Granfondo Pinarello


Granfondo Pinarello のハイライト・Passo San Boldo への登り
 ホテルから10qほど離れた Treviso のスタート地点・Porta San Tomaso という旧市街入り口の城門のところまで、前日の下見のおかげで、なんとか迷わずに自走で辿りつくことができました。既に参加者は多数集まっていて、如何にもイタリア的という絶叫に近いアナウンスが大音量で会場を盛り上げていました。もちろん、何を言っているのかわかりませんが。主催者のツアーに参加しているためか、ゼッケンは130番台で、なんと最前列近くに案内されました。周辺には招待客らしき人が多いようで、テレビの取材を受けたり、Pinarello社の重鎮と思われる人と挨拶している姿を見かけました。
 コースはざっと下のような感じです。Treviso を出発して北へ向いて走り、逆8の字を書くように戻ってきます。距離は209q、積算標高は?
 スタートは午前7時の予定でしたが、時間になっても一向に始まる気配がありません。と思っていたら、いきなり号砲一発。これもイタリア的ですかね。ところが、直後からみんな凄いスピードで飛び出していきます。2006年に初参加した Etape du Tour 時はゼッケンが5000番台で、スタートから25分も経過した後にゆっくりと走り始めたのとはえらい違いです(Etape du Tour の最前列付近もこんな感じなのかもしれませんが)。後ろから後ろからどんどん追い抜かれていきます。なんとか流れに乗るようにスピードを上げますが、43km/hr以上で走っているのに抜かれる一方です。と、前方で落車があったらしく、10名以上が路上に倒れていました。それまでも緊張して走っていましたが、より一層ナーバスになって走り続けます。なんとか大集団の最後尾についていったのですが、20qほど走って Ponte della Priura というところで大きな橋を渡った後、とうとう集団から離れてしまいました。同行のリョウさんやY本さんの姿は、その少し前に前方に確認しました。当時お二人とも既に60歳過ぎで今の私と同じ年齢層でしたが、なんという違い。そこまでにも写真に撮りたい光景が2、3あったのですが、この橋上から左手・上流方向には緩やかに蛇行する川に沿って樹高のある並木が続き、その向こうに尖塔を持つ教会を中心とする屋根瓦と壁が統一された街並み、さらに後方に小高い丘などが見える抜群の写真ポイントでした。が、最後尾とは言え、まだ集団内であったので、とても写真を撮ることはできませんでした。また Etape du Tour と異なり、完全交通規制はされておらず(これも後に知ったことです)、時折クルマも通るので気が抜けません。
 後ろを振り返ると、女性ライダーひとりの姿しか見えなかったと当時の記録。しばらく一人旅が続きました。Susegana という街を過ぎると、最初の登り(標高280mほど)です。道路はそこまでの幹線道路から地方道に変わりました。後方からの参加者が追いついてきて、追い抜いてきます。なんとかペースのあう人についていきます。ここでも丘の斜面を覆いつくすブドウ畑の中に尖塔を持つ教会のある小さな町があって写真心をくすぐるのですが、集団が大きく余裕がありません。それどころか、当時の記録を確認していて驚いたのは、出走前にカメラは持たないように言われたと記載していることです。念のために係の人に問いただしたところ、自己責任でならという話でした。レースではなく、サイクリングイベントと考えて参加していた私にとっては、もう二度と来ることがないこともあり、その後の記憶や記録の確認や楽しみにのためには写真は必須です(日本人的発想かもしれませんが)。そんなこともあって、かなり人が少なくならないと、ちょっと写真を撮りにくいということもありました。下左の写真は、この日初めての一枚。一つ目の丘・Colle di Guarda を越えて、二つ目の丘・Zuel di La に向かう30q過ぎ付近。下右の写真は、Rolle という街らしいです。いずれも斜面のブドウ畑と尖塔のある教会の小さな町、この付近では当たり前に見られるのかもしれませんが、旅情をそそられます。
 道は、その後何回か走った Etape du Tour の比較的広く、コーナーも緩やかな道が多かったのと異なり、日本の地方道と同じ様な一車線の狭く、カーブも急なところが多く、路面状況もそこそこ。そんな道を下り坂であっても、みんなビュンビュン飛ばしていきます。二つ目の丘・Zuel di La を越えて少しばかり平坦な道を走ると、行く手には立ちふさがる断崖が迫ってきました。コースマップで確認していた、50q過ぎ地点にある峠・Passo San Boldo のようです。
 切り立った山崖に向かって一直線にゆっくりと近づいていくと、目に入ってきたのが、下左の写真。まっすぐに近づいた道が山肌に突き当たるところで、ほぼ直角に左カーブ。そこから急峻な山肌をつづら折れで登っていくのですが、そのコーナーが全てトンネル内。トンネル内で180°向きを変えるのです。下右の写真、走っていく後ろ向きの選手達は左奥のトンネルに入っていき、トンネル内で向きを変えて、ほぼ中央に見える出口から出てきます。峠手前まで、その数8か所ほど。つづら折れのためか、勾配はさほどありません。
 ちょっと他に見かけない道の造りなので、ついついコーナーを出る度に立ち止まって下の様子を窺う始末。上述のように完全交通規制ではないので、時折クルマが登って来るのですが、ほとんどのクルマが辛抱強く私たちのスピードに我慢してくれました。一部にはクラクションを鳴らす輩もいましたが。ただ、そんな時は道一杯に選手が広がっているなど、鳴らされても仕方がないと思われる場面でした。下の写真、左のトンネルに右向きに入っていった選手達は、右手上のトンネルから出てくるのです。トップの写真は、ほぼ一番上手から下を覗き込んだところです。ここが今回のコースのハイライトと思われましたが、やはり立ち止まっている参加者はほとんどいません。
 Passo San Boldo の登りきると、補給ポイントがありました。ハムを挟んだパン、甘いジャムのクッキー、バナナ、オレンジ、ジュースにもちろん水も。樽に入ったワインもあったように見えました。その他にもいろいろ。じっくりと食したいところですが、時間的余裕がありません。当時の記録と見ると、Etape du Tour より品数が少ないように記していますが、Etape du tour は、その後参加する度に補給物の内容が簡素化されていったので、今振り返ると随分と品数が多かったように思えます。
 急峻な崖状の処を登ってきたので、峠からはまた急な下りかと思っていたら、上の補給ポイントも含めて意外にも緩やかな草原の丘陵地でした。
 峠を越えて、丘状の起伏を緩やかに下っていくと小さな町があり、そこここにお年寄りの方が椅子に座って、走っていく私達を見送っています。Etape du Tour のような応援はありません。街を過ぎると、再び草原の丘をつづら折れで登っていきます。この付近の写真が多いのは、眺めが気に入った上に、道が緩やかで、参加者のスピードもそこそこ、集団の人数も少なくなってきて余裕があったからだと思います。当時の記録を見ても、登りに入るとアリの行列のように自転車乗りが続く光景の Etape du Tour と異なり、まだ全行程の半分にも達していないのに、十数名の集団がバラバラと走って来るのみと記しています。
 登りながら、左手(北)遠方に目を向けると、飛び込んできたのが下の写真の光景。Dolomiti の山塊かと思われました(正確に言うと Dolomiti の南端の山々でしょうか)。いや、これは圧倒的な景観でした。
 Passo San Boldo がコースのハイライトかと思われましたが、私はそれ以上にこの光景に魅せられました。この付近はコースの最も北部付近を走るところです。山塊までにはまだ大分距離がありそうです。あの山塊の向こうにはどんな世界が広がっているのだろう(10年後に訪れた Dolomiti は想像以上に素晴らしかったです)。今回はとても無理として、いつかあの山の向こうに行ってみたいと走りながら思っていました。当時の記録を見ると、この上下の写真は4つ目の登りで、下右はそれから一度少し下って、今回の最高地点へと登り始めたところのようです。
 Dolomiti の山塊には背を向けるようにして登るのですが、ついつい何度も立ち止まって後ろを振り返ります。下の写真は、右上の写真から少し登ったところから、ズームアップ。写真が小さいので迫力に欠けますが、実際に見た姿は圧倒的でした。この付近までは、前後に写真のような集団を見ることができたのですが、さらに登って林の中をカーブを繰り返しながら登るようになってくると、私が遅いのと写真を撮るのとで前後の参加者が次第に減ってきました。ここでも立ち止まって写真を撮っているような人は誰もいません。まあ、地元の方なら当たり前の光景なのでしょうし、本物のDolomiti を知っている人からすれば、なんていうことはない光景なのでしょう。
 時折思い出したように、ひとり、またひとりと私を追い抜いていきます。決して速くはないのですが、ついていけません。速度は一桁。周囲の木々も樹高があって、Dolomiti の山塊も見えなくなってきました。確か最高地点はスタートから80q地点付近と記憶していたのですが、80qを過ぎても登りが終わる気配が全くありません。次第に気力が失せていく横を、時折クルマが追い抜いていきます。下っていくクルマも。そんな時、道脇に「峠まで3q」の標示を見つけました。ほっとしたというより、まだ3qもあるのかとげんなりしたのが事実です。
 漸く辿り着いた最高地点(といっても標高1000mほど)の補給ポイント・Nevegal (写真:下右上)。ちょうど90q地点、まだ全行程の半分にも達していないのに、時間は既に4時間40分経過していました。果たして完走できるのか、制限時間は確か10時間だったか? ちょっと不安になりましたが、とにかく大休憩。オレンジやバナナを中心に沢山補給します。ゆっくりしたかったのですが、完走が覚束ないことや展望もなかったために、補給だけで再スタートです。 そこからは、しばらくひたすら下りです。幹線道路のようで道幅も広く、コーナーも緩やかでスピードはいくらでも出せそうです。写真:上右下は、そんな直線の下り。みなさん飛んでいくかのように下っていきます。きっと80km/hrくらい出ていたのではないでしょうか。

最高地点の補給ポイント

下りが続く
 と、眼前に再び Dolomiti の山塊が以前よりもっと近くに迫ってきました。思わず停車して写真撮影です(写真:上左)。せめて、あの山麓に見える村々まで訪れてみたいものだと思いながら。写真を撮っていたら、誰かが日本語で声をかけながら追い抜いていきました。下ってしまうのが勿体ない光景ですが、時間は容赦なく過ぎていきます。再び下り始めると、いつのまにかまた周囲に参加者の姿が見えなくなっていました。この後、広い道から右折して、細い急坂で急カーブが続く街中の道に入りました。曲がりくねった街外れの道は風情があったのですが、写真を撮る余裕がありません。前後には、走っている人の姿が全く見えなくなって、コースアウトしたのではないかと不安になるくらいでした。
 下り切ると、今度はここまでで一番の幹線道路と思われる立派な道に入りました。と同時に湖畔となり、道もほぼ平坦になりました。が、生憎の向かい風。一人旅は堪えます。湖畔から見る Dolomiti の光景も素晴らしいです。随所で写真を撮りたかったのですが、右側通行故なかなかいいポイントがありません。それでも5か所近く停まって撮影(写真:下)。ちょうど、久々に10人弱の集団が追い抜いていきました。集団のペースが少し遅めだったので、これ幸いとなんとか追いつくことができました。ローテーションで私が先頭に出た後に続いて600番台の赤いジャージの方が前に出て、いいペースで牽き始めました。追走したところ、先程下りで追い抜いて行った日本人(ショップ関連参加で東京のF商会に勤務されているとのこと)も一緒になって、4人での走行となりました。道幅広く路面状況も良好で緩やかな下りの道を、赤いジャージの方は40km/hrちょいで快調に牽いていきます。高速道路が並行するこの付近も、U字谷を形成する山や湖があったりと絵になる光景が続いたのですが、折角の快速列車に便乗したので、DNFになる心配もあって途中下車なし。緩やかな下りが終わって平坦な道となっても、赤いジャージの方は先頭交代を促すでもなく、黙々と走り続けます。途中、今回のコースで唯一の石畳区間が1q弱程ですがありました。両側には廃墟化しているようにも見える古い5階建てくらいの建物が並び、これまたとても興味を惹かれる光景でしたが、快速列車に無賃乗車するのが精一杯で写真がありません。この光景を撮れなかったことは、一番悔いの残ったことでした。
 結局、Vittorio Veneto という街の手前で左折して、幹線道路から再び田舎道の小高い丘の登り(7つ目)に入るまでの20q以上を、この赤いジャージの方が牽引してくれました。登りで横に並んだところ、ヘルメットから出た髪が真っ白だったのでびっくり。どうみても私より年長の方でした。もう Dolomiti の山塊は何処にも見えなくなって、道は再び日本でいうなら町道かなとの例えがピッタリするような道になりました。写真:下左のような独特の屋根瓦の民家と斜面のブドウ畑がなければ、日本の何処かとも思える光景でした。勾配はさほどでもないのですが、4人の集団はバラバラになりました。前後に走る人もポツポツで、集団走行の姿は皆無です。残りの距離は70q弱となって、制限時間まで3時間くらいあったので、無難に走ることができれば、なんとか完走は出来そうだと思われてきました。
 登り切って下りに入ると道はさらに細くなって、まさに田舎の農道といった感じになりました。まさかこんな道がコースに入っているとは思ってもみませんでした。結構神経を使う下り坂が続き、周囲の光景もそこまでに比べるとそれなりだったので、写真はありません。
 下り切ると、8つ目の登りです。ここはそれまでより緩やかな勾配で、私好み。そのためか、疲れ切っていた筈なのに思ったより快調に走れました。写真:下のようなワイン用ブドウ畑が続く丘の道を登りきると、今度はスピードが出せる快適な下り坂でした。7つ目の登りから、ほとんど走っている参加者を見かけない状態が続いていましたが、その付近で少し前を男女二人組が走ってました。その二人組に追いついて、それ以前からずっと前後しながら走っていたF商会の方と4人で、しばらくローテーション。男性が強く私たち二人より3q/hrくらい速く牽引、女性も私達と同じくらいの速度で走ります。下り切ったところで、往路で写真を撮りたかった川のところで出てきましたが、交通量がぐっと増えてきていたことと、やはりいいペースの列車から離脱するのも躊躇われたので、写真なし。
 後30qの標示を見つけ、制限時間まで2時間あったので、もう大丈夫だと思ったのですが、ここからまだ登りがありました。少しばかり3人から先行して、川の見えるポイントで写真撮影(写真:下左)。走ってきた二人組も撮影(写真:下右上)。その後は二人組に追いつくこともなく、完全にサイクリングモード。道は平坦で走りやすく、ちょうど10人ほどの集団がやってきたので、なんとか最後尾に便乗です。このままゴールまで行くかと思っていたら、コースは右折して、なんとまた登りです。四国の田舎道然としているのですが、勾配は10%ほどあって、集団もあっという間にバラけてしまい、私はとうとう立ち止まる始末。峠の3q手前から1q毎の標示があったのですが、1qが長く感じたこと。幸い最後の1qは緩やかになって、写真:下右下は登り切ったところにあった最後の補給ポイント。後から考えると、最終走者に近く参加者も疎らだったのですが、力尽きて座ったままの人の姿も見えます。
 ここからゴールまでは20qほど。下り基調ですが、全くの一人旅。しばらく走ると平坦となり、2車線の道ですが、交通規制は全くないようで普通にクルマが行き来します。写真を撮るような場所もなく淡々と走っていたら10名ほどの集団に追い抜かれました。全く付いていけず見送ったところ、後5qの地点で今度はもう少し遅い6名ほどのグループがやってきたので、なんとか便乗します。ゴールまで後3q、2q、1qとの標示に励まされながら、スタートした城門をくぐって、Pinarello 社の専門店前がゴール。
 こうして10年振りに当時の記録を元に記していると、初めて参加した時も、その後何度か参加した時も、Etape du Tour では後ろの方は結構ファンライド的な方(年配者も多い)もいて遅くても周囲には常にそこそこ参加者がいたものですが、Granfondo Pinarello は全く様相が異なっていたように思えます。また、交通規制がないことも驚きでした。コース上では、参加者とは全く関係のないツーリングの方や地元の自転車乗りの練習会風の光景も何度か目にしました。

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