太龍寺と焼山寺・焼山寺山
 高校時代までを過ごした家から僅か1qばかりのところに、四国霊場第68番札所・神念院、第69番札所・観音寺がありました。5qほど走ると五重塔を有する第70番札所・本山寺もあり、四国霊場は身近な存在でした。が、あまり興味をそそられることもなく、未だに巡ってみたいという気持ちにもなりません。そんな私ですが、徳島県内では難所と言われている第21番札所・太龍寺と第12番札所・焼山寺を訪ねてきました。もちろん、一日ではなく、二日に分けてです。札所順とは順序が逆ですが、太龍寺は久しぶりに、焼山寺は焼山寺山へ登ることが一番の目的でした。 (2022年 7月 12日 記)

 太龍寺
 まずは太龍寺へ。訪れるに当たって、前回は何時のことだったかなと記録(2002年以降)を手繰ってみましたが、全く残っていません。少なくとも2回は訪れていると思うのですが・・・。羽ノ浦に住んでいた1992年頃に、ちょっと立ち寄ってみたのかもしれません。後述するように県道28号線から分岐してからの道の記憶も全く残っていませんでした。ひょっとして、初めてだった?
 
コース  徳島−持井−加茂谷−太龍寺−鷲敷−持井−徳島
走行距離   60q   積算標高 800m
最高地点   太龍寺  標高500m
走行日   2022年 2月27日  天候:晴れ  GIANT CONTEND
 左の地形図は、県道28号線(黄色)・太龍寺への分岐部から太龍寺まで。川沿いの後半、2本の道が並行している区間は往路が山側、復路は谷側の一方通行です。一番奥の折り返し地点には駐車場がありクルマはここまでですが、二輪車(オートバイ含む)は点線の徒歩道で示された道を山門のところまで走っていくことができます(急勾配が続きますが)。
 県南へ向かう時の定番・勝浦川沿いの沼江から那賀川沿いの持井へ抜けます。川沿いの土手へ進むと、しばらく前まで工事中だった堰が完成していました。加茂谷橋を渡って、県道28号線へ。那賀川支流・加茂谷川に沿って遡ります。この道は羽ノ浦に住んでいた1992年前後に時々走っていました。阿瀬比峠まで登って国道195号線で桑野へ、そこから県道24号線で戻ると40qほどで、当時は公私の都合で週末か早朝に走ることができた一番長い距離でした。最近、県南へ向けて走った帰路は鷲敷から阿瀬比峠に向かい、この県道28号線を下ることも多いのですが、遡るのは1992年頃以来のような気がします。
 左  旧飯谷小学校付近と平石山
 左上 那賀川・改築された堰
 上  那賀川支流・加茂谷川
 右  県道28号線からの分岐部
 太龍寺への道は、北側から登る徒歩道を除けば、長らくこの県道28号線からがメインルートでした。が、1992年7月に太龍寺ロープウェイが完成した後は、そちらがすっかりメインルートとなってしまいました。上右の写真:県道28号線からの分岐部付近には、お遍路さんの宿泊施設が数軒ありましたが、現在では1軒だけが細々と営業しているようでした。ただ玄関先には完全予約制・予約は3日前までにとの張り紙。COVIDの影響もあるのかもしれませんが、利用者は激減しているのでしょう。分岐部を越えて進むと、まだ少し民家があったことや、最初のコーナー(写真:下)など、全く記憶に残っていませんでした。県道分岐部から荒いコンクリート舗装であることも記憶の何処にも残っていないことでした。
 分岐からしばらくは緩やかで、意外と走りやすい道だと思ったのも束の間。まもなく道は杉林の中を急勾配で登っていくようになります。上の地形図を見た時に、この2本の部位はどうなっているのだろうと思ったのですが、分岐部に到着すると、写真:下中のように道幅が狭いため往路は右手に進んで山側の道へ、谷側の道は復路の下り専用となっていました。こんな特徴さえ記憶に残っていなかったので、やはり訪れるのは初めてだったのでしょうか。写真:下右下のコーナーでは、手前に「切り返しなしでは回れません」との注意書きがありました。
左  杉林の中、急勾配が続く
上  往路は右、奥は下って来る復路
右上 右下から中奥へ、手前が復路
右  クルマは切り返し必要
 10%を越える勾配がずっと続きます。極め付きは、下左の写真のところ。GPSでは24%を示していました。多少誤差はあるとしても激坂です。とうとう足付き。これほどの急勾配も記憶の何処にも残っていません。途中、3台ほどのクルマが追い抜いていきましたが、参拝客ではなくお寺で働いている人のように思えました。上の地形図で徒歩道と標示されている手前には10台以上は停められる駐車場がありました。そこからは歩きかなと思ったら、写真:下右、四輪車は通行止め、オートバイは仁王門裏に駐輪場がありますとの標示。自転車も乗って行けるようです。これも、やはり記憶にありません。
 そこからの道もずっと15%前後の坂が続きます。下の写真、右手奥からのかも道、左手奥からの太龍寺道の四叉路がある付近で、漸く少し勾配が緩みました。右手から登ってきて、手前に進みます。上の地形図、かも道と記載のある横の四叉路です。このすぐ先に仁王門がありました。その前にも短いながら、壁のような激坂が。
 次はないかもしれないと、仁王門(写真:下左)の裏手の駐輪場に自転車をおいて、本堂まで歩いてみることにしました。なぜか、仁王門の裏手に駐輪場があるということだけが朧げな記憶として残っていました。本堂へと続く道は、これまでの植林された杉林と異なり、由緒ありそうな樹齢のある太い幹の杉並木が続いています(写真:下右)。
 最初に現れたのは、本坊(写真:下左)。さらに階段を登っていくと、いくつかの建造物がありました。
 写真:下左、手前に見える塔状の建物は多宝塔だそうです。その奥に本堂。これまた徳島県内では難所の札所として知られる鶴林寺にも似た建物の構成ですが、やはり記憶にありません。札所自体にはさほど興味がないので、とりあえず確認のみ。
 本堂正面に立ってみると、直下にロープウェイ乗り場が見えました(写真:下左)。多宝塔の奥に見えるのが、大師堂です(写真:下右)。一通り目を通した後は、元来た道を戻ります。太龍寺道の分岐部には鶴林寺まで6qとの標示がありました。実は、余裕があれば鶴林寺にも立ち寄っていこうと思っていたのです。太龍寺道を下ると、鷲敷へ回るより随分と距離は短縮されます。押しや担ぎが入っても時間的には早いかもと思われたのですが、SPDの靴では危なそうな道に見えたので、県道28号線へ戻り、阿瀬比峠から鷲敷回りとしました。ところが、鷲敷から那賀川沿いを下っているうちに、段々と鶴林寺に立ち寄る気力、体力がなくなってきました。
 ということで、鶴林寺への分岐をスルーして、持井まで戻ってきました。鶴林寺に立ち寄らなかったため少し時間ができたので、以前から地形図で確認していた沢山の道が交錯した持井と沼江を結ぶ県道22号線の北側にある付近を彷徨ってみることにしました。下の地形図、丸枠の付近です。県道28号線を立江方面に200mほど進んだところで、鋭角に左折。ここは間違いなく初めてです。何かの工場みたいなところの横手を過ぎると、先には公園でもあるかのようにソメイヨシノの古木並木が100mほど続きます。10%弱の勾配があって太龍寺で使い果たした脚には堪えましたが、漸く春を迎えたような気候のおかげと初めての道であることもあって、なんだか心ウキウキするような感じ。
 左 うろうろした持井・沼江間
 上 那賀川沿いを下る
 右 県道22号線からの脇道 桜並木が続く 
 地形図では標高83.8mとの標示だったので、眺望などは期待していなかったのですが、どうして。ピーク付近からは西側には勝浦方面の展望が広がっています(ひとつ下の写真)。写真:下左、右手は先日登ったばかりの中津峰の東隣り・平石山。その稜線左手には、稼勢山がボンヤリと重なっています。手前は、ミカン畑です。東側には羽ノ浦方面の眺めが広がっていました(写真:下右)。
 天候の影響もありますが、穏やかで長閑な光景です。これでもう少し霞んでいなければ、とは高望みでしょうか。登り時のソメイヨシノ並木、古木なので花数は少ないかもしれないなあと思いながら眺めていましたが、4月始めに再訪したところ、満開で花数も多く、まだまだ勢いのある姿でした。

焼山寺と焼山寺山
 さて、その翌週、焼山寺山を登ることをメインに、焼山寺を訪れてきました。
コース  徳島−神山−焼山寺山−神山−徳島
走行距離   55q   積算標高 1000m(徒歩含む)
最高地点   焼山寺山  標高938m
走行日   2022年 3月 4日  天候:晴れ  GIANT CONTEND
 焼山寺は何回か訪れています。本来の表道・県道43号線から向かう道、逆に県道43号線焼野峠から下ってくる途中から向かう道、林道焼山寺名ヶ平線からの道は走ったことがあったので、今回は走ったことのない地形図で地野と記載のあるところから県道43号線の西側を走る道で向かってみました。
 スタート時の気温は6℃。走り慣れた県道20号線で、鮎喰川に沿って遡ります。いつもなら川面を覗き込みながら走るのですが、少雨のため川底の石が洗われないようで茶色く澱んでいて、青石の美しい姿が見られません。毎年確認する福原橋手前にある早咲きの紅梅、咲き始め後に冷え込んだので、満開に近い状態が続いていました。阿川の分岐部では、それより遅れて咲く白梅も八分咲きくらいでした。国道438号線から県道43号線へと右折し鮎喰川を渡ったところで、すぐに左折して左右内谷川を渡り、200mも進まないところで、ここだなと思われる分岐を確認しました。地形図で再確認していたら、オートバイに乗った仕事らしい作業着のお姉さんが登っていったので間違いなしと進みます。
福原橋手前で 阿川の分岐部付近 地野の分岐
 ある程度予想はしていたのですが、曲がると同時に勾配は一気にきつくなりました。初っ端から15%。さらに、これでもかと20%。まだ余裕があったので、なんとか足着きなしで登ります。周囲は下の写真のように、間伐が十分には行き届いていない杉林が続きます。展望は一切ありませんが、あっても楽しむ余裕はなかったでしょう。後から写真を見ると、木漏れ日が路面にいい感じの模様を作っているのですが、写真を撮っている時は気付く余裕が全くありませんでした。
 写真:下左上は南峯(みのむね)付近での民家。分かりにくいですが、手前は茶畑です。途中、3ヶ所ほど分岐がありました。基本的には分岐を左手へ、登りの道へなのですが、間違えるといけないので念のため地形図利用のGPSで確認します。
 左上 南峯の民家
 他  杉林の中が続く道
    分岐部は基本左手へ
 登っていく途中には、廃屋が3軒ほど見られました。1軒は蔵もある立派な造りで、まだまだ十分住むことができそうに見えました(写真:下左端)。写真撮影を兼ねて一服していると、一台の軽トラが登っていきました。廃屋が続いたので、もう家屋はないだろうと思っていたら、茶畑に加えて20本近い梅を栽培している民家があって(写真:下右端)驚きました。地形図の横倉付近、標高500m弱。写真がありませんが、谷筋を挟んで東にはほぼ同じ標高に集落が見えます。おそらく庄部付近でしょう。当初、帰路は庄部かそのもうひとつ下方の道を登り返そうと思っていたのですが、この時点で既に疲れて、登り返しは諦めていました。
 その民家を越えると、右手に大きくカーブして、北東・焼山寺方向へまっすぐ向かう道になります。まもなく電波塔があったのですが、二つあった電波塔の間は、また20%の勾配。とうとう足着き。標高500mを越えましたが、道はまだまだ登っていきます。実は重大な認識間違いをしていました。道の雰囲気などは地形図で確認していたつもりですが、焼山寺の標高は500mくらい、焼山寺山は700mくらいと思い込んでいたのです。山に登るつもりだったのに、なんといい加減。ということで、もうあまり登らないだろうと思ったのですが、道は15%程度と容赦ない勾配で登っていきます。おまけに民家を過ぎてからは、路面には杉の枝葉がぐっと増えてきました(写真:下2枚)。下って来るオートバイのお姉さんと擦れ違ったのは、この付近でした。
 東大垰という神山の峠の標示があった後も、まだ登りが続きます。標高600mも軽く超えて、漸く認識が間違っていたことを悟りました。そのまま登りつつけるとばかり思っていたら、まさかの下りがあって、本来の表参道というかメインの道に出ました。そこからは、まもなく焼山寺の駐車場へ。駐車場には少し前に降った雪が除雪で集められたようで、5mほどの高さに盛られていました。
東大垰 本来の表参道へ 駐車場の残雪
 駐車場に自転車をおいて、靴を履き替え、山頂を目指します。まずは雪の残る参道を歩いて、焼山寺へ。
左  駐車場から北東への眺め
上  雪が残る
右  焼山寺山門
 山門を通って本堂に向かいますが、参拝客もほとんどいませんでした。本堂周辺には、先の太龍寺よりもさらに太く立派な杉が何本かありました。本堂を横目に、確か左手方向から登る道があったような記憶だと進んでみます。しかし、当然なことかもしれませんが、境内には焼山寺山への案内は何処にもありません。と、奥の院の標示があったので、これがそうかなと進んでみました。上述の標高同様、事前チェックがいい加減です。
 
左 焼山寺 本堂・大師堂
上 奥の院のほうへ
右 登山道
 進んでいくと、間違いないようです。雑木林の中を、さほどきつくない勾配で落ち葉満載の道が続きます。道沿いには、本堂周辺にあった杉に負けないほどの幹の径が2m近い樹高のある立派な杉が何本か見られました。写真:下右は大蛇封じ込めの岩。これは事前チェック時の記憶にあったので、道が間違っていないことが確信できました。
 登山道に入ると、写真:下右下のような、樹木名を記載した標示がいくつも見られました。山で大きな樹を見る度に、標示があればいいなあと思っていたのですが、こうしてちゃんと標示があっても、なかなか一度では覚えられません。
左  これは奥の院ではなく
上  登山道
右上 尾根道
右  木々の名札
 焼山寺山は遠くから見ると山頂付近は尖った三角錐に見えます。ちょうどひとつ下の写真・東宮山にもよく似た感じなので、最後は苦手の急斜面かと思っていました。しかし、幸いにもそれはなし。代わりに山頂手前には、短いものの痩せ気味の稜線を進むところがありました。おまけに、凍結した残雪があちこちに。両側に木々が繁っていなければ、苦手意識が出て立ち止まったかもしれません(写真:下左)。
 到着した山頂には、高さ3m弱の奥の院がありました(写真:上右)。山頂からは多少展望があるはずと奥の院の横手に進んでみるとと、おひとりの登山客が休憩中でした。静かで道中誰にも会わなかったし、てっきり独占だと思っていたので、ちょっと驚きました。
 奥の院の裏手に回ってみると、予想通り剣山方面が一望できましたが、残念ながら少し霞んでいます。おまけに3枚ほど撮った剣山方面の写真は、後で確認すると全てボケていました。下の写真、手前右の三角山が東宮山であることは間違いありません。とすると稜線の左手鞍部が川井峠付近。東宮山の右手奥に見えるのは正善山でしょうか。左奥の稜線、鞍部が剣山トンネル付近。その右上は丸笹山です。その右手、ほぼ中央部に冠雪の山が見えますが、地形図で確認すると三嶺のようです。
 南には、剣山方面から高城山(写真:下右、雨雲レーダーでよくわかる)、雲早山、大川原方面まで木々の合間に見ることができましたが、すっきりと一望できるところはなく、おまけに霞んでいて条件はよくありません。ちょうど眼下に神山の町が見えるところがあって、雲早山付近との1000mを越える標高差が強烈でしたが、うまく伝える写真が撮れません(写真:下左)。
 と、眺望には少し残念な天候でしたが、それでもこんな光景が見られるということが確認できました。半日で往復できるので、また条件のいい日を狙って再訪しようと思っています。帰路は、上述のように当初は左右内谷川まで下って庄部方面に登り返して阿川に出ようと思っていましたが、余力なく、元来た鮎喰川沿いで戻ることしました。

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