15年振り、 とびしま海道へ
 
 とびしま海道を初めて訪れたのは2009年のことです。前年に五つの島が橋で繋がり全線開通したばかりだったようで、ここをメインのつもりで計画したのですが、そこまでにしまなみ海道の一部や繋ぎに山陽沿岸を経由したこともあって時間が足りなくなり、ほぼ最短で通過しただけになりました。是非、一度ゆっくりと再訪をと思っていたのですが、なかなか実現できず。最近、五つの島それぞれに展望ポイントもあるらしいことを知ったこともあり、前年末から計画を立て1泊で訪れてきました。天気予報を睨みながら好天を見込んで決行したものの、一瞬ですが雪が舞ったりと期待したほど晴れ間に恵まれませんでした。が、訪れた各展望ポイントも走った道も、いずれも魅力的で素晴らしい光景を見せてくれました。 (2024年01月20日 記)

大崎下島・一峰寺山から東への眺め (2024.01.08)
−1日目−
 初日は各島の展望ポイントを巡りながら呉へ、翌日は野呂山へ登った後、余裕があれば往路に見落としたところなどをゆっくり回る予定でした。ところが、後述のように初日は途中で不調となったこともあり、下図のように大幅にコース変更となりました。当日は午前7時20分今治港発の岡村港行第一便に間に合うように、余裕を持って3時半に自宅を出発。ゆっくり走って、今治港第2駐車場には6時半に到着しました。今治港は、前回の岡村港から、前年4月には岩城港から乗船して下船したことがあるのですが、乗船するのは初めてです。これまでしまなみ海道を走る時は、ほとんどが糸山公園にクルマを置いていましたが、今回は前後のことを考えて港近くにした次第です。
コース 岡村・ナガタニ展望台−御手洗−十文字山−川尻−音戸−呉
走行距離  85キロ   積算標高 1350m
最高地点  十文字山  標高309m
走行日  2024年 1月 7日 天候:晴れ・曇り一時小雨 GIANT TCR
 到着後、出航までに時間があったので港付近を散策。前年末に訪れた高松港付近とは少し様相が異なりますが、再開発されたらしい港周辺は広々としています。まだ日の出前でしたが明るく、整備された自転車置き場などの壁には過去の歴史なども記載されていて、時間が足りないくらいでした。7時過ぎに出発準備をして交流センターに切符を買いに行くと、係の人がせとうちサイクルーズPASSについて丁寧に説明してくれます。記入欄に住所(県・市町村のみ)を書いていたら、息子さんが徳島市内に居住中とのことで一気に親密感が増して話が盛り上がりました。旅の最初からいい始まり。「今日戻ってきますか」と聞かれたので「明日です」と答えると、「午後は風が出てきて欠航になる可能性が高い」とのことでした。
 定刻に出航となった旅客船、自転車は先着8台とHPに記載されていますが、乗船すると後部デッキに車輪固定用のラックが整備されていました。季節外れのこともあるのでしょうが、自転車は私ひとり。他の乗客も全部で数名でした。
自転車置き場壁面、奥・交流センター 桟橋のひとつ 後部デッキ・自転車置き場 旅客線室内
 船外は寒いので、船窓から明るくなりつつある周りの光景を楽しみます。この航路ならでは来島海峡大橋をくぐって、旅客線は大三島・宗方港、大下港、小大下港と立ち寄っていきます。新聞や郵便物なども運んでいるようです。写真:下右から2枚目は、宗方港から大下港へ向かう途中から見た大崎上島。2日間ずっと目にしていた大崎上島(一度訪れてみたいと思っています)ですが、南東の角度から見えたのはここだけです。岡村港に到着。一緒に乗船していた人は、みんな途中の港で下船。岡村港まで乗っていたのは私だけでした。
日の出前の今治沖 来島海峡大橋をくぐる 大崎上島 岡村港に到着
 岡村島へ上陸後は、一番目の目的地・ナガタニ展望台を目指します。港から西へ500mばかり、ここかなと思った分岐部には文字が薄れた案内標示がありました。写真:下右、右手に登っていく道へと進みますが、いきなり14%の登りです。写真で見える先は少し緩やかになりますが、稜線を回り込んで蜜柑畑の中を地形図では軽車道で記載された分岐からはコンクリート舗装となって、一気に20%越える激坂です。

岡村港正面の路地

漁港も兼ねた岡村港
 距離はどれほどもありませんが、堪らず降りて押しの一手。GPSでは最高27%を示していました。正確ではありませんが、距離300m少々で約70mの登り。押し歩いて進むと展望台手前は10%くらいとなって、乗車できるくらいに落ち着きました。
 到着した展望台は、階段で登る半円状の瀟洒な展望台が設置されていました。登ってみると南側方面の眺望が広がっており、南東方向に来島海峡第一・第二・第三大橋が案外と近くに見えます。下左の写真では広角なので遠目に見えますが、ズームアップすると右の写真のような感じ。先程旅客線でくぐって来た来島海峡第三大橋です。雲が多く逆光で、こんな写真しかありませんが、旅の最初を飾るに相応しい眺めでした。港からすぐなので、一度は立ち寄ってみる価値があると思います。

来島海峡第三大橋
 展望台から引き返して海沿いの県道まで下り切らずに、地形図で島中心部に向かって北東方向へ山腹をトラバースする道へ進んでみます。地形図で島中央付近で道が交差する部分までは緩い登り道です。路面には広葉樹の落ち葉が多いですが、多少はクルマ(おそらく果樹の農作業)が入っているようで轍は保たれています。出会うクルマは皆無で、いい雰囲気です。落葉した木々の間から西側の展望が時々見えます。道の標高は100mに満たない程度ですが、そこそこの高度感があります(写真:下右)。右手奥に岡村大橋、左手に斜張橋の平羅橋。中の瀬戸大橋は手前の小島(固有名詞)に隠れています。奥には本来なら翌日に登る予定だった野呂山の姿。
 下の写真は、西隣の大崎下島。海沿いに見える町並みが、この後訪れた御手洗地区です。後方の一番高いところが、御手洗の後に登る予定だった一峰寺山。後述のように途中で挫折して翌日に登ることになりましたが、一峰寺山は写真の裏手から登り、山腹に見える道筋は山頂には通じていません。地形図を見るとよくわかりますが、とびしま海道の島々は、いずれも海岸線沿いの主要道以外に山肌を駆け巡る道が豊富です。山肌斜面高くまで植えられた柑橘類の作業用に設けられたのでしょうか。しまなみ海道にも柑橘類の果樹園は多いのですが、これほどまで山腹に道は張り巡らされていませんね。
 写真:下左は、少し進んで振り返ったところ。手前に白潟港の突堤、右奥は御手洗地区。左奥にうっすらと高縄半島が見えています。左端の一番高いところが高縄山です。路面には多少なりと小枝の散乱も見られましたが、周囲の雰囲気も西側の眺めも良くて、こちらへ走ってきた良かったと思う道でした。下り切ると岡村大橋のすぐ手前でした。岡村大橋で前回は撮り損ねた橋上の県境で一枚。さらに中の瀬戸大橋、平羅橋を通って大崎下島へ(写真:下右4枚)。
 大崎下島に渡って、時計回りに南岸へ進みます。最初に立ち寄ったのは、前回時間がなく未訪だった御手洗地区。今回、楽しみにしていたところの一つです。海沿いの県道355号線から一歩集落内に入ると、そこはタイムスリップしたかのような別世界でした。正月も過ぎたばかりの日曜日午前9時半頃とあってか通りに人影はなく、ひっそりした様相でした。格子戸造りの民家が続きます。
  
 細い路地に入ってみても、同じような造りの家屋が多く並んでいます。いずれも多少なりと修復されているのでしょうが、板塀も格子も屋根瓦も旧さを感じさせる造りであるものの手入れが行き届ていて古びたところがありません。正月明けであるためか、玄関に注連縄飾りのある家屋も多く、また格子戸に松や花、万両か千両と思われる赤い実のある小枝などを差した竹筒が飾られていたのは、この地域特有の習わしでしょうか。
 アルミサッシが当たり前の窓ガラス枠も、今では滅多にお目にかからない木製。私が通った1970年前後の小・中学校校舎は、いずれも木造、板塀、木枠の窓ガラスと同じような造りでした。が、ちょうど建て替えで次々と鉄筋コンクリート造りとなっていった時期でした。この地にこのような集落が出来た一番の要因は、江戸時代に北前船の風待ち・潮待ちの良港として栄え始めたことだそうです。さらに明治期にはミカンによる収益も多大だったことが、家の造りにもお金が回った大きな要因であったとか。が、現在まで維持以上の継続が為されているのは、やはり今にまで住まわれる人々の積み重ねがあったものと思われます。
  
 そんな江戸時代から続いているらしい建物以外にも、昭和初期から中期を思わせる建物も何軒か。写真:下左、手前の格子のある民家の一軒奥は日本最古の時計屋さんで、現在も現役。時計がまだまだ珍しく貴重品であった時代に開業とのことで、当時から御手洗が裕福な地であったことが窺われます。写真:下中、昔ながらの郵便ポストも違和感なし。散髪屋さんと似たような板塀造りで、開き窓が洋風の写真:下右の建物は、もと越知医院という診療所で、現在はゲストハウスとして使用されているそうです。
  
 路地中だけでなく、海岸線の県道沿いにも格子と二階にも手摺のある家屋が何軒か見られます。これほどまでの町並みとは思っていなかったので、さらっと見る程度と考えていたのですが、もっと事前に詳しくチェックしていれば良かったと後悔。何ヶ所かある路地内への入り口には、上に揚げたような案内図がありますが、手持ちの案内図を準備していったほうがいいかと思いました。
 ところで帰宅後御手洗について調べていたら、御手洗には自転車の聖地と呼ばれるところがあるそうです。全くノーマークだったので知らずに通り過ぎてしまいましたが、日本人として初めて自転車による世界一周を、なんと明治時代に成した中村春吉という人が御手洗の出身で、その碑が天満神社にあるそうです。
  
 予想より遥かに魅力的だった御手洗の町並み。まだまだゆっくり散策したかったし、西側の山手には町全体を見渡せる展望所もあるそうで立ち寄ってみたかったものですが、先があるので再び海沿いの県道355号線を西進します。写真:下左、天気も良く海も穏やかに見えますが、この頃から今治港で係の人が言っていたように北西風が次第と強くなってきました。
 南岸のほぼ中央部・沖友という集落を過ぎたところで、次の目的地・一峰寺山へ向かうため島中央部を縦断する道へ右折。またいきなり10%を越える登りです。覚悟はしていたけどと登り始めますが、どうも力が入りません。どれほども登らないうちに休憩。下右上の写真、左下に沖友の町。目指す一峰寺山は右手奥へと続く道ではなく、写真の右手後方です。大崎下島トンネルに、やっとやっと到着。また一休み後、トンネルを抜けてすぐ、一峰寺山を目指すべく右折しますが、目の前にはまたまた20%を越える激坂。トンネルの標高は100mそこそこで、一峰寺山は標高449m。押して登る力も全くなく、この体調では標高差300mはとても無理と判断。再びトンネルを戻り、南側出口で大休憩&補給&その後の予定を考えます。
 とりあえず海岸線の県道355号線まで下って西進を続けますが、調子が悪い上に向かい風が強く、平地なのに時速15qが精一杯。写真:下左は、振り返って。とびしま海道は5島のうち、上蒲刈島と岡村島以外の3島は北側海岸線沿いに主要道が走り、ブルーラインや距離表示はそちらが主体に記載されていることが多いようです。北側海岸線が主要道の大崎下島も、南岸は沖友以外には集落がなく交通量もほとんどありません。相変わらずの強風・向かい風でしたが、これで体調が普通ならもっと楽しめた道であることには間違ありません。写真:下右、前方に豊島が見えてきました。撮影時には気付いていませんが、奥・豊島左手の一番高いところが十文字山で、この後登った道が山頂少し下の山肌を横走しているのが見えています。
 上右の写真、右手前の岬を回ると豊浜大橋が見えてきましたた。豊島では十文字山に登る予定でしたが、この体調では無理っぽくどうしようかと迷っていましたが、海岸線沿い(南側の予定)を走っても強い向かい風に苦しめられるだろうと、当初の予定通り十文字山を登ることに。
 豊浜大橋で豊島に渡り、内浦の町中で十文字山→の標示を見つけて右折した道は、民家の間を走る細い路地のような生活道路。民家が途切れると勾配が増してきました。体調と相談しながら極ゆっくりと登ります。まもなく写真:下左上のような分岐に出ました。分岐には直進・農道、左・林道経由でいずれも十文字山に繋がっているようです。林道には山頂まで3.8qの標示、農道には距離表示がありません。地形図では林道が農道の4倍くらいの距離がありそうです。眼前の勾配からも、距離が長くても勾配が緩いほうがいいと林道方面・左手へと進みます。進んでみると路面には落ち葉なども多くあまりクルマは通らないようですが、走行に問題なく勾配も緩やか。写真:下右は、上右の写真で山肌に見えている道から見下ろした豊浜大橋。いつもよりさらに遅い速度ですが、標高240mくらいまで登って、あと標高差で70mくらいと一安心したところ、なんと下りです。
上  林道・農道合流部から展望台へ
左上 左・林道経由、右・農道経由
左  豊浜大橋が見えてきた
 結局、農道で直進した道と再び合流する地点(写真:上中)まで下って、登り返し。しかも、また10%を軽く超える勾配です。これが堪えたのか、山頂直前(あと100m少々)で動けなくなってしまいました。折しも先程まで晴れていた空にはいつの間にか黒い雲に覆われ、ポツリと雨粒。休んでいたのは10分くらいでしょうか。這うようにしてなんとか辿り着いた展望台は、高さ10m程に持ち上げられた円状の回廊様という立派なものでした。が、その短い階段を登る力さえなく、風と時折落ちてくる雨粒(ふと見ると白い雪も)を回廊の下で凌ぎます。ズボンと雨具兼用の上着も着込んで、無理やり補給食。雨雲レーダーを確認すると、付近には断続的な小さな雨雲だけだったので本降りにはならないと思われたことは幸いでした。
 30分あまり休憩、というより動けませんでした。漸く回廊の上まで登ることができるようになって写真を撮りますが、とにかく登った証拠というだけのもの。後から振り返ると、各島で登った展望台で、360°の展望があったのはここだけでした。下左の写真は、南南西くらい。手前は尾久比島の一部で、奥は高縄半島の西海岸から中島付近のようです。写真:下右は西隣の上蒲刈島。一番高いところは七国見山というところでしょう。写真ではわかりませんが、右手では雪が舞っています。東西南北四枚の写真を撮っただけで、回廊下に降りてまた休憩。体調と天候が良ければ、最高だったのでしょうが・・・。
 写真の記録時間から40分以上は休んでいたようです。おかげで自転車には乗れそうな体調に戻ってきたので、後はしばらく下りだと登って来た道分岐まで戻って農道から登って来る北側へ進み、さらに農道との合流部から島北側に下る道へと進みました。ところが、てっきり海岸線までずっと下りだとの予想に反して微妙に登りです。幸い不調でもゆっくり登れる程度の勾配で、道の雰囲気も好みだったので気がまぎれます(写真:下左)。地形図をちゃんと確認していたら、次の分岐まで登りだったことがわかっていたのですが。下りになるピークには空海展望台→という標示がありました。いつもなら間違いなく進んでみるところですが、事前情報もなく、また動けなくなったら大変なので、そのまま下りへ。下った道は豊島中央付近の北側海岸に出る予定です。地形図では途中で分岐して西側海岸にショートカットするう軽車道が記載されていたので、右下の写真・分岐で確認して左に下ったところ、100mも下らないうちに未舗装の荒れた道となったので引き返して北側海岸へと下りました。
 十文字山から下っては、後二つの島の各展望ポイントはパスして、無難に最短距離で川尻まで向かうことにしました。写真:下左は上蒲刈島に渡って南岸の県道207号線から見た南西方向の眺め。播磨灘から備讃瀬戸、燧灘にしまなみ海道までは何度も見ていて土地勘があるのですが、芸予諸島から防予諸島は見慣れていないので何処がどの島なのか全く見当が付きません。それにしても、瀬戸内の西側にこんなにも沢山の島があることを初めて認識しました。同じような光景は翌日に渡って何度も見かけましたが、これも私にとっては飽きない眺めのひとつでした。写真:下右の2枚は、さらに西へ進んで大崎下島同様上蒲刈島の中央部を縦断する道分岐部付近から振り返ったところ。土石採取場後の上方から手前の山肌中央付近を横走する道が見えていますが、この日向かう予定だった物見橋展望台がある道です(翌日走行)。

岩場の上の道を走る予定だった

走る予定だった道が山腹を横走
 写真:下左、蒲刈大橋を渡って下蒲刈島へ。ここも予定していた大平山展望台は、登り口を確認しただけでスルー(ここも翌日走行)。十文字山での悪天候(不調も重なって)の印象が強く残っていて、その後は強風であまり天気は良くなかったとばかり思っていましたが、写真を見ると意外と青空が広がっていることを再確認しました。写真:下左の右奥には、あまりの強風になると通行止めにならないかと危惧していた安芸灘大橋が見えています。実際、渡っていると横風が強烈でしたが、問題なく通れました。安芸灘大橋の後方に、前述のように唯一予定していて登れなかった野呂山の姿。安芸灘大橋からは東側に本州と芸予諸島との間にも沢山の小島が点在して魅力的な眺めでしたが、写真:下右は西側の眺めです。左端の山は休山と思っていましたが白岳山で、手前の町は呉市仁方。国道185号線は中央付近の鞍部をトンネルで抜けて呉市広地区に出ます。
 川尻に渡って呉市街までの最短距離は国道185号線を直進ですが、国道185号線に入った途端交通量がぐっと増えました。体調もそこそこ回復しており時間もありそうだったので、距離は長くなるものの海岸線沿いの県道279号線へと進んでみました。これは大正解で、交通量はとびしま海道を変わらないくらい少な目。ほぼフラットで西側にある白岳山が風を遮ってくれます。道周辺も田舎じみたのんびりした光景が続きます。写真:下左は、県道279号線から振り返って渡ってきた安芸灘大橋。進む先には下右のような砂浜もありました。
 広地区に出てくると、再びさらに交通量が増えてきました。おまけに片側二車線でも路側帯はあまりなく、歩道はレンガ様の石が敷き詰められたところが多く(呉市中心部も同様)走りにくいので、今度は県道66号線で回り道。その分岐部・行く先方向に「音戸」の標示を見つけました。小学生の頃、ループ状の道で登るこんな橋があるのかと興味を持った橋(昭和36年完成なので間違いありません)が、ここにあったとは。全くチェックしていなかったので、単なる回り道にならず、その存在を知ってから半世紀以上も経った橋を初めて目にするという目的も出来て一石二鳥。写真:下左は、音戸の瀬戸航路の石灯篭。奥に走るフェリーは三津浜行でしょうか。そして下右、音戸大橋と奥に第二音戸大橋。旧い橋は路側帯が狭く自転車で渡るのなら第二音戸大橋が推奨されているようです。ただ、音戸までの県道66号線自体は周辺も雑然としていて、さほど魅力はありません。
 音戸大橋を回って国道487号線に入ると、また交通量が増えてきました。呉市街までもう一息だと途中で分かれるバイパスではなく旧道で市街へと向かったところ、ずっと平地だと思っていたのに50m程の丘陵地を登らされました。おかげで造船中の自衛隊の船?を見ることが出来きましたが(写真:下左)。
 呉駅近くの宿には17時に到着。特別な思い入れや興味があるわけでも無かったのですが、折角やってきたので立ち寄ろうと思っていた大和ミュージアムと海上自衛隊呉資料館には、段取りが悪く最終入館時間の17時半を過ぎてしまい未訪となってしまいました。

−2日目−

大崎下島・一峰寺山から南東への眺め しまなみ海道・来島海峡大橋 奥に四国山地 (2024.01.08)
 2日目、冒頭に述べたように当初はまず野呂山へ登って展望を楽しみ、後は残った時間で往路見逃したところなどをゆっくり周りながら岡村島を目指す予定でした。ところが、初日が予定通りと行かなかったこともあり、野呂山は諦めて、前日走り損ねた三つの展望ポイントをゆっくり巡る予定に変更しました。往路とはほぼ異なる道を走ったのですが、走行距離と積算標高は偶然にも1日目とほぼ同じになりました。
コース 呉−大平山−物見橋展望台−豊島−一峰寺山−岡村
走行距離  85キロ   積算標高 1350m
最高地点  一峰寺山  標高499m
走行日  2024年 1月 8日   天候:曇り   GIANT TCR
 朝は冷え込むとの予報でしたが、午前7時半過ぎに宿を出てみると、町中だったためか意外と暖かく感じました。しかし、その後は終日曇天で、気温は6〜7℃と暖かくなることはなし。呉駅前から前日行きそびれた開館前の自衛隊呉資料館と大和ミュージアムの間を通って、写真:下右、国道185号線への交差点に出てきました。前日も呉の市街に向かって国道487号線を北上する時、正面に見えていた灰ヶ峰が奥に見えています。早々に諦めた野呂山とともに、もしもう一度やって来ることがあれば、この灰ヶ峰も一緒に登ってみたいものです。
 上  休山トンネル
 左上 自衛隊呉資料館前にて
 左  呉市駅
 右  呉市駅から国道185号線へ
 前日は海沿いに迂回した国道185号線・休山トンネル経由で、とびしま海道へ向かます。休山トンネルは、写真:上中のように歩行者・自転車道が完全に分離されていて広く、通勤や通学と思われる自転車の方が何人も走っていました。反対側には自転車・歩行者道がないので、とびしま海道へ向かうにも右側のこちらを通ります。安芸灘大橋は、前日の横風強風もなく落ち着いていました(写真:下左)。初日にもよく似た写真をアップしていますが、下右は橋から西へ・呉市仁方方面。気になったのは手前の海に突き出したビル。遠目には廃墟かなとも見えましたが、Google map ではなんと渦潮第一マンションと記載されています。反対側にも似たような建物があって、第二マンションと記載されています(ひとつ下左の写真、左下)。
 下左の写真は、安芸灘大橋から東へ。この橋も自転車は確か西側だけしか通行できないので、写真はロープなどをトリミング。前述のように本州ととびしま海道メインの島々との間にも沢山の小島が点在。一番手前右にちょこっと上蒲刈島の一部が写っています。南側には蒲刈大橋の一部と、後方には四国が見えています。見ている時は高輪半島付近だとばかり思っていましたが、安芸灘大橋から蒲刈大橋が見える部分は比較的ピンポイントなので、地形図で確認すると後方の山並は笠取山付近のようです。
 下蒲刈島に渡って、前日確認していた登り口から大平山へ。山頂まで3qと記載されていますが、大平山は標高275mなので平均勾配は9%。ただ前半は比較的緩めです。分岐がいくつかありますが、その都度大平山→の標示があって、上部に地元の方言で楽しく励ましてくれる言葉が書かれています。ちなみに登り口には「まあええけん 寄りんさい」、ラスト100mには「よう来んさった もうちぃとじゃけん」 写真:下右は、まだ半分も登らない所から安芸灘大橋。地形図で大下遂道と記載されているトンネルとの分岐部手前だったと思いますが、あと1.5qの標示があって、ここからは10%を越える坂が続きます。
 上  山頂まで100m
 左上 途中から安芸灘大橋
 左  大平山登り口、山頂まで3q
 右  途中から安芸灘大橋
 到着した大平山公園(写真:下左)。桜が植えられており、花見の時期には南西方向を中心として広がる安芸灘の眺望(下右)に文字通り花を添える事かと思います。桜の花がなくても、青空の下や夕暮れ時(だるま夕日が見られるかも)は、きっとまた全く異なる情景を見せてくれるのでしょう。
 写真:下左は東方向。眼下に蒲刈大橋。この後、下蒲刈島を一周して上蒲刈島と渡り、写真の左手前の山を左手に回って、奥の山・七国見山との間からその中腹を走る物見橋展望台方面に進みます。 公園から山頂へ向かう道があって(100mほど)、登ってみると大平山砲台跡地との説明板がありました。わかりにくいですが、写真:下右・足元に円状の基礎・土台部分が残っているのがわかるでしょうか。その砲台跡地が山頂ですが、周辺は木々が繁っていて見晴らしはありません。ちょっと残念。
 下りは登ってきた道とは別の西手寄りの道で下ります。最後は集落の中を走って、下り切った場所は登り口の400mほど西側。安芸灘大橋の下をくぐって、反時計回りに下蒲刈島を一周します(写真:下4枚)。西海岸を走る県道288号線は何もなくて地味な道ですが、心地良く走れるです。体調もそこそこで、これで青空だったらとは、この日何度も思ったことです。写真がありませんが、下中2枚の写真の間にある大地蔵という地区は付近は二車線の新しく広い道(名称も県道74号線に)となって、松が街路樹として植えられていました。余り目にしない光景かと思います。さらに道路から山手側の民家は、いずれもほぼ同時期に新築されたかのような新しい家が並んでいたことも、とびしま海道では珍しい光景でした。蒲刈大橋が見えてきました(写真:下右端)。上述のように、手前の山を左手から裏手に回って、右奥の山肌・物見橋展望台を目指します。
 蒲刈大橋を渡って上蒲刈島へ渡ると、すぐに県道287号線には入らず、引き返すように右折して海岸沿いの道へ進んでみます(写真:下左3枚)。南側海岸から登る前日の予定とは異なり、この日は北側から物見橋展望台に向かうつもりで鎌苅大橋の下をくぐって、北側海岸を走る県道287号線を東進。ここも交通量も少なく、いい道です。島北側中央部付近に位置する田戸地区で右折。
 上  安芸灘大橋
 左上 上蒲刈島・鎌苅港
 左  鎌苅大橋
 右  上蒲刈島、北海岸線
 地形図では物見橋展望台方面に北側から向かう道は軽車道で記載されており、蒲刈トンネルで島南北を縦断する道と微妙に繋がっていません。そのため、集落の外れで分岐した軽車道に左折して先へ進みますが、しばらく行くと両側からバラの蔓が伸び放題でとても前へ進めない状態に。引き返して、500mほど進んだところの分岐で再び左折。縦断する道脇下方を併走するその道は、やはりあまり通行がないようですが、先の道のようなことはなく走行可。結局、地形図では交わっていないトンネル出入り口北側からも道が繋がっていました。さらにしばらく登っていくと、写真:下右のような分岐に出ました。朽ちつつある案内板。進んできたのは、右後方から。左手には七国見山の標示。右手にも道が下ってきていて四辻ですが、進むのは奥の道。
 上  四辻・左奥から右手前へ
 左上 縦断道下を沿う旧道
 左  バラに先を阻まれ
 右  奥の道へと進む
 進むと、予想に反してクルマは余り通らないような雰囲気。写真:下左、この写真だけ見るととてもいい雰囲気ですが・・・。さらに進むと、いよいよ怪しくなってきました。落ち葉満載。クルマが通っている気配が窺えません。まさか途中で通行止めとか。少々不安になりながらゆっくりと進んでいると、前方に歩いている若者を発見。「道、繋がってますか?」と尋ねて、間違いなく南側海岸線まで降りられることを確認して一安心。もし若者と出会わなかったら、何処かで引き返していたかも。
 道の標高は一番高いところで160mほどですが、これまでにアップしたように土石採取場の切り立った直上を走っているので、あまり崖側には近寄りたくありません。南側の海岸線が見えてきました(写真:下左)。中央付近に縦断する道が下って来て県道287号線に合流する部分が見えています。海側にはずっと木々が繁っていて、南側の展望が広がるところはあまりありませんが、もしあれば、それはそれでちょっと怖い高度感。下右の写真は、左から少し進んで。前日走った上蒲刈島南海岸線沿いと、左奥に先程登ってきた下蒲刈島・大平山。
 途中に物見橋公園と思われる東屋のある広場がありましたが、草は茫々で完全に放棄されているようでした。さらに二つあった展望台も老朽化のためだでしょう、閉鎖され進入禁止。その付近まで下って来ると、路面に落ち葉などはなくなり、海側(南西)の視界も広がってきました(下2枚の写真)。
 道の上方も結構険しい岩肌が続きます(写真:下2枚)。路面の状況も見ての通り。ここへやって来る人のほとんどは、南側から登ってきて、途中で引き返すのでしょうか。それとも地形と周辺の植生の関係で、この付近では落ち葉が溜まらないのでしょうか。
 下左の写真、わかりにくいですが、道の上方は禿山のようにも見える一方、下方は落葉した裸木と常緑樹が密生しています。下りとは思えぬゆっくりとした速度で、無事、南海岸線に下りてきました。これも小さな写真では識別不能ですが、山肌のちょうど真中くらいの高さに二つの展望台の姿が見えています(写真:下右)。
 その後は、上蒲刈島南東の海岸線を進むと一峰寺山への時間が微妙になりそうだったので、豊島大橋を渡って豊島へ。前日のトラウマではありませんが、反時計回りに南岸を走った豊島ですが、なぜか写真もなく記憶もほとんど残っていません。唯一残っているのは、前回も写真を撮った豊浜大橋から見た豊島漁港とその町並みのみ(写真:下右)。
  
 豊浜大橋を渡って、大崎下島へ。前日南側海岸線を走ったので、この日は北側海岸線を進みます。北側で唯一の集落・久比の東外れで、一峰寺山→の案内を見つけて右折。写真:下左から2枚目、右上が目指す一峰寺山です。進むと、すぐに現れたのが音戸大橋ではありませんが、ループ橋。ループ橋を回って登ると、その後は前日南側からの急坂が嘘のような3%程度の勾配でミカン畑の中を快適に進んでいきます。こんなものじゃないだろうと思っていたら、写真:下右端のところに一峰寺山左折の標示。ここから100m弱は、短いながらもまた20%を越えていたので押し。
大崎下島、北海岸線沿いへ  久比にて、右奥が一峰寺山 ループ橋  左折して上の道へ
 その後は10%程度の勾配が続きます。緩くなると7%くらい、きついところで14%くらいだった記憶で、柑橘類の畑の中を登っていきます。振り返って、久比の町(写真:下左)。道は一本道で迷うようなことはなく、唯一前日大崎下島トンネル側から登って来る予定だった道との合流部にもちゃんと案内がありました。一峰寺山の標高は449mなので、標高100m毎を目安にゆっくりと進みます。写真:下右は、尾根筋を回り込んで南側の海岸線が木々の間に見えてきたところです。前日、登り始めた沖友集落と道が見えています。ここで標高250mほど。この付近ではもう柑橘類の畑はなく、雑木が繁っていて折角の展望が広がりません。復路でも注意していましたが、結局、南側海岸線が見えたのはここだけでした。
 そこからまもなくだったと思いますが道は下り始めて、峠様のところ左手に一峰寺山公園まで0.4qの標示。どう見ても自転車では乗車不能な徒歩道だったので、そのまま下り道を進みます。まもなくちょっとした広場と立派なトイレがあり、さらに50mほど先に展望台がありました(Google map では一峰寺山中腹展望台と記載)。ここからは南東方面の展望が広がっており、そこから30mも進まない先で舗装路は終わり。そこにも展望台があり(Google map では一峰寺山展望台と記載)、手前の展望台では見えなかった北側の展望が広がっていました。そこに一峰寺山公園まで0.1qの標示があったので、徒歩道をまずは山頂へ。道は樹高10m程の常緑樹に覆われており、ひょっとしたらと思った通り山頂には神社があって横には一等三角点もありましたが、木々に遮られて展望は全くありません。そこから西へ下ったところが公園のようで、ここだけ落葉樹に囲まれており、儲けられた東屋は陽が当たり暖かかったのですが、やはり何処からも展望は望めそうにありません。
 上  水分神社と鳥居
 左上 山頂展望台からの徒歩道
 左  中腹展望台から
 右  一峰寺山公園
 ということで、手前の展望台に戻ります。下の写真、舗装路終点にある一峰寺山展望台から北〜北東方向の眺めです。手前に大崎下島−平羅島−中ノ島−岡村島を結ぶ3本の橋。中央を横切るのは大崎上島で、後方に本州・中国地方が見えています。
       
 続いて、中腹展望台に戻って東側の眺め(ページトップの写真)。手前の海の向こうが岡村島。右端付近に、白くポツンとナガタニ展望台が見えており、前日その後進んだ道が山腹を横走する2本の道の下側です。御手洗地区は右手前の山に隠れています。小大下島と大下島を挟んで後方は大三島・薬師山です。下の写真はその南、手前木々に引っかかるのは、岡村島観音崎。ここでも左端にナガタニ展望台が白くポツンと写りこんでいます。後方は左から大三島−伯方島−大島としまなみ海道の南側半分。第一来島海峡大橋の大島側まで。2日目のトップの写真は、この右手で来島海峡大橋全容です。その後方には宇摩から新居浜付近の海岸線と四国山地が連なっているのが見えています。
       
 上の写真・左手付近のしまなみ海道の稜線が一番低い部分の上には、肉眼で紫雲出山が見えていたのでズームアップしたのが下左の写真です。後方中央やや右寄りに薄っすら見える山がそうです。地形図で確認しても間違いありません。残念ながら高屋神社のある稲積山などは右隣の稜線に隠れているようです。同じ上の写真・一番右付近をズームアップすると、大島の向こうに四国中央市の製紙工場の煙突が確認出来きます。後方には法皇山脈が控えていますが、写真でははっきりしません。
 下の写真は、ほぼ南へ向いて。今治市街は左手に切れています。左手前に突き出しているのは波方の梶取鼻。画面上下の中央部付近を横切る濃い山影は高輪半島です。その左手後方に薄く連なるのが四国山地。写真が小さいですが、その連なりの右手付近の一番高いところが石鎚山。左手のやや低い部分を挟んで、再度高くなったところが瓶ヶ森です。肉眼では、その特徴的な形からいずれもはっきりと認識できました。
 下左の写真は、上の写真左端付近をズームアップ。ぼんやりしていますが、一番後方が瓶ヶ森です。下右は、上の写真の右手。高輪半島の続きですが、右寄りの一番高いところが高縄山です。
 そして、石鎚山ズームアップ(写真:下左)。とびしま海道から四国山地がこれほどはっきり見えるとは思ってもみませんでした。まして荘内半島まで確認できるとは。午後遅くの光線に加減も多分にあったかと思いますが、最後にまたひとつ素晴らしい眺めを楽しむことができました。贅沢言えば、一峰寺山山頂から360°の光景を見ることができれば最高ですが。

岡村大橋上県境

岡村大橋から  
 正面に瓶ヶ森
 右端に石鎚山
 鳥瞰好きにとっては見飽きることのない光景でしたが、船の時間もあるので何時までもは居れず。来た道を下って、岡村島へ戻ります。最後は時間もあったので、島を時計回りに北側海岸を進んでみました。この道も何もなくて心地良く走れます。右手前方にはずっと大崎上島が見えており、備讃瀬戸ほどではありませんが島間を繋ぐ小さなフェリーや貨物船が行き交う姿を眺めがらのんびりと。
 岡本港には余裕を持って到着。海抜ほぼゼロのため鳥瞰というわけにはいきませんが、さらに傾き始めた斜光のおかげか、弱冠山々の見え方が良くなったように思えました。写真:下右・右手の防波堤の後方が高輪半島の山々。四国山地はその左後方に薄く見えているところで、石鎚山は自転車の左後方の一番高いところです。左手の水銀灯に重なるのが瓶ヶ森、までは山容から判断できましたが、それより東(左)側はどれがどの山かはっきり確定することはできません。 
 そうこうするうちに、帰路のフェリーが入港してきました。沈む夕日に輝く海を眺めながら、今治港に到着した時にはもう日も落ちていました。

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