高ボッチ山・鉢伏山へ
 2003年頃から十数年間、当初は乗鞍や美ヶ原、八ヶ岳(麦草峠)などヒルクライム大会参加のため、途中からはツーリングも加わって毎年のように出かけていた信州。COVIDの蔓延で信州はもちろん遠出をすることが躊躇われる時期が続きました。漸く状況が少し緩和されてきた今回、これまたCOVIDの影響でオンライン開催が続いていた仕事関係の会合が松本で開催されました。この会合が決定した2年くらい前から、状況が落ち着いていればと出向くことを前向きに考えていました。ところがその僅かの間に体力・気力の衰えは著しく、直前には梅雨に入ったこともありモチベーションがどんどん低下。天候がすぐれなければ仕方ない、会合だけでもと向かったのですが、有難いことに最終日だけは天候が回復。抜群の条件ではありませんでしたが、高ボッチ山と鉢伏山、いずれも360°の大展望を楽しむことができました。  (2023年 7月 5日 記)

高ボッチ山から北西方向 (2023.06.17)
 信州は北海道とならんで、私にとって十代の頃から憧れの地でした。南国の日本で一番狭い県に生まれ育ったことが一因かもしれません。初めて信州を訪れたのは1974年秋、高校の修学旅行ででした。小雨交じりで山々も全く見えることが出来なかったにもかかわらず、千曲川沿いを走るバスの車窓からの光景に魅了され、いつかきっと自転車で走りに来るぞと思ったものです。そんな思いが実現したのは、5年後の1979年。3月末に松本から軽井沢、小梅線沿いから甲府へと下り、富士山麓を経由して太平洋沿いを走って伊勢湾をフェリーで渡り伊勢神宮まで。しかし、信州開眼(大袈裟ですが)は、その5月に青森から日本海沿いを走ってきて、最後に糸魚川から松本まで走った時のこと。信濃森上付近で突然現れた冠雪の白馬三山を目にした時の感動には言葉がありませんでした。以後、何度も足を運んだ信州、毎回のように素晴らしい光景に出会えますが、この時以上の衝撃的光景との出会いはありません。今回は走った後、四国まで530qの帰路が待っているので、走ったコースは下記のように控えめです。
コース 塩尻−旧塩尻峠−崖の湯−高ボッチ山−鉢伏山−崖の湯−塩尻
走行距離  60q   積算標高 1800m
最高地点  鉢伏山山頂 標高1929m
走行日  2023年 6月17日 天候:快晴  GIANT CONTEND
 前日の夕方になって、それまで強くはないものの断続的に降っていた雨が漸く上がって青空が見えてきました。日の長い季節なので、ふと思い立って18時過ぎから松本の街を散策。まずは松本城へ。夕日に照らされた松本城、右後方遠くには美ヶ原方面が見えています。中町通り付近を経由して、確か松本駅からまっすぐ突き当りにあったはずと1979年8月に一泊させていただいた信州大学思誠寮があった付近に行ってみます。周辺の道や建物などに変化があるように思われましたが、確かここに間違いありません。旧制松本高等学校の建物が保存され、あがたの森公園という公園になっていました。その建物に記憶はないのですが、大きなヒマラヤ杉はあった記憶。
 
松本城 中町通り 旧松本高等学校講堂 旧松本高等学校本館
 前置きが長くなってしまいました。当日は快晴で明けました。日の出も早いので、もっと早い時間から走ることも可能でしたが、朝食の時間や帰路のガソリン補充など幾つかのことがあって、デポ地の塩尻市・小坂田公園に到着してスタートしたのは午前8時過ぎでした。目指すのは高ボッチ山・鉢伏山ですが、まずは地図を眺めていて気付いた旧中山道を走って旧塩尻峠へ向かってみました。柿沢という地区を通り抜けていきますが、7%前後の登り坂が続く一車線道の脇には、何軒かの土蔵を持つ切妻造りの大きな民家がありました。平屋のように見えるのですが屋根は大きく高く、内部はどんな造りなのでしょう。2010年に天竜川沿いからしらびそ峠へ向かった時も、同じような造りの大きな家があちこちに見られました。伊那を中心とする地域に特徴的な造りなのでしょうか。どのお宅も建物も庭も綺麗に手入れされています。道路を掃除されていたご婦人と朝の挨拶して先へ進みます。長野道・みどり湖PAを跨ぐ所で振り返ると、穂高の山々が見えてきました。国道20号線は地下道で横断。Google map では道沿いに幾つか遺跡の記載があるので注意していたのですが、あまり確認できませんでした。
上  蔵もある大きな民家
左  旧中山道・柿沢地区
右上 長野道と交差 北アルプス遠望
右  旧中山道での立札
    「狭いので通り抜けご遠慮を」
 民家も途切れ気味となったところに、柿沢地区でも見かけた造りの大きな民家がありました。ただ柿沢地区で見た庭先から整然とした美しさの民家と異なり、通りに面した玄関先には日用品などが雑多に見られ生活臭に満ちていました。しかし、家の脇には立派な門構えがあって(写真:下左)上條茶屋本陣跡の標示。由緒あるお宅のようです。そこからはぐっと勾配が増しましたが、道周辺は大きな雑木が繁って如何にも旧道然とした趣になってきました(写真:下右)。江戸時代には、この道を歩いて往来していたのだなあと思いを巡らしつつ。
 本陣跡からどれほどもなく、峠らしい交差点に到着。写真:下左上、左手方向から登ってきて右奥に下るのが旧中山道です。交差する道は県道20号線から林道塩嶺高ボッチ山線へと向かう道です。ちょうど付近を散策していた人に訊ねて、峠に間違いないことを確認。ところで、ここまでの途中、旧中山道から高ボッチ山方面へショートカットする分岐や市道高ボッチ線の起点に通行止めや「徒歩や自転車も通行禁止」との標示をみかけました。通行止めの柵はなかったのですが、どんな状況なのだろうと少し不安になっていました。山歩きをするらしいその人に道のことを訊ねてみると、歩きは問題なく自転車も担いで行けるよと教えていただけました。峠のすぐ左手林の中に展望台らしき建物が見えたので向かってみます。すると南東方向の展望が広がっており、諏訪湖が一望。多少霞んでいましたが、十分。右手には南アルプス、左手には八ヶ岳、そして中央奥には富士山の姿が。予想していなかった光景に出会え、正直、最悪高ボッチ山へ登れなくてもいいかと思ったくらいでした。
 左上 旧塩尻峠
 左  峠付近の旧中山道案内図
 上  諏訪湖左手、八ヶ岳
 右  諏訪湖と奥に富士山
 旧塩尻峠展望台からの眺めを堪能した後、旧中山道を市道高ボッチ線の分岐部まで引き返します。「徒歩も自転車も通行禁止」の立札も道脇に避けられており(写真:下左)、先程の人からの教えもあって心置きなく高ボッチ線へと進み始めます。ちなみに、この道を高ボッチ山への東山ルートというそうです。この道は以前に一度走っているのですが、てっきり美ヶ原の前日だったと思い込んでいました。ところが、過去の記録を確認しても不明。おかしいなあと思っていたら乗鞍の前日でした。2014年だから9年前。最初から結構きつい勾配が続いた記憶でしたが、登り始めは意外と緩やか(写真:下右)。木立の道を気持ちよく進んでいたところ、前方で軽トラが停車しており、立ち止まっている自転車乗りと何やら押し問答中? どうも道が閉鎖されているようです。
 近付いていくと、軽トラの持ち主らしき人が私に気付いて「また(次が)来た」。その方は、すぐ先に設置したイノシシの罠を確認に来たとのこと。自転車乗りは欧米系と思われる人でしたが、日本語ペラペラ。軽トラのご主人曰く、「日曜日ならともかく、今日(土曜日)はもう工事の人が入っているから進んでいったら滅茶苦茶叱られるよ。高ボッチへ行くなら崖の湯方面から回るように」と詳しく道を教えてくれました。欧米系と思われる人は観光で松本から走ってきたとのこと。崖の湯は確か前回下ったコースで、かなり急勾配だった記憶です。欧米系の人もそのことを知っていて松本から東山ルートへ向かってきたようでした。
 二人で悩んだ挙句、折角なので崖の湯ルートから登ることに。一緒に国道まで下って、小坂田公園近くで教えてもらった市道東山山麓線に左折。広域農道のようなアップダウンの道を登り毎に欧米系の方から遅れて、崖の湯ルートの交差点に到着。ここからは、お先にどうぞとマイペースで。しばらく50mほど先に後ろ姿が見えていましたが、崖の湯温泉前後で視界から消えていきました。スタート時間は遅くなりましたが、結果的には旧塩尻峠で出会った方、そしてこの時のご主人と欧米系の方と出会えて、いろいろアドバイスをいただけたり一緒に走れたことは、ほんの少し時間がずれていてもあり得ず、下手すると知らずに東山ルートを進んで工事の人に大目玉を食らったかもしれないと思うと、とてもラッキーでした。道は記憶通り、10%前後の坂が続きます。周りは落葉松を中心とした木々が繁っており、これも記憶通り展望は全くありません。途中からは1q毎に高ボッチ山までの距離表示が設置されていましたが、その1qの長いこと。よたよたと登っていく間に、次々とクルマが追い越していきます。天気がいいので、山頂は混雑かなあ。標高1500mも越えるとクマザサが地肌を覆い、落葉松の間隔も開いて周囲の林も明るくなってきました(写真:下右)。漸く、鉢伏山への分岐部に到着。分岐部からは、右手・高ボッチ山へと向かいます。少し先上方に広そうな駐車場の一端が見られます。すぐそこのように見えたのですが、まだ少し登っていきます。

落葉松林が続く

高ボッチ山まで1q毎の標示
 ピークと思われる付近に到着すると、道西側には広い未舗装の駐車場があり、比較的新しく見える管理棟のような建物とトイレも設置されていました。9年前の記憶には全くない光景です。広い駐車場には十数台のクルマとそれ相応の人の姿。そちらへ進んでみると、これも9年前には記憶の無い西側・北アルプス方面の大展望が広がっていました。まずは諏訪湖方面の眺めを、と道東側にある山頂(標高1665m)へと向かいます(写真:下左)。こんなところを歩いた記憶も全く残っていません。山頂までの途中、南側には中央アルプスが見えています(写真:下右)。以前に登った駒ヶ岳付近でしょうか。山は見えると思っていましたが、伊那の谷筋まで見えています。これは予想外。南アルプスは左手に切れています。手前に咲いているのは、レンゲツツジ。ツールド美ヶ原に参加していた頃は、お馴染みだった花。見頃は終了に近いかのようにも見えましたが、よく見るとまだまだ蕾のものも多数。
 緩やかな徒歩道を数分歩くと山頂に到着(写真:下左上)。山頂から東南方向には、写真:下右のように諏訪湖全景をはじめとした南アルプスから八ヶ岳への大展望が広がっています。そして、中央奥には富士山。旧塩尻峠から見た光景に似ていますが、標高が500mほど上がり少し北側になったので富士山が良く見えるようになりました。2014年に登ってきた時には富士山を見ることができなかっただけに有難い光景です。南アルプス手前の稜線には以前に登った入笠山、その手前の稜線には有賀峠杖立峠が越えているはずです。2014年にやってきた時には柵もなく、その夜行われる諏訪湖での新作花火大会を待つ人達が斜面に思い思いの姿で寛いでいた印象が強かったので(ふたつ下の写真)、その時はここが同じ場所だとは気付きませんでした。帰宅後、2014年時の写真(下左下)を確認したら、同じ山頂の標とケルンが写っていました。

2014.08.24
 写真:下右は、諏訪湖から左手・東方向です。中央付近に平坦な草原状に見えるところは霧ヶ峰。その後方は特徴的な形でよくわかる蓼科山から八ヶ岳に連なる稜線。麦草峠も何処かに見えているのかもしれません。北へ向くと、これから向かう鉢伏山(写真:下左)。道は稜線の左手裏を登っていきます。
 東側180°の展望を満喫後、駐車場に引き返します。今度は西側、北アルプス方面の大展望です。前回やってきた時の記憶には、北アルプス方面の展望は全くありません。記録を見ると霞んでいて見えなかったと記載していました。確認した写真でも北アルプスの稜線はもちろん山麓さえ霞んでいて、かろうじて松本市街が確認できる程度でした。そんなこともすっかり忘れていたくらいなので、登ってきた道の西側に広い駐車場があったことも記憶に残っていないだけなのかもしれません。下右の写真はほぼ真西、冠雪の山は乗鞍岳です。初めて登ったのは1984年、もう40年も前。しばらく間が空いて、2004年からはほぼ毎年のように参加していたMt.サイクリング IN 乗鞍も2014年を最後。何度か訪れたツーリングでも2015年が最後。山頂まで登ったのは1984年だけです。南西方向に目を向けると、御嶽山が遠くに頭を出していました。

南西方向には御嶽山

2014.08.24 花火を待つ人々
 下の写真は、乗鞍岳から右手(北)。穂高連峰から槍ヶ岳が見えています。何度見ても、何処から目にしても憧れと畏敬に満ちた別格の光景です。体力不足に加えて斜面恐怖症もあり、終ぞ登ることは叶わないままになりそうですが、こうして遠望できるだけでも有難い眺めは富士山や南アルプスなどにも共通することです。
 さらに北側。眼下には松本市街の中心部が広がっています(写真:下左)。後方の北アルプス、地形図で確認すると針ノ木岳付近のようです。下右の写真は、下左の北側。鹿島槍ヶ岳方面でしょうか。少しズームアップしてみました。絶好の条件というほどではありませんが、予想以上の光景です。勾配のきつい崖の湯ルートに回り道してでも登ってきた甲斐があったというもの。この日、松本市の最高気温は32℃でしが、上る途中こそ多少汗をかいたものの、山頂ではちょうど心地良い気温・湿度。見飽きることのない光景に酔っていました。トイレ横には任意で協力金500円のポスト、こんなにも素晴らしい眺めを与えてくれたことに感謝しつつ投函。
 高ボッチ山からの眺望に大満足でしたが、さらに標高のあるところからの展望を期待して予定通り鉢伏山へ向かいます。崖の湯ルートの分岐部まで下り。分岐部には鉢伏山まで6qの標示(写真:下左)。前半は樹高の低い灌木類に囲まれた尾根沿いの平坦、時に少し下る道を進みます。林道鉢伏線という名称(写真:下中)。鉢伏山は高ボッチ山より約300m高いのですが、その大部分を道後半で登っていきます。地形図を拡大するとよくわかりますが、短いつづら折れで登っていきます。灌木類もなくなって南方向だけですが、見晴らしも出てきます。写真:下右は振り返って。自転車の左上には諏訪湖の一部が見えています。右上手前が高ボッチ山です。
  
 もう少し登って振り返ると(写真:下右)、上右の写真に比較して高ボッチ山が大分下方になってきました。高ボッチ山から見えたのと同様、その奥には中央アルプスと伊那谷も見えるようになってきました。写真:下左は山頂方面。左端付近に、駐車場横にあった管理棟が見えています。周辺の展望も含めて、道の雰囲気はなかなかいいのですが、疲れもあって余裕がありません。
 鉢伏山駐車場に到着した時、ちょうど下り始めるところだった例の欧米系の人と出会えました。高ボッチ山には寄らなかったとのこと。私の到着がかなり遅かったので、相当苦労して登ってきたと思われたようで、多大な労いの言葉を頂きました。結局何処から来られたのかとか前後の予定や、お名前さえも聞かず終いでした。駐車場にはクルマの駐車料金が書いてあったので、管理棟に入って自転車の駐車料金はいくらですかと問うと、自転車は無料で入山料300円だけいただきますとのこと。駐車場にはここも十数台のクルマ。上る途中ではかなりのクルマに追い抜かれていったようで混雑も懸念していましたが、それほど多くなく幸いでした。早速、山頂へ向けてハイキング開始。今回はSPDの靴でしたが、登山道には石は多いものの広く勾配も緩やかで全く問題なしでした。ゆっくり登っても20分弱で山頂に到着。写真:下右、山頂の標には標高が記載されているのが普通かと思っていましたが、ここには記載なし。なだらかな草原状の周囲を見渡しても、ここが一番高く、足元には三角点があったので山頂には間違いないようです。奥に見える山、右手は王ヶ頭、中央付近が王ヶ鼻。左手・後方の山は何処だろうと思っていたら、武石峰のようです。ちょうど山頂のすぐ下方に、ツールド美ヶ原では下り区間になるところの道が確認できたので地形図と照らし合わせて判りました。
 下の写真は、山頂の少し手前から北西方向の眺めです。手前は、前鉢伏山。大糸線が走る広い谷の向こうに北アルプスの山々。少し霞んでいます。いろいろ画像処理を行えば、もっとくっきりした写真になるのかもしれません。今回、6月半ば過ぎという時期、北アルプスには雪が残っていて新緑もベストの時期かと思っていたのですが、木々はすっかり夏化粧となっており、山々の雪も少な目でした。その年の条件にもよるのでしょうが、5月後半から6月初めくらいがいいのかもしれません。
     
 話変わって、天空の鳥居と言えば稲積山の高屋神社が超有名になりましたが、到着した鉢伏山山頂には木製の鳥居がありました(写真:下)。写真を撮った場所の横に鉢伏神社の小さな祠があります。標高1920mほど。下の松本盆地は標高600mほどなので、約1300mの落差です。奥には穂高連峰から槍ヶ岳が見えています。雲海があれば、まさに天空の鳥居でしょう。素晴らしい光景ですが、個人的には標高差400mの稲積山も、燧灘の海や遠くに標高2000m近い石鎚山系の山々も眺められることができて、決して劣らない光景だと思っています。
    
 山頂付近では崖の湯から登ってきたというお二人だけでしたが、少し南にある展望台のところには、マイクロバスでやってきたらしい団体さんで占められていました。写真:下右、団体さんらに重なって高ボッチ高原。高ボッチ山からも見えた伊那の谷筋に中央アルプスも見えています。下左は乗鞍岳方面です。平地の真中あたりに松本空港の滑走路が見えています。
 下左は、南へ向いてズームアップ。手前が先程までいた高ボッチ山。なだらかな高原状であることがよくわかります。奥は中央アルプス、駒ヶ岳付近でしょう。下右、槍ヶ岳方面。何度見ても見飽きません。神々しいくらい。朝の早い時間帯なら、もっと立体感のある見え方をするのかもしれません。
 南東・諏訪湖方面です。標高が上がるので高ボッチ山からよりもっと良く見えるかと思っていたのですが、意外と岡谷方面の視界が遮られています。諏訪湖方面の眺めに限っては、湖ほぼ全貌が見渡せる高ボッチ山に軍配が上がるかと思います。南アルプスは手前の稜線との高低差が出てきました。ここももう少し早い時期で雪が残っていると、もっとインパクトが強い光景になるかと思われます。そして、富士山。高ボッチ山より少し北寄りとなって標高が300m高い分、より下方まで山全体を見ることができました。左手前に広がる八ヶ岳の広大な裾野にも目を奪われます。
 山頂付近からは、高ボッチ山同様360°の大展望でした。ただ、高ボッチ山での光景が一発目で強烈だったためか、良く似た光景であることもあってか、インパクトは期待したほど大きくはありません。30分ほど山頂で滞在した後、下山開始。再び北へ向いて王ヶ頭方面(写真:下左)。山腹の黄緑色に見える部分は三城牧場付近かと思います。これも辻邦夫や北杜夫の作品によく登場したところです。1979年に麦草峠を越えて初めてビーナスラインを走った時、扉峠から美ヶ原へ向かう道は工事中未通でした。扉峠から三城牧場方面を回るため林道よもぎこば線で松本まで下った記憶です。その時泊ったのが思誠寮です。写真:下右、先を下っていく団体さんの姿が見えています。後方中央の王ヶ鼻、西側に向けて切り立った様子が多少わかるかと思いますが、左手の武石峰の山肌が重なるので、王ヶ鼻に立って西側・槍ヶ岳方面を見た時の臨場感はわかりません。この北側・美ヶ原方面の眺めは、高ボッチ山からは見られないものです。
 ところで、今回の経過を立てていた当初、Ride with GPS では鉢伏山から県道67号線・扉温泉付近に下る道があってコースが引けました。地形図では軽車道として記載されていますが、Google map では道がありません。現地の状況を地形図と照らし合わせると、駐車場から歩いて右手に折れて山頂へ向かう道を反対側に進む左手の道がどうもそれらしく思えました。計画段階ではそちらへ下って周回コースも考えてみましたが、管理棟の方に詳細を訊ねてみればよかったとは後の祭り、下の写真、右寄りに写りこんでいる道がその一部かもしれません。
 山頂からは西へ向いて下っていくのですが、前方には穂高連峰から槍ヶ岳。次にその姿を見ることができるのは、何時でしょう。写真:下左、手前の建物は管理棟ではなく(何だったか駐車場の案内板に記載されていたはずですが覚えていません)、管理棟はもう少し下方で右下付近です。自転車で登ってきた林道鉢伏線(Google map では鉢伏高原スカイラインと記載)も左手に見えています。写真:下右、見えている道が、上述した扉温泉方面に下る道かもしれません。
 駐車場からは登ってきた道を下ります。登りはスピードが遅いので気になりませんでしたが、路面の舗装状態はお世辞にも良好とは言えず、下りでは結構気を遣う荒れ具合でした。道も狭いためクルマ同志の対向は困難。下るクルマのスピードも自転車より遅いくらいで、途中で3台ほど抜かせてくれました。下り切ると、アップダウンのある市道東山山麓線は避けて、県道63号線へ。道端にあった気温表示は予報通り32℃。山頂付近は心地良い気温でしたが、30分も走るとオーバーヒートしそうなくらい。最後は広い畑を突っ切る道を走って、15時頃に小坂田公園に帰着。一服後、帰路へ。帰路も休み休みゆっくり走って、往路と同じく7時間ほどかかって無事帰宅。自転車で走ること同様、さていつまでクルマで信州に向かうことができるか。魅力いっぱいの信州、まだまだ通ってみたいものです。

 ご意見・ご感想・新しい情報はこちらへ

ツーリング信州に戻る  TOP

inserted by FC2 system