林道峰根津木線から林道下名栗山線へ
 この年のゴールデンウィークの天候は、当初ずっとすぐれないという予報でした。連休中は何処も人出が多いこともあり遠出の計画もたてていなかったのですが、連休が近付くにつれて予報はどんどんいい方向に変わってきました。気が付けば好天の予報に変わっていた5月3日、急遽前月に旧友と走った林道谷間豊永線から北西方向に見えた稜線の道を訪れてみることにしました。以前に走った林道小川平線(現在一部区間通行止)だと思ったのですが、それを確認することが目的のひとつ。もうひとつ、国道32号線・西宇付近から林道小川平線の途中に繋がる軽車道を走ってみること、これが主目的でした。(2023年 6月 1日 記)

林道下名栗山線から眺める国見山(左)、中津山(中央) 手前の山肌には日浦集落 (2023.05.03)
 その軽車道に関する事前情報は、地形図と Google map(street view なし)のみでした。果たして、通ることが出来るような状態の道なのでしょうか。うまく通行出来て予想通り旧友と谷間豊永線から見たピークに出て、藤川谷川まで下ることができたなら、その後は林道沢谷線で8年振りの野鹿池山へ向かう予定にしていました。
 さらに、野鹿池山からは、これまた初めての道で下名方面に下る予定としました。この道についても事前情報は地形図と Google map のみ。Ride with GPS でルートを引くと、未舗装部分(左図の点線・下の縦白線区間)が結構あるように標示されます。未舗装でも走行可能なら問題ないのですが、通行不可とか32Cのタイヤをはいているものの、ロードバイクでは厳しい状況も覚悟してのスタートでした。
コース  阿波川口−上西宇−峰根津木線−小川平線−中内線−沢谷線−野鹿池山−下名栗山線−下名−阿波川口
走行距離   70q   積算標高 2200m
最高地点   野鹿池山山頂直下 標高1240m
走行日   2023年 5月 3日  天候:快晴  GIANT CONTEND
 午前7時前に阿波川口をスタート。気温は7℃、念のためにと余分に持ってきた長袖を一枚重ね着します。まずは国道32号線を吉野川を眺めながら南下。まだ陽が差さない時間帯でしたが、相変わらずいい眺めです。
 ちょうど上右の写真を撮っていたところ、列車の近づく音がしてきました。振り返ると、JR土讃線白川橋梁を渡るアンパンマン列車。急いで1枚。そこから1q余のところにあるJR小歩危駅にも立ち寄ってみます。国道からは10mほど高所にあり、階段を上がっていくとホーム@との標示が見えてきました。無人駅なのでてっきり単線駅だと思っていたので、@?と疑問に思いながらホームまで登っていくと、構内は複線でA番ホームがあって驚きました。JR小歩危駅から1qほど走って斜め左(川側)へ。サンリバー大歩危という宿泊施設の玄関先を掠めて、国道32号線を陸橋で越えて西宇方面に向かいます。すぐ隣りには第二吉野川橋梁、残念ながら列車はやってきません。
白川橋梁  JR土讃線・小歩危駅 第二吉野川橋梁
 国道を越えて進むと、予想通り勾配はいきなり13%前後で始まりました。そんな道脇にも民家が何軒かあります。U字コーナーが連続するつづら折れの道を登っていくと、上西宇の集落。写真:下左では高度感が伝わらないかと思いますが、見上げると急峻な山肌の遥か上方に小さく集落の姿が見えます。あそこまで上がっていくのでしょうか。

茶畑の新芽

赤丸・林道峰根津木線起点部
 上西宇集落には十軒ほどの民家が見られました。廃屋はほとんと見当たらず、連続する小さなU字コーナーに囲まれた狭く不規則な農地には田植えが終わった直後でした。また水田以上に茶畑が多く、ちょうど新茶摘み直前でしょうか、柔らかく透明感のある新芽が陽光に輝いていました。そのまま口に含んで味わえそうなくらいです。上西宇集落を通り過ぎても、そこそこの登りが続きます。交通量は地元の人が時に通るくらいだろうと思っていたら、次から次へと工事関係者と思われるトラックなどが数台追い越していきました。予定している道が工事で通行止めでないことを祈りながら、登っていきます。
 上西宇から上方に見えていた集落に到着しました。地形図には峰と記載されています。下から見えていたので、上から上西宇集落が見えるだろうと思っていたのですが、確認できませんでした。下右の写真、左下に見えるのは、峰集落で一番下方にある民家です。地形図では目指す予定の道以外に北に向いて蛇行しながら白川谷川沿いに至る軽車道も記載があるのですが、この民家の手前で分岐があったようで、見逃してしまいました。右後方は国見山です。ここにも眩しい新緑の茶畑がありました。

峰集落
 地形図通り、峰集落途中のコーナーから派生する予定の道を確認できました(写真:下左下)。入り口から鬱蒼として通行不能などという危惧は吹き飛ぶ綺麗なアスファルト舗装道です。脇には林道峰根津木線・起点の標識。工事車両出入り口とあるので、先程追い抜いて行ったクルマの人達が作業をしているのかもしれません、そんなことを思いながら、通行止めの標示もなかったのでアスファルト舗装の道に足を踏み入れます。しばらく走ると未舗装となりましたが、写真:下左上のように道両側はコンクリートで固められており路面も均されています。少し先にはロードローラーの姿も見え、この付近は近いうちに舗装されること間違いなしと思われました。写真:下中は、下の地形図で大久保峰右手に記載のある標高770m付近から北東方面。左手に林道分岐部のあった峰集落が見えています。右手は吉野川対岸の山肌で、ハンドルの上付近にほぼ同じ標高を横走する林道川崎国見山線が確認できます。左右からの稜線が交わるところに重なって見える稜線、一番奥が大川山付近の阿讃山脈です。
 途中で路面がコンクリート舗装の区間もありました(写真:下左)。そして、再び未舗装区間(写真:下中)。路面には大きな石はなく、轍は十分踏み込まれていますが、多少の勾配もあって、ずっと一桁半ばでの走行速度でした。
  
 幸い、この付近には杉林が少なく、落葉樹の新緑が続く魅力的な道(写真:下左、上右)が続きます。好天もあって気持ち良く走行。ずっと国見山を左に見ながらの道ですが、残念ながら吉野川の深い谷筋までの全貌が見渡せる場所はありません。再び舗装路となった道を進んで、地形図で確認していた小さな180°コーナー(上の地形図参照)を回りながら登っていくと、稜線の東側を走っていた道が西側となり、まもなく林道小川平線に合流しました(写真:下右下)。奥手から走ってきました。結局工事中区間はなく、峰集落までに追い抜いていった工事関係者と思われたクルマは北側へ抜ける道へ向かったのかもしれません。合流部から左手へ下るすぐのところには通行止めの柵が設けられていました(2023.05.03時点で県道271号線からここまで通行止め)。

林道小川平線との合流地点
 ここからは林道小川平線の一部となって進んでいきます。稜線の西側となりましたが杉林が続き、木々の間から西側の展望が見えたのは下右の写真のところだけ。塩塚峰は右奥だろうと思いながら眺めていましたが、中央付近に見える民家は地形図で栗山と記載されている集落のようです。林道小川平線の白川谷川より北・西側区間。写真:下中のような落葉樹の新緑が見られる部分は僅かで、大部分は杉林の中を登っていきます。林道小川平線で稜線の西側を登っていくと、峠に出て稜線の南側へ出ました。標高は980mほど。旧友と林道谷間豊永線から北西方向に眺めていた稜線付近に見えたところがここに間違いないことが確認できました。そこに分岐があって、左手に登っていく道には林道津屋線(上名津屋地区・国道32号方面)と記されています(写真:下左下)。地形図にある津屋集落に向かって降りていくジグザグ道のようです。
 峠からの展望がもうひとつだったので、そちらへ少し登ってみました。すると、予想通り峠より展望が広がりました。写真:下左、眼下に横走する谷筋が藤川谷川で、中央付近に見える家屋が津屋集落の一番下方でしょうか。この後野鹿池山を経由して、右手からの大きな山の稜線を回るように走っていきます。吉野川はその山の後方から左側へと流れています。中央一番奥は綱付森付近のようです。塩塚高原から林道小川平線に回った時ほぼ同じ光景の写真を撮っていますが、こんな分岐に進んだ覚えがありません。峠付近の木々が低く、同じような眺めを峠から見ることができたのかもしれません。下左の写真から少し左手に振ると、吉野川がチラッと見えています(写真:下右下)。左奥は三嶺から天狗塚牛の背方面でしょう。その手前の山肌中腹の何処かに林道谷間豊永線が走っているはずですが、確認できません。振り返ると、これから向かう予定の野鹿池山(写真:下右上)。自転車の後方の山肌に下っていく林道小川平線の道筋も見えています。時間も9時過ぎとなって気温も少し上昇し、大展望を心地良く眺めることができました。もう一度やってくることが出来れば、津屋側から登ってみたいものです。

奥に野鹿池山

奥に三嶺〜天狗塚
 いつまでも眺めていたい眺めでしたが、先があるので下り始めます。距離で500mも下らないうちに、写真:下左端のような建物がありました。正面には広域基幹林道小川平線開設記念の石碑。建物のこちら側にはまだ新しい児啼爺発祥の地という石碑も。建物はトイレを兼ねた休息所のように見えたましたが、荒れ果てて廃墟と化していました。この建物が2010年に走った時の記憶にありません。当時の写真を確認したら、なんと長い小川平線で、上左の展望があった一枚しか撮っていませんでした。デジカメなので無駄と思っても写真は数多く撮っておくべきだと改めて思った次第です。記憶はあやふやですし、薄れていくばかりですから。
 小川平線を最後まで下り切らず途中の折り返すような軽車道に進む予定でしたが、分岐部には林道中内線(上名平地区・大歩危方面)の標示があって迷うことはありませんでした。ここからは雑木林ですが新緑もあまりないコンクリート舗装の道を下って、平地区の集落最上部からは野鹿池山へ向かうこともあって右手右手へと進みます。写真:下右端は、地形図の平地区から平上と記載のある方向へ進んだところにあった民家。ここでも摘み取り間近の茶畑が見られます。山肌に散在する民家は峰集落や上西宇集落同様何処も暮らしの匂いが漂っており、こいのぼりが泳いでいる庭先もありました。
開設記念碑と廃屋 林道中内線への分岐部 林道中内線 平上地区の茶畑
 県道272号線まで下り、藤川谷川を500mほど遡ったところで橋を渡り、林道沢谷線で野鹿池山へ向かいます。前回下りながら、こちらから登るときつそうだなと思っていたものですが、その通りでした。上西宇付近ほどではありませんが、10%を越える登りが続きます。
藤川谷川 林道沢谷線 前半
 前半は杉林の中がほとんどでしたが、後半になると落葉樹の新緑に覆われる道になりました。予想外だったのは、晴天が続いた後だったのに随所で道路に水が流れていたことです。
 
 そんな新緑の中でも一際目を惹いた、この木(写真:下左)。株立ちと言ってよいのか、根元から何本もの幹が競うようにひとまとめとなって空へと向かって伸びており、多数の葉を茂らせています。残念ながら、葉っぱや幹・木肌で名前がわかるような知識はありません。近寄ったり離れたり、見上げたりと何枚か写真を撮ってみました。が、この1枚が一番その様相を伝えられるかと思うものの、私が感じた生命力に溢れた木の魅力は全く捉え切れていません。
 その樹からしばらく走って、漸く野鹿池山へ向かう道の合流地点に到着。この道が林道下名栗山線という名であることも、現地の路肩にあった石碑で知った次第です。その合流地点から2qくらい西進したところで、下名栗山線から斜め左上へ。野鹿池山登山口駐車場まであと一息ですが、ここからも勾配がきつかったという記憶通り。しかし、山頂駐車場手前から北側の展望が広がったという記憶は正しくなく、駐車場に到着するまで展望はありませんでした。

林道下名栗山線への合流部
 
野鹿池山への分岐部
 到着した駐車場、三連休初日で好天にも関わらずクルマも人影も皆無。立派な避難小屋などもあるのにマイナーな山のようです。それはそれで、一人でゆっくりと出来るので有難かったのですが。前回同様、歩いて石楠花の様子を伺います。鳥居の奥に見える石楠花には全く花の姿がなかったので、まだまだか、もしくは遅かったかと思いながら登っていくと、蕾の状態が確認できました。ちょっと早かったかと先へ進むと、陽当たりの関係かその先は満開。そのまま進んで、山頂へと向かう道の分岐部にはピンクテープの印がありましたが、登山道を思われるところは、駐車場にクルマも人影もなかったように、あまり登る人がいないと思われ、踏み込まれた跡は乏しく落ち葉が周囲の林と同じような状態で積もっていました。

満開に近い石楠花

野鹿池山 駐車場登山口
 結局、また山頂まで登ることはせずに石楠花だけを見て駐車場へ。駐車場からは、しばし北へ180°の展望を眺めて過ごします。上右の写真は北方面。手前の稜線右端くらいが小川平線の峠付近です。塩塚峰は左奥、右奥は雲辺寺です。下左の写真は北東方面をズームアップ。手前の山、稜線の少し下を横走しているのが、小川平線。一番奥の稜線は阿讃山脈で、右の最高点が大川山。下右の写真は東北東をズームアップ。国見山は左手に切れています。左奥が中津山。その右手奥は、当初は三嶺方面かと思っていましたが、地形図を参考にすると、おそらく烏帽子山付近のようです。
 西の方には赤石山系と思われる山も見えていましたが、何処かわからなかったのと写真がもうひとつでアップなし。十二分に展望を見納めて、登ってきた道を沢谷線の合流部まで戻り、そこから初めての林道下名栗山線へ進みます。ここも地形図で道があることを確認しただけ。どんな道かなと進んでみると、幅広のコンクリート舗装が続きます。路面も上々。ここでも所々で出水がありました。道なりに進んで行くと、北側の展望が広がるところがありました(写真:下右)。奥の稜線ほぼ中央の鞍部に小川平線にあった廃屋の建物が見えています。峠はそのひとつ右で、そこから一度登りになる津屋地区への道が見えています。山肌の集落は上名地区で左手が平集落、右が津屋集落のようです。

林道工事名を記した石碑
 さらに進んで、国見山全容。左手下の樹に重なっているのは、地形図で確認すると水無と記載されている集落のようです。国見山の右後方に頭を出す中津山。国見山から連なる山肌、右端付近には後山地区の民家が点々と見えています。
 その少し先から北を眺めたのが、下左の写真です。水無集落付近をズームアップ。ここから地形図では津屋地区から小川平線の峠に向かって登っていく道に繋がる軽車道が記載されていますが、通行可能かな? 一番奥は相変わらず阿讃山脈。猪ノ鼻峠東山峠の間くらいです。水無集落のある山の後方の谷に吉野川が流れています。右手からの稜線、奥のピョコンと飛び出している峰の下に、峰根津木線を走り始めた時にも確認できた林道川崎国見山線が見えています。ピョコンと飛び出した峰は地形図で897.5mの標示があるところのようで、川崎国見山線の帰路はこの峰の右手から稜線を越えて向こう側の道を下っています。

分岐部から右手先へ

直進・日浦集落へ、右手へ進む
 そこからすぐのところに、大きな分岐部がありました。真っすぐと右手に分れています(写真:上右下)。路側帯の白線は真っすぐの道に続いています。GPSで確認すると、真っすぐ進むと日浦集落に降りていくようです。下の地形図で黒滝山を中心とする稜線を回るように走っている一車線道路が下名栗山線です。右上辺りにある一車線道路が等高線に沿って右手に曲がる所から軽車道が分岐しているのがこの地点です。分岐部は広いアスファルト舗装でした。あまり余力はなかったのですが、まだ正午過ぎだったので右手へ進んでみることにましした。コンクリート舗装の道を、また微妙な勾配で登っていきます(写真:上右上)。
 下左の写真は、日浦集落への分岐部の後、もうひとつ途中にある分岐部からの道を、先に進んだところから振り返って。上の地形図では黒滝山東側くらいの地点からです。この道も日浦集落に繋がっているようです。奥の右手からの山肌には吾橋の集落が見えています。右端に見える鞍部が杉のたわ付近でしょうか。左奥に中津山、右奥は矢筈山付近と思われます。進むにしたがって、次々と展望が広がります。疲れていたけど、こちらへ足を伸ばした甲斐があったというもの。下右の写真、新緑も変わらず。この道では珍しく竹の姿も見えています。場所は何処の付近だったかはっきりしません。下名方面に流れる二つの谷筋を大きく回って進んでいく道を、標高700m程の日浦との分岐部から標高1000mを僅かに超えるまで登っていきます。路面は、ずっとコンクリート舗装。
 下の写真は、下名栗山線の最高地点近くから。手前の山肌には日浦集落。先程の下名栗山線からの分岐は左手前の稜線付近です。吉野川の谷筋を挟んで、右手奥に吾橋集落。吾橋後山農免道路も確認できますが、霧の展望台は不明。奥左手は国見山で、中央後方に鎮座しているのは、もう何度も出てきているのでお馴染みの中津山。日浦集落と中津山の間、国見山から右手の山肌に後山集落が見えています。
 最高地点を過ぎるといよいよ下りです。下り始めると早い。2015年に走った林道下名太田口線の合流部まで下ってきましたが、全く記憶に残っていませんでした。さらに下名に向かって下っていきますが、思ったより距離と高低差がありました。8年前は32X24でもこんな坂を登ることが出来ていたのだと思っていたら、下名集落の上方へ出てきました(写真:下左)。相も変わらずに、後方右に吾橋の集落と左奥に国見山。
 やっと吉野川の姿が見えるところまで下ってきました(写真:上右)。下名の集落、8年前に走った時には道沿いに茶畑があって茶摘みをしていたなあと気を付けていたのですが、それらしき茶畑は確認できませんでした。国道32号線まで下った後は、阿波川口まで。吉野川に沿って極緩やかに下っている上に追い風もあって疲れた脚でも凌げましたが、やはり交通量が多く、左側は山側で移動手段として走っただけ。それでも、ひょっとすると通行不能かもしれないと撤退覚悟で向かったものの、予想以上の展望が広がる初めての道を走れたことに、心を満たせながら。 

 ご意見・ご感想・新しい情報はこちらへ

ツーリング徳島に戻る  TOPに戻る

inserted by FC2 system