林道杖立線 と 勝浦の道
 勝浦町は中津峰山系を境として徳島市の南に隣接しています。県道16号線で上勝方面に向かう時などに通過することが度々あるのですが、素通りすることが多く、勝浦を目的に向かうことは坂本地区の雛飾りの時くらいでした。2021年12月に大川原高原に登った後、ほぼ20年振りに杖立権現越から林道杖立線で勝浦方面に下ってみました。その際、下る途中にミカン畑と民家を繋ぐ入り組んだ面白そうな道を確認したので、一度そこを中心に走ってみようと計画してみました。 (2022年 2月10日 記)

坂本の上方から南東方面 (2021.12.24)
 今回は、下記の5回分の勝浦町の道を中心とした走行記録をひとまとめにしてみました。一番のメインは、上の写真。勝浦川支流坂本川の左岸(北側)の山肌斜面に広がるミカン畑と点在する民家を結ぶ道周辺の光景です。上の写真は、雛飾りのある旧県道16号線の坂本集落(写真の右端中央付近))から北側の上手に登った、この後記す繋がっていない広域農道の一番西手から南東方面へ向いて撮ったものです。左奥には以前に走った鶴林寺から東の稜線が横切っています。その手前が河津桜のある生名付近。右手の山が稼勢山の一部です。
 走ったコースは上の地形図参照。青は12月12日、赤は12月16日、緑は12月24日の足取りです。いずれも距離は短く、時間のある時にちょこっと走った感じですが、結果的には12月に集中的に走ることになりました。掲載した写真は、12月4日・今回の勝浦巡りのきっかけとなった大川原高原から杖立権現越経由で林道杖立線で勝浦に下った時(この時は勝浦に下ってそのまま徳島へ)の物も前半に入っています。最後の朝立彦神社は上の地形図の右端に切れていて、勝浦町と徳島市の境に位置しています。
12月04日 徳島−大川原−杖立−勝浦−徳島
12月08日 徳島−如意輪寺−婆羅尾峠−勝浦−朝立彦神社−徳島
12月12日 徳島−坂本川左岸山肌の道−徳島
12月16日 徳島−大川原−杖立−坂本川左岸山肌の道−勝浦川沿−徳島
12月24日 星谷運動公園−坂本川左岸山肌の道−稼勢山−星谷運動公園
 天候:いずれも晴れ  いずれも GIANT CONTEND
 2021年12月4日、関西地方から知人が来徳し、大川原高原へ登るというので、便乗させていただきました。以前はよく通った大川原も、脚力が衰えた昨今はなかなか脚が向かないので、いい機会だとばかりに。おまけに、大川原からは杖立権現越から勝浦側に下る道に付き合っていただきました。杖立権現越から勝浦に下ったのは一度切り。随分以前だと思っていましたが、確認すると2001年12月23日。なんと20年振りでした。
 この日(12月4日)は西高東低の気圧配置で肌寒い北西風が吹き荒れていましたが、大川原高原からの眺めは予想通り、なかなかいい条件でした。下の2枚は若干ずれていますが、中央に眉山、奥に淡路島。左の写真には鳴門大橋も見えています。左手前を蛇行するのが鮎喰川です。吉野川は中央付近を横切っています。
 下は、上の写真の右手。やはり少しずれていますが、ご了承下さい。左の奥は淡路島の南海岸線です。何度も走っていて好みの道ですが、大川原からこれほどはっきり見えた記憶はありません。さらに右手(の写真)、浮かんでいるのは沼島ですが、その奥に友ヶ島と和歌山・加太付近も薄っすらと確認できます。
 真北には、手前に森林公園の西龍王山。吉野川沿いの平野の向こう・阿讃山脈、大坂峠付近です。奥は播磨灘。さらに海の向こうに白っぽく崖様に見えるのは家島諸島の一部です(写真:下左)。その左手には小豆島が見えていましたが、写真は省略。
 前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題です。大川原高原からは稜線の北側に沿って走る道で杖立権現越へ向かいます。上の地形図では左上に切れています。大川原高原から向かうと、前半は少し登って、その後下りです。途中、轆轤(六郎)山に向かって軽車道の分岐があるのですが、入り口で通行止めになっています。道沿いは下の写真のように雑木林が多いのですが、一部杉木立もありました。しかし、北側斜面で日陰が大分で寒い。写真:下右から2枚目のように陽が当たる所は極一部です。冬用ジャージの上に、このところの定番・ハイキング用アウターまで着込みます。一番標高の高い轆轤山付近が900mほどで、杖立峠付近は650m。結構下ります。下ると同時に東に進むので、北側の光景・徳島市内の見え方も変化するのですが、意外と見晴らしの効くポイントがありません。下右端の写真が杖立権現越の分岐部。右手から下ってきて奥の道へ進みます。左手に降りると佐那河内。その間にまっすぐ四国の道が続いていて、婆羅尾峠に向かって迷ったのも、もう16年も前のことになりました。
 さあ、20年振りの林道杖立線です。下り始めると、遠い記憶通り、松葉が多い枯葉のコンクリート舗装の急坂が続きます。前半の道周囲には雑木が多く、下草はシダ類。東に向かって下る道が最初に180°方向を転じるコーナー(上の地形図一番上の赤→の右手)に、勝浦方面の展望が広がるところがありました。こんなところがあった記憶は全く残っていませんでした。写真:下右、川筋は坂本川がちょうど勝浦川と合流する付近、横瀬橋が手前の稜線上に見えています。真中を横断する稜線の窪みは鶴峠付近かと思われます。写真はアップしていませんが、この左手には紀伊水道を経て御坊市から田辺市付近まで和歌山の海岸線を確認することができました。
 
 
このコーナーから右の眺め
 いい光景を眺めながら一服した後、再び下り始めると、20年前の記憶通り杉木立に覆われた道が続きます。コンクリート舗装は適度に荒れいて、枯葉や小枝の散乱も記憶通り。多少クルマは入っているようで、轍はついています。下り勾配は急で15%はざら、時に20%を越えます。そんな道を知人は25Cのロードバイクで問題なく下っていきます。杉木立の道は徳島県内至るところにあって、あまり興味が湧かないのですが、初めての道やこの時のように超久しぶりの道はまた別です。
 180°の折り返しコーナーは、地形図でもわかるように3ヶ所。広角で撮影すると、前後の勾配が実際よりも大分緩やかに見えます。上から3つ目のコーナーでは直進する道があります。地形図では北東方向に登り返して、再び尾根筋に近くに出て佐那河内方面に繋がっている(以前に迷った道付近?)ようですが、法面の苔生したコンクリートにはX印が記されていて通じていないようです。

雑木林は少な目

法面に記された道標べ
 荒れた道を慎重に下って下左の写真のところへ出てくると、杉は無くなって視界が広がり陽当たりも良好になりました。ここまでの写真は12月4日と16日のものが混在していますが、これ以降は16日のものです。12月4日は写真:左下の左手下に見える道を下って県道16号線に出たので、16日は右手(西手)に進みました。右下の写真のように、山肌にはあちこちにミカン畑が見られますが、ほとんどが収穫後のようでミカンの姿は僅かでした。
 写真:下左、左手へ進むと旧県道16号線・坂本集落方面に下ってしまうので、右手の道を登っていきます。行く先は稜線の左奥の鞍部。右下の写真は、西手に進んで振り返ったところ。山肌を縫うように道がついています。一番左上に見える道が、この後何度か出てくる広域農道です(後述のように4ヶ所で分断されています)。16日は、そこまで登らず(24日に登りました)、先へ進みます。
 下左の写真は、上左の写真の鞍部を越えたところから南方向です。旧坂本トンネルの西側、手前の集落は地形図によると黄檗のようです。奥の三角山が稼勢山。見る方向によって随分と山容が異なります。鞍部手前では広域農道と思われる道に出ました。林道婆羅尾線から分断されて続くこの道、山肌を埋めるミカン畑と民家を繋ぐラインの一番上手に横走しています。分断されていますが、何処も結構幅が広く、アスファルトの路面もきれいです。路面脇に標示があったので確認すると、竣工は平成6年(1994年)とのこと。20年近くも前とは思えない綺麗な路面は交通量が少ないからでしょうか。道はさらに西へ伸びていて、大川原高原から慈眼寺経由で上勝に降りてくる道に繋がっているようですが、16日は勝浦町側の一番西手の道を下って県道6号線に出ました。ちょうど農道分岐部に仕事中のご婦人がいたので、念のため訊ねて道を確認。どんな道かなと下っていくと、狭いもののクルマはそこそこ通っているようで轍が保たれていました。
左  広域農道から見た稼勢山
上  轍の保たれた広域農道からの道
右上 旧県道16号線はまだ少し先
右  平成6年5月竣工の標示
 旧県道16号線から現在の県道16号線に出て少し西へ進み、福川トンネルを抜けると上勝町に入ります。すぐの分岐を折り返して、勝浦川沿いの道へと進みます。この道、ずっと以前(記憶・記録なし)に一度進もうとしたことがあります。ところが、何処で間違えたのか川原に降りて道がなくなってしまい、引き返す羽目になりました。今回は地形図の実線(軽車道)が繋がっていること、Google map の street view の青線が繋がっていることを事前に再確認しておきました。進んでみると、広域農道と同じような幅が広くてきれいなアスファルト舗装の道です。川面からの高低差は結構あります。振り返ると、大川原高原の風車群が稜線に見えました(写真:下右)。途中で、大きな豚を満載したトラックと擦れ違い。地形図にある大きな家屋群の標示は養豚場かと思われました。
 
 左  旧県道16号線に出てきた
 左上 県道16号線(上)を折り返して
 上  勝浦川沿いの道
 右  勝浦川沿いから大川原方面
 その養豚場らしきところへの分岐を過ぎると、両側に廃屋があって(写真:下左端)、そこからは道の様相が一気に異なりました。道は狭くなって普通車の走行はかなり困難を伴いそうです。ほとんどクルマも通っていないようで、路面には落ち葉、枯れ枝、小石が散乱していて轍跡がありません。山側からは草木が繁って道に出てきていて、勝浦川側は木々のため川面が見えませんが、そこそこ切り立っているようです。このまま進んでも大丈夫かな、何処かで通行止めかもと思われたくらいです。
 写真:下左のように、石積みされて杉が植林された所もありましたが、間伐も枝打ちも全くされていません。植林されたものの、長い間放置されたままのように見えます。写真はありませんが、大分進んだところで、これも放置された元ミカン畑のような段畑もありました。山側から小さな崩れが所々にありましたが、走行困難なところはありません。しかし、今後大きな崩落があれば、通行止めになったまま廃道になるのではと思われました。冬場だからいいものの、夏場や雨後はちょっと走れる気がしません。
 さらに進むと、何処からチェーンソーの音が聞こえてきました。軽トラが狭い道の少しばかり広くなった路肩に停車されていました。川側下方に畑があって誰かが作業をしているようでした。そこを過ぎると、やっと人が通った気配がしてきました(写真:下左)。勝浦発電所(写真:下中)のところからは、落ち葉も随分と少なくなります。道も狭いながら綺麗なアスファルト舗装に。
 後日(下記)、稼勢山から下ってきて出てくるポイントがこの発電所付近でしたが、この時には稼勢山からの道に気付いていません。そのまま道を進み小さな切通を越えると勝浦・横瀬橋付近が見渡せるところに出てきました(写真:上右)。一度走ってみるには面白い道ですが、再訪はないかなと思われました。
 時間が前後しますが、ここからは12月12日に走った記録です。12月4日に杖立権現越から下ってきた時に、上方に見えて気になっていた新しそうなガードレールの道。実は以前から多少なりと気付いていたのですが、地形図では繋がっていません。12月8日に林道婆羅尾線を峠から下ってきた時に、その一番東側と思われるとっつきを確認していたので偵察を兼ねて訪れてみました。勝浦川沿いから林道婆羅尾線を少しばかり登って(結構勾配がきついです)、とっつきの分岐(写真:下左から2枚目)を左折して西へと進みます。標高は160mほど。進むと二車線ではありませんが広く綺麗なアスファルト舗装の道です。登り勾配も緩やかになって、南側の景色を楽しみながら進みます。この後に記載する稼勢山が坂本川を挟んだ南側に鎮座しています。
林道婆羅尾線、登り始め 件の道(右手)分岐部 良好なアスファルト舗装 奥は稼勢山
 暖かい陽射しを浴びながら、のんびり走っていきます。振り返り気味には勝浦川沿いの光景(写真:下左)、前方には八重地方面の山々(写真:下右)と眺めもなかなか良好です。
 いい調子で進んでいたところ、突然道が消えてしまいました(写真:下左)。ちょうど手前に細い下り道があったので、少し下って、また西へ向かってみます。ミカン畑と民家を繋ぐ生活道は、木々が繁って日陰のところが多かったです。そのまま西へ進むつもりでしたが、途中で記憶に残っていた分岐部に出てきました。12月4日に杖立線を下ってきた時に通っている道を逆向きに走っているようでした。折角だからと、その分岐を上に登り返します(写真:下中)。
左  突然、道消失
上  記憶のあった分岐部を上へ
右上 山肌に散在する民家
右  木が繁った日陰も多い
 すると、再び綺麗なアスファルト舗装の道に出ました。標高260m前後の山肌をトラバースしていきます。写真:下左の右上に見える道がその道です。下右の写真は、その道から南西方向を眺めたところです。二つ上右の写真や、九つ上左の写真と同じ方向を、二つの場所より西側から見ています。綺麗なアスファルトの道は広域農道のようです。
 その道沿いには1軒の民家があったので、何の疑いもなく西進していたら、また突然道が消えてしまいました。しかも今度は近くに下る道もないので、引き返し。どうせならと登ってきた道を越えて東進すると、沼谷川のところでまた道消失です。この2か所は地形図通りでした。また引き返して沼田川近くのミカン畑の中のジグザグ道を下って、先程登り始めた分岐部に戻ってきました。下から見上げると、道は結構高いところを走っています(写真:下右下)。その後は沼谷川沿いを下って行くと、12月4日に下った道のひとつ西手で坂本川沿いに出ました。
左  広域農道から東への眺め
上  西側の行き止まり
右上 東側の行き止まり
右  下から見上げた広域農道
 ここからは12月24日の記録です。この日は、まず坂本集落に向かう旧県道16号線を進んでいきます。内谷川のところで右折。分岐部には佐那河内→の標示がありました。杖立権現越からは下ってばかりだったのですが、どうもここからのルートがメインのようです。進むと、すぐに10%を越える坂が続きます。一度西手に向かう道を進んだ後、一番上方に見えるガードレールの広域農道まで。
 左  旧県道16号線
 左上 上方に目指す広域農道
 上  杖立権現越・佐那河内の標示
 右  勾配は結構きつい
    自転車の上が広域農道
 下の2枚は広域農道からのものです。12月12日に走った時は、まだミカンの収穫作業中の姿が見られたのですが、16日にはもうほとんど作業をする人の姿はありませんでした。24日には下左のような実が沢山ついた木は例外でした。下右は、西手へ向いて。この後、一度下って、下に見える蛇行する道を奥に向かって進み、稜線の向こうへ。
 登りきったところは、これまで同様幅広の綺麗なアスファルト舗装でした。そのまま西進すると、通行止めの標示。その10m程先には、谷に向かって道が無くなっていました(写真:下左)。地形図を見ると、坂本川の最上流部となる谷筋です。引き返して東進してみると、これも下から見えていた橋梁様のところ(写真:下中)。しかし、そこを過ぎると通行止めになっていて、少し未舗装部分を走ると、また行き止まりです。ここも地形図の通りでした。結局、このミカン畑と点在する民家の一番上方をトラバースする広域農道は、林道婆羅尾線から、坂本集落から上勝へ抜ける道までの間に4ヶ所で分断されているようです。今後繋がる見込みはあるのでしょうか?
 ということで、手始めに最後に残っていた広域農道区間を確認した後は、16日に走った道のひとつ東側の道を下って旧坂本トンネルの西側へ出ました。下左の写真は、広域農道から東側へ。左の一番奥は中津峰山です。旧坂本トンネル西側に下る道の分岐部には、小さく「風の駅さかもと」の標示ががあります。下っていく道は、ミカン畑の中。旧県道16号線に出た後、16日と同じように県道16号線で福川トンネルを抜けて折り返します。
左 峠付近から東へ
上 広域農道からの分岐部
右 ミカン畑の中を下る
 16日に丸々と太った豚を満載したトラックと擦れ違ったので、養豚場だとばかり思っていた日の出畜産のところで左折。まず目に入ったのが立ち入り禁止の札と牛舎です。豚の姿は見えず、牛ばかり。すぐに道が3本に分かれています。地形図(前日に印刷しておいたのが大正解)を見ると、一番左手の道のようだと進み始めたところ、仕事をしていたお兄さんがいたので、「稼勢山はこの道で行けますか」と訊ねたところ、「そうだけど、道悪いよ」とのこと。言葉の裏に自転車でなんかいけないよというニュアンスが溢れていました。「行けるところまでで引き返します」と言って、先へ進みます。コンクリート舗装の道は多少クルマが入っているようで、思いの外、轍がしっかりついていました。これなら全く問題なしという程度でしたが、勾配がきつい。ずっと15%強。時に20%となって足付き開始です。緩やかになったと思ったら10%。
稼勢山への道
 道周囲は、最初の一部に竹林がありましたが、その後は檜、後半は杉が密生していて見晴らしは一切ありません。面白みに欠けると言えば、その通り。初めてであることの楽しみだけかも。それでも、急勾配を除けば先日の勝浦川沿いの道よりいいかと進んだところ、写真:下右上、分岐手前から未舗装になりました。登り時で唯一の分岐は、右手が正解です。左手は地形図では行き止まりのようです。
 
唯一少し迷った分岐、右へ

後半は平均してこんな路面
 そこからは、勾配こそ緩くなったものの、路面はそこそこ荒れています。ただ、クルマは変わらず多少入っているようで、上下の写真のように轍は残っていました。林業関係の方でしょうか。しかし、杉木立は下枝打ちも間伐もあまり為されていません。そんな道を進むと、「徳島250山」で確認していた峠と思われる地点に到着。写真:下中、突き当りが峠。山頂へは右上手に進むようです。走る道は右手にあります。下右は、峠から登ってきた道を振り返って。自転車の後が「徳島250山」に記載されている五体の石造物でしょうか。峠から山頂までは15分ほどだそうですが、山頂からは見晴らしがないということと、SPDの靴には歩き辛そうな山道だったこともあり、山頂へのハイキングは諦めました。
  
 そこからは下りと思っていたら、トラバースするような感じの道がしばらく続きました。路面は相変わらず未舗装で杉の枝葉が散乱していますが、こちらも轍は多少残っていました。ただ、至る所で小さな落石があり、下りになっても慎重に、ゆっくりとです。
 
 再びコンクリート舗装となったのは、何処の付近からだったか記憶が曖昧です。写真:下左の極短い距離で折り返しの続く区間では、既にコンクリート舗装でした。勝浦川沿いの何処に出るのかなと思いながら下ると、上述のように発電所の対岸にある廃屋の横で16日に走った川沿いの道に出ました。下り時にはGPSで−24%の標示もあるような急勾配がありました。稼勢山への登り初めからここまで、6qほどに1時間。
 時間はまた前後して、ここからは12月8日の話です。この日は如意輪寺から婆羅尾峠を越え、林道婆羅尾線で勝浦町に降りてきました。その後向かったのが、徳島市と勝浦町の境界付近にある朝立彦神社です。県道16号線・徳島市勝浦町境の対岸に入り組んだ道があること、その付近に展望ポイントがあるらしいことは、もう十駿年以上前から知人が報告されていて興味を持っていました。しかし、距離が中途半端に近かったことや、他にコースを繋げるところがあまりなかったこと、地形図ではあまりに入り組んだ道で何処が何処だか分かりにくいのでは等で、これまで脚を向けていないままでした。
 左上 稼勢山から降りてきた場所
 上  今山橋から稼勢山

 左  登り口にある案内板
 右  潜水橋から見た勝浦川
 県道16号線を地形図の西分から潜水橋で北岸の日ノ浦地区へ渡ります。100mほど進んだ分岐に比較的新しく見える案内板がありました。入り口にこんな案内があるくらいだから、由緒ある建物があるのだろうと思いながら、案内板の地図を記憶して先へ進みます。最初から10%を越える坂が続いて、勝浦川はあっという間に眼下へ遠ざかっていきます。道の分岐には、かろうじて読み取れる程度の案内の名残があったので、上の案内板を思い出しながら進みます。ところが、最後はコンクリート舗装から未舗装になったと思ったら、突然道がなくなってしまいました。あれっ、何処かで間違えたかなと思った程。そこからは写真:下左のような山道です。写真の先は急な勾配で階段状のところもあり、案内板の距離から、まだ500mくらいはあると思って自転車を置いて登ることにしました。が、100mほどで写真:下中の鳥居が現れ、階段を登ると廃墟寸前にも見える建物群(写真:下右)に到着しました。ここが朝立彦神社のようです。傍らにあった案内板によると、右手が拝殿。左手の建物は今にも崩れそうな感じでしたが、舞台と記されていました。そう言われれば、雨戸を全部開くと農村歌舞伎の舞台に似たような作りです。いずれも長らく放置されたままのように見えました。
  
 地図で確認していた展望台は、神社の南側に標示があって、少し歩いて下ったところにありました。ここも随分長い間手が入っていないように思われました。広場があって、北北東から南南西まで東向きの展望が広がるのですが、この日の気象条件はあまり良好ではありません。登る途中、海の向こうに見えるのはまさか和歌山、やけに近く見えるなと思っていたのは淡路島でした。道が蛇行しているので、方向感覚が分からなくなっていたのです。写真:下左は北東に向いて。眼下の中央に流れるのが勝浦川。手前が日ノ浦、川を挟んで向こうがに西分。分かりにくいですが、右手の一番奥に薄っすらと淡路島。登ってきた道も写っています。左上くらいをズームアップすると(写真:下右下)、徳島市内から鳴門市内の向こうに大鳴門橋。後方の風力発電の風車群は淡路島。手前を横切るのが吉野川で、その向こうに蛇行するのは今切川です。

北に眉山、奥に大麻山

大鳴門橋
 下の写真は、南東方向です。手前の稜線の上にチラリと見えるのは那賀川・持井付近。右手の梢付近に日亜化学の建物群が重なって見えます。右奥には伊島が見えています。もう少しすっきりしていれば、和歌山も写真で撮らえることができたかと思います。
 広場で展望を楽しみながら一服して、来た道を下ります。再び勝浦川沿いまで下った後は、川の左岸で飯谷小学校跡まで。この道も初めてです。この区間、ずっと道がないものと思っていたのです。下の写真は、その道から朝立彦神社付近(奥の稜線左手の平坦な部分辺りだと思います。一番高いところは平石山でしょうか)。地形図を見ると、朝立彦神社手前から複雑に入り組んだ軽車道で、もう少し北のほうにも抜けられるようなので、迷うこと覚悟で、また行ってみようと思います。
 ということで、2021年の12月は勝浦の道・探索強化月間とも名付けるようなひと月でした。いずれも半日程度までで短い距離。予定していた道はほぼ走れたかと思うのですが、まだ2、3この道は繋がっているのかな、と思う道があります。上の朝立彦神社手前から北東方向の道を含めて、機会を作って訪れてみようと思っています。

 下の表は、これまで勝浦を含めて走った道の一部です。
2005.11.27 立川渓谷から立川吉ヶ平林道を経て上勝へ
2017.01.22 鶴峠から東の稜線の道
2019.02.22 坂本の雛飾りと生名の河津桜
2019.04.21 林道立川相生線で相生方面へ

 ご意見・ご感想・新しい情報はこちらへ

ツーリング徳島へ戻る  TOPに戻る

inserted by FC2 system