としての生業ではないことを考えると、私の自転車同様、まずはそれ(ピアノを弾くこと)を楽しむことが一番との思いに至る。

2005. 12.24  クリスマス・イブ
 相変わらず、西高東低の気圧配置が続き、日本海側の大雪を思えばどうと言うことはないだろうが、南国・徳島の12月としては異例の寒さが続いている。今日も定番・大坂峠へ向かうが、吉野川を渡る・四国三郎橋上では、横からの北西強風に煽られてふらつくため、河口付近にかかる橋の中では一番広いこの橋の歩行者・自転車用通路を通った。あせび公園で一服していたところに「
お仕事で〜す!」コールで一目散で下り、追風参考記録で職場へ・・・・以下省略・飲み過ぎて沈没。
2005. 12.22  冬至
 多忙であった12月半ばまでが嘘のようなこの2、3日。今日は、冬至であった。早朝、朝日を見るべく吉野川の南岸をポタリング。しかし東の水平線上は雲で「だるま」は見られず。珍しく定時に仕事終了したので、夕方は暮れゆく西の空が澄んだまま・透明感を保ちながら深い群青色に染まっていくのを眺める。いつか、この透明感ある日没後の情景を写真に留めてみたいものだ。
 早く仕事が終了したので、ちょっと離れた&比較的徳島では質が高いと思われる本屋へ出向く。それほど期待していた訳ではなかったが、「プラハの春」、「ベルリンの秋」以来、次作を期待していた春江一也の「ウィーンの冬」、そしてこれまた待ちかねていた逢坂剛「暗い国境線」を見つけて、大喜びで購入。さらに、新聞広告で見つけていた「医学は科学でない」(米山公啓)、そして、定番の自転車雑誌を購入。そこそこ高くついたが、まあ自分へのクリスマスプレゼントと考えた。現在「不勉強が身にしみる」(長山靖生:光文社新書)を読んでいる。最近はやりの新書であるが、とても読みやすく、しかも考えさせられる&納得すること多し。昨今、新書ブームなるところも弱冠あるようだが、確かに的を得た、そして読みやすい本が多いと思う。小説では、短編集「冬のはなびら」(伊集院静:文春文庫)を読了。氏の作品は、いくつか読んでいるが、今回は久々。しかし、「陽だまりの木」の冒頭の描写の美しさに酔い、「冬のはなびら」の泣かせる構成にプロの文筆家の実力を垣間見た。
 それにしても、ちょっと飲み過ぎ。12月2日に書いたが、その後買いに走った3本のアルコール+アルファ(2本)が既に消失。これを機会に、という気持ちが弱冠無いではないが、やはり明日も安酒を買い求めているのだろう。
 新聞では、医療費削減の記事や療養病床全廃の記事がトップを飾っている。また、朝日新聞(05.12.22 27頁)では、中島みち氏の手厳しい意見が載っているが、現場の一医師としては、述べたいところ多大である。しかし、これは改めて、じっくりと述べたいと思っている。そういう意味でも、来年は是非HPに
「お仕事で〜す!」の頁を設けたいと思っている。
2005. 12.19  ブログ
 寒さや仕事が忙しかったという言い訳はともかく、寒さにも負けず走っている人は走っている。ただひたすら頭が下がります。私はと言えば、来年の予定も僅かながら立てているものの、どうもモチベーションが上がらないまま。年内は、「まっ、いいか」とロード練習はおろか、サイクリングというよりポタリング程度。昨年はどうしていたかと記録をみると、そこそこにツーリングをしている。今年も後10日ばかり。所用でこの週末は遠出ができず、今月の走行距離は大幅に減少となるだろう。
 ところで、このところブログが大流行?らしい。気軽にアップできるようで、個人ツールとしてはHPより有用?自転車仲間にも利用者が多いようである。当方も、HPサーバーの容量が一杯になりつつあるので、当diary も来年はブログを利用しようかと、目下検討&勉強中。

2005. 12.18  積雪
 今日は、南へ向かう予定であったが、昨夜からの降雪で早朝は路面凍結。早々に断念す。午後から、昨日のあせび公園の氷雪の花をもう一度、と向かうが、予想外に強い陽光と強風で冬枯れの枝に輝いていた氷雪は既に姿を消していた。
2005. 12.17  厳寒  雪&大崩壊 (林道長尾谷鈴竹線)
 第一級の寒波襲来、これ以上適切な表現はないこの数日。南国・徳島も例外ではない(日本海側に比較するとなんと言うことはないだろうが)。時折小雪が舞い、最高気温も4℃未満。とにかく、走れる時には走っておこう、というコンセプトのもとに完全武装で、大坂峠を越え香川へ。
 以前から地図で見つけていた、大窪寺・女体山北側で、門入ダムから女体山へと南下する道に東から合流する道を探る。国道377号線を五名ダムから西へ2キロばかり走ったところから、その林道・長尾谷鈴竹線に入る。林道に入った地点では、畦道に少し雪が残る程度であった。当然、舗装されており、「香川県だから林道といえどもこんなものだろう」と侮ったのがまずかった。道半ばにして、完全なダート。しかも路面は雪に覆われて詳細不明。さらに進むと、大山〜大坂峠縦走大麻山ほどではないが、ほとんど人が入っていないと思われる荒れ様。ブッシュはもちろん、倒木も至る所に。乗車はほどんと不可能となり、押しの一手になるがひたすら前を向いて進む。しかし、なんとかもう少しで門入ダムからの道と合流というところ(おそらく後300m弱)まで登ってきたのに、非情にも目の前に現れたのは、山腹の大崩落(とても担いでも進めない)。泣く泣く来た道を引き返した。
 大坂峠は、凍結も無く走行可能であったが、そこから200m弱標高の高いあせび公園は一面の銀世界。桜並木の枯れ枝に凍りついた雪が、逆光にキラキラ輝く様が満開の花以上に美しかったのだが、その素晴らしさはやはりなかなか写真に捉え切れず(本日のトップ)。

林道・長尾谷鈴竹線にて
このあたりはまだまだ乗車可能
2005. 12.14 寒波 または、だるま太陽  
 約半月振りに、比較的ゆっくりした一日であった。昨日・今日と、徳島では珍しく12月の雪模様。県西部では10〜20cm近くの積雪とのこと。山間部ではもっと積もっているだろうし、平地の徳島市でも氷点下近い気温なので、山道は完全に凍結だろう。最近、国土地理院の地図閲覧サービスで未踏の走行可能そうな山道をいくつかピックアップしていたが、この天候だと週末の山行きは多くは望めそうに無い。
 朝練も、忙しかった上に、この寒さで完全に冬眠状態。なんとか、昨日から「だるま太陽」を拝みに沖の洲海岸までの数キロを往復するのがやっと。この「だるま太陽」は、徳島市内では冬至前後・1ヶ月弱の期間限定。しかも、天候や雲の関係で、実際に見ることができるのは数日くらい。幸運にも、昨日・今朝と日の出部分のみ雲の切れ間で、束の間の時間(前後で数分)を楽しむことができた。指の感覚が無くなってしまう程寒いが、神々しささえ感じられるこの瞬間は何物にも変え難い。しかし(バカチョンカメラのせいにする訳ではないが)相変わらず、なかなか思ったような写真は撮れない。立派な一眼レフを持った年配の人がいて、三脚で構えている。しかも、仕事のためにそそくさとその場を立つ私に反して、時間があるのだろうゆっくりと構えている。どんな写真を撮っているのか興味あるところだが、機材はともかく後20分いや10分でもいい、ゆっくりできる時間があればなあ。束の間の写真、出来はあまり納得できないが、トップにアップしてみます(1、2日で交換予定)。

2005. 12.11 師走・その2
 この2週間、予定の仕事だけでも忙しかった上に、想定外の事情もあって、お楽しみだった本日の「ツール・ド・オオカ〜ラ、番外編」はキャンセル。終日職場詰と思っていたが、昼前からフリーに。疲れ果てた心身を癒すべく?北へ向けてゆっくりペダリング。北西風はそこそこ強かったが、東讃の海岸で一服。やや肌寒いながらも、こうして内海の穏やかな風景とサイクリングを楽しめる健康と環境に、改めてただ感謝。
 「美しき日本の残像」(アレックス・カー著:朝日文庫)、読了。論語からの引用:「知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者」・・・「ものを知る人はそれを好む人に及ばない、好む人はそれを楽しむ人に及ばない」という意味だそうです・・・等、その教養・博識に脱帽することはもちろん、その観点に共鳴すること多し。実現する可能性は無いと思われるが、是非一度会ってお話してみたい方である。同時併読、「豊かさとは何か」(暉峻淑子著:岩波新書)、これもまた極めて示唆の多い一冊。

2005. 12. 8  1940.12.8
 超多忙の今週(先週も)、朝から夜まで働き詰で余裕なし。加えてこの寒さ。朝練はもちろん、この季節のみの「だるま」を早朝・海岸まで見に行く元気も余裕もない。
 夜になって、漸くゆっくりと朝刊を読む(毎日のことだが)。職場でも何紙か目を通したつもりであったが、帰って来て朝日新聞のコラムを読んで、改めて今日が12月8日であることを思い出す。そう思って、昨年の diary を読んでみると同じことを書いている。「だるま」も同様。

2005. 12. 5  寒波到来
 天気図を見ると強烈な冬型の気圧配置。単に先日まで暖かかった反動というわけではなく、絶対的に寒い。徳島市内でも未明に初雪が観測されたそう。西部では積雪、剣山山系を始め標高1000mを越える山々は積雪&凍結だろう。

2005. 12. 4  自転車は楽し! (「大市民」調)
 寒冷前線が通過する束の間の晴れ間に、定番・大坂峠へ。100円ショップで購入した合羽も持って万全の体制でゆっくりとMTBで。紅葉は終わりと宣言したのに、なぜかここでも紅葉三昧。クヌギなどが多いため全体に黄褐色基調だが、ところどころにはハゼの鮮やかな紅が。雨に濡れた木々は一際鮮やかに見えた。以前からこの季節にも何度も訪れているのだが、記憶にない山肌の色付き具合であった。
 昨日は(今日が雨の可能性大と踏んでいたので)、昼前から神山・阿川〜柳水庵〜掘割峠と走ってきた(北西風が強かったので山に入ったら少しはしのげるかと思って)。阿川から柳水庵への道(ここでもサクラがチラホラ咲いていた)は、初めて訪れた時はとてもきつく感じたのだが、今回は心拍数も140台でゆっくり走ったこともあり、ホイホイと登れた。美郷まで下って掘割峠への登りも同様。掘割峠からの、善入寺島を中心とする吉野川中流の眺めは、いくら見ても飽きることがない。一人悦に入り、堪能する。嗚呼、自転車人生は楽し!である。

2005. 12. 2  師走  HP開設・丸3年
 今週、来週と多忙。加えて昨日は当直、例によって36時間勤務。ふと気がつくと12月である。毎年のように季節の移り変わり(自然も行事も)が希薄になっていくように思われる昨今だが、今年は特にその感が強い。夏から秋を通り越えて冬になっていくように思えるくらい。今日あたりが本来のこの時期の気温なのであろうが・・・。おかげで、週末以外は全く走らぬこの頃。昨夜は仕事、今夜も自宅・アルコール切れのため、2日連続の休肝日。これを機にしばらくアルコールを断てれば、とも思うのだが、きっと明日は安酒を求めて酒屋に走っているだろう。

 ところで、本日で当HP開設・丸3年。これもまたいつの間にやら、である。マンネリ化打破・一新するべく?各頁を見直しているのだが、なかなかまとまった時間が取れないため、前に進まないのが現状。先日、何年かぶりで読んだ「THE大市民」:柳沢きみお(コミック)に「しろうとのHPは絶対に止めたほうがいい」とあった。その理由、 「自分の言い訳をHP上で他人に吐き出し続けたら自分の成長は止まり中途半端な人間になるだけだ」。妙に納得&当HPもそうなっているのではないかと反省。まあ、独断と偏見に満ちた好きなことを書くのもいいのではないかとも思うのだが、やはり一方通行でなく、持論に対しての意見のやり取りが出来ることが目標でもある。HPがなければ絶対に知り合いになれなかったような方々とも貴重な交友を持てるようになったことがなんといっても一番の喜びであり財産である。本来ならひとりひとりに言わなければならないところですが、この場を借りて訪れてくださる皆さんに厚く御礼。これからも、さらに多くの人からのご意見や感想を頂き、なおかつお付き合いできればと思っていますので、よろしくお願いしいたします。
2005. 11.27  紅葉狩り
 朝、何気なく地図を見ていて、「そうだ、立川渓谷から吉ヶ平林道が途中で引き返したままだった」と思いつく。幸い仕事も落ち着いていたので、昼前からMTBで勝浦町へ。立川・吉ヶ平林道を走り、上勝町を周ってきた。昨日、紅葉狩りはおしまい、と宣言した舌の根も乾かない今日であるが、立川渓谷の紅葉(それを求めて行ったわけではないのだが)は今年見た中では一番であった。ただし、全山紅葉というわけではなく、立川渓流に沿ってそこここにモミジが散在しているといった状況。谷が深くて狭いので川面まで陽光が至らず、水質は結構良好なのだがその美しさは影になった分だけ減弱。
 林道(南側は全線舗装)を登り、稜線を越えると北面はかなり荒れたダート。途中、旭丸から雲早山に至るスーパー林道方面が一望できるところが2ヶ所あった。この眺めがまた最高。下り切った上勝・月ヶ谷では、毎年のように報道されている、この時期に咲くサクラも見えた。ちょっと思いついて走っただけなのだが、随分得をした。

立川渓谷にて
2005. 11.26 小春日和 
 朝方はやや冷え込んだが、お昼前後は暖かな一日となる。午後から、定番・大坂峠を走ってくる。黄葉(クヌギなど)・紅葉(ほとんどがハゼノキ)が思いの他見られたのだが、11月も末・もう12月という時期に紅葉というのは感覚的にちょっとしっくりこない。先日の落合峠で今年の紅葉はおしまいと決め付けているので、まだ弱冠楽しめるという紅葉狩りにも触手が湧かない状態。それよりも、ちょっとばかり遅くなった帰路、吉野川北岸から剣山山系に沈む夕日が美しかった。川面に煌く夕日の反射も美しくカメラを持っていなかったことを悔やむ(携帯電話でも撮れるのだが・・・)。あまりに美しいので吉野川大橋まで遠回りして夕日が完全に沈むまで心ゆくまで眺めながら帰宅。
 「美しき日本の残像」(アレックス・カー著:朝日文庫) 初版はもっと古い本だと思っていたのに、著者は私より数歳年長なだけで2000年初版。祖谷に魅せられて、という帯がこの本を読むきっかけであったが、彼が初めて祖谷を訪れたのが1973年。ちょうど私が初めて自転車で祖谷を訪れたのと同じ年であったのも何かの縁?同時期に訪れた印象は、育った環境や感性の違いなどから異なるのだが、日本(加えて中国やアジア全般にも及ぶ)の伝統的な文化やその崩壊についての洞察は鋭く、教えられることが多い。欧米で数百年に渡り風土とともに育ってきた文化が、日本(中国およびアジア)では風土とともに育ってきた従来の文化を排除するかのように取り入れても・・・、というような観点を中心に論じられる内容は、とても示唆に富んでいる。先日走ってきた桟敷峠・落合峠を越えるとそこは東祖谷である。桟敷峠と落合峠の間にも数軒の廃屋がある。こんなところ(語弊があるかもないが)にも人が住んでいたんだと、通る度に感心していたのだが・・・。

2005. 11.23 落合峠ツーリング (詳細は近日更新予定)
 悪天候で延期になっていた落合峠ツーリング、本日決行。終日快晴・微風で絶好の自転車日和。総勢8人。ワイワイガヤガヤ話ながら、桟敷峠〜落合峠〜桟敷峠〜松尾ダム〜日の丸林道と走ってきた。残念ながら、桟敷峠より先はほぼ落葉。やはり予定していた2週間前あたりがベストであったか?と思うとちょっと残念。しかし贅沢は言えまい。勤労感謝の一日、走行距離100キロ余・積算標高差約2000m弱と十分にツーリングを堪能できただけでも有難い事。それにしても、山はすでに冬の寒さ。落合峠付近では雪が残っていた。
2005. 11.22 未明  成果と報酬
 昨日、那賀川センチュリーランから帰宅すると、TVで東京女子マラソン・Qちゃんの優勝インタビューの中継中であった。後は無いところまで追い込まれての結果・実力はやはり怪物である。翌朝の新聞には、Qちゃんの活躍とともに、スピードスケート・加藤選手の世界新記録、フィギアの浅田選手の優勝、ゴルフ・宮里選手の優勝など、若手の活躍が報じられていた。それぞれに素晴らしい結果である。才能ある人が努力をして結果を出す。当り前だが、なかなか出来ないこと。私などリザルトからみると一般人としてはそこそこ速いと思われている節もあるようだが、そんなことは決してないと自分ではずっと思っている。昨日も
K氏と話していたが、さして才能もないが努力してこの程度走れるようになったと。本当に才能のある人(ちょっと年は取ってますが、すーさんS原氏など)は、私達の3分の1以下の練習量で軽く追い抜いていくのが現実。自分は普通だ・こんなものだと思っている方、ちゃんと練習すれば、私くらいにはすぐなれますよ。
 ところで、先日野球の松井選手が4年契約で60億円で契約改正と報じられていた。紛いもなく彼は日本一のスラッガーで、大リーグでも素晴らしい結果を出している。それにしても60億円という天文学的な報酬。1ヶ月あたりの報酬が1億円を越えており、私なんぞの残り少ない生涯賃金より彼の1ヶ月分の報酬が多いのには言葉がなし。女子ゴルフでも一回の優勝賞金が私の年収以上(男子はその倍以上)。昨日ラジオで聞いた話だが、天才女子ゴルファーと呼ばれる某選手は、エントリーするだけ(招待選手)で、賞金とは別に15000万円(0の数間違ってませんからね)頂けるそうである。それに比較すると、20日間以上・3700キロも走るツール・ド・フランスの優勝賞金が数千万円というのは、如何なるものか?もちろん単純に賞金・報酬だけが全てである訳ではないことは十分に認識しているつもりではあるが・・・。私の参加した某自転車レースで、沿道の人から「これを走ったらいくら貰えるの?」と聞かれて、「エントリー費を払って参加している」と答えると、その人は絶句・二の句が告げなかったのも事実。所詮、私はそのレベルで遊ばさせて頂いているのだが、それなりに努力・精進しているのも事実である。プロとしてやっている仕事に対する報酬。その額はいろいろな要素により決定するのだろうが、上述の天文学的な報酬を考えると、我が上司(ある分野で徳島の医療をこの20数年間支えてきたといっても過言ではない)の報酬はそのリスクに対してあまりにも少額であると思えるのだが・・・。

2005. 11.20 那賀川センチュリーラン
 毎年、雨の確率がとても高かった那賀川センチュリーラン、今年は昨年のアナウンスの通り中止かと思っていたら、突然秋に開催の報せ。今年は天候さえ良かったものの、例年以上に向かい風に苦しめられた。沖縄直後で体はボロボロ、しかも体調は相変わらず風邪気味で回復にはほど遠い状態であったので、どこまでもつか不安な中でスタート。前半、往路も向かい風だったのだが、数人でオーバーペースとも思える展開(37〜40km/hr)で進む。50キロ地点で4分前にスタートした
リョウさんらに追いつき、そこからは10人ほどの集団で走行。ところが、降り返し地点手前からペースダウン。復路は強烈な向かい風で行く手を阻まれ大幅ペースダウン(30km/hr前後)。一番力のあるK氏がスローペースに業を煮やしていつ飛び出して行くかひやひやしていたが、向かい風が強すぎて断念したよう。おかげでゴールまで千切れずに済んだ。それにしても、終盤も積極的に前を引こうとするリョウさん(私より一回り年上!)のパワーにはいつもながら恐れ入る。
 ゴール後はみんなとしばし談笑。ま〜し〜さんの引き合わせで香川の tadahisa さんとも挨拶。何度かブログを訪ねたことがあったのだが、自転車を始めてまだ1年少々と聞いて驚く。今は走ることが楽しくてたまらないという。そんな仲間が増えることが楽しみ。ゆっくり話ができなかった、フロントトリプルさんや TOKOさん、その他大勢の方、失礼しました。それから、一番にスタッフの方々。来年以降の予定も少し聞いて置きたかったのですが、疲れ果ててゆっくりお礼を言うこともなく失礼したことをこの場を借りてお詫びします(どなたかスタッフの方が当HPを見ていただけることを期待して)。
 15時前には帰宅。自転車の整備後、久々に猫の額ばかりの庭の掃除。とどめは、BEAUJOLAIS NOUVEAU 2005。出来は2003年同等にいいとい噂であるが、猫に小判?

2005. 11.19 血行障害
 まだまだ沖縄の疲れが取れていないのに、明日は那賀川センチュリーラン。どうなることやら。
 昨日、今日と少しばかり走る。しかし、寒い。昨日は帰って来て妙に指が痺れるなあと思っていたら、手袋を脱いでビックリ。夏の丸岡・落車時に痛めた右中指の第2関節から末梢が真っ白け。明らかに血行障害である。第2関節は相変わらず腫れ上がって完全に伸展屈曲が出来ないままなのだが、仕事にもなんとか支障なしに過ごせるようになってきたので安心していたのだが・・・。しばらく観察していたが、第1関節まで色調が復帰するのに約10分、先端までは20分もかかった。仕事柄、手足の血行障害は時々診るのだが、これほど明確なのはさほどお目にかからない。指には両側に動脈があるのだが・・・。これから冬、MTBで山に入るシーズンなのだが、大きな不安材料である。

2005. 11.16 未明  日常生活復帰?
 出張から休日兼レースで、久々に5日間も仕事から遠ざかっていたが、体調不良ながら、無事?仕事復帰。いつもの多忙な日々となる。
 それにしても、東京発沖縄行き&沖縄発関空行きの乗車率の高さに驚く。ほとんど空席無し。体調不良と披露困憊の行き帰りであったが、道中、湯本香樹実「西日の町」、浅田次郎「椿山課長の七日間」を読む。図らずも、どちらも「死」がひとつの中心として話が展開する物語。前者は「夏の庭」同様、少年(少女)の視点から老人およびその死を淡々と、しかも静謐に描いた話。設定が私と同時代ということもあるのだが、多くの人に是非読んでいただきたい一冊。後者は、朝日新聞に連載されていた新聞小説。氏の作品の中ではなんとなく敬遠していたが、新聞小説は多分に読みやすく書かれているので、道中には気楽に読めるかと携帯。しかし予想以上に、エンターティメントとしてはもちろん、その中にも明確なメッセージがあり、一息に読み終えてしまった。氏の作品は、得てして善人が多く登場するのだが、本作品も同様。しかしそれが全く鼻持ちならずに素直に読めるのが、力量か。

2005. 11.14  ツール・ド・沖縄
 先程、沖縄より帰宅。病みあがりどころか出張で、体調再悪化・DNSも考えた沖縄。強引にスタート地点に立ったものの、直前の試走で腰痛再発、さらには辺土岬から与那までの豪雨、極めつけは慶佐次で両大腿四頭筋痙攣という惨憺たる状況で、最後の5kmは朦朧としながらなんとか完走。昨年の王滝では7時間以上走っていたし、過去に何度か参加した徳之島トライアスロンでは、毎年のように38℃前後の高温多湿の中6時間前後走り続けたものだが、これほど憔悴したレースは初めて。詳細は、ツール・ド・沖縄に(今週中にアップのつもりですが・・・)。

2005. 11. 9  とうとう
 明日から東京出張で、1週間走らないまま、沖縄へ向かう予定。出場するからには納得のいく走り&昨年よりはいい成績を、と思っていたのだが、ここにきてガラガラと音を立てて崩れていってしまった。後は、せめて好天に恵まれることを祈るばかり。
2005. 11. 7  アルコール消毒
 鼻水だけは弱冠収まったものの、相変わらずの咽頭痛にもかかわらず、仕事上話すこと−説明−が多い一日。月・火・水と弱冠の朝練をと思っていたのだが、全く走らない1週間で沖縄突入になりそうである。しっかりとアルコール消毒?を行って、就寝の予定。
 村上春樹:「東京奇譚集」相変わらずの村上ワールドが展開。5つの短編集だが、どれも秀悦。「偶然の旅人」がベストかなあと思っていたが、見直してみると他の4編も全て同等?にいい。まあ、読書なんて人それぞれの読み方があっていいものだから・・・。辻 仁成;「アカシア」これまた短編集。まだ2編を読んだのみであるが、「ポスト」はその出だしの描出がなんとも言えず、そして全編にわたって良質のフランス映画(あまり映画は見ないのだが)を見ているよう。「明日の約束」も、その視点が素晴らしい。やはり作家の創造力には脱帽である。他に、「イソップ株式会社」 井上ひさし、「私の話」 鷺沢 萌 など。

2005. 11. 6  沈没
 終日風雨、予想以上の悪天候であった。とてもツーリングどころか自転車にも乗れない荒天(吉野川大橋の電光掲示板で風速10m)。
 という訳で、久しぶりにゆっくりと過ごせる休日と思っていたのに、朝からノドが痛くて鼻水ズルズル、おまけに熱っぽい。午前中、鼻水垂らしながら一仕事の後は、終日臥床の羽目に。昨日、明日は走れないだろうからと練習・シャワーの後、あまりの暖かさ(暑いくらい)にTシャツ短パンでウロウロしていたのがいけなかったようだ。するべきこと、したいことなどいろいろあったのだが・・・。横になっていると鼻水だけはしのげるので、ボンヤリと少し読書したのみ。1週間後は沖縄というのに、最悪である。

2005. 11. 5  沖縄まで後1週間
 明日は、みんなで楽しく落合峠へツーリング、と思っていたのに、無情にも降水確率80%のため、早々に延期(中止ではない)とする。昨日・今日と無風・好天で暑いくらいであったのに、明日は予報天気図からもどう見てもちょっと無理。紅葉にはベストの日程なのだが・・・。
 沖縄に自転車を送る。初参加の昨年は、リョウさんたち常連さんに準備を全てお任せであったが、今年は自分で一から準備。なんとか手筈整って、後は行くだけとなったが、気持ちも体調も今二つくらい。
 午後から大坂峠へ。沖縄まで本格的に走れる日はもうなさそうなので、それなりに心拍数も上げようと思っていたのだが、どうももうひとつ。昨日も日当直空けで、なんとか14時過ぎに仕事を片付け、久々の大川原へ行ったのだが、足も心臓もさっぱり回らず。
2005. 10.31  金管バンドコンテスト  
 この1週間、仕事がそこそこ忙しかった上に学会出張があったりで、更新が遅れていた。日々、思うことは多々あるのだが、疲れきって帰宅すると、アルコールの嗜みながら遅い食事を取り、ちょっと本を読んでいるとすぐ日が変わっている(今夜も同様)のが現実。朝練も先週はとうとう全休。沖縄まで後10日ばかりとなったが、乗鞍以後レースに遠ざかっているせいもあるのか、気持ちが全くレースモードにならず。
 昨日は、絶好の自転車日和であったが、娘の金管バンド(ブラスバンドですな)の四国大会とやらが私の出身地・香川の片田舎であったので、家族数名で参観。音楽はどちらかというと好きなほうだと思うが、およそブラスバンドというもの(母校の高校のそれはなかなか有名であった)は、ブンチャカブンチャカという高校野球の応援のような印象が強くて、あまり好きではない。しかし、小学生とは言えども(それなりの学校もあったが)、同時に行われたマーチングでも統制がとれて、音階も正確で素晴らしかった。娘の学校は、指導教諭の方針が「みんなで楽しく」という趣向であるらしいので、厳しく練習している他校と比較してかなり見劣りするのではないかと思っていたが、それほどでも無し。審査では、「グッドサウンド賞」までいただいたと、娘はご満悦であった。それにしても、どの演奏でも主である金管よりパーカッションが目立ったのと、数少ないシロホンの音が非常によく通るのに驚いた。同様の印象は拝聴した家族みんなの共通意見であったようだ。
 2、3日前、自民党の「憲法草案」なるものが、ほとんどどの新聞にも出ていたと思う。見開き2頁ほどであったが、どれほどの人があの全文を読むのだろう。私も斜め読み以下。加えて、その解釈の仕方も人により弱冠異なるようである。国家の国民生活の根本であるのだから、ちゃんと目を通しある程度理解&把握が必要だとは思うのだが・・・。

2005. 10.23  初雪!
 昨日午後、不安定な天候の中、定番の大坂峠を目指したのだが、北西方向のあまりの暗さに懸念し、急遽行き先を眉山へ変更。少なくても2本登る予定であったが、とても寒い!2日前まで朝練でも短パン半袖であったのに、レッグウォーマー&上着でも寒い!あえなく1本で退散。
 そんな昨日の今日、瓶が森林道を走ってきた。昨日眉山での寒さから、標高1700mの瓶が森の気温を測りかねていたのだが、予報より回復が遅れた天候のせいもあってか、真冬(徳島の基準で)のような寒さであった。路肩には、シャーベット状になった雪があちこちに見られた。持っているだけの服&100円ショップで購入した合羽まで羽織って、なんとか寒さをしのいだ。標高1500m以上ではほとんど雲の中であったが、雲の切れ目に見える風景は瓶が森林道ならではの、空中散歩・天上の道(瓶が森林道・更新予定)。明日、明後日はいい天気のよう。お休みが取れる方、是非行かれることをお勧めします。当然、自転車走ることが前提ですが・・・。

2005. 10.20  医療費抑制・・・「医療費削減」じゃなかったが、実質的にはこの表現が正しい
 今朝の朝刊の一面はほとんどどの全国紙もこの見出してあった。公表された厚労省試案についての記事。これは、語り尽くさなくてはならない問題なのだが、例によって今夜も飲みすぎ注意、であるので、比較的私の意見を代弁してくれている一説を。
 「・・・医療は、人件費が半分を占める。無理に抑制すれば、人手が減り医療の質は下がる。先進7カ国の中で、日本の医療費は最低水準で、精神医療や小児科・産婦人科などの医療現場は既に余裕を失っている。本来、適正化とは費用抑制だけを意味しないはずだ。国民負担率も他国に比べ低いのだから、イギリスのように医療の質や効率をモニターしながら、必要な医療費は拡大する選択肢も国民に掲示されるべきだ」(朝日新聞より:日本福祉大学・近藤克則氏)

2005. 10.19  靖国参拝
 先日の大阪高裁の違憲判決に挑むかのように、小泉氏がまた靖国神社に参拝した。それだけでも驚くこと&憂慮すべきことと思っていたのに、それ以上に驚いたのが、朝日新聞が行った世論調査の結果。参拝を支持する人と支持しない人がほぼ半々であるということ(付け加えるなら、女性の方が支持率が高いということも)。支持者には「戦死者への慰霊になる」「外国に言われてやめるのはおかしい」という理由が多かったそうで、非支持者は「周辺国への配慮が必要」が最多とのこと。それこそ考え方はそれぞれあるもので、自分のスタンスが普通と思っていることが誰でも多いと思うが、周囲からみるとちょっとおかしいことが多分にあるようだ(私もしかり?)。しかし、今回の世論調査の結果から、事の本質をあまり理解しないまま(私もそうだろうが)に判断していると言うのは言い過ぎだろうか?「靖国問題」、「あの戦争は何だったのか」を再読する必要がありそう。
 夕方、たまたまチラッとみた国会でのやり取りでも、小泉氏はしきりに「私的」ということを強調していた。確かに私的な考えは憲法で保障されているのだろうが、一国の首相の言動はいくら私的見地からであっても、首相というとても公的な立場を考えて行動するべきであることは自明であると思う。私には、やんちゃ坊主が駄々をこねているとしか思えないのである。&それを支持する人がほぼ半数というのにもどうも納得がいかないのである。
 そんなことはお構いなしに、時は過ぎていく。ピンと張り詰め冷えた大気の中、美しい朝日が映える日々が近づいてきた。

2005. 10.16  本州遠征ツーリング (近日アップ予定)
 昨日の雨は東に去って、やや肌寒いながらも晴天に恵まれた本日、蒜山高原・大山周辺を走ってきた。コースは最高。全線にわたって道路状況良く、車少なく、遠景も近景も素晴らしかった(蒜山高原&自転車道、畝の松並木、船上山の奇岩、ブナを中心とする落葉樹の道、そして見る位置によってその姿を変容させる大山などなど)。紅葉には少し早かったのと、雨上がりにもかかわらず日本海がくっきりと見えなかったことを残念に思うのは贅沢というものだろう。それにしても、徳島からほぼ日本海近くまで行き、自転車で110km・積算標高差約2000mを走ってゆっくり日帰りできるなんて、数年前には考えられなかったことである。連絡された高速道路網と瀬戸大橋の恩恵である。問題も多い、日本の高速道路・本四架橋ではあるが、その利便さは認めざるを得ない。

2005. 10.15  終日、雨
 朝から夜まで止むことの無い雨の一日。そんな降りしきる雨に濡れながらも今日しか無いとばかりに、猫の額ほどの庭に植えられた、キンモクセイ(花が終わったところ)とシラカシの剪定をする。たかだか4本であるが、軽トラックの荷台一杯になるほどの切り枝。適当に切ったのだが、果たして来年も芳しい香りを振り撒く花を咲かせてくれるかなあ?
 明日は晴れの予報。紅葉にはまだちょっと早いのだが、本州に遠征ツーリングの予定。
 帚木蓬生:「千日紅の恋人」・・・「半島を出よ」を読んだ後には、とても柔らかくて清涼な一冊。しかし帚木蓬生氏の作品は、もう少し社会的で骨太な作品(「三たびの海峡」や「逃亡」など)により心惹かれる。

2005. 10.13  O O の秋
 週末は天気が今一つのようなので、今朝こそは朝練と思っていたのに、午前6時前は薄暗くしかも結構肌寒い。なんて言い訳で走らないまま。仕事は月曜日が休日だったこともあるためか、この3日間、朝から晩まで休みなしの状態であっという間に週末。明日もきっと同じ様な一日だろうが、なんとか起床して走るぞ!とここで気合をいれて宣言しておけば、当HPを訪問してくださる皆さんの手前、怠けるわけにはいかないという魂胆。
 それにしても、ついこ先日まで汗ダラダラの蒸し暑さであったのがウソのような涼しさ。何をするにも最高の季節?スポーツの秋、読書の秋、勉学の秋?食欲の秋!(お酒もよりおいしく)etc・・・。個人的には、可能な限り紅葉を楽しむツーリング or ポタリングをと思っているのだが、週末の天候と仕事の落ち着き具合が全て。10月末から11月にかけて2つの学会発表が次第に重荷になってきて、「沖縄はなるようになるさ」である。悪天候の週末ならゆっくりと読書、たまにはTV観賞(滅多に見ないがテレビ欄をみるとBS−CATVで通常に見られる−にはちょっと見てみたいと思う紀行などの番組も結構ある)なんてのもいいだろうと思うのだが、我が家には小さなTVが一台限り。チャンネルは常に私以外の3人が握っている。


2005. 10.10  「医者は儲かる」って本当?
 昨日の朝日新聞の特集 「医者は儲かる」って本当? に対しての私的見解。当HPを訪問してくださる皆様の率直かつ手厳しいご意見をお待ちしています(掲示板に書き込み&メールよろしくお願いします)。
 朝日新聞を購読していない方のために内容を要約。「医療費が増える中、医師への報酬など医療費の半分を占める人件費を減らすべきかどうか、が議論になっている」との滑りだしで、医者の給料について具体的な数字を挙げて論じている。勤務医と開業医に分けて論じているが、勤務医と会社員を比較して年収は約2.5倍、開業医と自営業を比較して約7倍であるという要旨。人件費は医者だけでないのに・・・。
 その1:
比較の対象が適切であるか? 田舎育ちの私にとって、いわゆる会社員とは一体どんな仕事をしているのか、幼い頃からとても不思議であった。10年ほど前に徳島の一般的な会社員と呼ばれる人の月収を聞いて驚いたことがある(私より数年年長であったが、私の7割くらいであった)。しかしその一方で、徳島では数少ないメジャーである某大企業に勤務する方の奥様が我が家のボーナスを聞いて、どうしても信じられないと言われたのも事実(貴殿のボーナスは我が家のなんと2.5倍!)。大企業や金融関係者の年収は医者より多い。会社員と一括されたあまりにも漠然とした比較対象に疑問(ちなみに一般公務員給与の参考とされるのは大手企業の平均値で、おそらく今回の比較となった会社員の平均よりかなり高額である。開業医と比較されたいわゆる自営業の範囲の大きさはもっと大きいと思うので、7倍というのも釈然としない)。
 その2:
年収で書かれているが、その大部分は超過勤務と特殊手当てによるところが大。ちなみに基本給は、同年齢・同じ職場の事務職や看護士と比較して約1.3倍(公務員に準じてほとんど統一されている)。年収に占める割合は6割前後。年間の実働時間に対する単純時間給では、彼らの方が絶対的に多い(一日の実働仕事時間+休日勤務・日当直-年休など)。ボーナスは彼らの方が多いこと多し(その昔、「ボーナス出たらご馳走してね」とNsに言われたが、いざボーナスを手にしてみると彼女らのほうが多かったのでその後声がかからなかったというのが事実)。昨日も某人に、「手術を沢山したら給料は増えるの?」と聞かれたが、答えは当然「否」である。(勤務時間外であれば超過勤務はつくが)いくら多くの仕事量をこなそうと質の高い医療を行おうと、給料には全く関係なし(聞くところによると、航空自衛隊では操縦時間が増えると給与が上がるそうです)。
 その3:
本当に設けているのは誰だ? 医療というのは、マンパワーが必要である(効率化には限度がある)。公務員Nsの給料の高さを述べたが、開業医勤務のNsは遥かに低い。しかし絶対的に人手が必要な仕事内容なのである。そんなことは顧みられずに、医療費削減ばかりが論じられる(しかも上述のように人件費の高さが医療費高騰の原因であるかのように論じられる、欧米では医療従事者の絶対数が遥かに多く&給与も高い)。私達がどんなに仕事をしても、医療費の大部分が薬剤メーカーや医療機器メーカーに飛んでいくことをほとんどの人は知らない。医者の技術料なんて、保険点数から換算すると喫茶店のアルバイト程度の時間給しかないのが事実である。高齢化社会や医療技術の進歩?により、総医療費の自然増はなかなか避けられないかと思う。しかし9.26の「日本の医療水準」でも述べた如く(現行の医療保険制度には全く問題がないとは言わないが)、アクセスの良さやコストの少なさ(ひとつひとつの医療費は欧米に比べると驚くほど安価である)は、WHOが認めるように世界でも一級のものである(質も世界レベルでまずまずと思う)。ところが、個々の医療費はそんなに安価であるのに、医療機器だけは欧米より遥かに高いのである(ペースメーカー、カテーテル、ステント等.・・・)。
 ちなみに、私は医者になってほぼ25年、現在は公的病院の勤務医である。日本をリードするエキスパートではないが、医者を志した時にこれだけにはなりたいと思ったところ(それほど高くはない目標だったので)には達しているつもり(しかし奥は深くてまだまだ修行が足りないと思っているのも事実)。年収は上記の朝日新聞の通り。最近でこそ、自分より下(という表現が適切かどうか)ができたので、1st call で呼ばれることはほとんどないのだが、それでも1週の平均的な実働時間は約60時間(もっと働いている医者もいるしそうでない医者もいるので、院内では平均的なところ?)。これまた最近は呼び出しは減っているが、当然24時間 on call 状態(走っている時も携帯電話・命)である。当直はもちろん当日の朝から仕事をして(翌日の午後は休んでも良いという事になっているが)、翌日フルタイムで30数時間の連続勤務が日常である。休日勤務(日直・当直)しても代休はない。公務員であるから年休もあるが、消化できるのは極僅か(年休は2割弱)。給料は確かに徳島では一般の会社員より多いが、さて、皆さんどう思われますか?
 最後に。およそ、「儲かるから」、と思って仕事をしている同朋は少なくとも私の周囲にはいないと思う。「儲かる」という観点で論じるのは同業者以外の感覚である。最近の医療事情を考慮すると(特に近年の凄まじい医療訴訟を考慮すると)、
こんなハイリスク&ローリターンはない、と言うのがもっぱら同僚との最近の愚痴話である。そんなモチベーションを低下させられる話ばかりが多い昨今だが、眼前の患者さんに対しては標準的な医療は当然、できる限り全国のトップレベルに近い内容を提供しようと実践しているつもりではある・・・。
 次回は、「医療費削減」について私見を述べたいと思っている。  ・・・ぐだぐだ言っているうちに焼酎がまた5合空いてしまった。
2005. 10. 9  高仙山
 久々に、みんな集まっての練習会に参加。コースは板野・田園パーク〜大坂峠〜引田〜旧道大窪寺〜高仙山〜脇町〜吉野川土手〜板野、約120キロ・積算標高差はおよそ1000m。大窪寺からは未定であったので、私の希望を聞き入れてもらって、先日から気になっていた香川県・三木町の高仙山へ廻ってもらった。大窪寺から西へ少し走った所から右折、県道148・多和三木線を北上し広野というところで左折。ここから山頂までは予想通り(それ以上)の急勾配。随所に10%を越える坂。結局3kmあまりで標高差300m弱を登ったのだが、数字で表される以上に堪える登り坂であった。しかし、山頂・展望台からの眺めは、これまた予想以上に素晴らしいもの。弱冠靄っていたのが残念だったが、北へ向いては讃岐平野が一望。五剣山、屋島、五色台、讃岐富士(飯山)の山々や高松市街が眼下に手に取るように見える(写真右:小さくて判らないが、みんなの背景は讃岐平野)。靄っていなければ、間違いなく本州もくっきりと見えるはず。お気に入りのコースにまたひとつ追加である。脇町のうどん屋で大休止の後、吉野川の土手を35〜38km/hで疾走。いい練習になりました。
 「医者は儲かるって本当?」という特集が今朝の朝日新聞に。これについては思うところ大なので、1両日中に私的見解を書きたいと思っている。
 上記もおよそ diary に記すべきことではないのかもしれない。数日前から、この冬には当HPを刷新するべく各ページを少しずつチェックし始めているのだが、どうもはっきりしない・面白くない・わかりづらいと思われるページが多いように思える。要は、何を伝えたいのか?を明確にすることである、と今更ながらに反省中。

高仙山・展望台にて
2005. 10. 8  
 日本列島を横切る前線のためか終日すっきりしない天候であったが、多少の小雨は気にせずに午後大坂峠へ。萩がちょうど満開。往きはちょっと蒸し暑かったが、久しぶりに登ったあせび公園は休憩しているとちょっと肌寒いくらい。前線が通過して北西風が入ったようだ。そう言えば今年は秋雨前線という言葉をあまり耳にしない。
 この2、3日、いろいろと書きたいこと(仕事関係)があったのだが、もうひとつ踏み込めず(でも、近いうちになんとかちゃんと形にしたい)。
 村上 龍:「半島を出よ」読み終える。遅読の私としては画期的なスピードで読破。単純にストーリーを楽しんでも(なかなか楽しむという気持ちにはなりにくいかも)面白い小説だろうが、私にとっては実に様々なことを考えさせられた小説であった。作者の意図するところが何であれ、100人の読者がいれば100人の読み方があるだろうと思う。メインストーリーの随所にちりばめられる小さな話だけでもひとつの世界がある。本当に小説家の創造力ってすごいと思う。巻末の参考文献の多さを見てまた驚く。感性だけで書かれた素晴らしい小説も多いが、リアリティを失わないために決して創造力だけではなく、地道な文献検索や専門家から知識を学ぶ労力・パワーなどは圧倒的で、それに比べると私の学会発表や論文など屁のようなものだ。


2005. 10. 4  キンモクセイの香り
 昨朝出勤時には、それほどはっきり匂わなかったのに、当直で一夜明けた今夕、帰路の至るところからキンモクセイの香りが。珍しく定時(と言っても昨朝から連続勤務後だが)に終了、まだ明るいうちであったので捜してみると、ありました、甘いオレンジ色の小さな花がそこかしこに。今日は午後から雨の予報であったが、結局夜になっても曇りのまま。しかし、これから一雨毎に涼しくなっていくのだろう。
 新聞、ネットで「日本で最も美しい村」連合の発足を知る。徳島県・上勝町もその仲間に。地方・徳島県の中でも山間の過疎地で、高齢者の比率も高い村であるが、近年食材のつま物「彩」や「ごみ0宣言」など、ちょっと気になる&なかなか魅力のある発信を続ける町である。連合のいずれの地域も単純に美しいというだけでなく、独自の路線を確立して、現在社会にも十分に対応できている地域という印象が強い。ちなみに上勝町は、大川原高原の南側、町を貫く勝浦川の上流(例によって上勝ダム前後は論外)はとても美しい清流である。現在・表紙を飾っている彼岸花の撮影地・勝浦町・坂本地区は上勝町との町境。
 「那賀川センチュリーラン」の案内が届いていた。諸般の事情で中止となっていたが、なんとか開催されるようでうれしい限りである。しかし、先程コースを確かめると復路が阿瀬比を回らずに那賀川沿いを戻るコースに変更されるよう。やはり前年の事故のためか?


2005. 10. 1  いろいろ
 仕事&自転車ともに、大きなイベントもなく比較的落ち着いた9月が過ぎ10月に。朝夕はめっきり涼しくなってきたのに、なぜか今日はやや蒸し暑いくらいで、10月にもかかわらずTシャツ・短パンの一日。昼過ぎまで仕事のため、午後からゆっくりと自転車モード。明日は、お隣・香川県・綾上町でロードレースが行われるので、仕事の都合がつけばサイクリングがてら応援(これまた初めての経験)にと、考慮中。
 先程、ヤフーのトップで、イチローが5年連続200本安打達成を知る、おめでとう!歳とともに野球には興味が薄れ今ではプロ野球も高校野球も全く興味が無いのだが、イチローや野茂、松井など、メジャーで奮闘する日本人の活躍には喝采を送りたい。
 購読紙は朝日新聞であるが、先日(9.29)職場にあった産経新聞のコラムを読んで、目が点になった。まあ、自由な発言・表現が出来る現在はとても素晴らしい事であるのだろうが、いわゆる全国紙がこうも違うものか?とため息。一市井の我々は今のところいろんな視点から物事を眺めることができるので、それゆえ冷静・客観的は判断がとても必要と痛感。
 村上 龍「半島を出よ」、購読中。氏の小説はとてもメッセージが強くて、気楽には読み通せない。「半島を出よ」はその中でも突出している?あまりに根をつめて読むと息苦しくなるので、井上ひさし「イソップ株式会社」を同時並行で読破中。
2005. 9.28  いよいよ秋?  
 今週は(先週の反動か)忙しい毎日が続いている。昨日も仕事が一段落したら夜になっていたが、いつのまにか雨が降っていた(約1ヶ月振りの雨らしい雨)。今朝は一気に気温が下がったようだ。昨日の朝練も、一枚上着を着てのスタートであった。
 新聞からの話ばかりで恐縮だが、今朝の朝刊(といってもゆっくり読むのは帰宅後の21時過ぎ・購読紙が朝日だけなのでご了承を)にもいくつか気になる・もしくは刺激的な記事が掲載されていた。 その1:「働く・仕事考」東京・下町の金型工場・社長?の話。「オレはダメだ、みんなよっか一段下なんだ、でもプレスの技術だけはどんなやつにも負けない・・・、自分は日本一なんて思っちゃったら、そこで人間おしまい・・・」。 その2:「55歳、思うように生きればいい」・・・脱サラで農業を始めた人の話。 その3:時評論評「政治のバブル」、で引用された一文。「20代前半は北海道を除く地域で自民党が最多を占めた」との文章。小見出しには「人生の意欲低い若者」とあるのは、ちょっと・・・とも思うのだが、いろいろと考えさせられる今回の総選挙の結果であった。最近、これからの世界のことを考えれば、最も大切なことは教育だと思うことが多いのだが。そう言えば、負け犬の遠吠えではないが、昨日の天声人語でも、「先の総選挙、野党の総得票数が与党のそれより弱冠多かった」とあった。これもある意味では重要な事実。
 最近の表紙の写真から。畦道に咲く彼岸花を絶妙の構図で撮りたかっのだが、どうも山村の棚田(すなわち1枚が狭いほど畦道が近くにある)ほどいい構図が出来るということに気付く。彼岸花・その2は、中学生時代の国語で(誰の句であったか忘れたが)、秋の空に向かってすっと伸びる彼岸花を姿を端的に読んだ句が印象的で、それを視覚的にと思いながら捜したのだが、これまた適切に表現できる被写体を見つけられず。こんなところでまあいいか、と妥協してしまった1枚。

2005. 9.26  昨日の朝刊(朝日)から
 一面は、放鳥されたコウノトリの話題(確か毎日新聞の一面も同様)。毎日、暗い事件ばかりが報じられることが多い中、時にはこんな話題も有難いもの。それにしても一度失ったものを再び甦らせるのは、なんと難しいことであるか。自然だけでなく、信頼もしかり。失うのは容易く、得るのは地道な努力が必要。社説では、久しぶりに「吉野川・第十堰」の話が。「第十堰」については、「川への思い」に一欄設けようと思いながらそのままになっている。「川への思い」も中座したまま。自転車オフシーズンには、少しずつでもアップするように努力のつもり(自転車オフシーズンなんてあるの、という声も聞こえそうだが・・・)。
 シリーズ・社会保障では「日本の医療水準 世界と比べると」と題して、欧米の医療先進国5カ国と比較して検討されていた。朝日新聞としては珍しく「総合評価で最高レベルを維持」との見出し。医療水準の高さを、1:質、2:アクセス・利用のしやすさ、3:コストの3点から統計上の数字として挙げると、WHOも認めるが如く、アメリカなんかより遥かに水準が高く評価せざるを得ないのである。しかし、国内での評価は一向に得られず、医療費抑制ばかりが声高に叫ばれる。老齢人口の絶対数が増えるにしたがって、医療費の増加を押さえるのはなかなか困難と思われる。問題は何処にあるか。
 また、最近では「医療ミス」(これも安易に使って欲しくない言葉である)の多さに、医療における安全がクローズアップされている。これはとても大切なことなのだが、やはり安全にもコストは必要だと思う。従来、安全対策が重要視されていなかった故にコストもかかっていなかった。どんな業種においても安全対策には、ある程度のマンパワーとコストが必要だと思うのだが、みなさんどう考えられますか?あまり漠然として、理解しにくいかもしれません。ただ、じっくり書こうとすると時間とページが足りない? とりあえず、今夜はここまで。


2005. 9.25  運動会
 今日は、娘の運動会。小6生のためおそらく親として見物?するのは最後。私が小学生の頃(その地区の特性かもしれないが)、親・家族が運動会を見に来るなんてのは特殊なことだったので、私にとってはずっと違和感のある行為であった。そんな思いも持ちながら、10年余り、子の運動会に一応参加?してきた。私自身は鈍足で(騎馬戦なんかは得意中の得意だったが)あまり運動会が得意ではなかったが、客観的に見るとなかなか楽しいものである。特にクラス対抗リレー(これまた私の頃は代表者数人が走るだけで縁がなかった)なんかは最高。結果はどうあれ、ドラマがあります。ご当地・徳島ならではの締めくくり・阿波踊りもなかなかいいもの。中には明らかに有名連で練習していると思われる達者なものもいるし、どうみても嫌々踊っておる輩もいるが、実際に踊る機会は意外と少ないのでいい企画だと思う。
 先日、某自転車仲間に「やまさんて、走りまわってますけど、家族の理解は・・・?」というニュアンスの指摘を受けた。当HPでは、自転車中心に進めているため、家庭の話はもちろん、仕事(こちらもちゃんとやっているのか?と不信に思われやしないかいつも危惧してます・近いうちにちゃんと仕事に関するページを設ける予定)に関してもどちらかと言えば、敢えて避けているところあり。現実的なところ(睡眠時間5〜6時間を除いて)、一番時間を獲っているのが仕事。しかしこんなに走れるようになったのは、子供達が大きくなっことと、仕事で 1st callで呼ばれなくなった環境などがとても大きいのである。数年前には、これほど走れる環境というのは考えられなかった(10年ちょっと前、漸く片言が話せるようになった息子が、たまに相手をしているとポケベル(死語ですね)が鳴って「すぐ呼ばれるね」と言っていたのが象徴的)。
 というわけで、運動会終了後そそくさと自転車モードへ切り替え、大坂峠を走ってくる。雨が降ったわけでもないのに、強風のせいか夕方の斜光線のためか予想外に見晴らしが良く、大坂峠の展望台からは久々に播州地方など本州が見えた。


2005. 9.24  先を越されました
 今朝の朝刊の一面。朝日新聞は大和路の彼岸花、徳島新聞は市内の寺の萩の花。いずれもカラー写真で。芸術性という点では、どうと言うことはないかもしれないが、いずれも優等生的な構図、色調であった。なかなかこんな写真も撮れないのですね。という訳でもないが、本日はツーリング気分と称して、大川原経由で上勝・勝浦へ。狙いはもちろん、彼岸花&秋の色。彼岸花はそこかしこに点在するのだが、すでに弱冠最盛期を過ぎていたり、絵にするにはちょっと、と思うことばかり。なかなかいい写真は撮れません。まあ、そこそこというのを何枚かトップ頁にアップしてみます。
 ベストセラー「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」を読み始めた。こりゃあ面白い。会計学なんて全く縁の無い学問だと思っていたが、そんな大上段に構えたところは全くなく、しかも一般の家庭でも十二分に活用できる内容が積み込まれている。なるほど、と思うこと多し。ベストセラーになるはず&決して買って損はしない本であると思う。


2005. 9.23  秋分の日
 秋分の日の一日、朝夕は随分と涼しいが、日中はまだまだ蒸し暑い。今週も仕事が落ち着いていたので、休日の仕事も手早く終え、昼前から西へ、雲辺寺を登ってきた。山頂まで登ったのは、中学1年生の時に友人達と香川側から4時間近くかかって徒歩で登って以来、30余年振り。もちろん、自転車では(手前までは2004年春に登っている)初めて。残念ながら、靄っていて眺望はさっぱりであった。しかし、曼陀からの道との合流地点からは、杉木立の中をひんやりとしてとても趣のある参詣道であった。池田町馬路・白地境から県道268号線を約10kmの登り。最後の2km程は10%を越える勾配であったが、登り始めはそこそこの坂。畦道の随所に彼岸花。季節を代表するこの花をなんとか上手く表現したいと思うのだが、なかなかいい写真が撮れず。コスモス、萩、そして本日何処かから僅かにキンモクセイの香り。秋の花シリーズでトップを飾ってみたいとも思っているのだが・・・。
 そして、後一ヶ月もすれば、紅葉の季節。いくつかプランを練っているのだが、後は仕事とお天気次第。


2005. 9.19  まだまだ蒸し暑い
 中秋の名月の昨日、かねてからの予定通り、高野山を起点とする・紀伊半島・山間部の道を走ってきた。結論から言うと・・・、アップを控える頁を見て頂くの楽しみが無くなるので、ここでは述べないが、走行距離170kmあまり・積算標高差は軽く2000mオーバーという、とてもタフなコースであった。本来なら一緒に走ったはず(急な転勤でやむなくキャンセル)のマリンピアンさんからいただいた今回のコース(少し前に走られた記憶をもとに綴った)走行記録のメールを読み直して、その客観的に的確なコース概要とあまりに私見と一致した主観的感想に驚く。

2005. 9.17
 朝夕、めっきり涼しくなってきた。日の出も遅くなって朝練も滞りがち。明日は、お仲間4人でと高野山を起点に紀伊半島の尾根を走ってくる予定。本来なら、王滝であったこの週末だが、一日申し込みが送れて参加不能。K氏平キンちゃんは、今頃昨年と同じ宿で明日の英気を養っていることだろう。リョウさんもツール・ド・北海道・市民レースでトロフィーを貰っているはず。私は、沖縄までレースの予定はなし。出場してみたいレース(エンデューロを含む)はいくつかあるのだが・・・。
 14、15日の新聞に、先の選挙に対する・これまた私の思ってはいるがうまく表現できないことを、ずばりと論評してくれた記事を読んだ。これについては、数日中にまとめたいと思っている。
 前から読んでみたかった、村上 龍「半島を出よ」を読み始める。出足からなかなか面白そうである。
2005. 9.14   塩塚高原
 先日、体調不良で見送らざるをえなかった塩塚高原へ、昨日午後・遅い夏休みを半日貰って登ってきた。今回は初めてロードで登攀。山城町の登り口から約15km弱で標高差800m余。体調は悪いと思っていたのに、思いのほか足は回って、55分ほどで山頂へ。3回目となる今回も、塩塚は期待を裏切ることなく、360°の展望(剣山・三嶺、国見山、讃岐山地の向こうに瀬戸内海・荘内半島、四国山地・愛媛の山々など)を満喫させてくれた。
 多分一昨日だとさらに展望が効いたと思われるが、それは贅沢というもの。いつか、早朝登って日の出前後の暁を味わいたいものだと思う。夕暮れまで佇んでいたかったが、暗くなる前にと未練を残しつつ下山(山頂では予想したほど冷え込まなかった)。下山は平野から大野へと初めてのコースを辿り、国道319号線に出た後、大和川経由で阿波池田へと引き返した。

一面ススキの塩塚高原
2005. 9.12    
 「自民党圧勝」、の字が踊る今朝の朝刊各紙。投票率は上がったそうで(従来は上がると野党が伸びたような気がするのだが)、国民が選挙に興味を持って投票率が上がることに異論はないとも思う。しかし、やはり、小泉劇場に振りまわされ、「改革」(本当かな?)や「官から民へ」(これも??)、など耳当たりの良いキャッチフレーズに、マスコミとともに国民も踊らされたのではないかと、私は未だに思わざるを得ない。本当の「改革」はこれからなのであって、これまでの独断に満ちた歯切れの良さをそのままに、「明日の国民のための改革」を願いたいものだ。
 昨日は、
K氏らとともに塩塚高原に走る予定であったのだが、体調不良の上に、前夜・マリンピアンさんの送別会で飲み過ぎ。朝起きると、路面は濡れて小雨。こりゃ、中止だとK氏にメールと送ったところ、決行とのこと。結局遅れて、すーさんと(それでも雲に蔽われて塩塚は無理だろうと思い)池田まで走ったのだが、思いの他、雨が降らず。K氏からは山頂到着、視界良好のメールを戴くが、私の体は全く言うことを聞かず。すーさんに散々迷惑をかけてしまい、サイクリング状態で帰還。ここまでの不調も、最近では記憶に無し。みんなと一緒に塩塚に向かっていたら、ひとり途中で挫折していただろう。

2005. 9. 9  いろいろ
 先週の土曜日以来、丸6日間、当・日直やら台風やらで走っていない。走ろうと思ったら早朝だけ雨が降っていたり・・・。今年になって一週間走らなかったのは、初めて。明朝こそは走るぞ、と思いながら、例によってアルコール浸り。
 11日はいよいよ投票日。相変わらず(そしていつもと異なることに、都市部で)、自民党の支持率が上がっているよう。何かで読んだのだが、小泉氏は民衆の心理を利用するのがとても上手いようだ。一端否決された郵政民営化(といっても私を含めて大多数の一般人は詳細を知らない。郵政事業は既に独立採算性で職員の給料は税金から払われているのではない)を世に問う、ということは、正論であるようでいて、実はとてもおかしいことではないかと思う。選挙で問われるのは、それだけじゃない。高村 薫氏やイーデスハンソン氏(本日・朝日新聞)が言うように、ひとり当たり600万円強という借金財政において、資源を持たぬこの国がこれからどうあるべきなのか、みんなもっとしっかり考えなくてはならない。大多数は理解できない、一般人を良き方向に導いてくれる指導者・政治家が必要なのではないか。ただ、今の日本の選挙においては、ひとつ間違えば、第二次世界大戦前の日本やドイツの二の舞になりゃしないかと、今回の世論調査を見る度に懸念する。
 政治の話なんか、全く興味がなかった。同様に経済も。ずうっと昔の話であるが、経済学部が有名な某国立大学に進学した高校の同級生に、「お金のもうけ方なんか学んでるの?」と尋ねたところ、「とんでもない。世の中がみんな経済的に豊かになることを学んでいる」と教えられたことを思い出す。政治・経済なんてなんの興味もなく勉強もしなかった高校時代。しかし、最近では、教育こそが未来の国を支える最も大切なものだと思う。政治や経済について、もっともっと興味と関心を持たせる教育が必要ではないかと思う。
 昨日のこれまた朝日新聞から。ローリングストーンズ、エリック・クランプトン、ポール・マッカートニーの新譜評。なにより、彼らが還暦を過ぎてなお、進化しようとしていることの凄さ。我らが仲間・
リョウさんしかり。平穏な一日を慈しむ生活も大切だと思うが、常に前を向いて進む姿勢も忘れずに保って行きたい(最近、後ろ向きになっているように−特に仕事−思っているだけに・・・)。

2005. 9. 7  マニフェスト
 またまた、高村 薫氏の論評(朝日新聞・本日・若い世代へ)に、我が意を得たり。世論調査では、いつになく「非常に関心がある」と結果が出ている今回の選挙であるが、(誰かも言っているように)多分に小泉劇場に踊らされているように私には思われるのである。本質は何なのか、郵政民営化という一点だけを強調する小泉劇場であるが、問題はそれ以外にも山積みの国政。「選挙は政治ではなく、その前座に過ぎない。・・・略・・・どんな政治信条の持ち主であろうと政党の頭数になるほかない・・・マニフェストなるものが存在する理由はそこにある。」  さらに、「資源を持たぬこの国は外交力で戦略的に生き延びていかなくてはならない。」とのくだりまで、視点の鋭さと論評の的確さ。「若い世代へ」という見出しであるが、むしろその観点を持つことが出来なかったために、現在の状況を招いてしまった原因を作った「若くない世代」にとっての痛烈なメッセージであるかもしれない。マスコミ・小泉劇場に踊らされることなく、(国政なのだから)地元の利益などでなくこれからの日本の行く道を考えて、冷静に熟慮・判断しなければならない。

2005. 9. 6  「いつか、一緒にパリに行こう」
 遅々として進行しない台風14号の暴風雨の中、びしょ濡れになって帰宅。当直・日当直が続いたため、伸び伸びになっていた乗鞍のアップも漸く終了(またまたサーバー上の容量が一杯になってきており、対処が必要になってきている)。こんな日は、ゆっくりと読書とばかりに、随分前に買って来て放りっぱなしであった、辻仁成「いつか、一緒にパリに行こう」を読み始める。のっけからパリの情景の描写力やフランス人に対する洞察力に脱帽。

2005. 9. 3  まだまだ暑い・・・
 昨夜(当直明け34時間連続労働の後でヘロヘロ状態であったが)、自転車仲間のま〜し〜さんと痛飲。自転車の話(スズカでは素晴らしい成績だったま〜し〜さん)のみならず、政治の話まで、話題は尽きることなく楽しい時間を過ごす。楽しいお酒のせいか、厳しい当直のためかは知らず、今朝はさすがに体が動かず。なんとか7時前から40キロほどゆっくり走る。午後も大坂峠を走るが、2、3日前の涼しさは何処へ?真夏に舞い戻った蒸し暑さであった。 
 記事捏造で揺れる朝日新聞ではあるが、今朝の記事には、いくつか心に残る記事があった。「be on Saturday」のひとつの記事、「天城越え」。また近いうちに読んでみたい一冊に加わる。加えて、生体肝移植の話。見舞いに来た友人が「愛の力ね」と言ったのに対して、「そんなきれいごとじゃない」とこたえたドナー・妻。移植・特に生体移植の問題をひとつの面で端的に語る言葉であろう。さらに、「ドナーは覚悟すればいいけど、もらった方は、手術後が大変」という言葉。ただ頭が下がるばかりである。ご本人にとっては当り前のことてあるかもしれないが・・・。
2005. 8.29  秋来ぬと・・・  
 昨夜、徳島に帰ってきた時にも随分と涼しいと思ったが、今朝はちょっと肌寒く感じるくらいの気温。乗鞍のリカバリーにと早朝ゆっくり走るが、吉野川大橋の気温表示は21℃であった。このまま涼しくなるとは思えないが、夏は確実に過ぎ去りつつある。そう言えば、クマゼミの鳴き声もいつのまにか聞こえなくなった。
 IT化時代、乗鞍もスズカもすでにリザルトがHPを通じて掲載されていた。乗鞍・Eクラス(40歳代)の結果を見ると、上位には名馴染み(面識はないが、ヒルクライムのリザルト・上位で良くお名前を見かける)の人ばかり。体型的にもヒルクライマーには程遠く、才能もない私だが、来年の目標は68分に設定。後2分の短縮。この2年間、手緩い(断酒せず)減量と時間の許す限りの練習で、僅かながらのタイムアップを計ってきたが、これからはもう少し科学的(頭を使った)練習が必要かもしれない。しかし、仕事上、計画だった練習はなかなかできないので、やはり成り行きに任せてしまうことになるのか。それにしても40歳代は800人超のエントリー数。700人超の富士山といい、レース運営のスムースさと安全性からみても、45歳で2カテゴリーに区切るのが妥当では?
 先日(05.08.26)収穫したスイカを味見。お世辞にも甘くておいしいとは言えないが、スイカの味であった。

2005. 8.28  乗鞍・速報
 帰路は渋滞もあって、23時過ぎに帰宅。今年は天候の心配が無かったばかりか、頂上では快晴、穂高も槍も見えて、下山するのがもったいないくらいの最高のシチュエーションであった。で、結果は目標の70分を切ることに後一歩届かず。来年の課題、勾配がきつくなったところで失速しないこと&後半もたれずに気持ちを持ちつづけること、がさらに明確になった。それにしても、女子トップとほぼ同タイムにちょっとばかりショック!さらに、混雑を避けるためにチャンピオンに出場したのに、スタート直後の落車の一因を作ってしまう。ご迷惑をおかけした皆様、この場を借りて謝罪します、お許しを。
 同行の、
5−ちゃんは昨年同様、クラス入賞。中やんはなんと12分短縮!初参加・たねさんも83分台となかなかの結果を出す。すーさん、来年こそ復活です。君なら63分は出せるぞ。I嬢、大変お世話になりました。クラブのOBの皆様にもとても良くしていただきました。来年もよろしく!?
2005. 8.26   トマトを植えたはずが・・・
 5月下旬であったか、某DIY店で、トマトの苗(確か桃太郎の改良種と標示があったはず)を買ってきて、昨冬に作った狭い花壇に植え付けていた。ところが、茎はどんどん成長するのだが、どうもまっすぐ伸びずにすぐ地を這おうとする。時々黄色い小さな花をつけるのだが、一向に実はならない。先日も、近所の人から自作のキュウリとゴーヤをいただいた際、「なかなかトマトがならない」と言ったところ、「ミニトマト以外はなかなかうまく実りませんよ」との返事をいただいて妙に納得していたのだった。今朝、あまりに茎・葉ばかりが繁りすぎるのに号を煮やして、とうとう引き抜いてしまったところ、ドンと予想外の重い物が・・・。なんとトマトを植えたとばかり思っていたのに、収穫できたのはスイカであった。ほとんど放りっぱなし状態であったので、全く気がつかなかったという私もいい加減なもの。一昨年、植え付ける路地がないため仕方なくコンテナに植えたデラウェアが今年も5房実る。こちらもほとんど放りっぱなし。一粒口に放り込んでみるとそこそこ甘くておいしい。この冬からはもう少し気合を入れて育てることに性を出すか。 夢・理想は、晴耕(もしくは、晴走)雨読なんだけど・・・。
 明朝は、いよいよ乗鞍に向けて出発です。

一夏の収穫・スイカとデラウェア
2005. 8.25  選挙・その2  
 乗鞍を控えて、流し程度の朝練。涼しく(23℃だとそう感じる)もなく、かと言って25℃ほど暑くは無い、24℃くらいかなと思いながら吉野川大橋たもとにある電光標示はピッタリ、24℃!1℃の差・自分の感覚の正確さにひとり満悦。懸念の台風11号も、日曜日には遠くに去っていそう。
 あの戦争は何だったのか」(保坂正康著)読了。ざっと流し読みにしたので、十分読み込めていない(正直な話、あの戦争が何だったのか、まだ十分理解できていない)と思うが、一番心に残ったのは、
「戦争の以前と以後で日本人の本質は何も変っていないのだ」という件。今回の郵政問題(これについても十分な知識を持っていない)に発する衆議院解散。昨日の朝刊に、大リーグで活躍する松井選手が「今回の選挙はとても面白い」という内容のコメントを述べていた。「面白い」という言葉には様々な意味が含まれるが、多くの市井の人の実感はこれに類するものではないかと思う。事実世論調査でも、有権者の関心はかなり高いそうだ。しかし、私の思うところは「非常に不快」である。不勉強ゆえ、郵政問題も十分把握できていないのだが、そればかりが強調され、また「刺客」だのおよそ国政を担うにふさわしくない表現がまかり通る(これはマスコミの責任も多少はあるだろう)のは、上記の「戦争の以前と以後で日本人の本質は何も変っていないのだ」を彷彿とさせることではないだろうか。問題はもっともっと他に沢山ある。正確な情報を元に冷静・沈着に判断したいと思うが、それができないところが「戦争の以前と以後で日本人の本質は何も変っていないのだ」ことか?
 仕事の医療情勢もしかり。戦略があまりに乏しい。何が問題なのか、何処をどう変えるべきなのか。問題点を明確にせず、表面的(金銭的)なことばかりが先走ってしまっているように思える。国政を牛耳る官僚は超エリートであるはずなのに、一介の田舎医者からみてもあまりに戦略が無さ過ぎる。職場もしかり。現在の状況はもちろん、今後20年、30年先を見据えてのビジョンを持っての戦略を持っていない。
 この頁を愚痴をこぼす場にしたくはないと思っています。まずは自分の意見を述べること。自分では結構公平・冷静に考えているつもりであっても、多分に独断・偏見に満ちていたり、あまりに不勉強であったりします。みなさん、それに対するご意見・ご批判、よろしくお願いします。

2005. 8.23  台風情報
 週末の乗鞍を控えて、台風11号の進路状況が非常に気になるところ。昨年も台風がまさに直撃の予定だったが、予想以上に停滞したおかげでなんとか開催できた。今年は足早に通り過ぎてくれることを願う。一雨降るとぐっと涼しい夜。昨夕は18時過ぎに仕事が終了したので、MTBで眉山に登ったのだが、とにかく蒸し暑かった。おまけに虫が多くてスピードが遅いのでまとわりついてくるの追い払うのも大変であった。
 飯島夏樹:「神様がくれた涙」を「ガンに生かされて」(05.03.30)「天国で君に逢えたら」(04.10.17)に続いて読む。読みやすいので一気に読破。もう著書はないと思っていたのだが、亡くなる半年ほど前に書かれたものだとの後書き。

2005. 8.21   雨の休日
 水不足であった四国地方にとっては恵みの雨が、昨夜から断続的に降り続いている。貯水率ゼロになった徳島・香川両県の水瓶・早明浦ダムも潤い始めたようである。
 午前中、一仕事の後(以前なら雨の日はひと泳ぎであったのだが)、自転車の掃除。その後、たまにはと、真昼からビールを飲みながら読書。
 新聞などの広告で目にしていた岩波ブックレット
憲法を変えて戦争に行こう・という世の中にしないための18人の発言」を読む。18人18様の発言、先日書いたように自分の意見をまとめ述べることの難しさも感じる。この18人、戦争を直接体験したかどうか、という点で分けることもできるかもしれない。しかし、父母が直接体験し語り聞かせられたこと、あるいは現在もかの地で繰り広げられている戦場に思いやること、またそれらを想像できること人にとっては、直接体験がどうのこうのという差はないと思われる。「病」を扱う仕事をしているが、これについても同じようなことが言えるのではないかと思っている。実際に自分が全てを体験できるわけではないが、「病」におかれた状況を想像し思いやることはできるだろうと考えている。自分がどれだけできているかの判断は誰かに任せるとして、職場のスタッフを見渡しても残念ながら想像力の欠如した人が多いように思われてならない。
 続いて「
あの戦争は何だったのか」(保坂正康著)を読み始めている。大人のための歴史教科書、という副題がついているのがだてではない。まず、「はじめに」の内容・視点から新鮮だ。まだ途中だが、重要なことがとてもわかりやすくまとめられている。大人だけでなく、中学生以上の授業でも扱って欲しい内容と思う。
 さて、乗鞍まで1週間をきった。丸岡の落車で打撲した右中指は全く軽快せず腫れあがったまま。痛みも軽減せず、仕事上様々な格好で指を使わなければならないのだが、その都度「痛ててっ」。とうとう自分では骨折なしと判断したレントゲンを整形外科医に見てもらった。やはり骨折や脱臼はなし。打撲したまま安静にもせず、仕事に自転車に酷使しているのが軽快しない原因のようである。

2005. 8.19  朝練、夜練   選挙
 先日(8.16)は久々に19時に仕事が片付いたので、トクの夜練の様子伺い(今年初めて!)に、マリンピア(徳島市東海岸の埋め立て造成地・工業団地なので、夜間は車が少なく、道は広く平坦、街灯もそこそこある)に向かった。一人二人と集まってきて、結局10人あまりの集団走行となった。ほとんどのメンバーが月末のシマノ・スズカに出場とのことでアタックの応酬であったが、やはり切れ味のあるのは、M本氏&(いつのまにか登場した)N川氏。私は、ほとんどレース以外では経験の無いクリテリウム形式で(乗鞍には必要無いどころか不必要な練習であったこもしれないが)、それなりに得るものあり。集団で走る練習はなかなかできないので、乗鞍終了後は都合のつく限りできるだけ参加したいと思う。結局自宅からの往復を含めると60キロほど走っていた。
 閑話休題。 このところ、日々の仕事を遂行することと、プライベートではツール・ド・オオカ〜ラなど自転車関係のことで手一杯の生活を送っているため、外に目を向けることがあまりできていない。世間では、衆議院が解散で選挙である。世論調査では、そこそこの支持率を出し、また識者のコメントでもそれなりの評価を得ている小泉さんであるが、私はどうも胡散臭く感じて好きになれない。どうしてこんなに評価されるのか不思議でならない。
 何かに対して、自分の意見を述べることの難しさを痛感する日々。意見を述べるには、独断ではなく客観的なデータが必要。そのためには勉強・研鑚が必要である。みんなそれぞれ意見があると思うが、まとめて納得させる意見を述べるのはなかなか難しい。昨日の毎日新聞に、高村薫氏の論評が掲載されていたが、鋭く要点を突き、客観性を持ちながら明確な自己主張を論じる展開に脱帽。本日・朝日新聞の森永卓郎氏の論評しかり。彼らはそれで糧を得ているのだから当然かもしれないが、市井の人も世間の風評や感情に流されずに自分の論点を持って政治に参加することが必要ではないかと思う。
 今週末、徳島はやや崩れ気味の天候とのこと。走れなくなるのは残念だが、休養と水不足にはとても必要。

2005. 8.15  久々の雨   終戦記念日
 雨雲かなあ、と思っていても一滴の雨も降らぬままいつのまにか消え去っていたこの数日。漸く今日午後、久々の雨らしい雨が降った。おかげで帰宅する21時過ぎには、この一ヶ月ほどなかった涼しさ。24時前の今も涼しい風が入って来る。この程度の雨では、渇水に対してはまさしく焼け石に水かもしれないが、それでも全く降らないよりはいいに違いない。
 昨日はツール・ド・オオカ〜ラ昼の部に続いて、夕方から夜の部。多いに飲んで盛り上がる。やはり、自転車仲間での寄り合いは楽しい。昼の部には都合で参加できなかった・上海から帰国中のケン部長も弾丸さんとともに元気な姿で登場。例によって、減量も気にせずたらふく飲む。

2005. 8.14  ツール・ド・オオカ〜ラ
  早朝より開催されたツール・ド・オオカ〜ラ、当日&部分参加を含めて総勢20名(参加の皆様、お疲れ様&ありがとうございました)、やや曇天のこの季節としては、まだ走りやすい天候にも恵まれ、無事終了。
 仲間内の練習会&親睦会を兼ねたような本企画であるが、今回は元BR-1の
S川氏、現BR-2の target わだ氏という二人のスペシャルゲストを迎えて、そのキレのある走りを垣間見る(なんといっても速すぎてすぐ視界から消失)こともできた。お二人にとっては少々物足りなかったかもしれないが、どんぐりの背比べの我々にとってはとてもいい刺激であった。また機会を作ってご一緒いただければと思う。
 遅い人も楽しめて、速い人も退屈することなく、それなりの人は競い合って、みんなが楽しめるイベントを継続できればと思っています。

2005. 8.13  お盆  阿波踊り
 お盆といえども通常の勤務であるので、ちょうど土・日が入った今年は、形ばかりではあるが田舎の墓参りができた。そして明日は今年初めてのツール・ド・オオカ〜ラである。今回、初めて立案・計画・主催者となる。多くの人はお盆休みだろうが、それだけそれぞれに予定があるだろう時期。幸い10名以上の参加予定があり、なんとか格好がつきそう。信州ではツール・ド・信州が開催されており、四国でも八十八ヶ所をめぐる自転車イベントが開催されている。とても比較の対象にはならないが、みんなで楽しめながら、またお互いの刺激にもなればいいと思っている。2、3年のうちに50人規模で開催するのがひとつの夢&目標?
 市内では、昨夜から阿波踊りが始まっている。が、我が家はあまり関係無し?本番前のほうが、吉野川河川敷で練習する太鼓や鐘の音が聞こえて季節を感じさせてくれるくらいである。職場でも毎年「連」が出るのだが参加したことはない。決して阿波踊りが嫌いな訳ではなく(以前にも書いたと思うが)、客観的には何処の夏祭りより躍動感があって素晴らしいと思っているのだが。まだ実際に目の前でみたことのない方、是非一度本物を見てください。画像では絶対に伝わらない迫力がありますよ!

2005. 8. 9  気分を変えて    長崎・原爆の日
 右中指は当初の診立て通り骨折はなし。しかし、腫れと痛みはまだ続いている。昨夜・深夜まで仕事だったが、乗鞍モードに気持ちを切り替えるべく早朝久々眉山へ。昨朝、今朝と案外と涼しい。心拍は庄町140前後、八万140後半で最高タイムの2割落ちながら、比較的気持ち良く走れた。しかし、右中指はブレ−キングできず、路面の小さなギャップも響く有様。

2005. 8. 7  丸岡・古城グリーンロードレース(速報)
 2年ぶり開催の丸岡・古城グリーンロードレース。今回は、順位はともかく積極的な走りをする(具体的には後日詳細を)、ということを目標に参加。しかし、全体のレベルは似通ったところで高く、なかなか思うような展開はできなかった。結局、最終コーナーを回ったところで30人余の集団だったらしい。2年前にコース上に人が出ていて落車したところもパスしたと思っていたら、ゴールまで後200m弱のスプリントでまた落車に巻き込まれた(まあ、落車していなくても一桁は難しかった)。比較的軽傷(右中指が痛くて満足にパソコンのキーが打てない)で済んだので良しとするか。と思いたいが、同行のリョウさん(昨年還暦)は並みいる50歳代の強豪に混じってシニアB・6位、K氏はシニアA・4位、ウッチャンはBR2先頭集団ゴールとそれぞれ結果を出しただけに、ちょっと悔いの残る結果。

2005. 8. 5  明日は・・・ 
 8月6日、広島・原爆の日。数日前からの新聞や、今宵・明夜のテレビでもいくつかの特集が組まれているらしい。テレビを見ることはほとんどないので、新聞にチラリと目を通す限りであるが、年々その継承が難しくなってきているとの一方で、これまで沈黙してきた人が、「今しかない」と静かに語り始めたことなどを知る。当事者にとっては、とても重い問題であると思うが、語り伝えることも当事者でなければできないことである。
 林京子「希望」を読む。氏の作品は、「祭りの場」以来、いくつか読んでいるが、長崎での被爆と上海で送った少女時代の話が中心。先に読んだ「夕凪の街 桜の国」(こうの文代)とも通じるものがあるか。 今朝の新聞広告には「憲法を変えて戦争に行こう・・・でいいのですか?」というフレーズがあったが・・・。
 辻仁成「幸福な結末」。物語のうまさ、表現の豊かさ(たとえば、桜の散る様など)を思う。才能と言ってしまえばそれで片付いてしまうのだが、無いなりの才能で足掻いてみるのもひとつの生き方? 自転車しかり、仕事しかり、写真、文章もしかり、この年になっても足掻いている自分がいる。遊びの自転車や写真と、生業の仕事を並べるとはなんだ、とお叱りを受けるかもしれない。どんなに練習しても、乗鞍を65分以内で走ることやフルマラソンを2時間30分以内で完走する能力は自分にはないと確信している。仕事も、それほど突出した能力・才能があるわけでもないと思うが、頭脳明晰の差を感じても、乗鞍60分走者の差を感じたことがないのはなぜ?単純に身体能力の差が明確に出る運動とはちょっと異なる点が、なんとか私のようなものでもこの仕事に従事できている理由のひとつかもしれない。故・村上信夫氏(帝国ホテル料理総長)が「料理は腕で作るのではなく、頭で作る」と言われたそうだが、私も自分の仕事は、確かに腕も必要だが、主は頭で切っていると考えている。
2005. 7.30  久々、大川原     花火    
 慢性疲労、膝痛など不安が多い中、3週間振りに大川原朝練に向かった。定刻6時に少し遅れて佐那河内のスタート地点に到着。saikiさんが登り始めるのが手前から見えた。ケーキ屋さんを超えたところで追いつき、しばらく併走。その後次第に離れる。不安があったが、時折小雨のパラつくこの時期としては非常に快適な気温のおかげで、まずまずのペースで登れた。頂上の紫陽花はすでに大部分が枯れ始めていたが、そのパステルグリーンの微妙な色相がまた不思議な雰囲気を醸し出していた。下り終わる直前に、登ってくるけんさんすーさんにすれ違う。帰り道、例によって爆走するsaikiさんのおかげで、佐那河内から八万までの約15kmを平均40km/h前後で疾走。大川原の登りよりこちらのほうが心拍数が上がる始末であった。
 ところで、昨夜21時頃仕事を終えて帰る準備をしていたところ、ドーンと打ち上げ花火の音が。続いて何発も。はて、今時どこの花火かな?と窓から外を見るとすぐそこ・吉野川と思われるところで花火が上がっている。帰宅の道すがら花火を見上げながら、漸く吉野川フェスティバルがこの日から3日間行われていることを思い出した。どういうわけか、この吉野川フェスティバル、3日間に分けて毎日午後9時から花火を打ち上げるのである。各々およそ15分と少々物足りないのだが、それでも自宅のすぐ近くで打ちあがるため、見物も悠々。ちょっと前までその大きな爆発音を嫌っていた娘も、最近は喜んで飛び出して行く。今夜も昨夜の分を取り返すべく見物に付き合う予定。という私は実は大の花火好き。あの一瞬の華やかさがなんとも言えない。その昔、田舎の祭り時の花火は、30分くらいに数発ととても寂しいものであった。初めて花火大会を満喫&圧倒されたのは20数年前・ツーリング途中の松本で。思誠寮(あの北杜夫や辻邦夫が旧制高校時代を過ごしたところで、現在は確か公園になっているような記憶)に一夜の宿を求めたその夜の花火大会は、それまで見たことのない豪華さと火の粉が降り落ちてくるような迫力で圧倒された。あれほどの感動はそれ以降もないのだが、花火はその華やかさと力強さと儚さとが一瞬に入り混じっているのが、大好きである。もっとも、娘のお目当ては、花火よりかき氷?

2005. 7.27  台風一過
 雨をもたらすと思っていた台風が東にそれたため、まとまった雨にはならず。今朝は台風一過の澄んだ空のもと朝練を、と考えていたのに、あまりの心地よい気温についつい二度寝で、寝過ごしてしまう。これで、香川一周以来3日間、お休み。明日こそは・・・。
 新聞のちょっとした記事やその他、いろいろ考えること・思うことがあるのだが、もうひとつ思考としてまとめることができず。日々の疲れ(仕事&練習)で、創考することなく睡魔に襲われる日々。
2005. 7.24  ツール・ド・香川 250km
 掲示板で呼びかけた、「ツール・ド・香川」と名打った香川県一周に参加してくださったのは、最終的にま〜し〜さんマリンピアンさんしおんさんの3人。一応これ以上参加者はないだろうと判断した6時15分 板野田園パークを出発。鳴池線を一路西へ。ほぼ無風、涼しい中、私は30km/h以下で走り始めたにもかかわらず、先頭交代するとみなさん30km/hオーバーでがんがん牽き始め快走。8時45分 40キロ地点・美馬手前で最初の小休憩。「おおっ、マリンピアンさん、なにやら黒いシマノのホイールと後ろから覗っていたら、やはり 7800 carbon ですか!」
 9時にちょうど池田・佐野で右折、曼陀トンネルへと向かう。ここまでは予定通りであったが、この前に休憩をとる適当なコンビニがなかったのが響いたか。曼陀トンネルまでの登りは、予想よりもちょっと手間取った。トンネルからは香川県に入る。豊稔ダムに到着したが、公園手前に大崩落があり道が欠如、ダムまで近付けず(写真右)。晴天が続いた割には、ダム湖の水はほぼ満水であった。
 観音寺手前で2回目の休憩。この頃から給水量が増える。観音寺の町中(出生地です)を通って琴弾山を登り寛永通宝を眺め、これから行く先の荘内半島・紫雲出山を遠望する。この時点で予定より1時間遅れ、紫雲出山を登ることはほぼ断念す。観音寺からは荘内半島のアップダウンを走る。行く先々の海岸では、海水浴を楽しむ人が多く、また走りながら眺める海水も予想以上に美しい。大浜当たりまで来ると、徳島県南や佐田岬の海と遜色ないと言ったら言い過ぎかもしれないがかなりの透明度を保っていた(ただし半島を回って東側はかなり落ちた)。夏場は冬場に比較して透明度が落ちることを考慮するとこの日の燧灘の状態は、私が今まで見た中でも最高にいい条件と思えた。写真がないのが残念。紫雲出山登山口には11時に到着。そこで小休憩をしていたところ、山頂からひとりのサイクリストが降りてきた。なんと香川県在住の
フロントトリプルさん。彼は掲示板での予定時刻10時前当地に到着、一人で紫雲出山を登ってきたとのこと。その後、車で屋島まで追っかけサポートをしていただいた。荘内半島では、逆回りでトライアスロンのバイク練習をしていると思われる人・数人とすれ違う。半島東の麓・詫間には、12時過ぎに到着。ここまで、135km で予定のほぼ半分、で大休憩。走っていると風であまり感じないが、止まるとその暑さは尋常ではない。ここからは休憩する度に、多量の水分(1時間につき1L以上の水と氷)を補給するはめになった。
 詫間から五色台手前までは、予想通り、暑さと交通量に悩まされた。それにしても、宇多津付近を中心としたさぬき浜街道周辺の商業地帯は以前からは全く想像できないほどの活況を呈していた。
 五色台・北回りの道(県道16号線)に入ると交通量も再び減少して快適となる。薄ボンヤリながら瀬戸大橋の眺めも最高(しかし、ここも写真がなし)。高松市街手前では、通学の女子高校生と坂道でバトル!するなど楽しいハプニングもあるが、高松通過は15時となり、このままでは予定オーバーで陽のあるうちに帰り着かないと判断。まだ、弱冠の余裕のある、私としおんさんのみが屋島一周することとしたものの、庵治や志度などの半島廻りはキャンセル。津田松原で合流の予定で二手に分かれた。
 浜街道から左折した、屋島周回・長崎鼻への道は、当初こそ2車線の立派な道だが、岬周辺は1車線のローカルな道。繁る木々の陰で比較的涼しく走りやすい道であったが、繁る故に海への展望はほとんど開けず。志度からは、あまり面白くないが国道11号線を直進。津田手前で先行するま〜し〜さんマリンピアンさんに追いつく。
 津田で大休憩の後、マイペースで引田までの20kmを走る。これで、当初の 270km には及ばないものの、250kmは達成と確信。大坂峠引田側のコンビニで最後の休憩の後、本日のエピローグ・大坂峠へ。なんとか、4人とも完走。時計を見るとちょうど出発して12時間を回ったところであった。

 それにつけても、
フロントトリプルさん、サポートに加えて写真まで、大変お世話になりありがとうございました。 次回は是非、ご一緒に走りましょう。この場を借りて、再度御礼申し上げます。


豊稔ダムにて
(足元は大崩壊)



荘内半島を走る


高松市、西郊外で
(下2枚 Front Triple 氏提供)
2005. 7.20  400km走・再考     
 何のため、もしくは何を目的にに走るのか?およそ50歳前にして、一日に400キロ走ろうというのは、通常では理解できないことだろう。私自身にしてもなにか意味があるのかと尋ねられても解答は持ち合わせない。単なる挑戦?といえば一番明快かもしれない。ブルベがちょっとした流行になりつつあるが(それはそれで魅力を感じてちょっと気にもなるのだが)、もちろんそれを前提としたものではない。サポートしてくれたH氏からも冗談半分に、今後500キロ、600キロとエスカレートするのか?と問われたが、私もK氏も異口同音、「それはない」。これ以上になるとさらに夜間走行が必要となってくる。私にとっては、やはりあくまで昼間に風景も楽しみながら走ることが楽しみなのであって、400キロは昨年達成できなかった、ひとつのツーリングの型なのかもしれない。ひょっとしたら、3日間足早1000キロツーリングなんてのは考えるかもしれないが、これ以上不眠不休で走るということはないだろう。おそらくK氏も同じ意見だろう。
 400キロを走った17日、日和佐、皆生のトライアスロンに中山でのロードレース開催。HPで早くも速報が掲載されている。日和佐では、以前一緒にトライアスロンで走っていた人の名前を何人かみつけ、まだまだ頑張っているんだなあとちょっとうれしくなる。

 空梅雨の後、ひとしきりの雨でなんとか取水制限が解除されたのも束の間。数日前からの猛暑続きでは、再び取水制限になるのは間近。
2005. 7.17   400km走
 昨年(diary 04.07.11)果たせなかった 400km走に再挑戦。昨年同様K氏と私、それにサポートがあればという条件でH氏が参加。午前5時、夜明の徳島をスタート、国道55号線を南下。阿南、日和佐(この日はトライアスロンが開催されたので道中自転車を積んだ車が沢山追い抜いていった)、海南(手前の内妻海岸ではめずらしくいい波が入ってサーファーが溢れていた)、室戸と昨年とほとんど同じペースで進んだ。H氏は、室戸手前で足が攣ってリタイア、以後サポート兼カメラマンとして活躍。室戸岬を回ったキラメッセで大休憩(全行程の約3分の1、135km)。室戸から安芸市(信号が多くストレス多い)までには、何かイベントでもあったのか沢山のサイクリストと次々とすれ違いその都度挨拶。
 赤岡からは距離を稼ぐために昨年とコースを変更して、55号線を左折、海岸沿いを桂浜をめざす。このあたりから向かい風。加えて容赦なく照りつける夏の陽にバテバテ。たまらずコンビニに飛び込みアイスクリームを食べる。この頃から次第に食欲低下。今回は昨年より調子が悪い。道半ばにして、ひょっとしたら早々とリタイア?なんて言葉が頭を過る。そんなことも思いながら、30年振りの浦戸大橋を渡って桂浜へ(210km)。しかし人が多く、桂浜も竜馬像も見ることなく、記念撮影もなし先へ進んだ。仁淀川河口までの海岸沿いは、黒潮ラインと名づけられた道。車が多いことを除けば土佐湾を左に見ながらの気持ちの良い道。
 仁淀川河口から川に沿って遡る。うまい具合に海風(追い風)となって、38km/h前後でいの町へ。ここから国道194号線を吾北村へと進む。川に沿って緩やかに登って行くようであるが、まだ気になるほどではなかった。横を流れる仁淀川は、小振りの四万十川といった風で、川下りカヌーも多く見かけた。また吾北村に入ると、川水の透明度はぐっと上がって、水遊びする人々の中に思わず飛び込みたくなるほどであった。吾北村中心部で今度は国道439へ右折。ここから今回最も標高の高い地点・郷ノ峰峠をめざす。標高600m程度なのでたいしたことはないと高をくくっていたら、とんでもなかった。5〜6%前後の道がただひたすら直線で休むことなく登って行く精神的に参ってしまう道。とうとう峠の手前で予定外の休憩。それにしても、439号線はまだ一車線の旧道が所々に残るものの、漸次2車線の立派な道に変りつつあった。相変わらず、強い日差しが照りつける中、なんとか峠(トンネル)到着。ここから早明浦ダムまでは快走の下り。ダム下のコンビニで2度目の大休止(17:00、290km)。
 大豊で漸く300km。ここからは国道32号線。懸念したほど交通量はなく、気温はまだ30℃近くあるものの、山影になって随分と涼しく感じられるようになり、40km/h近くにペースアップ。池田には19:20着、後50km。つるぎ町(旧貞光)ではちょうど花火大会。しばし堪能の後、いよいよ最後の30kmへ。慣れぬ夜間走行もふたつのライトで、懸命に先を行くK氏に追いすがり、30km/hを越えるスピードで追走。21時30分、鴨島町に入ったところで400km達成。

 延べ16時間30分(平均24.2km/h)、実走13時間05分(30.6km/h)、休憩17回(うち20分以上の大休憩2回)
 残ったのは、痛いまでにくっきりと日焼けした前腕と、ささやかな満足感。

黒潮ライン


仁淀川沿い


郷ノ峰峠への登り
2005. 7.16  夏の声     
 梅雨前線が日本列島を横切り雨の降る天気図と思っていたのに、今週になって雨は全く降らず。と思っていたら、いつのまにか前線も消失、既に梅雨明けしたかのような暑さである。が、風はまだ少しばかりさわやか。週始めから、クマゼミが騒がしく鳴き始めた。少々暑苦しい鳴き声ではあるが、それゆえに、これを聞くと「ああ暑い夏がきた」と思うのである。
 昨朝、左膝の調子が思わしくなかったので、ゆっくりと鳴門方面へ。満開のレンコン(蓮)の花を写そうとレンコン畑周辺をウロウロした。花は沢山咲いているのだが、なかなかこれというのには出合わず。その後、以前から地図でみて気になっていた、鳴門徳島自転車道を鳴門側から走ってみる。撫養港付近は朝靄でちょっといい雰囲気。その後大毛海岸沿いの堤防上(コンクリート舗装)を走るが、西側は約3kmにわたってサツマイモ(鳴門金時として有名)畑が続く。それはそれで見物でもあるのだが、ちょっと単調過ぎてあまり楽しめるコースではなかった。
 多忙な weekday をなんとか乗り切って3連休(といっても今日も午前中は仕事)。明日は、日和佐でのトライアスロンを始め、皆生TA、中山でのRRなど大会が盛り沢山。私は膝がちょっと不安だが、400kmに挑戦の予定。
2005. 7.10   続・雨ニモ負ケズ・・・
 昨日、美しく咲き誇った満開の紫陽花を撮ることが出来なかったので、本日大川原再訪。午前5時、徳島市内は小雨の跡があるものの天候は曇り、カメラを後ポケットに入れて出発。登り口の佐那河内は路面も乾いて上々。ところが、登り始めるや昨日同様、雨が・・・。昨日の疲れもあって、よほど止めようかとも思ったのだが、なんとか山頂まで登る(頂上手前で降りてくるsaikiさんと擦違い)。頂上ではちょうど小雨となり、何枚か写真を撮る。紫苑というには鮮やかなブルーから、やや紫がかったもの、薄緑を交えたものなどちょっと見ただけでも数種類の紫陽花が山肌を蔽う様はなかなか壮観である。しかし、この美しさを伝えられる写真は撮れず。何かに絞ってその感動の一面を捉えることが大事かと思うのだが。何をどう伝えたいのか、文章同様写真でも必要なことだろう。帰路、昨日にも増しての雨で完全に洗車状態。
 一仕事後の午後、だらだらしていたのだが、路面も乾いてきたのでMTBで大坂峠へ。ここでもまた登り始めるや雨。ハンガーノックもあったのか、全く力が入らず。ゆっくりサイクリングで帰宅。

山肌一面満開の紫陽花 大川原
2005. 7. 9  雨ニモ負ケズ・・・     
 久々に、大川原を目指すべく、5時起床。懸念された空模様もまだまだ大丈夫と判断し、佐那河内へ。定刻6時に、こ〜さん(見送って府能峠へ)とsaikiさんが参上。大川原の稜線も良く見えて雲も高い。この分だと午前中はもつだろうと、登り始めた途端、ポツリポツリと雨が。それでも、一時のものだろうと高をくくっていたら、登るにつれて本降りに。加えて時折強烈な向かい風。さらには遠くで雷鳴が。なんとか頂上に辿り着くや早々に下山。久々の大川原は散々であったが、昨年不作であった紫陽花が今年は山頂一体を青に染めるほど見事な花を咲かせていた。この紫陽花が見られたので良しにしよう、というのがsaikiさんとの一致した意見であった。降りしきる雨のため、携帯でさえ写真を撮れなかったのがちょっと残念。
 ロンドンの同時多発テロ。テロは、悲しみ、不安、そして憤り、憎しみなど、もたらすのは負の遺産ばかり。決して許されざる卑劣な行為である。
 「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッジ・著)を読んでいるが、歴史が領土拡大のための略奪、戦争の繰り返しであることがよくわかる。またそこに入ってくる宗教の問題も「若い読者のための・・」と書かれているだけに、小学生でもわかるように平易に書かれていて、歴史の苦手な私でもなかなか読みやすい。まだ西暦1000年あたりを読んでいるが、この後の話も楽しみ。
 宗教問題と言えば、こちらもベストセラーの「靖国問題」(高橋哲也・著、ちくま新書)。こちらもまだ途中だが、書評に違わず論理的にまた歴史的なことからわかりやすく書かれている。改憲問題といい、非常に重要なことであるが、私を始め大多数の人は正確詳細なことは知らないのが実情と思われる。感情論に流されること無く、正確でわかりやすい基本情報を得ることがまず大切ではないかと思う。

2005. 7. 6  ツール・ド・フランス ライブ
 スカパーは契約していないので、ツールをライブで見ることはできないと思っていたのだが、テーブルテレビのスカイスポーツで、一昨夜・昨夜とライブが放送されたので、ついつい最後まで見てしまった(ちゃんとテレビを見るのは久しぶり)。初日の ITT で既に半ば興味を失ったところもあったのだが、やはり凄い、の一言。180km 近く逃げてしまう力や、しっかりとゴール前で追いつくチーム力。そして迫力のスプリント。さらに、走るコース周囲の風景の美しさ。追走するオートバイからのカメラワークも選手ばかりでなく、時々出て来る空の表情など心憎いものがある。TTTもディスカバリーチャンネルの圧勝で、勝負自体はますます興味が持てなくなりそうだが、ザブリスキーの落車のようにいつ何が起こるかわからない。完璧な準備をしてくるのだろうが、それでも落とし穴があるのだろう。
 本日、当直。また明日夜までの長い仕事。こちらも落とし穴のないように・・・。

2005. 7. 3  空梅雨から一転して豪雨
 金曜日の夕方以来、取水制限は何処の話?というくらいの、一転しての豪雨。今度は土砂崩れ災害などの注意報・警報が飛び交う日々となった。ローラーに乗るのはあまり好きじゃないので−特に夏は雨に濡れるほうがましと思っている−、この週末は昨日から今日にかけて24+@時間勤務であったことも加えて、全く自転車に乗らず。その代わりと言ってはなんだが、約半年振りに泳いで来た。
 市の水泳検定(決して競泳ではありません!)に参加するという娘の同伴という名目で、これまた一年振りくらいの
羽ノ浦町民プールへ。自宅からはもっと近くにも公営プールがあるのだが、1991〜1996年頃に慣れ親しんだプールであり、比較的いつも遊泳者が少ないので、時間さえ許せば懐かしさもあって時々訪れている。ところが、今回は約1年振りであるので一応事前にネットで確認していったのであるが、入り口に「7月から10月末まで開館」の張り紙が。羽ノ浦町民プールはガラス張りの簡易屋内プールであるので、オープン当時から3月から11月までの開館ではあったのだが、春には充分泳げたはずだ。ちょうど、館内に入っていくと、当時から知り合いの職員の方がいたので、「6月までやってなかったのですか?」と尋ねたところ、「昨年は7月、8月だけでした」とのこと。詳しい理由は、職員の方も言いにくそうであったので、深く追求はしなかったのだが・・・。昨今の健康ブームで、特に水泳や水中ウォーキングなどは人気があって、何処のプールもごった返しているのが現状である。羽ノ浦町民プールだってご多分に漏れずと思っていたのだが・・・。
 マスコミ情報(6.30の論にひっかかりますが)によると、羽ノ浦町も町村合併で揺れに揺れているらしい。詳しいことは知らないのだが、それも関係があるのかしら?仕事関係上、当地に住んでいた時は、こじんまりとまとまって役場に行っても雰囲気が良く、「好い町だ、終の棲家はここかなあ」、と結構真剣に考えていたのも事実である。当時、町民プールを利用する人で親睦会を持ったりして、私にとっては仕事以外の人と付き合える貴重な場でもあった。中心的存在であった
G氏をはじめ、バリバリのマスターズエリートだった方が何人かいたのだが、みんなどうしているのか?(トライアスロンをしていたMo氏Mu氏は、年賀状だけはやりとりしているのだが、二人とも仕事が忙しいのか、その後レースの場には現れず。
 まあ、そんなことは関係無く、次々と訪れるのは地元の小学生達。結局100人以上いただろうか。それに比較して、大人は数人。いずれも子供の付き添いと思われた。とてもいい施設だと思っていたが、今回はちょっと考えさせられる&行く末が少々不安?それなりに考えてやれば、この時節、しっかりと経営できると思うのだが。

2005. 7. 1  いよいよ ツール・ド・フランス 明日開幕
 雨が降らぬと書いた途端、本日夕方から激しい雷雨。梅雨の終わりを告げるような降り方である。早朝、重い足ながら、西部公園のアジサイの様子を覗いに眉山へ。周囲の雑草や木々は青々としているのに、なぜかアジサイだけがどれも葉が萎れていた。今夕の雨は、アジサイにとっても恵みの雨になっただろう。
2005. 6.30  マスコミ論など      
 2005年も早くも半分、とうとう雨の降らぬまま6月が終わった。徳島の水事情もどんどん悪化しているようだが、今のところ市内の日常生活に表立って影響は出ていないようである(県南の工業・農業用水にはかなりの影響が出ているそうだが)。

 朝日新聞(6.30付)に「大腸癌の新規抗癌剤、副作用死3人」という見出しがでかでかと載っていた。本文を読んでみると、その見出しが内容に対して適切でない・人目を惹こうとする過剰な(という言葉が適切かどうか)表現であると判断される。このオキサリプラチンという薬剤は、欧米で既に進行・再発大腸癌の標準治療として認可されていて治療成績が良いことから(しかし決して完治するわけではない!)、患者団体の切実な要望が反映されて早期に認可されたという経緯(このことも本文にはちゃんと書かれている)がある。現在使用されている患者さん(患者様という昨今の呼び方はどうも好きになれない)は全て進行・再発癌の方であり、文字どおり命を賭けて治療しているのである。対応する医師もその患者さんにとってなんとか少しでも好い状態をと考えているのである。このご時世、実際に治療する時間以上に時間をかけて説明をしているのが現状。そうやって築きあげた信頼関係を、マスコミは一面だけであっさりと否定してくれる。患者さんにとっては不安が増すばかりではないだろうか?医療関係の話に限らず、刺激的な見出しで惹き付けておいて、実際の内容は見出しほどのことはないという記事は多々ある。ジャーナリストは正義を報道すると正面切っておられるのだろうが、常に広い視点、反対の視点にも立っての公正明大かつ冷静な報道を望みたい。
 およそ私の仕事は多分に死と背中合わせであることを嫌と言うほど知らされてきた。人はいとも簡単に死んでしまう(もちろん、驚くほどの生命力を発揮される方もおいでるが)という認識が常にある。それは当然自分のことでもある。しかし、多くの人は治らない病気・疾患があるという認識、人は必ず死ぬという当たり前の真実を忘れている(あるいは目を背けている?)。抗癌剤は(一部の疾患を除いて)それによって完治することは稀である。単純なミス(いつ我が身に起こることかもしれない。
柳田邦夫山内隆久などが述べているように、個人を責めるのでは解決にならず、ミスの起こった原因を分析し、そのシステムを改善することが最重要点である)は論外であるが、医療には、純粋な科学にはどうしてもなり得ない不確実な要素があることを知って欲しい。
 新しく、また多様な情報を与えてくれるマスコミ(特に新聞・・・昨今電子メディアに押されている?)ではあるが、それをどう判断するかは、やはり読み手の責任でもあるろ思われる。
2005. 6.26   ツール・ド・美ヶ原  (近日更新予定)
 本年度、ヒルクライム第2弾、ツール・ド・美ヶ原へ遠征。無謀にもチャンピオンクラスに出場。その理由は、第一に40歳代ではとても入賞は無理。加えて、最初の激坂の大混雑を避けるため。さらに、チャンピオンクラスの人に引っ張ってもらって、自己新記録を目指すのが目標であった。で、目標タイムは1時間15分と設定したのだが、残念ながら達成できず。昨年より、弱冠の記録更新(今のところ自己測定で)にとどまった。いろいろ理由(言い訳?)があるかも知れないが、ここは素直に実力と認めたい。しかし、それが実力とすれば、これからどうすれば良いのか?ちょっと思案中。相変わらず、旅先でも仕事場から連絡が入ってくる状態だが、レースに参加できたことだけでも喜ぶべきことか。束の間の極楽気分も味わえた。
 ところで、ツール・ド・美ヶ原は、毎年雨の心配をしながらのレースであるのに、今年は空梅雨のおかげで全く雨の心配をしなかった。それどころか、松本市の最高気温が35.9℃と、とんでもない暑さであった。

レンゲツツジの咲く美ヶ原 (6.26)
2005. 6.24  夏の花    医療費抑制     
 ヒマワリ、アサガオといった、小学生の理科で一番初めに栽培する(すなわち育てやすい)夏の花の定番が咲き始めた。ただ、定番と言っても、昨今のそれらは、品種改良で以前には想像できなかったとても多様な色彩・形態が見られる。気に入っているのは、ヘブンリーブルーの名の如く、透明感のある青色アサガオ。ヒマワリも往年の大輪・黄色一辺倒から、小ぶりでオレンジから茶系統の色が混じる品種が多種に渡る。たかがアサガオ・ヒマワリ、とは侮れない。
 朝日新聞に、「医療費抑制を考える」という一面があった。これについては、是非ゆっくりと意見を述べたい。国民の総医療費、年30兆円。パチンコ産業も年商30兆円。葬祭産業年商10兆円。医療を受けた3分の1の方が亡くなっているなんてことは絶対あり得ない。とても、単純で無謀な比較かも知れないが、この数値、みなさんどう思われますか?
 よく、アメリカの医療が最高で、日本はとても遅れていてレベルが低いようなことがマスコミ中心に叫ばれるが、アメリカの最高の医療を享受できる人は極一部。またそのために莫大な保険料が必要なことは表に出されない。先に亡くなられた
飯島夏樹氏の「ガンに生かされて」でも書かれている様に、アメリカでは数日 ICU に緊急入院するとミニバン一台の料金請求が来るとのこと。アメリカの実情に関しては「悪魔の味方」(岩田健太郎著)に、とても詳しく書かれている。アメリカに臨床研修医として留学した著者(私より10歳ほど若い)の体験を元に書かれているのだが、アメリカの医療について書かれた今まで読んだ本の中では、ちょっと視点も異なっており、とても考えさせられることが多かった。興味ある方、是非読んでみてください。
2005. 6.23  梅雨空の晴れ間ならぬ、空梅雨のおしめり
 昨日、今朝と、空梅雨の中、多少の雨で朝練もお休み。先週末の疲れを癒すのにはちょうど良かったが、週末・美ヶ原のコンディショニングにはちょっとタイミング悪し。しかし、蒸し暑いという間隔にはほど遠い心地良い気温$湿度。朝は雨音に安心して、寝転んで読書。21時過ぎに仕事場を出るとひんやりと心地良いくらい。
 明朝は、週末に向けて、自転車の最終チェック&調整のつもりだが、昨年に比較して 2kg 体重増。激坂の美ヶ原故に、一抹の不安が・・・。と言いながらも痛飲中。

2005. 6.21  夏至   チームジャージ
 本日は夏至。言わずと知れた、一年で最も昼が長い一日。5時過ぎには、太陽はかなり高い位置に。鳴門方面にゆっくり走る。吉野川大橋上の電光標示は気温22℃。大津付近のレンコン畑は、あっという間に大きな葉で蔽い尽くされ、本日2、3輪の開花を見た。帰りは南東風で、向かい風。朝から終日手術場(weekday はだいたいそんなもの)、外を見ることなく夕方。いつのまにか外は小雨になっていた。
 閑話休題。時々一緒に走る仲間内でチームジャージを作る話が進んでいる。ただ、今のところ母体となるチームは存在しない。親しい仲間で、特にこれと言ったチームに属していない人達からの声で、ジャージを作成しようという話があがり、実現しつつあると言うのが、本当のところ。以前にも何度か、ジャージを作ろうという話が上がったことがあったが、しっかりした母体がなかったことや話を進める中心人物がいなかったことなどで、立ち消えになっっていた。今回も、明確なチームはないまま、というちょっと変った状況であるが、チーム名を誰でも着られるように「TOKUSHIMA」とすることで、県外の催し物に参加した時に、徳島からの参加だとすぐわかるし、また県内で同じジャージを着て走っていたら、見知らぬ同士でも声をかけやすいなどの利点があるのではないかと思う。数人以上が同じジャージを着て走っていたら、結構様になるのじゃないかと思うが、自転車乗りでない人が見たら、変な集団としか思われないか・・・。スポーツとしての自転車はまだまだマイナーである。私自身、今までどこのチームにも属さず、レースに出場してもチーム名は空白、ジャージは無地かプロジャージ(某HPにはプロジャージを着ている人には近づかないように・・おそらく素人でレース経験が浅いと言う意味だろう・・という書き込みがあった)で走ってきただけに、オリジナルのチームジャージを着て走るのはちょっと楽しみ。

2005. 6.19  空梅雨
 梅雨入り宣言後、雨が降ったのは一日のみ。それも申し訳程度。週間天気予報では、結構雨の予想が出ていたのに、日が経つにつれて晴れマークに変っていく。県南・那賀川水系では、すでに取水制限となっている。雨もそこそこは降ってくれないと・・・。本日も2、3日前の予報では雨であったのに、ほぼ快晴。来週・美ヶ原に備えて、休養のつもりだったのに、昼からついつい足を伸ばして北へ。香川・東讃の海岸線で唯一残っていた津田〜白鳥間・県道122を走ってくる。帰りは向かい風とハンガーノック気味でサイクリング以下。
 昨日早朝は、大川原へ。昨年は全くだめであった、頂上付近のアジサイ。今年はまずまずのよう。見頃は10日後くらいか?

2005. 6.12  梅雨入り  MTB・ツーリング
 昨夜は、リョウさん宅で楽しい自転車仲間の寄り合い。楽しい会だけに、またまた飲み過ぎ。記憶喪失。
 本日は、予てから高知徳島県境の谷相林道(松尾越)〜矢筈(笹)峠〜京柱峠の3峠を巡るMTBツーリングを予定していた。が、梅雨入りとなり、天気予報で直前までほぼ雨は免れないと思っていたので、ほとんど準備をしないままであった。ところが、昨日になって晴れの予報。完璧な?二日酔いに加えて、車酔いも加わって、絶不調。一人で行く予定だったら絶対中止していただろうが、この機会を逃すとまたいつ走れるかわからないと強行。なんとか同行二人のお荷物にならぬように走ってきた。一番期待していた、矢筈峠からの眺めはさっぱりであった(峠への道&笹谷林道のダートは走り応えあり)が、谷相林道のダート、松尾越えから梶が森の眺め、ほぼ20年振りの京柱峠からの眺望は(あまり期待していなかったのだが)、矢筈峠眺望の落胆を補ってあまりあるものであった。走行距離・ちょうど 100km、積算標高差・約2000m。

2005. 6. 9  夏が近づく・・・、梅雨入り前?
 当直明け、いつもの如く30数時間の連続勤務。長い日中もとっぷりと暮れて帰宅すると、昨朝は3輪ほどしか咲いていなかった玄関先のクチナシが満開に。香匂はかなりあるのだが、少し離れると薄れてしまう。そう言えば、鳴門・大津方面のレンコンも随分と葉が繁ってきた。あの極楽浄土を思わせる花の季節(diary 2004.7.20)にもあと僅か。
 Mt.富士ヒルクライムリザルトを、ネット上で確認。5km毎のラップも掲載されていたので、上位の記録と比較。10〜15km区間の記録が特に悪く、今中氏に併走したその後の遅れが小さいのが明らか。やはり、今中様様である。当日の写真もAll sportsで確認。割高なので、今まで購入したことがなかったのだが、これ(今中氏と併走の写真)ばかりは宝物になると購入。後日、HPにアップ予定です(All sportsの了解あり)。
2005. 6. 6   Mt.富士ヒルクライム(更新準備中) 
 6月4日朝、片道約600km・8時間余の行程を自転車仲間6人で富士山へ向けて出発。15時過ぎに、大会会場に到着。受け付けを済ませてウロウロしていたところで今中大介氏を発見。誰とは無く記念撮影をお願い、快諾していただいた。私は、改めて昨年引っ張っていただいたお礼を述べる(今中氏ご本人の記憶には当然無いだろうが)。しかしまさか2年連続して併走していただくことになるとは・・・。
 懸念された大会当日の天候は予想を覆す好天、富士山の全容をスタート地点から見ることができた。昨年に比較して一気に倍増した出場者数のため、最初の3km程は大渋滞であったが、仲間6人とも無事完走。私以外はみんな初参加。ほどほどの勾配の走りやすいコースであり、気象条件も良かったこともあって、「来年もこのメンバーで参加しよう」と大満足で帰途に着いた。

今中大介氏と記念撮影(6.5)
2005. 6. 3  いよいよ    
 富士山に向けて明朝出発の予定。天気予報では、あまり雨の心配はないようであるが、山故に安心はできぬと下りに備えて万全の準備をする。仕事は久々に定時終了で、最終軽量化にと散髪屋へ足を運んだのに、満員で引き返す。幸先悪し。ならばと走らぬつもりであったのに、陽が長いのでついつい眉山へ。たまには山頂まで登ってゆっくりしようと思ったのだが、山頂には大学のサイクリングクラブらしき自転車部隊が大挙していたので、早々に退散(それでもレーサー格好の私にもちゃんとあいさつをしてくれて、なかなか好感)。
 それにしても、美しい夕焼けでした。

2005. 6. 2  恵みの雨
 あっと言う間に、10日あまり経ち、6月に。いくつか話題はあったのだが、多忙(仕事と練習と)を言い訳に、帰宅し食事をとって一段落すると日付が変る時間となって睡魔に勝てず、何もできないままにダウンする日々。このところ好天が続いていたので、朝練は順調にこなせたせいもある。しかしさすがにこれだけ晴れの日が続くと、水に恵まれた徳島でも、南部の那賀川水系では取水制限が始まった。先週末に大川原に登った時も、佐那河内の園瀬川は水量が格段に減って澱んでいた。今朝の天気予報通りの雨は、そういう現状では恵みの雨か。
 週末はいよいよ富士山である。HPで参加者名簿を見ると、いるわいるわヒルクライムの強豪たちが。しかも40代は750人余のエントリーで昨年の乗鞍(600人余)を大きく上回っている。スタートの混雑がちょっと不安。
2005. 5.22   美山サイクルロードレース (近日更新予定)
 エントリーはしていたものの、さほど思い入れはなく出場を懸念していた美山サイクルロードレースに遠征。なぜかそんな前日に限り、呼び出しで夕方から22時まで仕事(末席であった数年前に比較して格段に呼び出しが少なくなった昨今であるのに)。午前3時に徳島を出発したのものの、明石海峡大橋を渡る頃から土砂降り。前泊しているK氏の応援だけにするかと、モチベーションは下がる一方であったが、美山に到着する頃に雨は小康状態に落ち着く。
 結局、軽く一周アップをした後、予定のC3Sに出場。今年初めてのレースらしいレースで、雨天の集団走行はちょっと不安であったが、終始先頭から数番手で走れた。九鬼坂の登りも、前方で遅れることなく登れ、落車が怖かった2周回目頂上手前からは、サイクリングモードに変更。2週間後の富士山に向けて、自己満足で終了できた、と思っていた。ところが、ゴールしてみると、
Y元校長先生の姿が眼前に・・・。頂上手前で抜かれたらしい。絶好調とは聞いていたが、先にゴールされていたとは。さらに、C2Sのレースでは、K氏が3位入賞!K氏の談話「一周目は滅茶苦茶しんどかったけど、諦めずに走ったのが良かった。」 教訓:レース中に満足することなく、最後までひたすら攻め続けること。レース後は、K氏の顔で、C2S優勝のHトリ氏や「今年はレース止めた」と言うY野氏泥本氏(早速掲示板への書込みどうもです)らと談笑。その後前回も訪れた、北地区の萱葺き民家集落を訪ねて、帰途へ。

萱葺きの民家 美山・北地区
2005. 5.14   庭の花 
 毎年この季節だけは、草木の花で小さな庭(全部あわせても2坪少々)が蔽われる。少し前のモクレンから始まって、ハナミズキ(今年は花期が長かった)、今はバラが満開である。Pierre de Ronsard は少々こってりしているが、ボリュームたっぷりな花が数珠なりの状態はなかなか豪勢である。Ice berg は姿形が上品で香りも高く、お気に入り。他に、blue moon、桜貝、緑光、そして今年はどんな色になるか、Blue Heaven。しかし、どれも残念ながら、花の命は短い。ほとんどが2、3日で蕾から開ききってしまう。バラから目をちょっと上に向けると、ヤマボウシの緑から白色、下に向けるとワスレナグサの空色。隙間からはクレマチスの姿が。そうそう、3年目にして初めて石楠花も開花した。もう少しすると、クチナシが甘い香りと清楚な姿を見せてくれるだろう。およそ自転車とは結びつかない趣味かもしれないが、夢は野鳥の森?を造ること。
薔薇 iceberg
2005. 5.13  名古屋出張    
 11日から本日まで、名古屋に学会出張。たまには、仕事関連の話を(決して自転車が本業ではありませぬ、言い訳?)。学会というと、あまりいいイメージで語られないことも多々あるようだが、私にとっては、自分の知識・技術が全国のトップレベルと比較してどの程度のことが出来ているのかを再確認できる貴重な機会(喩えが悪いが、自転車におけるレースにも似たところがある?)。今回は大部分の時間を大腸癌のセクションに費やした。いつもなら基礎研究的な発表が多く、私のようなものにはあまり実益にならないことが多い外科学会総会なのだが、今回はなぜか臨床的なことが多くとても勉強になった。最終日は、自分の発表。甲状腺というマイナーな分野なのでいつも聴衆が少ないのだが、まあまあの入り。座長(prof,S & prof.I)の的確な進行でうまくまとまったのではないかと思う。それにしても、長崎のM先生の豊富な知識(よく勉強しているということですね)と臨床に対する真摯な言動にいつもながら、ひたすら敬服。最近富みにバッシングの多い医療界であるが、M先生のような医師のほうが遥かに多いのだと私は思っている。どのセッションでも、知識を得ようとする人達で立ち見の状態であった。
 帰路、新幹線の車窓から、伊吹山から琵琶湖界隈の束の間の新緑風景を楽しむ(楽しむというにはいささか速度が速すぎたが)。いつもならなんとも思わないのだろうが、さすがに一両目(自由席なのにがら空き)に乗っていてちょっとばかり不安になるのは、先の事故が関係ない人間にも及ぼす影響が如何に大きいかを示す指標だろうか。 しかし、これを機に、少しは遅れてもという認識が国民全体に出てくれば、もう少し余裕のある社会が生まれるのかもしれない。

2005. 5. 8  練習会
 昨夜、ちょっと飲み過ぎて早朝起きられず。大川原は無理だったので、「9時・田園パーク集合」とK氏から連絡があった練習会に今年初めて参加。総勢13名、コースは板野−市場−大窪寺−塩江−相栗峠−脇町−徳島で145km。うどん休憩などもあったが、なかなか一人では追い込めない充実した練習ができた。それにしても、早朝に大川原・眉山を走った後このコースを走ったsaikiさんには脱帽。
 昨日は、先日訪れた「ランプロファイアー岩礁」を写真に収めるべく、大坂峠経由で再び白鳥へ。後日、04.11.06、05.02.13の走行記録などとともに、東讃の海岸線のページを作成する予定。 昨日、今日と好天にもかかわらず、日陰ではちょっと肌寒いくらいの涼しさであった。
2005. 5. 5   C−リーグ・四国大会 (阿讃サーキット)・・・5.17 up 完了 
 先日(05.04.29)の室戸TTを除いて、実質今シーズン最初のレースとなった、Cリーグ・四国大会。数年振りの阿讃サーキットは、同じ徳島県内とはいえ徳島市内からだと神戸のほうがよほど時間的には近い。山間部にあるコースは平坦地が全くなく、アップ&ダウンで周回ではその繰り返しの苦手レイアウト。午前中の2時間エンデューロは、予想どおり1時間で先頭集団から切れてしまった。午後のロードレースもスタートするにはしたものの、エンデューロのおかげで、棒のような足。全く走れず早々にDNF。
 帰途、同行の
K氏宅へお邪魔。玄関先に並んだMTB3台を横に自転車談義。確か、ロードは今日のアルミ以外にカーボン、クロモリ、それとチタンも持っていたはず。ピストもするし、シクロクロス車もあると言っていた。無いのはBMXだけだなあと言ったら「それも持っている」。ランドナーなどいわゆるツーリング車はないものの、MTBで一緒に山道を走ったり、レースでは同世代のライバル?(近年は負けてばかり)であり、大切な良き自転車仲間のひとりである。

エリート・エキスパートのTOP集団
2005. 5. 3   ランプロファイアー岩礁     
 海が見たくなった。何処へ行こうかと思案の上、時間的余裕も考え、東かがわ市・白鳥から引田への海岸線を走ってみることに。定番の大坂峠を越えて引田へ。国道11号線を北上し、白鳥で右折。海岸線に沿って県道122号線を走る。ほどなく、小さな漁港に当たり、そこに「ランプロファイアー岩礁」の標示が。実はこのランプロファイアー岩礁」、小学校の授業(香川県)で、国の天然記念物と習った記憶があり、その後ずっと一度見てみたいと思っていた。しかし、大きな地図では道路も無く、海上から船で見に行く以外に方法がないと思っていた。ところが、この小漁港にあった標示では、遊歩道がついているとのこと。自転車を降りて、散策。小高い岬には、遊歩道が整備されており、常緑照葉樹林の折り良く美しい新緑のトンネルをくぐるようにして展望台へ。周囲の照葉樹林も下草が刈られて整備が行き届いていた。さらにうれしいのは、連休中にもかかわらず、全く人がいないこと。美しい照葉樹林と穏やかな海の展望を一人占め(デジカメを持ってこなかったことを悔やむ)。展望台から降りて海岸線に沿って進むとランプロファイアー岩礁」へ。これ自体は、興味がある人でなければ、さほど感銘を受けるものではないと思われたが、ここから引田への道も、車もほとんど通らず、ポタリングを楽しむには絶好の道であった。東讃の海岸線もなかなか味のある道(04.11.06、05.02.13)が隠されている。
 ランプロファイアー岩礁」:国指定の天然記念物(昭和17年、なんと戦時中!に指定)。花崗岩(白く見える)にランプロファイヤー(溶岩・黒く見える)が貫入して形成された地層で、日本での産出は稀だそうである。

2005. 4.30
 連休2日目。本日も初夏を思わせる好天。昨夜、1次会で早々に退散したにもかかわらず、某掲示板に書き込んだのも記憶に無いくらい酔っ払い&疲れ果てていて爆睡。目覚めると5時15分。大急ぎで、DHバーを外し、スプロケットを14-25に変更して佐那河内へ。定刻より15分遅れて園瀬川橋をスタート、大川原へ。頂上直前で、降りてくる、こ〜さんsaikiさんと擦違う。それにしても、僅か一週間で新緑の萌芽が随分と進んでいた。下り「頂上まであと 4km」の地点で小鹿と遭遇。大川原では初めての経験。一仕事の後、大坂峠へ。心拍数は120〜130とサイクリング程度。
2005. 4.29   室戸TT  &  同窓会 
 サイクルショップ・トク主催の室戸TTに初参加。想像していた以上に参加者が多く(総勢31名)、ちょっと驚き。TRECK TS氏たねさんなど数名を除けば、知人はほとんど皆無。日和佐からスタート地点の野根まで40kmを自走。コースは野根から室戸岬手前までのちょうど30km(標高差は10m内外)。快晴、微風の好条件下、30秒毎に順次スタート。私は29番目のスタート。滅多にないこの距離のTTで、どんなペースで走れば良いのか見当がつかなかったが、条件が良ければ平均40km/hを目標としていた。残り数キロまで、40.5km/hをキープできたので、なんとか目標達成かと思っていたのに、最後数キロは向かい風となり失速。自己計測・39.5km/hでゴール。ところで新車パレードの観もあったこの日、鳴門先生の新車・スパイダーバージョンのマドンが一際美しく、乗せていただいた感触も最高であった。それにしても、雰囲気はとても良く(今年中止となった)愛媛ロードにも似た感じ。私はどちらかと言えば外様であるので、参加させていただけるだけでも有難いと思っているのだが、そんなことは関係無しに応対していただいた、サイクルショップ・トクのスタッフの皆様、大変お世話になりました。
 夜、20数年振りの同窓会。50歳を目前にして、 prof. とか president とか呼ばれる要職につく輩も多数。しかし、髪が薄くなったり、胴回りが大きくなったりで、以前と容姿が大きく異なっているのは意外と極少数。今年、宮古島TAを完走してきたというS君や、マスターズ陸上で兵庫県上位のN君など、学生時代よりさらに絞れている。同類はいるものである。

ゴール・室戸は霞みの中
saikiさん、スタート直後



室戸TTゴール地点にて
2005. 4.28   ゴールデン・ウィーク  
 明日からは、世に言う「ゴールデン・ウィーク」。みんなそれぞれに予定を考えていることだろう。かく言う私と言えば、いろいろ予定があって、ゆっくりとツーリングをする暇無し。明日は、トク主催の室戸TTへ参加させていただく予定。以前から一度参加してみたかった催し。今年は愛媛ロードも無くなってしまったので、シーズン最初の調子を覗ってみたい。30日はゆっくりして、5月1日は朝から翌日夕にかけて30数時間の仕事。3日ゆっくりで、4日は亡父の墓参りに帰省。5日は C-league 四国大会。6日からは翌週の出張に備えて仕事が山積み。この連休中に 1000km は無理と言え、500km くらいは走り込みたいものである。
 日の出が早くなって、起床も5時過ぎとなる。5時45分には走り始めているが、3℃の気温の差を敏感に感じる。10℃以下だと手がかじかむくらいであるが、今朝のように13℃あれば十分。早朝は比較的車も少なく、快適ではある。しかし、先週末のオオカ〜ラ・連チャンが足に残っていて体調はそれほどよろしくないのが現状。

2005. 4.24   オオカ〜ラ・連チャン
 昨日に続いて、大川原へ。今日の同行は、昨日に続いてsaikiさん、昨日は見送りだったこ〜さん、そして先週から連戦中のリョウさんが参加。先行するリョウさんのスプロケットが真中くらいに入っているので、どうもおかしいと思っていたら、なんとリョウさんもコンパクトドライブに変えていたのだった。後方から見ていると、なんとも余裕があるようで、自分がいつもと同じ38X19〜23で登っているのではないような気がしてくるから不思議。まあ、昨日の疲れにもかかわらず、まずまずのペースで登れたので満足。その後、神山へまわるが、府能峠から神山側が通行止めで走ったことのない山道を走るはめに。完全に足は売り切れていたのだが、森林公園の新緑を楽しみたかったので、這うようにして森林公園コースを登攀(自己最低記録)。
 吉野川の第十堰での鮎の遡上が報じられていた。昨年も情報を元に訪れたのだが、堰を登ろうと飛び跳ねる鮎は見られないまま。なんとか今年は見てみたいものだ。

2005. 4.23   初・オオカ〜ラ朝練
 今年初めての、大川原朝練を企画す。何人参加してくれるかなあ、とちょっと不安だったが、SKBCま〜し〜さんやまさんてらやん、それにsaikiさん、見送りのこ〜さんが参加。みんなで楽しく登れた。しかも、私とま〜し〜さん以外は、自己新記録ばかり(ま〜し〜さんも後一歩)。まだまだシーズン始まったばかりなのに、怒涛の勢いである。それにしても、やはりみんなで登ると楽しいし、刺激になるので一石二鳥である。コンパクトドライブに替えた、ま〜し〜さんがとてもスムースな回転で登っていた。インナー34Tにすると、美ヶ原でも12〜21で登れそうで、以前からちょっと考えてるのだが、資金と沖縄を考えるとためらってしまう。
 市内から登り口の佐那河内村へ向かう途中の園瀬川で、
カワセミ発見。「翡翠」とも記されるように、メタリックブルーの主翼は、遠くからでもとても目立つ鮮やかさである。カメラを持ってこなかったことを悔やむ(持っていてもうまく撮影できるとは思えないが)。大川原、ネイチャーセンター付近は、ヤマザクラがちょうど見頃。山頂付近の紫陽花も、新緑の葉を広げ始めていた。

2005. 4.20
 先週末、20数年振りに、足摺岬から大堂海岸、そして四万十川から黒尊林道と走ってきた。そのまま、月曜日・朝一番で東京出張。昨夜帰宅。今朝は予報どおり小雨がパラついていて朝練も休み。明日からボチボチ再開の予定。
 「乗鞍」の参加申込書が届く。これだけは王滝の二の舞にならないように、しっかりと期日指定で出す予定。しかし、みんなが期日指定で応募したらどうなるのだろう?   
 桜が終わった徳島は、例年の如く、街路樹?として道際に植えられたツツジが一斉に咲き始めている。ハナミズキもそろそろ終わりである。

2005. 4.14
 昨日、今日と少し肌寒い朝。すっかり暖かくなったと思って片付け始めた、冬用のジャージとパンツ、手袋、耳当てを引っ張り出して朝練。散り始めた眉山の桜も、ぶり返した寒さに現状維持といった風。ソメイヨシノはやや赤っぽい新芽を、また美しい緑の新芽をまだ散り終わらぬ花とともに美しい色合いを見せる桜もあり、まだまだ目を楽しまさせてくれる。八重桜は漸く蕾が膨らみ始めた様子で、まだ来週も花見が楽しめそうである。
 「自転車 市民権宣言」という本を読む。本屋でたまたま見かけて購入したのだが、ツーリングや競技などとは関係無く、交通手段としての自転車・また放置自転車問題などの見地からかかれた本。スポーツもしくは趣味としての自転車を楽しんでいる私だが、この本には、いくつかも新しい観点や、知らなかった交通法規なども記載されていて、交通手段としての自転車について再認識す。
 徳永進「野の花往診」、読み始める。氏のエッセイ?は数冊読んでいるが、今回は第1章?の「初心」からガツンと頭を打たれた感じである。やはり初心が違うのだなあ、と変に感心、感嘆。以前からその文章がとても好きなのだが、やはり対象に愛情を持っている−この「初心」でより一層明らかになった−ことが根本であるかと思い知る。同時進行、辻仁成「いつか、一緒にパリに行こう」。さだまさし「精霊流し」、平岩正樹「抗癌剤」、読了。
2005. 4.10   サクラだより −最終章・川井峠−   
 前夜から今日は午前中早々に雨と予想していたのに、目覚めると外は快晴。ならば行くしかない、と午前7時前、神山町・明王寺目指して出発。自宅からちょうど40km、8時半頃に明王寺到着。しかし、周囲近辺の桜(ソメイヨシノも枝垂れ桜も)が全て満開であるのに、なぜか明王寺の枝垂れ桜のみがすでに葉桜。そのため花見客は皆無。事前情報が乏しかったせいもあるが、葉桜であっても満開時にはさぞ見応えがあるだろう(京都・丸山公園の枝垂れ桜より?)と思われる見事な1本であった。来年は、是非満開時に訪れよう。
 剣山山系には南から重黒い雨雲が押し寄せており、天気図からもいつ雨が降り始めるか気が気でなかった。しかし、期待していた明王寺の枝垂れ桜がすでに散ってしまっていたので、ここまで来たのだからと意を決して川井峠まで足を伸ばすことにした(一応雨を前提に合羽などの用意もしていたので)。そこからはサイクリング状態(時々時速一桁に)でなんとか9時30分過ぎ川井峠に到着(自宅から55km)。過去何度か川井峠を走った折、いつかサクラの季節に一度来ようと思ってはいたが、峠から木屋平側に点在する満開の枝垂れ桜の姿は、想像を遥かに上回る素晴らしさであった。峠のトンネルを越えてすぐにある神社の枝垂れ桜もなかなかだったが、それから少し木屋平側に下りた所に3ヶ所ある枝垂れ桜がさらに大きくて樹勢もあった。まだ時間がやや早かったこともあって(帰途花見らしい多数の車が木屋平に向かって行くのにすれ違った)、人も車も思っていたより少なかったのも花を楽しむには有難いことであった。それにしても、物語性のある写真はなかなか撮れません。
 帰途、強風が吹き荒れていたが気温はぐんぐん上昇し、とうとう今年初めて、半袖・短パン姿となる。疲労困憊であったが、神山森林公園に登ろうかとちょっと色気。しかし、登り口で森林公園に向かう車があまりに多い&後ろから追突されたのも花見の時だった(03.4.6)ことを思い出し、止め。
 結局、夕方まで雨雲の姿も見えないままであった。

川井峠 少し木屋平側に下った所



さらに少し木屋平側
2005. 4. 9   消え往くもの    
 先日、知人から、「こんにゃく橋がなくなる」という話を聞いた。「こんにゃく橋」とは、吉野川の最も下流で合流する支流・鮎喰川の最下流に架かる橋?であった。ウェブで調べたところ、正式名は「浜高房橋」、明治年間にできたとのこと。写真左は1981年4月に撮影したもの、後方は眉山。自転車はなつかし、ESPRESSO SPORTIFである。橋の名の由来は(写真ではわかりにくいが)幅1m、10数cmの板が並べられ、渡るとこんにゃくのようにゆらゆらすることから、こう呼ばれるようになったらしい。もう記憶に乏しいが、確かに自転車で走行するにはちょっと勇気が必要だった。一昨年、昨年の台風で、何度も流されて以来復旧のめどが立たず、今回ついに撤去の決定となったとのこと。しかし、その手の筋では結構有名で、「四国の水辺八十八ヶ所」にも選ばれていたらしい。復旧したら、是非写真を撮っておこうと昨年から思っていただけに、とても残念。現在は、コンクリートの橋桁だけが残っている。危険とは言え、干潮時には干上がり、満潮時でもさほどの深水はなし。個人の責任において通行、ということで存続できないのは、時代の流れか。

 本日、仕事前早朝、上板・畜産試験場へ。やはりここのサクラは徳島市内近辺では最高!

在りし日のこんにゃく橋
2005. 4. 8   サクラだより −その5−    
 超ハードな一週間をなんとか遣り繰りしているうちに、気温はどんどん上昇して、徳島のサクラは満開になった模様。限定1週間なので、忙しい中もできるだけ早起きして花見ツーリング。しかし、時間が限られているので行ける場所は限られている。定番・眉山、農業大学、畜産試験場、近場では袋井用水、諏訪神社等々。本日はさらに南に足を伸ばして、羽ノ浦・岩脇、恩山寺まで行ってくる。前者は人と車でいっぱい。後者は、十数年前はもっと山全体がサクラに蔽われていた印象があったのに、意外に大樹もなくむしろ貧相、期待外れであった。しかし、道中、立江寺の近くで、写真左のような大きなソメイヨシノを発見(トップの写真も)。2本のほぼ同じ樹齢の大きなソメイヨシノが重なるようにして満開。このサクラを見つけたことで、今日は満足。しかし、なかなかいい写真は撮れません。とりあえず、何枚かを日替わりでトップページに載せる予定。
 走行途中、今年初めてツバメの飛翔する姿を見る。


立江寺の近く 大きなサクラを発見
2005. 4. 3     
 朝から雨。「今日は休養」と、一仕事の後、少し離れたところにあるM書店(徳島では多分一番品揃えが多いと思われる)へ。ゆっくり店内を閲覧したいのだが、日曜日は週日にはできない、やりたいことがいっぱいあってどうも落ち着いて本探しが出来ず。結局40分ほどで書店を出る頃には、薄日も差して路面も乾いていた。そこへK氏から、「今から大川原へ向かいます」とメール。昨日の今日で、かなり疲労が残っていたのだが、せっかくだからと便乗。これまた昨日大川原に登っていたS氏を交えた3人で大川原へ。昨日は曇り空であったが、そこそこの気温であったのに、今日は途中から小雨。ほぼ1時間かけてゆっくりと登るが、途中からハンガーノックで頭がボーっとしてきた。なんとか登り切ったが、下りは冬に逆戻りしたような肌寒さ&小雨。3人とも合羽(私は先日100円ショップで買った安物だが、これが結構役に立つ)を着込んだが、私以外の二人は半袖+アームウォーマーの軽装。S氏に至っては、「昨日暖かかったから」と指切りグローブ。寒さに震えながらゆっくりと下った。下山すると気温は上昇、しかも路面は乾いていた。ならば疲れた体を鞭打って眉山へ、という話になりかけたのだが、何処からとも無く黒く重い雨雲が襲来する様相。ということで、本降りになる前にと解散。私はその後、諏訪神社のサクラを見るために眉山の麓を回って、ゆっくりと帰宅。西方面へ帰宅のK氏は帰宅と同じに雷鳴・土砂降りだったとのこと。
2005. 4. 2   サクラだより −その4−    
 ツーリング予定の今週末であったが、昨夕天気予報で下り坂との情報だったので早々に中止と決定。徳島市内でも昼からは雨の予報だったので、午前勝負と睨んで、早朝から大谷櫛木線経由で大坂峠へ。一仕事の後、今度は大川原へ。心拍数は155前後とそこそこ上がっているのに、ペースは一向に上がらず。帰りに眉山へでも、と思っていたが、とてもそんな気力・体力が残っておらず、そのまま平坦地を追い風にのって帰宅。
 夕方近くになっても雨が降り始めなかったので、家でゴロゴロしていた娘(小六)を誘って、城山の花見に行く。城山のある徳島公園まで自転車(2km弱)。一昨日はまだ咲き始め程度であったのに、たった二日で3分から木によっては5分咲きに。麓に自転車を置いて城山へ登ると、山頂は人影も少なく、日当たりが良いせいかサクラの開花も公園内で最も早いようであった。城山を反対側に下りて、公園内を半周する。小さな枝垂桜が一本あり、これだけは満開。さらに売店のある西南隅に、ソメイヨシノとは異なる真っ白の花を咲かせたサクラが2本。花見客も天候が安定しないためか週末にもかかわらず少なめ。結局、雨は夜になって漸く降り始めた。


城山山頂にて
2005. 3.30   サクラだより −その3−  
 久々に仕事が定時で終了できたので、大急ぎで帰宅。眉山へと自転車を走らせた。西部公園付近のサクラは、つい3日前にはまだ硬い蕾であったのに、今日はチラホラと咲き始め。この分では、明日、明後日の好天で一気に開花が進みそうだ。しかし、残念ながら週刊天気予報では、週末は雨もしくは曇り。  眉山ではTe-chanに会い、2本しゃべりながら同走。誰かと一緒に走ると言うのはやはりいいものだ。途中、タラタラ登る私達を軽快に追い抜いて行ったのは、先日の広島チャレンジ・マスターズで一桁ゴールだったY内君とのこと。登りであのスピード、しかもほとんど息も乱れていなかった。私より20歳近く若いとはいえ、やはり能力の差にはちょっと落ち込みます。
 
飯島夏樹:「ガンに生かされて」を「天国で君に逢えたら」(04.10.17)に続いて読んでいる。日本の boadsailer 第一人者としてしか知らなかった彼の知られざる一面やその後のちょっとしたエピソードもさることながら、やはり「死」を直視した「生」から産み出される言葉の重さ・真実に圧倒される。「アスリートとしてより書くことが天職」と言う彼に、もう少し時間があったなら・・・。本書にはとても多くのメッセージがあるので、いつかゆっくりと私なりの読後感を書いてみたいと思ってるが・・・。
2005. 3.27   リハビリ走 2       サクラだより −その2−
 午後からは雨、という予報で朝早めにスタート。サクラの開花状況を探りに、石井町・農業大学から上板・県畜産試験場を周る。しかし、何処もまだまだ硬い蕾であった。さらに、大坂峠から眉山を登るが、こちらも同様。例の西部霊園の一本のみがほぼ満開であった。それにしても体調は相変わらずで、サイクリング程度の走り。
 昼前に戻ってきて、一仕事。その後、狭い我が家の庭仕事。  予報通り、夕方から小雨がパラつき始める。
 先日、荒天で中止になり、5月に改めて開催される運びとなった「C-LEAGUE」四国大会に申し込む。早速、大会本部から前回の払い込み料の取り扱いについて問い合わせあり。2、3回メールをやり取りしたのだが、素早い対応と行間から伝わってくる自転車競技(の振興)に対する思いを強く感じた。「C-LEAGUE」の今後の発展を願ってやまない。
2005. 3.26   リハビリ走 1    
 1週間振りに自転車に乗る。定番・大坂峠へ。移動性高気圧に蔽われて無風だろうと思っていたのに、かなり強い北風であった。しかし、風が無ければり暖かく、昨日までほとんど蕾であった庭の錦モクレンがいっせいに開花。走りのほうは、暖かかったにもかかわらず病み上がりだけに無理をしようにも体は動かず。心拍もそこそこでゆっくり走るのみであった。
 夕方、某研究会に参加。小さな会であったが、日本(おそらく世界)のその道の第一人者の講演。全国単位の研究会でもよく聴講していたのだが、今日は何が異なっていたのか、いつになくよく理解できた。その後、同級生と立話。何処もよく似た状況。私達個人個人の努力と良心では、事態はもう如何しようも無いほど悪化していることを再確認するのみ。社会的情勢がどんどん変わってきているのに、それに対応できず(というより、対応しようとしていない行政)、そのしわ寄せが現場のみに押し寄せている現状。加えてさらにモチベーションを低下させる出来事ばかり。徳島の医療に未来はあるのか?  なんて言いながらも目前の仕事は猶予なし。とにかく最善と思われる方法で仕事を続けるのみ。

庭の花・錦モクレン
小鳥たちが蜜を求めるのか、隣家の塀より上の蕾は、開花前に虫食い状態
2005. 3.23   なかなか回復せず     サクラだより −その1−  
 3連休初日から崩れた体調はなかなか回復せず(今夜はちょっと良くなったような気もするのだが・・・)。昨日、今日と春の雨。体調が良くても自転車には乗れなかったが、普段乗れていたらたまには休養と気分転換にもなるもの。やはりなんといっても健康第一である(極めて月並み)。本屋へ寄ってCS誌を買ってくるが、いつにまして面白い記事、興味をそそられる内容がなし。気分的に落ち込んで、モチベーションが下がっているせいか?
 モクレンの花が咲き始めている。そろそろサクラの開花の声も聞こえてきそう。先週水曜日の朝に今年初めての朝連として眉山(庄町側)へ登った時、登り始めの西部霊園に既に3分咲きになっているサクラがあった。そう言えば、確か毎年この一本だけが少し早く開花していたことを思い出す。花の色がやや濃く、ソメイヨシノとはちょっと異なるようである。3連休の暖かさで満開近くになっているだろうか?この2、3年、恒例としている、石井町・農業大学や上板・県畜産試験場の桜並木を見に行くためにも、早く体調を戻さなくては。

2005. 3.21   またまた、ダウン
 快晴・無風、絶好の自転車日和の今日。本来なら、ま〜し〜さん達と淡路・輸鶴羽山界隈へMTBツーリングの予定であったのだが、2、3日前からの体調不良がさらに悪化。昨日は大事をとって走るのを止めたにもかかわらず、夕方から悪寒。発熱こそ無い様であったが、とうとうキャンセルとなってしまった。せっかくみんなの都合もついて、久々にワイワイ話しながら楽しく走ろうと思っていたのに・・・。今朝は昨夜に比べると随分いいようだが、喉はカラカラ、足は力が入らず。このいい天気の一日、どうしたものか。
 今年は、1月といい、週末に体調を狂わすこと、すでに2回目。特に、今回は仕事が落ち着いている3連休とあって、走り込み&ツーリングと盛り沢山の予定をしていただけに残念無念。
2005. 3.16   どなたか、熱帯魚、貰ってくれませんか? (こんな場でなんですが・・・)
 我が家には10年以上も前から、熱帯魚の水槽がある。事の始まりは、子供が貰ってきた金魚。その後まもなく熱帯魚を飼育することになり、紆余曲折を経て数年前からは NISSO の 90cm槽が玄関に鎮座している。当初は妻を中心に結構しっかりメンテナンスをしていたのだが、次第に世話が滞り気味に。いつのまにか私が世話係になっていたのだが、最近では私が暇な時に掃除をするのも稀になってきた。だのに何故か、魚たち(カージナルテトラなどのカラシン、セルフィンプレコ)は元気に長生きしており、アビアヌスナナなどの水草類も繁茂。私は暇があればまだメンテするつもりもあるのだが、家族にはその気なし。とうとう、「誰か貰ってくれる人はいない?」という理由らしからぬ理由で、貰っていただける方を募集中。熱帯魚だけでもいいですし、水槽その他一式、もちろん無料で差し上げます(そのままで使えますが、ちゃんとしようとしたら1万円くらい出費が必要かも)。ご希望の方ございましたら、当方までメール下さい。よろしく。
 天気予報通り暖かい一日となった今日、今年初めての大川原へ。心配していた雪もほとんど無くなっており、気温は高く半袖で十分であった。足が重くて、途中止まらずに登れるかと懸念していたのだが、52分台とまずまず。頂上でしばらく休んでいると、さすがに冷えてきた。持ってきた服を全部着込んで下山。

我が家の水槽(本日です)
写真が小さくてちょっとわかりづらい
2005. 3.15   三寒四温・その3  もしくは 「C-LEAGUE」 のこと  
 昨朝午前7時、加賀須野橋前の気温表示-2℃。今朝1℃。明日は少し暖かくなりそうである。あせび公園の馬酔木同様、拙宅の小さな馬酔木も花を咲かせた。クレマチスの新芽も伸び始めている。通勤途中の沈丁花も満開。寒いながらも春は着実に近づいているようだ。朝練と言うには忍びない程度であるが、なんとか早朝自転車乗りを再開。しかし、酒量のせいか weight control が全くできず。6月までに後3kg減量は難しいか。
 C-LEAGUE から日曜日のスプリングエンデューロ中止のお詫びメールが届く。自転車やマラソン、トライアスロンなどほとんどの大会で、自然状況など不可抗力による大会中止の際、参加料は戻ってこないものと思っている。今回、5月5日に代替の大会が行われる予定で、しかもスプリングエンデューロ申し込み者は、差額で申し込めるとのこと。良心的な主催者の配慮に感謝するとともに、自転車競技の底辺を広げようとする意図を強く感じる。今回申し込みを見送った人も、5月は気候もいいので連休最終日・子供の日ではありますが、できるだけ参加しようではありませんか。
2005. 3.13   北淡路を走る  
 早朝、徳島市内は無風快晴であったが、県西部は風雪の荒天だったらしい。本年度、私にとって開幕戦になる予定だった、C-LEAGUE スプリングエンデューロは時ならぬ風雪で中止になってしまった。残念と言えば残念であったが、体調も練習量も今一つであったことを考えれば、むしろ良かったと考えるべきか。スロースタートの私はまだ家を出たばっかりであったので、先に美馬へ着いていたリョウさんからの情報で、予定を急遽変更、約25年振りに淡路島を走ることとす。橋が架かってもフェリーが残る本州側に比較して四国側はフェリーも連絡船も消滅し、淡路に渡るには高速道路を利用する以外に手がないというのがちょっとつらい。
 午前9時前、頬を刺す冷たい風の中、西淡から淡路島西海岸経路で岩屋を目指す。ややななめ後方からの追い風に助けられて、快走。路面状況は良好で、信号はほとんどなく交通量も少ない、という自転車練習&ツーリングにはうってつけの道。五色町(明神崎であったか?)にある風力発電用風車付近の海岸風景は、ちょっとドーバー付近のフランスを思わせる雰囲気もあり。関西に出張、本州にレースに行く時はいつも通っている明石大橋も、今回完成して随分になるのに初めて下から見上げる。大休止した岩屋漁港では、海の神様への感謝祭なのか、御輿を乗せた漁船や大漁旗を立てた漁船が、ちょうど出港・パレードしているのに遭遇。
 その後、昨日テレビで出ていたという、菜の花100万本と謳う景色を探す。大磯付近のコンビニで、「あわじ花さじき」というところらしいと聞く。引き返して淡路ICの直下からほぼ淡路島の稜線に沿って走る道を上る。淡路島といえば、西海岸の道と主要な東海岸の28号線、そして高速道路、南岸・水仙郷前後の味のある道しか知らなかったのだが、こんな淡路島の竜骨とでもいう稜線を走る道があることを初めて知った。稜線に沿うだけに結構登る。先ほどカシミール3Dで調べると「花さじき」は標高約280mであった。登り加えて向かい風と堪えたが、辿りついた「花さじき」は素晴らしい眺望!北には明石大橋の橋梁と神戸の町が眺められた。時折小雪を伴う雲のせいで大阪湾全体を見渡すことはできなかったが、条件が良ければかなり遠方まで見晴らしが利くはずである。菜の花はまだ咲き始め。3月いっぱいは咲いているとのこと。興味のある方は、ぜひ足を伸ばしてみてください。もちろん自転車で行けば最高。
 地図を見ると、そこから続いて稜線を辿るなかなか魅力のありそうな道があったのだが、疲れも大分たまってきていたので、そのまま東浦に降りる。今度は東海岸国道28号線を南下。西海岸に比較して、こちらは交通量が多く、路肩の状態が極めて不良、しかも強烈な向かい風。ほうほうの態であったが、南に下るにつれてあがる海の透明度がなんとか疲れた体を癒してくれた。
 次回は、是非、論鶴羽山・柏原山をまわって南岸を走るコースをMTBで走ってみたいものだ。
言わずと知れた、明石大橋


あわじ花さじき

100万本と称される菜の花

遠方に明石大橋・神戸が見える
2005. 3.12   三寒四温・その2 
 明日は今季第1戦、C-LEAGUE主催・スプリングエンデューロが三好町の阿讃サーキットで行われる予定であるが、徳島市内でも午後から雪模様。県西部は恐らく積雪。果たして明日は開催できるのか?ただでさえ標高の高い、阿讃サーキット。凍結なんてこともあり得る?
 もし開催されても、明日は端から練習の一環としか考えていないので、本日も定番・大坂峠へ。SKBCのま〜し〜さん
TC spirits の親子、それに最近よく出合う、エウスカルテルのバッチリ決まった人とすれ違う。あせび公園まで登ると早くも馬酔木が咲き始めていた。自宅を出る時は、北西が強いながらも日が差していたのに、あせび公園では雪模様となる。吉野川大橋では、風速11m/sと台風並みの強風。気温は2℃。昨日の朝が11℃であったことを思うと、典型的な三寒四温である。明日はレース予定にもかかわらず、飲み会の今宵。
2005. 3.10
 天気予報通り、随分と暖かい一日であったらしい。「らしい」と言うのは、外へ出たのが昨日朝以来30数時間振りに仕事から解放されてのことであるから。明朝も暖かいらしいが、天候は雨に傾いている。雨が降らなければ、久々の眉山早朝練習を・・・、とも思っているのだが。
 某衆議院議員が、酩酊して強制わいせつの現行犯で逮捕されたとか。「酒の力は恐ろしい」と思いながら、昨夜は仕事で脱アルコールであったのを理由に酒浸りの今宵。我が家で飲む分には、いくら飲んでも家族の白い目くらいで害が無し?

2005. 3. 7  ショック
 仕事から帰宅してみると、パワースポーツからハガキ。なんと「王滝100キロ」定員オーバーで受理できず、とのこと。3月1日から募集だったので、1日夜に投函したのだが・・・。先着順とのことだが、地方からでは圧倒的に不利?過剰人気(乗鞍もよく似た状況だが)なのだろうが、一考を促したい。で、先日(2.28)の話じゃないが、モチベーションがおおいにダウン。今年は楽しみだった愛媛ロードも早々に中止のアナウンスもあり、出場する大会がかなり減少する予定。その分、ツーリングにせいを出すか。来年の大目標に向けて、地道に資金確保&体力増進に備えよ、と言うことか。
 読書の話。「眉山」がなかなか良かったので、「解夏」(
さだまさし)も読む。4編が収録されているが、いずれも私の感性に共鳴するところあり。題材はそれぞれ異なっているが、根底を流れる潮流は同じ。氏の「詩」を彷彿とさせるもの。

2005. 3. 6  県南・室戸はサイクルツーリング、花盛り
 日和佐から野根−四郎ヶ野峠−奈半利−室戸−日和佐と走ってきた。205キロ。実走7時間余、平均28.6km/hr。ヘロヘロです。先日走ったばかりの野根山街道周囲であるが、今回は前回よりも少し肌寒かった。しかし道はきれいで、信号無く、車は少ないと、3拍子揃ったコースで練習には最高であった。
 ところで、国道55号線ではサイドバックを取りつけたツーリングの人が次から次へと対向して行った(さすがに野根−四郎ヶ野峠−奈半利ですれ違った人は皆無)。それでもその数は20人を軽く超えていた。大部分は春休みの大学生&高校生?女の子もソロ、グループと何人かいた。すれ違いだけなので、同方向に走っていた人もいるはず。春の室戸界隈はサイクルツーリング銀座なのかなあ。その昔は片手を挙げて挨拶していたものだが、今回は近づくと会釈で挨拶。それにしても、みんな荷物が多い。テントとシュラフ、自炊としても、昨今の機能的な道具を考慮すれば、もっとコンパクトにまとまると思うのだが・・・。
 それだけのツーリストと会いながら、なぜかローディとは一人も会わず。

2005. 3. 5  マスコミ、またはマスメディア論
 本日の某地方新聞に高村薫氏の「マスコミ論?」が掲載されていた。相変わらず(昨年5月21日記・参照・「百年先を考えた都市を」)鋭い論評である。NHKへの政治家介入問題やライブドアのニッポン放送株取得などの話から、新聞やテレビがインターネットに比較して既に遅れを取っている点やマスコミに大衆が何を求めているか、また公共以外の情報は有料にすべきなど、様々な角度・視点から、大胆かつ明確な論評を繰り広げていた。圧倒されるばかりであったが、氏と同じような視点に立てる大衆・市民はどれほどいるだろう?私を含めて、大多数はまだまだマスコミ・マスメディアに踊らされているのが、現実?あまりの情報過多に惑わされずに、正確な情報を得る(判断する)能力が、これからの民衆の課題であるかもしれない。

 雪の予報も出ていた本日であるが、終日晴れ時々曇りの一日。仕事が落ち着いていたので、定番の大坂峠を走り、久々に第十堰を周ってくる。昨年の大雨で堆積物が流されて本来の美しい青石の石堤を顕わにしたと聞く堰の現況を未だに確認していない。南岸では、増水時の障害になるという河岸の雑木が伐採されていた。河岸に雑木のある風景は、なかなか味のある風情であると思うのだが、安全のためには自然のままでもいけないらしい。
 本日からJリーグが始まった。今季からJ2に昇格した徳島ヴォルティスは強豪・仙台に快勝で幸先良いスタートを切ったとのこと。

2005. 3. 3  飯島夏樹氏 永眠    または 「減酒」
 2月28日、飯島夏樹氏、永眠される(dairy 2004.10.17 参照)。そのことを書こうとしながら、昨夜はアルコールでいつのまにか意識消失。よって、今朝は起きられず、朝練できず。反省。貴重な朝の時間を有効に活かすために、「禁酒」といきたいところだが、とても無理。「減酒」で許していただこうと決意?こうやって公にすることで少しでも己にプレッシャーをかけることとす。早速今夜はやや控えた(止めたと言えないところが悲しい)。しかし明朝は今夜の雨が残り、走れそうにない。

2005. 3. 2   「戦場のローレライ」
 3月である、いよいよ自転車レースシーズン到来。3月からは朝練復活、と期していたのに、昨朝は一昨夜の飲みすぎで起きられず。本日、なんとか久々の朝練、20km。吉野川大橋の気温は4℃と思ったより暖かかった。加えて安売りで購入した冬用のジャージは、昨年のものと比較しても全く風を通さず、汗をかくくらいで保温効果抜群。技術の進歩なのか・・・。明日も早起きして、と思いながらも、しかしアルコールに浸っている、この憂うべく我が身。気合を入れるのを兼ねて?「美ヶ原」&「C-league エンデューロ」申し込み。
 「戦場のローレライ」読了。終盤に向けて加速するように読み進んだ。圧倒的な感動! 最近読んだ本の中では比較するものがない。お勧めです!まあ、読書というのは、自分の主観で読むのだから、読者それぞれの感想があるものだと醒めた見方もできるが、私にとってはいろんな意味で魅了された。終章はよくある手法ではあるが、そこにも作者が語りかけようとするメッセージが、そこまで以上に多く盛られているように思えたし、なによりも「パウラ」や「征人」の存在感が目の前にあるかのようである。この作者である福井氏は私より10歳も年下。「創造力」、「才能」の違いを思い知る。5日はこの映画の封切りである。なんとか封切り前に読破しようという目標達成。かって「読んでから見るか、見てから読むか」というキャッチフレーズもあったが、映画を見られた方も、是非原作を読まれることをお勧めする
2005. 2.28   雑 考 
 2月も本日で終わり、いよいよ3月・春である。最近、いろいろと思うことがあり、その都度メモするようにしているのだが、実際に文章にできることはほとんどなし。高校生の頃、とても頭のキレた友人が、「思うことの10分の1も言葉にできず、その10分の1も文章に表せられない」と言っていたことを思い出す。
 何かを維持することの努力、について。スポーツ(私にとっては遊びのひとつであるが)はもちろんのこと仕事も、現状維持するだけでも多大な努力が必要であることを、今更ながらに痛感。ちょっとでも怠けると、力は落ちる一方である。現状維持、もしくは更なる発展を望むなら、それ以上の努力が必要であるのは自明のこと。では、その努力の原動力は・・・?やはり、何につけてもモチベーションではないかと思う。遊びは自分個人のモチベーションの占める割合が多分にあると思うのだが、最近仕事関係では、モチベーションを下げるあまりに多くの外因に辟易している。
 閑話休題、読書の話。福井晴敏「戦場のローレライ」、いよいよクライマックス。「亡国のイージス」も結構惹きこまれたが、これはそれ以上。本来、映画化を前提に書かれた小説とのこと。それゆえ読みやすいのかもしれないが、いろいろと考えさせられることが多い。しかも話としても面白く、個々の場面の描写も瞼にその画面が浮かぶ実在感。フィクションではあるが、この描出力を少しでも学びたいものである。
 「広い宇宙に地球仁しか見当たらない50の理由」もなんとか読破。宇宙、時間などといったテーマは結構興味をそそられるのだが、「Newton」別冊を始めとして読んではみるものの、どうももうひとつもふたつも、すっきりと理解できず。己の能力の限界を感じてしまうのであるが、それでもそんなテーマに惹かれてしまう。上述の仕事関係はもちろん、世界情勢にしても、宇宙や時間の問題から考えれば、とんでもなく瑣末なことである。無限小であくせくしている自分をあざ笑うがごとくの広大な世界。みんながそんな世界にちょっとでも目を向ければ、世の中ももう少し、ギスギスしなくなるのではないだろうか、と思うのはあまりに楽観的か?

2005. 2.25   三寒四温
 この数日、目まぐるしく天候が変化。「三寒四温」という言葉は、もう少し春らしくなった3月の言葉と思っていたのだが、このところ一寒一温どころかその日一日でも温度差が激しい日が続いている。先日(2.05)も書いたが、5℃の違いはとても大きい。一昨日0℃であったが今朝は6℃。昼間、春のような陽気だと思っていたら、夕方には厳しい北西風が吹くと行った具合。それでも、ネコの額ほどしかない我が家の庭のモクレンやバラの芽は確実に膨らみ始めている。6時30分には明るくなり始めた昨今、そろそろ朝練を復活させなくては・・・。

2005. 2.20   野根山街道・界隈
 この冬の宿題としていた、野根山街道界隈の林道を走ってきた。宍喰−久尾−竹屋敷林道−蛇谷林道−野根山街道−須川林道−室戸市・吉良川−大平舟場林道−宍喰。詳細は後日HPのアップ予定であるが、なかなか走り堪えのあるコースであった。加えて、近頃とんと少なくなった地道もふんだんにあり、オプションで四国の道・野根山街道も数キロ走った(ただし乗車率50%以下)。圧巻は蛇谷林道・最高地点付近(標高1080m)からの眺め。北東に牟岐大島、北には冠雪した剣山山系、西には高知から足摺岬方面、眼下には田野の町並から南へ室戸岬と一望である。やや霞んでいたが、それでもこの日一番の景観であった。一見の価値あり。本日の走行距離135km、積算標高差約1800m強。明日の疲労残存がちょっと不安。

2005. 2.19   泳ぐこと (大好きです。いつの日か、専用ページを設ける予定)
 午後からは弱冠回復すると予想されていた天候だが、終日雨。週末ライダー不可となり、一仕事の後、今月一杯で止めることにした某アスレチッククラブへ。もっぱら泳ぐことのみを目的として契約していたのだが、仕事の影響などでなかなか通えず元が取れないこと、トライアスロンを止めて水泳に気合が入らないとこなどの理由で退会することに。
 上述の如く、もっぱら泳ぐ場所の確保としてのアスレチッククラブであった。なんといっても、
水泳大好きなのである。泳げるようになったのは小学校4年生の時(もう40年弱も前の話である)。当時はスイミングスクールはもちろん、温水プールなどある訳がなく、夏場のみの楽しみであった。指導者が良かったのだろう、小学校6年生時、学校単位とした当時の水泳大会では、私の小学校は香川県内でダントツの成績であった。中学校に入って、いろんな理由(一番は身長が伸びないのでそれ以上成績も伸びないと思ったこと)から、競技としての水泳は止めてしまったのだが、泳ぐことはその後もずっと好き。あの夏の空の下で、水に浮かぶ開放感。これは日常・陸上の生活では得られないものである。加えて、高校生時の富郷での経験。プールに限らず、水に戯れる事の楽しさは、自転車以上かも。boadsailingもその仲間?
 明日はなんとか天候が回復しそうなので、室戸付近の林道へ足を伸ばす予定。

2005. 2.18 未明
 超多忙な木曜日の仕事を最低限で片付けて、某研究会に駆け付ける。当然の事ながら、仕事に直結する知識を得るためであるが、それにも増しての理由は、今研究会の講師が10数年前に某所で一時期一緒に仕事をしたH氏であったから。その後国内最先端施設に赴任し、現在は室長として活躍するH氏(この4月からはご自身の母校のprofessorに就任されるとのこと)の講演はとてもわかりやすく、かつ示唆に富むものであった。講演後、当時の職場のオーナーT氏とともにH氏に挨拶、しばし歓談す。10数年の隔たりを感じさせず話ができた。その頃はお互い(私は未だ)に海千山千であったが、そんな彼が日本の第一人者として活躍していることをとてもうれしく思った。北の大地でのH氏のますますの活躍が楽しみである。

2005. 2.17 未明
 2月にしては、珍しい雨。午前中は南東の温かい風が入り、気温は上昇。情報によると3月下旬から4月上旬の気温だそう。これくらい暖かいと、朝練も再開か。しかし、絶対的気温は、晩秋よりまだ随分と低いのである。一雨毎に暖かくなる季節には、まだ少し早い。週末、ちょっと走るだけでは、weight control もままならず。
 14日は、
パンターニの没後1年であった。
2005. 2.13   東讃を走る  
 12日、所用を済ませた高松からの帰り道、16時から、先(2004.11.6)に時間が足りなくなって走れなかった、志度から津田へかけての海岸線を走ってきた。こちらも庵治町の海岸線同様、適度なアップダウンがあり、瀬戸内海の穏やかな風景を眺めながらのいいサイクリングコースであった。特に大串岬から興津までは一車線の旧道で、雑木林のあちこちに野鳥が戯れる味のある道であった。大串岬には、以前から一度見てみたかった野外音楽広場・テアトロンさぬきワイナリーがあるのだが、季節はずれなのか人がほとんどいなかった(観光地は人が少ないのが一番)。
 その夜は、SK自転車倶楽部
ケン部長の壮行会。いつもながら自転車仲間の飲み会は楽しい。が、ちょっと飲みすぎてしまい、沈没。

 本日は、酒を抜くため?に再び香川へと自転車を走らせた。往路は強烈な向かい風で散々だったが、大坂峠−星越峠−日下峠−大坂峠(さぬき・東かがわ市境)−市場−吉野川北岸で、今年初めて100km以上走る。幸い帰りは斜め後方からの追い風に助けられた。それにしても、星越〜日下峠北側の昨年の台風による被害(大分片付けられていたのだが、随所にその爪跡が残っていた)は、想像を遥かに変える凄まじいものであった。

野外音楽広場・テアトロン
後方は志度湾を隔てて五剣山
2005. 2.11未明   エンターティメント 
 明日(今日か)からは世間一般には3連休だが、仕事関係で11日、12日とつぶれる予定。
 
逢坂剛「墓石の伝説」を読んでいる。氏の作品は、いつからかどの作品からか、記憶が定かでないのだが、概ね読んでいる。「遠ざかる祖国」、「燃える蜃気楼」などのライフワークとも言える作品は、最高と思える。また、氏が小説以上に打ち込んだというスペイン現代史やフラメンコギター、今回の「墓石の伝説」でも中心となる西部劇を取り扱った話、いずれもいわゆる純文学ではないが、とても楽しめる読み物である。アルコールを嗜みながら、思わず微笑んでしまう、そんな楽しさが盛り込まれた作品。私自身は、フラメンコや西部劇にほとんど興味もないのだが、そんな私が読んでも楽しい作品。かなり以前に、その当時確か上野動物園園長だった西山登志雄さんが書いた本を読んで、大嫌いだった爬虫類が彼の手にかかるとさほど嫌いなものと思えないどころか、結構愛する動物と思えるようになったことを思い出す。
 その作品自体の面白さは、作者自体の、その作品もしくは対象物に対する愛情が自ずと現れてくるものだと思う。当HPで、自転車に対する楽しさが、自転車に興味が無かった人に対しても、これは面白そうだ、と感じていただけるようになれば、我が意を得たり、である。そんな愛情が伝えられるHPを目指して、これからも継続して行きたいと思っている。
 20000ヒットアクセス、みなさんありがとうございました。これからも、よろしく!

2005. 2.5  9℃
 2月になって初めて自転車に乗る。冬の定番、大坂峠へ。予報ではもう少し暖かくなるといっていたのに、冷たい北西が吹き吉野川大橋上の温度標示は9℃。先日暖かいと思った時は14℃であったので、この5℃の違いが如何に大きいかを身をもって知る。大坂峠・引田側では先日の雪が弱冠残っていた。峠の南側(徳島)と北側(香川)の温度差を考えていると、ふと植生の違いも思い当たった。南斜面のあせび側では、樫などの常緑照葉樹林が中心であるのに対して、北側(引田側)では南側以上に落葉樹の割合が多いように思える。引田側がより好きなのは、つづら折れで登りながら瀬戸内海・播磨灘を眺められるのに加えて、この落葉樹の美しさがあるからだと、再認識す。

2005. 2.1  雪の朝
 3日前とは一転して、寒波に見まわれた今日は、南国徳島でも雪化粧の朝となった。日中も時折、かなり雪が舞っていたようだが、強風もあり積もるには至らなかった。しかし、21時前の帰途時には、所々に路面凍結が。明朝も氷点下まで冷え込むらしい。週末に、先日延期したM氏とのツーリングを考えているのだが、県西部の山は、これでまた一段と積雪と凍結を増すことだろうと思うと、また危うい状況である。
 本日、富士山エントリー。6月初めにピークを持ってくるには、既に走りこまなくてはと思うのだが、あまりの寒さ&体調がもうひとつで、1月の走行距離は昨年の1割落ちの680km。逆に体重は2kg増。寒い時期は、あまり無理をしないほうがよい、と勝手に決めて、せめてMTBツーリングで心身のリフレッシュをと、コースなど考慮中。
2005. 1.30  小春日和 
 昨日は、まさに小春日和という表現がピッタリの一日。午前中、早々に仕事を済ませて、自転車乗りの一日。まるで、3月半ばを思わせる?気温(吉野川大橋上で14℃)。大坂峠眉山を走ってくる。暖かいと随分と走りやすいことを再認識。大坂峠では、梅の花が咲いていた。
 今日は冷たい北西風が昼前から次第に強くなってくる。今日もそこそこ走るつもりであったが、仕事がちょっと長引いて時間がなくなったので、眉山のみ。気温が下がったためか、昨日の疲れか、あるいは昨夜のアルコールが抜け切っていなかったのか、昨日の好調さは何処へやら。

2005. 1.24
 昨日は、M氏との2回目のツーリング予定であったが、前日夜に天候不順を予想して早々に延期に決定。残念だったが、当日朝から冷たい小雨模様であったので大正解であった。それにしても、M氏との電話では、自転車・ツーリング談義に話が尽きることなし。ゆっくりと話せる機会が楽しみである。
 14時過ぎにやっと雨があがり、たまにはゆっくりすればとも思うが、貴重な週末。MTBで眉山へと向かう。山頂からみた大川原方面は、また淡い雪景色となっていた。
 と言うわけではないが、
さだまさし眉山」を読む。新聞で書名を見つけた時は、「眉山」って何処か他にもあるんだなあと思ったのだが、何のことはない、徳島を舞台にした物語であった。市内の書店に山積みされているのを、題名に惹かれて、やはり読んでみなくてはと思い購入。非常に読みやすいのであっという間に読破。さだまさしは長崎の出身であるが、徳島の方言も半地元の私が読んでも違和感無く、街名や風景描写も(細かくはちょっと違うところもあるが)まるで在住者が記したかのようであった。話の内容は・・・。登場人物は押しなべて善男善女である。同時並行で、話題の「終戦のローレライ」(福井晴敏)、「終わりなき始まり」(梁石日)を読んでいる。福井氏の著書は「亡国のイージス」など3編ほど読んでいるが、どの作品も今まで読んだことの無かった世界でちょっと視点を広げられた感があった。「終戦の・・・」も最初から物語にグイグイと惹き込まれている。梁石日のほうは初めて。これまた書店に多く山積みされていた著書の一冊を選んだのだが、こちらはちょっと苦戦中。

2005. 1.22  病み上がり
 ちょうど10日振りに自転車に乗る。体調は8割方回復したと思っていたが、走ってみると予想以上に足に力が入らない。加えて心拍数はいつもの感じより5拍くらい?速い。定番の大坂峠を心拍数145くらいまでで、と思っていたのに、それまでの平地ですぐ135くらいまで上昇。150までと訂正して登ってみた。心拍計は、最も簡素なもので、気が向いたらその場の心拍を確認するくらいにしか使用していないのだが、病み上がりでもあり、しばらく可能な限り使用してみようかと考えている。それにしても、所用でしばらく乗れなかった時は、足がリフレッシュしていて思いの他走れることが多いのだが、やはり病は体力を奪うことを改めて実感。
 ところで、明日は、お楽しみ、
M氏とのツーリングの予定であるが、どうも雲行き(文字通り)が怪しい。

2005. 1.20(未明)  復調?
 一昨日3割程度、昨日は5割くらいで本日は7割くらいまで復調した、と言うのが実感。まだアルコールがおいしく感じないので、完治には少し間があるようだが・・・。この機会にと、リバーサルフィルムを撮り始めた頃(1980年)に遡って、本格的にデジタル化することを手始める(以前にも単発的にはやってみたが)。本日は3時間余で240枚ばかり。まだ半年分程度。ゆくゆくは、自分で写真を撮り始めた1972年あたりからのものを全てデジタル化したいと思っているが、いつのことになるやら。それにしても、振り返ってみると結構意外なところを走っていたりして、その記憶がないのに呆然。
 休んだおかげで、腰痛も随分と軽快。週末リハビリサイクリングに向けて、後は天候の良いことを祈るばかり。

2005. 1.16  沈没
 3日程前からの腰痛悪化に加えて、一昨日午後遅くから体調不良、夕方には嘔吐(決して二日酔いではありません)。早々に帰宅後、臥床。昨日は重い体を引きずって仕事場に行った2時間弱を除いて、ほぼ一日臥床。今日は昨日より少しまし、とは言え、いつもならじっとしておれない貴重な休日を、昨日同様ちょっと仕事をしてきたのと汚れたままであった自転車の掃除をしたのみ。終日小雨で暗く外へも出られない天気であった昨日に比べ、今日は風は強いものの晴れ。それなのに、横になっているのが心地よい、とは。
 せっかくだから、HPの編集やこの時ばかりとまとめて本を読もうと思うが、気分が悪くその気にさえなかなかなれず。漸く今、こうしてパソコンに向かっているのだが・・・。
 先日読んだ「破裂」(久坂部羊著)の宣伝が朝日新聞にでかでかと載っていた。宣伝文句には、医療の腐敗を謳いあげていたが、私の読後感は、助教授の話云々は「白い巨塔」そのものでなんら新しさがなく、高齢者問題をとんでもない点から解決しようとした厚労省役人の話のほうが印象的。この小説を腐敗した医療者の話としてよりも、高齢者問題と厚労省など役人の力の大きさの話として捕らえる読者はあまりいないのだろうか?その上欄に南木佳士のエッセイが掲載されているのが、対照的でなんともいえない。

2005. 1.7  雑考
 6日の朝日新聞「ひと」欄で、別府史之選手が掲載されていた。なんで今頃?このビッグニュースが翌日に扱われないことが、日本における自転車競技のマイナーさか、とも思う。しかし、彼の談話にもあったように、彼の活躍が日本ではロードレースの認知&人気の上昇に役立てば、と思う。
 同じくスポーツの話題。昨年末、JFLで優勝した大塚ヴォルティスがJ2に加盟した。昨今の状況からは想像できないくらいサッカーがマイナーであった時代に、サッカー三昧であった私ではあるが、最近とんと興味が薄れている。それでも、年末に自転車で通った、池田町の商店の軒先や板野町の小さな通りに、ヴォルティスの青い旗を見ると、なんともなしに、「がんばれよ」、とか「いいなあ」と思うのである。Jリーグの理念である地域に密着したチームになることを願う。
 年末に「
あわわのあはは」という本を読んだ。徳島では有名なタウン誌「あわわ」の創設者、住友達也氏の自伝である。これまた、朝日新聞の地方欄で知って本屋へ直行、購入。期待した、吉野川可動堰問題から県知事選のまつわる話は、ちょっと軽く流れすぎた感があるのだが、同世代の氏のパワーに脱帽。今後も徳島のオピニオンリーダーとして活躍されることを願う。
 さて、今年も早くも一週間。元日は寒波で元旦登頂を狙った大川原へ登れず。2日は予想外の雨。昨夜は初夜練に行ったつもりが、「お仕事ですよ〜!」コールで大至急で職場へ。ちょっと幸先の悪い出足である。

2005. 1.3  再び、荘内半島へ
 昨日に続いて、早朝から荘内半島へ。期待していたのに、一日過ぎただけで空気の透明度はぐっと落ちてしまっていた。本山寺の五重塔をバックに日の出を拝み、七宝山トンネルをぬけて、仁尾町・曽保に出る。再び、紫雲出山へ。さすがに朝早いだけあって、頂上の駐車場には一台の車もおらず。そのまま遊歩道?を走って、頂上に到達。しかし、期待ははずれ。四国山地は朝日の斜光線でも立体感を持たず、西から北いたる芸予諸島から広島・岡山県境付近の本州は中途半端なボヤケ具合。東の備讃瀬戸に到っては昨日の方がよほどよかった。しかし、刻々と変化する空や海、島影の陰影には、やはり自転車ツーリングのついで写真の限界も感じる(おまけにバカチョンだし)。
 なんだかんだと言いながら、今朝はさらに半島の先端を回ってくる。詳細は、荘内半島・紫雲出山(近日アップ予定)で。
2005. 1.2   紫雲出山  
  昨夕、雪の舞い散る中を帰省。今朝は最高の条件と思って目覚めたのに、なんと霙交じりの氷雨。早朝の条件がいい時に荘内半島の紫雲出山に登って愛媛県側の雪をいだいた四国山地の写真を、と意気込んでいたのに・・・。午後になって漸く雨を上がり、夕方近く、紫雲出山に向かって走る。
 仁尾から先の道は、一車線の曲がりくねった、いかにも岬への道といった風情だったのに、所々改良され(自転車族にとっては?)2車線のショートカットとなっていた。それでも紫雲出山への登り道は昔と変わらず。雑木林とソメイヨシノの大樹(といってもせいぜい樹齢数10年)を行き来する、アオジやホオジロ、ジョウビタキなどの姿を見ながら頂上へ。頂上駐車場には結構(10数台)の車が。山頂から東・備讃瀬戸は比較的くっきりと見渡せた。しかし、西南方向・四国山地はすっきり見えず。下りながら、また下りきっても海岸線沿いを夕焼けを期待しながら走るが、西の空にも厚い雲に蔽われ、美しく赤く染まる夕焼けは拝めないまま。

紫雲出山から、円上島

2005. 1.1   明けましておめでとうございます。本年もよろしく!  
  当初は、大川原へ初日の出?を見に行こうと仲間内で盛り上がっていたのだが、数日前からの冷え込み&雪であえなく断念。それでも初日の出を拝もうと、早朝に吉野川の土手を自転車で走ったものの、東の空は一面の重い雲。「こりゃあ、だめだ」と早々に諦め、矛先を変更、眉山へ。途中新町川にかかる橋の上で、雲から顔をのぞかせる朝日を見る。毎年、眉山は人が多いのであまり行く気がしなかったのだが、時間的にみんな初日の出が見えずに諦めて下りてくるころだろうと思っていたら、その通り。登っていると、次々下りて来るは、車の列、そして車に乗れない高校生らしき自転車族(通称、ママチャリ)。私が山頂に着いた時には、ほとんど人もおらず、大川原を始め、四国山地、そして讃岐山脈も標高600m以上は雪の風景、をゆっくりと楽しむことができた。
 今年は、どんな一年になるのだろう。

眉山から大川原高原
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