川への想い   

    2016  Etape du Tour  Megeve 〜 Morzine    (2016.07.10)


Col de la Colombiere への登り
 午前4時、起床。本来ならこの時間にはとても調達できない朝食ですが、交渉とホテルの好意で用意していただけたパンとコーヒーの軽食に加えて、持参のカップ麺も食べ、4時40分頃出発。前日と同じ道で、6時40分頃、Megeve に到着。まだ早い時間だったので、スタート地点のすぐ近くまでバスで行くことができました。天気は快晴。終日良好なままで、気温も上昇するという予報です。ということで、雨合羽はもちろんウインドブレーカーも持たずに出走することにしました。ところが、なんと補給食と現金をホテルに置き忘れてきたことに気づきました。あれほど確認していたのに・・・。おまけに前夜充電しておいたサイクルコンピューターが壊れて作動しません。ありゃりゃ、最初から先が思いやられます。もっとも、工具と予備チューブを忘れた2012年時ほどの焦りはありませんでしたが。
  上:本来のコース(数日後 Tour de France 本番はこのコースで催行)
  左:変更されたコース
    (峠ひとつ減、距離145q→120q、積算標高3800m→2800mに)
   前日、日本から先に入ってきた情報通り、本来のコースから3つ目の峠が落石のため(本当?)ショートカットとなったことは、残念な気持ちと裏腹に、ちょっとホッとしたところもあったのが正直なところです。
 左図、左から Col des Aravis(アラビス峠・標高1487m)、Col de la Colombiere(コロンビエール峠・標高1618m)、Col de Joux Plane(ジョープラン峠・標高1691m)。カットされたのは、Col de la Ramaz(ラマズ峠・標高1613m)。
 エントリー数は15000人余。そのため、スタート時はもちろん、コース上の混雑を避けるため1000人ずつのスタートとなっています。15000番台・最後尾のスタート地点には7時頃に到着したのですが、その枠内にはまだ50人もいないくらいでした(写真:下左端)。記憶が間違っていなければ、10000人ほどの参加者数だった前回2014年は、先頭スタート時には全参加者が Pau の広場に集合していて、先頭のスタートも見送ったはずです。先頭グループ(過去の実績などが反映されています)のスタート時間は既に過ぎてしまっているのですが、最終16組の私たちは9時前にスタートの予定です。そのためか、周囲の皆さんはとてものんびりしていました。さすがに8時も回ると人が増えてきましたが(写真:下中2枚)、前方に見える前の組もその前の組も一向に動き始める気配がありません。漸く前の前の組が動き始めたのは、8時半も過ぎてでした。そして、8時50分過ぎ、やっとスタートゲートをくぐります(写真:下右端)。先頭グループからほぼ2時間遅れ。ちなみにトップの選手は3時間30分ほどでゴールしているので、最終組がスタートした頃、先頭集団は既にコースの半分以上を走っていたことになります。
 スタートしてすぐは、前日走ったD1212・確認していた下り基調の10qあまりです。スタートしてまもなく、ハンドルに装備したビデオのスイッチも前回と異なり間違いなく作動し撮影開始します。しかし制限時間がスタート地点で残り8分!パンク1回すると最初の関門でDNFになること間違いなしの厳しい状況です。人も多い上に下りでスピードが出ていることもあって、楽しみのひとつである写真撮影はご法度かとも思っていましたが、前日走ったコースの Flumet(フルメ)手前で左折して登り区間となりました。おかげでスピードも落ちて、ゆっくりと周囲の光景や一緒に走る参加者も見渡せるようになりました。これこれ、このみんなが走っている光景がいいんだなあ。そう思うと封印するつもりだった写真撮影も解除です(写真:下2枚)。停車すると時間を要するので走りながらです。振り返ってみると、この日撮影のために停車したのは峠と補給処を除くと2ヶ所のみでした。
 つづら折れの道を下って、前日右折した Flumet の街へ。ここから最初の峠・Col des Aravis(アラビス峠)へは前日に予習しています。前後には、ま〜し〜さんを含む同じ15000番台でスタートしたツアーの方が2、3人見えます。前日把握していたコース状況を案内しながら、無用なペースは上げずに周囲に同調して走ります。最初の水補給地点・La Giettaz(ラジェッタ)は素通りです。
 左:La Giettaz の街
 上:La Giettaz 〜 Col des Aravis
 右:Col des Aravis への道
 その後も写真を撮りながら、ゆっくり登ります。しかし、最終スタートのためか、前後を走る人の数は前回までの印象より随分と少ないように思えました。
 前日にも確認していた、Etape du Tour 本番に向けたためと思われる庭先のデコレーション。午前中の時間帯で光線の加減もあるのか、山も草原も前日より鮮やかに見えます。写真ではわかりにくいですが、つづら折れの道を登っていく参加者達の姿が点々と先に見えます。この付近ならではの岩壁の稜線も見えてきました(写真:下)。
 振り返って1枚、前を向いて1枚。走りながらだと、なかなか構図が定まりません。しかし、後になってつくづく思うことは、下手な鉄砲はもっと打っておくべきだったということです。記憶は薄れていくばかりですが、とりあえず写真なら情景が鮮明なまま残っているのですから。
 前日と同じ道ですが、自転車乗りが沢山走っている姿が入ると光景がまた一味違って見えてきます。これも Etape du Tour の良さだと思います。
 写真:下左、右手に峠まであと3qの表示が見えています(白いジャージの人の右側の看板)。眉山ひとつ分くらいと思いますが、後3qが結構長く感じられます。
 しかし、まだ一つ目の峠。制限時間はともかく、体力的には展開される光景を楽しめる余裕がまだまだありました。
 ただ、前日に Mont Blanc の姿を見た記憶が強烈だったので当日の記憶が少し薄れています。峠1qほど手前の Mont Blnanc が見えたポイントでも立ち止まることなく、横目に見た程度の記憶で、あまり印象に残っていません。下の2枚の写真は、そのポイントよりもう少し手前です。
 それにしても、道両側の山々の間を通る光景は見飽きることがありません。写真:下のような広々とした草原と見上げるような急峻な岩壁の連続。日本ではまず見られない光景です。そんな中を、同じような自転車乗りが次々と走っていく光景を走りながら体験できることは、私にとって Etape du Tour 大きな魅力のひとつです。下の写真、稜線の画面左端付近の先が Col des Aravis です。大分近づいてきました。
 それなりのペースで走ったのですが、比較的余裕を持って制限時間より30分ほど早く最初の関門・Col des Aravis に到着することができました。峠は予想通りそれなりに混雑していたのと、前日しっかり確認していたので、ほぼ素通りです(写真:下2枚)。しかし、問題は2番目の峠・Col de la Colombiere(コロンビエール峠)の足切制限です。そのため、下りは写真ご法度(そのため前日撮影)、代わりにビデオを作動。この下り区間は道幅が広く、自転車の数も少なく、やたら速い人も少なかったので安心して快適に走れました。
 下りきった二つ目の補給地点・La Clusaz(ラクリュサ)で、最初の休憩です(写真:下3枚)。補給食を忘れてきたのでしっかり食べようと思っていたのですが、あまり美味しいものがありません。今回も手にした(口にした)のは、バナナとオレンジ、カステラ様ケーキが主でした。それに普段は飲まないコーラ。水(ミネラルウォーター)が美味しく感じられなかったことは今回が初めてだったと思いますが、やはり何処か少し調子が悪かったのかもしれません。
    
 Saint-Jean-de-Sixt(サン・ジャン・ド・シクス)でD909からD4に右折すると、ここからは初めての道です。すぐに登りになるのかと思っていたのですが、しばらく下りが続きました。結構幅広い道で、参加者の姿は一時的に随分と少なくなったように思えました。ひょっとしてコースアウトしたのかと思ったくらい。この区間は写真がありません。下り切った麓の街 Le Grand−Bornand(ル グランボルナン)の所々では住民の方でしょうか、沢山の人々が集まって応援をしてくれていました(写真:下)。
 Le Grand−Bornand を過ぎると再び登り道となり、進むにしたがって周囲の風景も近影・遠景ともに見栄えが増してきました。右手遠くには雪を抱いた連山が望めましたたが、少し靄っていたのと光線の具合で写真はいまひとつです(写真:下左)。峠まで1q毎の表示を目印に、ほぼ1q5分ペース・時速12kmで登ります。計算通りですが、遅いですね。前方を見上げると、緩やかな草原上のつづら折れの道を走っていく参加者たちの姿(写真:下右上)。
 
 少し登って振り返ると、今度は下方に続いて登ってくる参加者の姿を見ることができます(写真:上左・下右)。二つ目の峠 Col de la Colombiere、ちょっと心配していたのですが、勾配はゆっくり走るには懸念していたより緩やかでした。
 民家の庭先に飾られた Tour de France 本番用のオブジェも目を楽しまさせてくれます(写真:下右)。この辺り、数日後 Tour de France 本番では、Maillot Vert を着た Peter Sagan がずっと先頭を牽いていましたね。
 下の写真は、Samance(サマンス) の街だと思います。前方には、麓から稜線まで山肌全体が草原で占められた大きな山(下右)。これも、日本ではあまり見かけない山容かと思います。急峻な岩肌も見えてきました(写真:下左2枚)。
 写真:下左下は、Samance の給水所。標高は上がったものの、昼前となって気温も上がってきたので、参加者で混雑していました。そこを過ぎると、上の麓から稜線まで草原の山肌が眼前に近づいてきました(写真:下右)。草原を横走する道に参加者の走る姿が見えるのですが、残念ながら写真では小さくてわかりません。
 Samance の街を過ぎると民家もなくなって、今度は迫ってくる絶壁とその裾野に広がる緑の草原を満喫します。勾配もさほどきついというほどでもなく、この付近になると最終スタートだったので周囲の走る人のスピードはほぼ同じか、前スタートで少し遅い人ばかりで後方から抜いていく人はほとんどおらず、落ち着いてゆっくりと走ることができました。後半になるほど緩くなる関門の制限時間のおかげもあって、写真を撮る余裕も十分。
 
 写真ではわかりにくいですが、背中のゼッケンで出走時間がわかります。左手・オレンジ色ジャージの方は14000番台なので、私より10分前のスタート。前後は、ほとんど14000番台と15000番台だったように思います。後方スタートは、なんとか時間内完走を目指そうというレベルの人がほとんどのようです。
  上  峠まで、あと3qの表示
 登るにしたがって、Samance の街もどんどん下方へ遠ざかっていきます。また右手後方遠くに、Le Grand−Bornand 付近で見たのとは異なる雪山が見えてきました。草原のつづら折れの道には、まだまだ登ってくる参加者の姿が多数見られます(写真:下)。
 結果論ですが、最後の Col de Joux Plane(ジョープラン峠)の展望はそれほどでもなかったので、このCol de la Colombiere へのアプローチが今回のコースの中では一番の見所だったかと思います。トップの写真も、この付近でのものです。下左の写真も、大きな画像でみると奥の岩肌の圧倒感がもう少し伝わりやすいかと思うのですが。
 下の写真は、Col de la Colombiere 手前最後のつづら折れです。写真では上方に切れていますが、険しい岩肌が空に向かってさらに聳えています。今回走った3つの峠は、1500〜1600m少々とほとんど似たような標高なのですが、周囲の光景で随分印象が異なります。そういう意味で、個人的好みは Col de la Colombiere が一番でした。
 つづら折れを登りながら振り返ると、また異なった光景が見られます。峠まで後1qのコーナー(写真:下中下)では、派手な恰好のマダムが、まるで Tour de France 本番かのような熱狂的な応援をしていました。確か帰国後TVで見た Tour de France 本番でも、同じ場所で熱狂的に応援していた姿を見かけました。
 
 あと1qのコーナーから峠までは、ほぼ一直線です。前後左右を眺めながら、写真を撮りながらのツーリングペースで進みます。
 Col de la Colombiere には思いの外、楽に到達することができました。峠では制限時間から1時間半くらいの余裕があった(出走時間の関係もありますが、上述のように最初の関門までが一番厳しい)ので、後は最後の登りだけと、なんとか完走の目途もついてきました(後述のように最後が大変だったのですが)。
 左   登ってきた道を振り返る
 上・右 Col de la Colombiere にて
 Col de la Colombiere からの下りは、狭い道が続きました。おまけに写真:下左のようなフランスではよく見かける石造りの低いガードレールもないところが多く、急なコーナーこそないものの Col des Aravis よりはかなりスピードを落として下りました。眺めも雰囲気もとても良かったのですが、写真撮影は他の走者にも迷惑になりそうなので自粛(下り始めにビデオ撮影再開しましたが、途中でバッテリー切れ)。
 下り区間も上り同様周囲はファンライド派が多いようで、ハイスピードで下っていく人の姿はほとんどありません。加えて参加者数が15000人余とはいえ最終スタートで最後尾だったためでしょう、人数も多くはないので安全に落ち着いて走ることができたのですが、途中、3か所ほど救急車の傍らに参加者が横たわっている場面に出くわしました。動画にも映っていますが、落車のようです。それぞれ少し手前で、係りの人が減速の合図をしてくれているのですが、そんなのを見ると周囲を走っている人も含めて一気にスピードダウン。道は草原状の斜面から森林限界以下になって林の中となってきましたが、ずっと緩やかなS字カーブを繰り返しながら下っていきます。アルプスもピレネーも、峰々はもちろん、谷も急峻なのですが、山容が大きいためか道のカーブは日本と比較すると緩やかで下りも走りやすいところが多いです。
 下り切って Schionzier(シオンジエ)の街へ。その辺りで、La Ziettaz まで前後して走っていたま〜し〜さんの姿を確認しました。Schionzier の補給地点で一緒になったま〜し〜さんは単独で先に出発されたのですが、私は後方からやって来た列車に無賃乗車して楽します。Schionzier からは一度北西方向に向かって Mieussy(ミウシー)まで走ります。本来はそこから3つ目の峠の予定だったのですが、キャンセルとなったので、最後の Col de Joux Plane の登り口 Samones(サモエンヌ)までは、D907でほぼ平坦区間(約30q)。その間は、さほど速くはない数人の集団を乗り換えながら走りました。
 前方遠くには、万年雪の山々(写真:上)、左前方には結構切り立った三角の山(Les Aveudrues・レザーヴドリュ)を見ながら進みます。なかなか雄大な風景だったので何枚も写真を撮ったのですが、その雰囲気を伝えられるものがありません。そして、最後の超級 Col de Joux Plane の登り口 Samoensに到着しました。最後の補給場所です。ここで8000番台に出走したTさんに遭遇。そしてま〜し〜さんの姿も三度確認です。しっかりと水分も補給(したつもりだったのですが)。
左 Les Aveudrues(三角錐の山)
上 D907を走る
右 Samoens の補給処
 さあ、D354でいよいよ最後の登りです(12.5kmで標高差964m、平均勾配7.7%)。よほどのことがない限り、完走はできそう。と思ったものの、左折した途端、10%を超える坂が現れました(写真:下左)。その後も似たような坂が続きます。Samoenes の街は、あっという間に下方へ(写真:下右下)。
 この辺りから、次第に記憶があやふやです。写真は適当に撮っているのですが・・・。 その時は気づかなかったのですが、改めて写真をみると、登るにしたがって、だんだんとうつむき加減になっている参加者の姿が増えることが良く分かります。この頃には、もう随分と気温も上昇していたようです。峠まであと5q地点で、8000番台で出走したOさんが木陰で休んでいました。私はまだ少し余裕があると手を振りながら進んだのですが・・・。
 下の写真、眺めの良い道を走っているのですが、走っている姿は苦行のようにも見えます。時折ある木陰には、立錐の余地がないくらいの人口密度で、へたばって休んでいる人々の姿が目につくようになってきました。その光景は、初めて参加した2006年の L'Alpe D'hues で経験した以上の多さです。勾配もさることながら、大部分の人は暑さに参っていたようです。
 この付近から、自転車を降りて押す人の数も増え始めました。乗っている人も、大部分が俯いたままです。周囲の光景を眺める余裕もなし? 写真:下右の表示は、最後の峠まであと3q。ちょうどコーナーで広めの木陰があったこのポイントでは、多くの人が休憩していました。私も、まだ元気があると思いながら写真を撮ろうと立ち止まったのですが、その途端くらくらするような感じに。熱中症になりかけていたのかもしれません。
 コーナーの反対側・木立の間からは、麓の Samoenes 方面から遠くに雪山が望めました。疲れて休んでいる人は、この光景に気づかないようです。写真を2、3枚撮って再び走りだそうとしたのですが、どうも力が入りません。頭もぼーっとしています。これはやばいなと思い、時間的余裕は十分だったので木陰でしばらく休むことにしました。
 そこからの2qほどは、1q10分以上かかったように思います。途中、沿道のマダムが瓶に入った水を希望者の頭からかけていたので、私もお願い。いや冷たくて気持ちいい。少し生き返ったように思えました。麓の Samoenes で満たしたボトルもほぼ空になっていたので、ついでにボトルにもと差し出すと、飲むには適さないのでダメとのこと。写真:下左は、峠まであと1qの表示です。歩く人の数はさらに増えて、小さな木陰には必ず座り込んでいる人の姿。私もなんとか走っていたものの、周囲の人同様歩く人よりちょっと早い程度でした。しかし、歩くよりは、止まって休んで少しでも乗って走るほうが楽なように思えました。とにかく暑かったようで、峠近く標高1500m付近でも気温は30℃くらいだったそうです。
 なんとか無事辿り着いた Col de Joux Plane は山の越える峠ではなく、山肌のトラバースするピーク状のところでした(写真:上右、下4枚)。南東側の展望はそこそこ広がっていましたが、それ以外はあまり展望がなく、ひょっとしたらモンブラン方面の展望のあるのでは期待していただけに残念。驚いたことに、峠の横手には大きな湖がありました。その脇にあった最後の給水地点で水をいただきましたが、炭酸入り。日本ではあまり見かけない炭酸入りのミネラルウォーター、私はちょっと苦手です。
 展望が良ければ、もっとゆっくりしていたのですが、木陰もなかったので、ゆるゆるとリスタート。唯一広がる南東方向への見晴らしのいいところで、のんびりしていた参加者(ゼッケンがついているので)もいます。まあ、後はほとんど最後まで下りですし、制限時間も十分あります。
 事前に、この後少し下って、また登りが少しあることを確認していたので、そちらの眺めにも期待していました。しかし、再度少しばかり登り返しても、琴線に触れるような展望はありませんでした(写真:下2枚)。
 あとは、ただひたすらゴールの街 Morzine まで下り。道は、Col de la Colombiere からの下りとほぼ同じくらいの道幅、勾配です。展望はあまりなく、下の写真のように、周囲を走る人も数もさほど多くありません。ただ、大分疲れていたので、最後まで気を抜かないように慎重に下りました。林の中を抜けて見えてきた Morzine の街は、やや薄茶がかった灰色のスレート様の統一された屋根が美しいところでした。が、やはり下りでなかなか立ち止まって写真撮影はできません(自他含めて危険回避のため)。街並みの屋根風景は、記憶の中にだけ残りました。
 街の中に入ってくると、曲がりくねった道を走って、ゴールまで後200m、100mの表示(写真:上左下)。峠がひとつキャンセルされてコースも短くなったためか、完走できた喜びよりも、なんとなく呆気なく終わった印象でのゴールとなりました。しかし、この暑さの中、三つ目の峠 Col de la Ramaz がキャンセルされていなかったら、最後のCol de Joux Plane の途中でDNFになっていたかもしれません。そう思うと、おそらく最後になるだろう Etape du Tour が完走できた良かったと、到着した仲間と飲むビールも格別な味でした。

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