旧友と走った二日間
 何時か必ず四国を走りに行くからとという旧い友との約束が、漸く実現しました。中学生時代をともに過ごした旧友は、その後東京から下北の地へと移り住み、長らく四国の地には足を踏み入れていません。遠くから来てくれるので、下北にはない四国、そして徳島ならではの光景・魅力を味わって頂けるところを案内しようと過去の記憶・記録をいろいろと検討しました。その結果、向かったのはしまなみ海道大歩危・祖谷。いずれも定番というか、あまりに有名ですが、個人的には四国らしい光景が広がり、何度訪れても飽きることがないところだと思っているところだからです。 (2023年 4月25日 記)
 一日目

立石展望台から多々羅大橋 左奥に岩城島 (2023.04.08)
 走ったコースは下の通りです。これまで何回か走った道がメインですが、大三島では立ち寄ろうと思いながら未訪だった立石展望台に向かってみました。帰路は、岩城港から今治港まで、以前も利用した芸予汽船で瀬戸の船旅も楽しみました。
コース 今治−亀老山−立石展望台−大三島・生口島・因島・岩城島〜今治
走行距離  90q   積算標高 1300m
最高地点  亀老山 標高300m
走行日  2023年 4月 8日  天候:快晴  GIANT CONTEND
 早朝に徳島を出発して、今治・糸山展望台へ。準備をして午前8時過ぎ、やや肌寒い中のスタートとなりました。まずは、来島海峡大橋を渡ります。この日は低気圧通過後で西風がやや強かったのですが、橋上で横風に難渋するほどではありませんでした。橋を降りて、大島で最初に向かうのは亀老山です。しまなみ海道南部を俯瞰するには最高の場所ですから。
 ここを初めて訪れたのは2009年。登り口までは半時計周りに海岸線沿いで向かうことが多いのですが、この日は後の余裕を考えて最短距離の時計回りで。以前にはなかったと思う亀老山登り口の案内板を見ながら登りへ。初めてやってきた頃には、山頂までクルマにも自転車乗りにも出会うことがなかったのですが、来るたびにどちらの数も増えています。今回も午前9時前だというのに、既に下って来る数名の自転車グループと擦れ違いました。人のいない山頂からの眺めを満喫しようと思っていたのですが、山頂に向かうクルマも多く、大型観光バスまで追い抜いていきました。ということで、残念ながら山頂の展望台は観光客でいっぱい。静かにゆっくりと落ち着いて眺めたかったので少々残念でしたが、前日の雨と風のおかげか、これまで訪れた中で一番の展望を見ることが出来ました。下の写真は東へ向いて、燧灘全容です。沖に見えている島は四阪島。
 下左の写真は南方向です。目と鼻の先にある今治市街も、これまですっきり見えた記憶がありません。後方は高輪半島の山並。写真には写っていませんが、この左手にはこれもこれまで見えたことがなかった石鎚山周辺もはっきり確認できました。が、この時点では山頂はまだ雲の中でした。写真:下右は、来島海峡大橋(左手から、第三、第二、第一)。中央一番奥に薄っすらと見えているのは、呉市の倉橋島付近でしょうか。もう少しゆっくりしても良かったのですが、次々に人がやって来るので下山。
 亀老山を下っては、2016年時と同様、交通量の少ない大島東海岸線(県道337号線)を北上します。強かった北西風も、東海岸線沿いは西側が山のため風が遮られます。そのため、他所ではほとんど散っていた桜の花も、まだ少しばかり残っていました。路面には花びらの絨毯が広がっています。西風が遮られることには関係なく、このクルマもほとんど走らない鄙びた道が好みです。どの橋前後も自転車乗りの姿が多く見られたこの日ですが、この東海岸ではひとりも出会いませんでした。写真は志津見漁港の少し南側から南方面へ振り返って。沖に見えているのは四阪島。その右手後方には、石鎚山から東へ続く山並を経て西讃・高屋神社のある稲積山まで確認することができました。
 下左の写真は平草集落です。ほぼ中央付近に小さく先を走っていく旧友の姿が見えます。一緒に走るのは10年振り。10年前は一緒に走ることに余裕があったのですが、今回は平地でも登りでも旧友との間がだんだんと広がっていきます。クルクル良く回っているし、時にするダンシングもしっかり踏み込めています。積雪で冬季は外走りできなかったはずですが関係ないようです。当者比で体力低下が著しいのは十分自覚していましたが、同世代としても落ち具合がひどいことを改めて痛感した次第です。下右は平草集落を通り過ぎて振り返って。奥の中央やや左手が石鎚山です。雲が切れて漸く山頂が姿を現しました。特徴的な形で遠くからでも良くわかります。稜線が続く左手は瓶ヶ森。手前の島は四阪島で、右手前は高輪半島の基部。海水の透明度も高く、遠目ですが砂浜にはゴミの姿もあまり見えません。
 前回走った2016年時は間違って左へ進んだ志津見集落を通過し、友浦の旅客船乗り場も確認して県道49号線と名を変えた道を進みます。村上海賊ミュージアムの所からは幅広い2車線道となりました。写真:下左端、宮窪漁港の向こうに切り立った山肌は石切り場でしょうか。このすぐ右手にあるカレイ山展望台にも登っていますが、この光景には記憶も記録もありません。宮窪集落を通り過ぎて進むと、前方に伯方・大島大橋が見えてきました(左から2枚目)。この付近になると、やはり自転車乗りの姿が多数。右から2枚目、伯方・大島大橋を渡ります。旧友の他に誰も写っていませんが、前後には沢山自転車乗りが走っています。桜の季節なら開山へ立ち寄るところですが、残念ながら満開から数日後、伯方島は素通りして大三島橋を渡ります(下右端)。亀老山では晴れ渡っていたのですが、雲ってきました。ここでも、高校生らしき数名の賑やかなグループを始め、自転車で走っている人は次から次へ。
 さて大三島に渡って目指すのは立石展望台です。あまり事前情報は持ち合わせていなかったのですが、地形図を見る限り山肌中腹を走る道と展望台に位置から見晴らしが楽しめそうな気配がしていたので、以前から一度向かってみようと思っていました。今回は旧友にしまなみ海道を楽しんで貰うことが一番の目的でしたが、ここは私的希望でコースに取り込んだ次第です。全体の順路に沿って南側から登ることにしていたのですが、下の地形図を見てわかるように国道317号線(赤線)からの進入路付近は細かい道が交錯していて分かりにくそうです。案の定、目印にしていた甘崎郵便局が旧道にあったのを見逃して少し行き過ぎて後戻り。郵便局の南で山側に登る道へと進みます。当初は下図の赤矢印のように極楽寺のある大原集落から、山肌中腹付近を横走する一車線道路に繋がる軽車道を進む予定でした。20%近いミカン畑などの間を縫うコンクリート舗装を登っていくと(写真:下左)、地形図通り小さな砂防ダムと池が現れました(赤丸印)。そこからも軽車道が記されているのですが、先に到着した旧友が「道がない」と言います。進もうとすると道らしき路面は小枝と落ち葉が堆く覆いガタガタ、両側から倒木多数です。3歩進んだところで堪らず撤退決定。
 
 と言うことで、さらに南側を回っていく道へ向かうことにしました。分岐部(極楽寺近く)まで戻ったところでバイクに乗った地元の方がやってきたので、これ幸いと立石展望台への道を尋ねます。丁寧に教えて頂けましたが、一言「きついですよ」。それでも進んでみると先程の道のようなことはなく、道幅も広いし路面状況もまずまずです。勾配も少し緩やかになりました。分岐があれば概ね右手へ進むとの教えと地形図を参考に進んでいきます。しばらく走ると台ダムとの分岐部に出て(写真:右上)、立石展望台の標示もありました。現地では地形図のGPSを確認しながら進んだのですが、後から見ると Google map を参考にしたほうがわかりやすかったようです。
 そこから道の勾配はさらに緩やかになって、時折東南側の展望が開けます。下右の写真、南方向です。ほぼ中央付近に伯方・大島大橋、その手前に島の間に隠れるように大三島橋が見えています。一番奥は四国山地で、右手から西赤石山法皇山脈付近のようです。写真:下左、少し左手(東)へ振ると、登り始めた甘崎付近の海岸線と集落、海を挟んで伯方島・開山(手前の平たい稜線)が見えています。4日ほど前なら、満開の桜で山頂付近は薄桃色に染まっていたことでしょう。
 そのまま進んでいくと、ピーク付近の道脇に古びた立石展望台→の標示。未舗装路に曲がって海側へ20mほど進むと、これまた全く整備されていない展望台がありました。展望台に上がってみると、周囲の木が繁っていて残念ながら期待したほどの展望がありません。トップの写真は、唯一見晴らしのあった東方面。この後向かう多々羅大橋が左下に見えています。右手の三角山は岩城島の積善山。下の写真はトップの写真から少し南へ振って、積善山を左手に。右手前は伯方島・トウビョウ鼻。地形図で確認すると中央は津波島のようです。その背後に、肉眼でははっきりと高屋神社のある七宝山全体から荘内半島・紫雲出山の先まで確認することが出来きました。大島の西海岸からも七宝山付近が薄っすらと確認できていましたが、紫雲出山までは判りませんでした。展望がなかったと書きましたが、これだけは例外です。条件が良かったこともあります。
 上の写真では小さくて判り難いので、ズームアップして少し補正してみました。下左、左手前斜めの稜線が岩城島・積善山、その右奥は津波島です。奥中央やや右手の一番高い山が紫雲出山、その右手奥に薄く見えるのは我拝師山付近だろうと思いながら見ていましたが、地形図で確認すると間違いありません。展望台から紫雲出山まで直線距離で51q。だるま朝日を眺めているマリンピアからよく見る日御碕までは46qなので、ある程度の条件が揃えば見られるのでしょうが、しまなみ来訪5回目にして初めてこの光景を見ることができました。下右の写真は、左の写真の右手・南側。右手前が伯方島・トウビョウ鼻。左手の建物があるところが岩城島・菰隠鼻。中央を横切るのが津波島で後方に重なって弓削佐島。弓削佐島の山の後方が大麻山、その右手が七宝山の連なりです。さらに二つの山の間後方には讃岐山脈らしい山影まで見えています。南側の木々が伐採されたら、燧灘南側の外枠を形成する山々の全容を一望することができるのかもしれません。
 一服後、道なりに北方向へと下ります。大分下ったところに立石展望台2.1qの標示板がありました(写真:下左)。その横には錆朽ちた初期のダイハツフェロー。小学生高学年になった頃、それまでオートバイやスクーターだった教諭達の通勤の足が、このフェローやスズキフロンテなどの軽自動車に変わっていったのでよく覚えています。1960年代後半の話です。その後も道なりに下っていくと、レモンなど柑橘系が有名なしまなみの島々ですが、この左手にはキウイが栽培されていました(写真:下中)。
  
 立石展望台から下った後は道の駅に立ち寄って一服。道の駅には自転車乗りの姿が多数。COVIDが落ち着いてきたためでしょうか、欧米系と思われる人や東アジアの方と思われる人の姿も多かったです。ほとんどの人はレンタルバイクと思われましたが、これまで見かけなかった e-bike の姿も結構増えていました。一服後、多々羅大橋を渡って井口島へ渡ります。多々羅大橋はちょうどしまなみ海道の中央付近に位置していて、いろんな方向・島からその姿を眺めることが出来ますが、大きくすっきりとした斜張橋は周囲の景色にもよく映えています。井口島では寄り道もなく国道317号線を進みました。途中、以前利用した岩城島へ渡るフェリーを確認。なぜか、このフェリーが廃止されていると思い違いしていたので、現存しているのを見た時は驚きました。
  
 下左の写真は、生口橋。これまで今治側から走った時尾道側から走った時も、この橋の手前で引き返し。今回初めて渡ることができました。しまなみ海道には他に因島大橋と新尾道大橋がありますが、後者は自転車通行不可。そのすぐ横に以前からある尾道大橋は自転車通行不可ではないようですが、交通量が多い上に路肩が狭く危険ということで、通常は尾道水道の渡船を利用するのが一般的のようです。
 ところで、帰路は2016年時も利用した芸予汽船で今治方面へ戻る予定としていたのですが、直前に芸予汽船のHPで一隻ドッグ入りのため自転車積載制限のお報せを確認していました。もし乗船できなければ自走で帰るのは結構厳しい。と言うことで、多少の不安と危惧を抱えたまま因島・土生港へ。旅客船の土生港出航は16時。到着したのは14時過ぎ。しかし、港には何の情報もなく、船会社の人の姿も見かけません。時間もあることだし、なんとなるだろうと、生名島に渡って2022年3月に完成した岩城橋を渡って岩城島に渡り、岩城港から今治まで旅客船に乗れることを前提に進むことにしました。400mほどの狭い水道を挟んで目の前にある生名島・立石港までは1時間に3本、一隻のフェリーがピストン運行しています。乗船開始直前になると計ったようにクルマが次から次へとやってきて、ほぼ満車。乗組員も客も慣れているようで、スムースに上下船して出航です。乗船時間は5分程。
上  因島大橋
左  因島・土生港
右上 因島・生名島間のフェリー
右  船窓から
 生名島では、島の北側を回って岩城橋へ。時間を考えると、一周はもちろん、佐島に渡ることも可能だったかもしれませんが、やはり旅客船のことが気になっていたので余裕のあるコースで。島北側海岸線沿いの道は10mほどのアップダウンがあるだけで交通量も極少なく快適です。前方に岩城島の造船所や右奥に井口島、右手(西側)に先程通ってきた生口橋を眺めながら、島の北側から西側に回り込みます。島の北側から西側に回り込むと、これから渡る岩城橋が見えてきました。岩城橋が見えるところから少し先に、写真:下右から2枚目のようなところがありました、塩田跡? 確か生名島・立石港の案内図に車エビの養殖場とあったような記憶です。干上がっていたのでもう養殖されていないのかなあと思いながら横を走ったのですが、現在も養殖は続いているようなので養殖の季節を外れていたのかもしれません。
岩城島造船所と井口島 生口橋を眺める 車エビ養殖場? 岩城橋へ
 岩城橋は、しまなみ海道の橋のように車道と分離されていることはなく、通常の道同様の路側帯があるのみでした。交通量が多いとちょっと怖いかもしれませんが、クルマは時に通る程度です。走っていると判らなかったのですが、風が強かったためか立ち止まると微妙に揺れていました。橋を渡って岩城港まではもう少し距離があると思っていたのですが、あっという間に到着。乗船予定まで1時間ほどありましたが、船会社の人は乗船5分前にならないとやって来ないというのは待っていた人の話です。少し走るのにも中途半端な時間で、港の向こうに聳える石鎚山の姿を眺めながら、ボーっと過ごしました。
 左  岩城港乗り場
 左上 灯台の向こうに石鎚山
 上  船窓から四阪島付近
 右  サイクリングターミナル
 船会社の人は話通り予定の船が姿を現せた5分ほど前にやってきました。後3人ほどの自転車乗りが一緒だったのですが、結局何の問題もなくみんな乗船できました。小一時間の船旅、四阪島など燧灘の光景を眺めながら今治港へ(前回は大島・友浦まで)。今治港からは海側の道を通って糸山へ戻ります。サイクリングターミナルの東側には以前はなかった筈の駐車場が拡張されていました。そうそう、旅客船の自転車料金は何かの期間中とかで無料でした。

 二日目
 これぞ徳島という光景はと考えて選んだのは、上述のように大歩危と祖谷です。徳島と同等以上に海や山の自然に恵まれている下北に住む旧友ですが、深い渓谷美やその山肌に点在する民家の光景は馴染みもなく新鮮に映るだろうと思ったからです。もちろん、私が走りたかったこともありますが。

祖谷川・ひの字渓谷にて (2023.04.09)
 走ったコースは下図。阿波川口をスタートして、まずは国道32号線で吉野川沿いを南下。土佐岩原駅で右岸に渡り、林道谷間豊永線まで登って北上します。吾橋集落からは吾橋後山農免道路で、山間部の民家のある光景と吉野川の上方から眺めを楽しみます。その後は祖谷に出て、県道32号線沿いを祖谷川に沿って下ります。最後は生まれ育った西讃に移動して、ほぼ半世紀ぶりの街中を走るという計画。前日のしまなみ海道と合わせて、距離は短いながらも四国四県を走破するコースです。
コース 川口−浜原−谷間豊永線−吾橋後山線−祖谷−川口=観音寺市街
走行距離  75q   積算標高 1300m
最高地点  吾橋後山農免道路 標高600m
走行日  2023年 4月 9日  天候:快晴  GIANT CONTEND
 前日同様午前8時に阿波川口をスタート。もっと早くても良かったのですが、南北に流れる深い谷に少しでも日が差すようになってからがいいかと考えて、この時間にしました。それでも少し冷え込んで、スタート時の気温は6℃。下北からやってきた旧友でも寒いなあと言うくらい。幸い前半主に走る右岸にも、ちょうど陽が当たり始めたところでした。国道32号線を南下、吉野川を遡ります。最近は川側に設けられた自転車歩行者道を走ることが多くなりました。路面は悪く時間は要しますが、路側帯を走るより大歩危・小歩危の景観がずっと良く見ることができるからです。初めてこの道を走ったのは1975年3月のこと。それ以降何度も走っていますが、大歩危・小歩危の素晴らしい眺めに改めて気付いたのは極最近の事です。
 左 阿波川口スタート地点にて
 上 吉野川の流れ
 右 国道32号線を南下
 前々日の雨で水量は少し多めです。上流に早明浦ダムを始めとするいくつかのダムもあって水質はそれなりですが。木々の芽吹きはまだまだだと思っていたのですが、結構進んでいて驚きました。10q以上に渡って続く渓谷は両側の山も大きくて余分なものがありません。夏場ならラフティングのボートが次から次へと下って来る姿も今では見慣れた光景となり、それはそれでひとつのアクセント。川を覗き込んでいると、川下りの観光船が出発地点に向かって遡っていきました。旧友が「対岸に見えるのは遊歩道?」と訊ねてきました。土讃線だよと答えると驚いていましたが、その少し後にアンパンマン列車が通っていきました。
 徳島・高知県境を越え2qほど走ったところで左折、大岩橋を渡って吉野川右岸へ。JR土佐岩原駅で小休憩です。到着して、なんだか以前と雰囲気が異なるなあと思っていたら、なんと駅舎が無くなっていました。先に新聞で赤字の続くJR四国の無人駅舎がいくつか撤去されつつあることを目にしていたことを思い出しました。
 JR土佐岩原駅からは、初めての道で林道谷間豊永線へ向かいます。私が好きで行きたかったこともあるのですが、川底から標高差のあるところに点在する集落(これだけでも全国にはあまりない光景と思います)を横に繋ぐ道。全区間ではなかったものの、その雰囲気を旧友に味わって貰うことが目的です。地形図を見ると道が交錯していますが、案の定間違えて二度ほど軌道修正。下左の写真は岩原集落付近まで登ってきたところです。奥の赤い岩原大橋が林道谷間豊永線の一部。標高は390m。大岩橋の標高は200mほどなので、200m近い標高差です。下右は、岩原大橋の手前から登ってきた道を振り返ったところ。右手奥の山の手前に吉野川が流れています。
 下2枚の写真は、岩原・陰の丘展望所との立て札が経っていたところから有瀬集落遠望。こちら・岩原側は高知県、有瀬側は徳島県。この眺めが好きで友にも見てもらいたかったのですが、あれもこれもと広角で撮ってしまうと高低差がなく散漫な絵になってしまいました。実際はもっと高度感もあって、左手下には吉野川も見えるし、その背後にも山々が連なっています。狭い四国では数少ない雄大な眺めかと思いますが、林道谷間豊永線上でこの手の眺めが一番いいところは今回走ったところより南側かもしれません。
 下の写真は、上の写真と反対側・有瀬集落まで進んで、岩原方面を振り返ったところ。茶畑は、この付近でよく見られる光景です。吉野川や国道32号線も見えています。奥の一番高いところが梶ヶ森。電波塔があるので良くわかります。同じ奥の右手の並びには拡大すると風車群が見えるので、ゆとりすとパーク付近でしょう。
 下の写真は撮影場所がはっきりしないのですが、地形図と照らし合わせると谷間川の南岸から北へ向いて撮ったものと思われます。右岸に見える集落は吾橋の下方に位置する土日浦という集落だと思います。その対岸やや奥の山肌に見える集落は、1か月後に走った林道下名栗山線から下って来る道がある日浦集落。その奥に連なる稜線の鞍部が林道小川平線南部分のピークです。
 下の2枚は、谷間川を回り込んで進み、吾橋集落を眺める地点からです。下右:正面の集落が吾橋です。手前の稜線と奥の稜線が交差するすぐ右上に、これから走っていくが吾橋後山農免道路の一部が見えています。下左は、その左手。吉野川が見えます。
 吾橋の集落内までやってきました。下左の写真、もう少し先のU字コーナーで左上に見えるガードレールのところで出てきて、その少し先にある右カーブの所から吾橋後山農免道路へと左折します。吾橋から杉のたわを越えて祖谷へとも考えていたのですが、余裕を持って楽しむためにショートカット。農免道路の分岐部少し手前で、一輪車を押していた女性が手を休めて声をかけてくれました。行先などを話しつつ行き過ぎようとしたところ、その背中に「水はある?」と声をかけてくれました。まだ十分な余裕があったので、有難く御礼を返しつつ先へ進みます。
 吾橋後山農免道路に入って進んでいくと、以前はなかった真新しい展望台がありました。なかなかいい地点にあるなと思って手摺まで進んでみたのですが、意外にも吉野川の川面も見えないし、山の眺めももうひとつです。どうしてこんなところにと思ってよく見たら「吾橋雲海展望台」と書かれていて納得です。雲海の季節には、きっと山々が雲上に浮かんで幻想的な光景を見ることができるのでしょう。下右の写真は、その展望台から撮った野鹿池山方面
 下の一枚は、雲海展望台から少し進んだ吾橋後山農免道路のほぼ最高地点(標高600mくらい)から見た大歩危橋です。吉野川までの標高差はおよそ400m。奥の稜線、中央付近の鞍部に向こう側から越えてくるような道らしきものが見えます。4つ上の写真と同じ場所ですが、この1か月後にそこを走って確認してきました。小川平林道方面です。ちなみに、この吾橋後山農免道路は現在でも地形図に記載がありません(Google map には記載あり)。
 吾橋後山農免道路からは旧道の峠道は走らずに、祖谷トンネルを抜け祖谷川沿いへ下ります。折角やってきたのだから話のタネにと、かずら橋へ寄り道。手前の広い駐車場は好天の日曜日にもかかわらず、クルマの数が予想外に少なかったです。ただし、かずら橋はご覧の通り混雑。いつもなら川底まで見える透明な水も、前々日の雨で増量しています。少し濁っていますが、水量が多いほうが渡るのには面白いかもしれません。それにしてもあの広い駐車場は祖谷の景観を台無しにしていると思うのですが、多数の観光客と経済効果を考えると仕方がないのでしょうか。旧友も「たったこれだけ(かずら橋)のために・・・」と嘆息。もう少し別なところ(県道45号線と32号線の合流部付近とか)に駐車場を作って、かずら橋まではボンネットバスでピストン輸送なんてのは現実味の無い素人の発想でしょうか。
上 駐車場へ向かう道と今久保集落
左 かずら橋
右 祖谷川沿いの新緑
 かずら橋から引き返して、祖谷川沿いを県道32号線で下っていきます。下の写真は、蛇行する川の形から名付けられたひの字渓谷。道以外には目に入る人工物は何もありません。大歩危付近より周囲の山々が大きく、これが祖谷ならではの景観と思います。以前から背後は国見山を中心とする山群だろうと思っていましたが、今回改めて地形図で間違いないことを確認しました。稜線の中央やや左手の頂部が山頂だと思います。山肌の深緑は杉を中心とした針葉樹で、それ以外は落葉樹。ここでも標高の低い所では新緑の姿が目立ってきています。少ししか流れていないことが多い水量も、いつになく豊富。毎度のことですが、ここの大きさを捉えた一枚をと思うのですが、どう撮ったらいいのかわかりません。手持ちのカメラでは一番広角でも全体が入らないし、広角だと山の大きさ、高度感が出ません。この写真でも一番広角寄りですが、ひの字の手前の部分が入りませんでした。
 下右の写真は、ひの字谷からすぐの右コーナーを回ったところから北側に見える光景です。谷の上方を走る県道沿いにある祖谷温泉の建物に向かって、川面近くの露天風呂から登っていくケーブルカーが小さく見えています。標高差は180mほど。県道32号線は祖谷川沿いに走っているので、本来下り道のはずですが、県道41号線の分岐部からは緩やかに登って、この辺りがピーク(標高430mくらい)となっています。
 下の写真は、上右の写真を撮ったところとほぼ同じところです。昔ながらの細い道が続く県道32号線ですが、極一部でこのような二車線に拡張されたところがあります。これまで気付かなかったのですが、前方を見上げると西の国見山に相対するような大きな山容が立ち塞がっています。昨年途中撤退に終わった中津山です(中央左手奥)。これも地形図で間違いないことを確認しました。自然の大きさに人の矮小さを感じさせられる光景です。
 有名な小便小僧は祖谷温泉からすぐのところにあります。ここも落ち込んでいく渓谷の深さ・高低差をなかなか表現できません。かずら橋や小便小僧は祖谷の代名詞みたいに扱われますが、私的には深い渓谷美と山肌の高いところにある民家と狭い畑の光景が一番の見所だと思っています。道が狭く見通しも悪く、クルマを運転していたらそんな光景をゆっくり眺めることもできません。楽しむには自転車、もしくは徒歩に限ります。その後もいつもより水量が多い祖谷川の流れと新緑の渓谷美を楽しみながら、祖谷口まで。さらにデポ地の阿波川口までは国道32号線で。川口手前からは山側を併走する旧道で戻りました。デポ地に到着後、手早くクルマに自転車を積み込んで、旧友とともに過ごした西讃の地へ向かいます。
  
 新猪ノ鼻トンネルが開通したおかげで、池田からクルマで香川県に抜けることは格段に早く楽になりました(そのため県道5号線となった旧国道32号線は交通量が激減して自転車環境は抜群に良くなっています)。小一時間ほどで、母校(中学)のすぐ横手にある琴弾公園に到着。そこから自転車でスタートです。まずは公園脇にある母校(下左)の横を通り、かっては町一番の繁華街だった通りを経由して、JRの駅へ(下中)。駅舎こそ50年前と同じですが、そこへ至る道はアーケードのあった商店街の姿が消え去っただけではなく、町の中心部であったにも係わらず商店の姿がほとんど見られなくなっていました。私は年に二度ほど帰省しても、いつも墓参りだけでとんぼ返り。旧友はほぼ50年振り。そんな旧友の小学校時代からの旧い記憶を便りに、何人かの友人の家があった付近などを巡ってみました。通り・道筋こそ昔とあまり変わらないのですが、周辺の建物はほとんど変わっているか変わっていないものは人が住んでおらず廃屋となっていました。まあ私も旧友も育った家はもう存在しませんし、ともに通った母校の校舎も建て替えられています。旧友とは学区が異なり小学校は別でしたが、私が通った小学校は旧市街中心部にもかかわらず児童減少で廃校となり、旧友の母校と合併。ふたつの小学校は東と南の名前が無くなって場所も新たに移転されています。ほぼ50年振りなので当たり前かもしれませんが、あまりに変貌した狭い町の様に驚いてばかり。
  
 こんなに狭かったんだなあとウロウロしながら、塗装し直されて白っぽくなった三架橋(上右)を通って再び公園へ向かいます。そして中学時代には一緒に良く登った、公園内にある琴弾山へ。直径が20mもないループ状の道を登っていきます(写真:下左)。標高は50mほどと低い山ですが、結構急勾配です。この山は道以外のところからも登ったりしたものですが、二人の記憶には微妙な違いがありました。記憶はいい加減なものです。展望台からの眺めだけは、50年前とほとんど変わりないように見えました(遠目には)。右下に見える銭形の中も、当時はよく走り回っていたものです。沖に横たわるのは伊吹島。右手の小さな島は円上島で、その後方は魚島。伊吹島と魚島の間に前日走ったしまなみ海道の大島がぼんやり見えていました。早朝の順光ならもっとはっきり見えていたかもしれません。この日は風も弱く、夕方に干潮。近年人気のスポット・父母ヶ浜の夕焼けは、写真にいい条件だったことでしょう。
 山頂にある琴弾八幡宮へも立ち寄ってみました。下左の写真は、境内から南東方向の眺めです。旧市街を中心に。奥の稜線・讃岐山脈で一番高いところが雲辺寺です。右手前の尾根筋後方を豊稔ダムのある県道9号線が走っています。以前はもう少し東(左手)への見晴らしもあって、今は無い生家や消滅した小学校も見えていたのですが、手前の樹が大きくなって見えなくなっていました。下右の写真は、下左の写真の右手です。奥は法皇山脈から赤石山笹ヶ峰瓶ヶ森と続く山の連なりです。石鎚山は右手に切れています。左手奥に煙を挙げているのは四国中央市の製紙工場群です。その手前の左端から下る稜線は阿讃縦走路の西端で、愛媛香川県境・余木崎。
 琴弾山を下って、最後にこれも一緒に良く走った江甫山までの海岸線を往復。下左の写真は、琴弾山から見た残照に光る小股島と股島。写真:下右上の山、一番高く見えるところが高屋神社のある稲積山です。下右下は、父母ヶ浜ではなく、有明浜。
 僅かばかりの行程でしたが、四国四県(おまけに広島県まで)を走った旧友とのかけがえのない2日間が終わりました。 また次回・・・。

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