富郷 2023 夏  堀切峠〜笹ヶ峰遂道〜白髪遂道〜富郷  50年という時を経て
 夏という季節はけっして嫌いではありません。むしろ夏休みという、何かがあるわけでなくても日常生活から逸脱した自由に過ごせる日々を向かえる期待感が幼少時からずっと続いていて(仕事で夏休みがなかった時期でも)、今でも多少なりと心躍る楽しみな季節です。しかし、ここ数年は毎年のように酷い暑さが続いています。特に2023年は連日34℃前後(全国的にはさらに高温の地域多数)の猛暑が続き、いくら好きな夏と言えども日中屋外での行動は憚られる日々が続きました。しかし、やはりじっとしてはおれません。折角なので何処かへ行こうと地図を眺めながら考えた末に辿り着いたのは、私的サイクリングの原点である堀切峠と富郷です。初めて訪れたのは1973年の4月と8月。ちょうど50年前。節目の年に様々な思いを巡らしながら走ってきました。 (2023年 8月20日 記)

銅山川支流・猿田川 (2023.07.30)
 それまで姉の婦人用自転車で往復40q程度・いわゆる遠乗りで、峠といっても標高200mにも満たないところしか走ったことしかありませんでした。それ故、堀切峠にあった標高490mの標示に、近隣では一番高い稲積山(今や天空の鳥居として全国区・標高404m)より高いところまで自転車で登ってくることが出来たという感激。またこれもそれまでの川の概念を根底から覆された富郷・銅山川の冷たく澄んだ豊富な水の流れ。そのふたつがその後の私の人生を大きく変えた、と言っても過言ではありません。上の写真は、毎年キャンプをしていた銅山川のポイントから3qほど下流に南側から注ぎ込む猿田川の流れ。富郷ダムのため全く魅力がなくなってしまった富郷付近の銅山川ですが、当時の記憶はこれに近いものでした。
コース 伊予三島−堀切峠−新宮−笹ヶ峰遂道−本山−白髪遂道−富郷−法皇トンネル−伊予三島
走行距離  120q    積算標高 2100m
最高地点  白髪遂道   標高980m
走行日  2023年 7月30日 天候:晴  GIANT TCR
 走ったコースは、この付近を走る時の定番・伊予三島公園発着。思い入れのある2ヶ所に加えて、笹ヶ峰遂道を越えて高知県へ抜け、白髪遂道で戻って来るという設定です。後者二つの道は多い木陰で少しでも暑さが凌げそうなことと、これまた立川川、汗見川、猿田川などの流れも楽しめるからです。どちらも崩落などで通行止めになることが多く周回できる時が意外と少ないので、今回はいいタイミングでした。
 午前6時15分、三島公園スタート。まずは松山道の側道を東へ。スタート時の気温は26℃でしたが、既に蒸し暑い。この日一番の懸念は気温上昇と体調、最初から先行きが思いやられます。三島川之江ICを越えたところで一度国道11号線バイパスに出て、昔ながらの国道192号線へと右折。松山道の高架をくぐったところで、右斜め前方・旧県道5号線(以下旧道と略)へと進みます。下右に旧道付近の地形図を載せました。上の赤丸が国道192号線からの分岐部。ここに土佐北街道の標示があります。旧道に入ってまもなく左に梅錦・山川酒造があります。杉玉の下には小さく「新酒誕生」の札。二十歳を過ぎた頃、日本酒は辛口だぜとの思っていたのですが、梅錦を知って、こんな日本酒もあるんだと認識を新たにしたのも40年以上前のことになりました。もっとも最近は日本酒を滅多に飲まないので、梅錦も随分とご無沙汰。地図が小さくわかりにくいですが、発電所のある先で道なりに東方向へ(赤矢印2〜3番目)。見上げると、ほぼ雲一つない快晴の空なのに、堀切峠付近の稜線だけ雲に覆われていました。旧い家屋が多く雑然とした町中を進みながら、思っていたより随分と緩やかな勾配に、初めてのサイクリングでも苦無く登れたのだなあと思いが及びます。
 左  国道192号線分岐部
 左上 梅錦・山川酒造
 上  堀切峠付近は雲の中
 右  旧県道5号線(赤矢印)
    黄線が現県道5号線
 一度新しい県道5号線(上地図・黄線)へ出て500mばかり走ったところで、右折して再び旧道に進みます(赤矢印5番目)。分岐部には「三角寺こちら」の標示が出ていますが、次の折返しコーナーを直進すると三角寺へ辿り着きます。旧道に入ってすぐ、川之江市街が見渡せるところがありました。川之江城のある小山が海岸のそばに、奥の燧灘は霞んでいます。旧道を進むと、道はすぐに下右の写真のような状況に。暑い中あちこちで道端の除草作業をされている人の姿をよく見かけますが、この道に関してはそんなこととは一切無縁のようで、ガードレールも隠れるくらいに雑草が生い茂り、道脇の雑木も道へと枝葉を伸ばし放題です。
 左 現県道5号線から分岐部
 上 旧県道5号線から川之江市街
 右 旧県道5号線
 進んでいくと、今度は檜林が現れます(写真:下左)。もう少し進むと、北東方向の眺めが得られました(写真:下右)。中央付近に川之江東JCTが見えています。後方は讃岐山脈の一番西付近。県道9号線で香川方面から越えてくる切山集落は左手付近、前年に越えた海老済石砂へ抜ける道は写真の中央辺りでしょうか。こんな風に北側の展望が広がるのは上の写真の撮ったところとここだけで、その後は峠も含めて全く展望がありません。
 道は間伐などの手入れがほとんど成されていない鬱蒼とした檜を主とした林の中を進んでいきます。早朝に小雨が降ったのか路面が濡れているところが何ヶ所もあり、落ち葉も多いです。が、勾配は3〜5%程度で路面に痛みはなく、木陰とあって湿度は高いものの走るには極めていい道です。もちろんクルマもほとんど通りません。気持ち良く走っていたら、前方に道を横断するかのような倒木。まだ倒れてどれほども時間が経っていないように見えます。自転車は降りて、ガードレール脇を問題なく通過。それにしてもこの道を登って来るのは何時以来でしょう。時々下っている記憶(最近では一昨年)はあるのですが、登ぼるのはひょっとすると2004年以来かもしれません。
 多少間伐されているような木々に隙間があるところでは、つづら折れの先の道が見えています。旧い色褪せた写真を確認すると、50年前は木々も小さく、折り返しコーナーでも木々を気にすることなく走って来る友人の姿が写っています、川之江市街までの見通しがあることも現在とは全く異なっています。ところで、この初めてのサイクリングで何故このコースに向かったのか。3ヶ所ほど考えた日帰りコースの中で選択した筈ですが、その理由は記憶に残っていません。事前情報もほとんど無かったはずです(それだからこそ標高490mに感激したのですが)。
旧県道5号線
 左 倒木が道路を横断
 他 つづら折れの道
   上に折返し道のガードレール
 旧道から2本ある三角寺方面への上側の分岐を過ぎるとまもなく峠です。一台の軽四が下ってきました。愛犬を乗せた高齢の方でしたが、合図して停めて倒木でクルマは通行不能であることを伝えました。そして、峠へ。標高490mと記されていた峠の標識は、とうの昔になくなって久しいです。下左の写真、真っ直ぐ奥が堀切峠。右手に進むと法皇スカイラインで翆波高原に、左手に進むと呉石高原から国道192号線の南側の山肌を走る道に繋がります。峠に到着する頃には晴れているだろうと思っていたのですが、相変わらず雲の中で時折雨粒さえ落ちてきました。初めて堀切峠を走った時は、峠から下って柳瀬ダムへと向かいました(写真:下右下、右手から左手へ)。確か下り切ってから柳瀬ダムまで5qか6qの標示だったので、それほどでもないと思って進んだのですが、これがまた微妙な登り道で随分と長く感じられ、堀切峠の登りよりも疲れた記憶が今でも強く残っています。今回は手前・新宮方面へ。新宮方面は空一面厚い雲に覆われていました。

新宮方面は雲の下

国道319号線から振り返る
 一度国道319号線に入って銅山川まで下り、再び県道5号線(新宮からは旧道だけ)となって,曇り空の新宮の町を抜けていきます。新宮小中学校は2021年にノーベル賞を受賞した真鍋博士の母校、祝の横断幕がかかっていました。新宮のお茶は近隣では多少名が通っていますが、茶畑の姿も以前はもっと多かったように思います。県道5号線は、併走するものの連続するトンネルで時々姿を現すだけの高知道とクロスしながら先へ進みます。向かう笹ヶ峰方面の山々も中腹から上は雲の中。
国道319号線・銅山川橋 新宮小中学校 茶畑 向かう先は雲の中、左上に高知道
 これは記憶通り、左手に続いて右手へとZ字折り返しで高知道の下をくぐって左手横から上に出ると、そこは高知道笹ヶ峰トンネルの北側入り口です。そこからは下の写真のように、快適な緑の道となりました。勾配は旧道ならではの5%弱。新緑の頃は最高でしょう。緩やかですが鬱蒼とした檜林が続き展望のない堀切峠への道は思い入れがあるのみですが、同じ県道5号線でも、この区間は走っていて楽しい道です。そんな道のためか、走り始めた時に感じた蒸し暑さはなくなってきました。気温は確認していませんが、登りでも汗をだらだらかくようなことはありません。これは後で気付いたことですが、この道沿いには電柱・電線がありません。そのことが景観をよりすっきりと見せているようです。
 後半になってくると脚が重くなってきました。疲れてきたかと思ったら、いつの間にか勾配は8%前後になっています。後半は前半より平均勾配がきついようでした。しかし、ゆっくり走るには苦痛になるほどではありません。道沿いの雑木が美しいものの展望はなかったと思っていたこの道ですが、上方には皆伐されたところがあって、走ってきた谷筋を眺めることができました(写真:下右)。一番奥は堀切峠の登り始めにも見た讃岐山脈の西・海老済石砂へ抜ける付近です。この頃になると雲が途切れて四国山地の稜線も見えるようになってきました。
 笹ヶ峰遂道には、スタートからちょうど3時間で到着。ここまで35qほど。トンネルを抜ける風が涼しく一服しようと思ったのですが、次から次へとブヨが襲ってくるので早々にトンネルへ。トンネル内は強力な冷房が効いているかのような涼しさ。トンネルを抜けると、青空が広がっていました。陽射しは強いですが、暑いというほどではありません。標高は820mほど。道はすぐに下り始めるのではなく、500mほど平坦が続きます。その途中から、これから下っていく立川川沿いの谷筋を一望(写真:下右)。京柱峠から見る高知県側にも似た眺めです。その左手には崩れた急斜面の山肌の上に横走する浦ノ谷平林道が確認できました。平坦区間の最終付近から高知道を見下ろすことができることは記憶通り。この後は、数%程度の勾配が続く・杉林に覆われたやや薄暗い道を下っていきます。

浦ノ谷平林道方面

笹ヶ峰遂道・愛媛側
 高知道・笹ヶ峰トンネルの南口まで降りてきました。標高440mほど。笹ヶ峰トンネルは全長4300m。もっと長くて寒風山トンネル(全長5432m)より長いと思っていたので、ちょっと意外でした。この付近の高知道はいくつものトンネルが短い非トンネル区間で連続するので、もっと長く感じられていたのかもしれません。仁尾ヶ内方面への分岐がある刈屋集落(浦ノ谷平林道の分岐でもある)を過ぎると、谷筋も広がって川幅も太くなり、道は新しい二車線道が主となってきます。川面を覗き込みながら下ります(写真:下右)。
 この笹ヶ峰遂道を初めて越えたのも1974年3月と50年近く前のことです。通う高校が入学試験のため休みとなった2日間を利用して、同級生6人で大豊まで一泊ツーリングをした往路時です。今回と同じ旧堀切峠を越え新宮経由。新宮から進むと途中からは晴天の瀬戸内では想像できなかった雪道となりました。たまたま通りかかったトラック(普通車)のおじさんが、「この先まだ大分登りがあるよ、通り道だから乗っていけ」と声をかけてくれました。ちょうどひとり不調だったこともあり迷わず荷台に乗せていただき、トンネル(数十pもあるつららが天井から多数連なっていた)を抜けて、ある程度走れるところまで送ってくださったことも懐かしく有難い思い出です。その後3度ほどは走っているはずの県道5号線ですが、崩落などで長期間通行止めになることが多く、計画段階で諦めざるを得ないことが何度かありました。一番最後に走れたのは2009年6月かと思っていたら、2017年9月に走っていました。その時はこの後走った県道264号線が通行止めでした。

高知道を見下ろす

笹ヶ峰トンネル・高知側
 立川川を覗き込みながら県道5号線を下り切ると、川口で吉野川本流にぶつかります。ここからは吉野川左岸(北岸)を走る県道262号線で西へ。この道を通る時の定点ポイント・高知道土佐吉野川橋を下から眺め、先へ進んで、これも定点ポイント・吉野川が大きく蛇行するところでも1枚(写真:下左)。川沿い左手の林の上に土佐吉野川橋が見えています。その後方の稜線右奥には梶ヶ森が見えていますが、肉眼では確認できた山頂の電波塔ははっきりしません。右手奥の稜線にはゆとりすとパークおおとよ付近の風力発電の風車群が並んでいますが、これも写真ではわかりませんね、残念。この区間、右岸の国道439号線ではなく左岸・県道262号線を走る理由は、一番に交通量が圧倒的に少ないこと。加えて田舎道・旧道の良さがあること、さらに結構木陰が多く、多少なりとも涼しいと思われたことなどがあってです。今回、お昼頃に通過すると思われたこの区間の気温が一番気になっていたのですが、真夏以外でもよほど長距離を走る一環である時など以外はいつもこちらを通っています。川沿いですが、岸ギリギリまで植林された杉林が続くところも何ヶ所か見られます。

高知道・土佐吉野川橋を見上げる

県道262号線、杉林区間
 下の写真は下津野の沈下橋付近。ここも定点ポイントです。吉野川は一見美しく見えますが、早明浦ダム直下で水質はお世辞にもいいとは言えず、支流の立川川などとは比較になりません。西へ向かう道は緩い追い風区間が多かったのですが、蛇行する川に沿っているので時に向かい風。しかし、いつもは閉口する向かい風も熱風ではなかったため逆に心地良いくらいでした。この先・帰全山公園のところで一端右岸の国道439号線に移動してコンビニで水調達。ついでにアイスクリームで一服。ちょうど11時、スタート地点から65q。
 再び左岸に戻って、今回の3つ目の目的、汗見川を愛でる県道264号線へ。写真:下左は、汗見川が吉野川本流に合流する吉野地区の橋(名称未確認)下にある汗見川遊水場。写真にはあまり写っていませんが、十数名の家族連れが水遊びを楽しんでいました。堰の上は流れが緩やかなのに、堆積して浅くなった川底の石にも泥の堆積がほとんどありません。子供連れでの水遊びには最適でしょう。吉野地区を走っていると、「汗見川清流マラソンのため通行止め」の立看板が目に入ってきました。翌30日に開催されるようです。工事通行止めの確認はしていたのですが、こちらはノーチェック。一日違いで助かりました。
 県道264号線を北上します。この道、前半は結構緩やかで、ほとんどフラットかと思うくらい。何回か走っているのですが、これはあまり記憶に残っていないことでした。おまけに追い風もあって、さらに正午前後にもかかわらずさほど暑くなく快適。これも汗見川効果でしょうか。自転車を含めて道と並行する汗見川の写真をと試みるのですが、なかなかいいポイントがありません。下左上の写真、とりあえず一枚と思って撮りましたが、構図以前に電線が邪魔ですね。遊水場のすぐ上流は少し澱んでいますが、進むと次第と水は澄んできて淵でも澱みが無くなってきました。走っていると、翌日のマラソン大会の準備に向かっていると思われる地元の世話人を乗せたらしいクルマが追い抜いて行ったり、道脇には給水所やトイレの標示、距離表示などを見かけました。

県道264号線と汗見川

稜線が見えてきた
 汗見川の中でも奥白髪林道の分岐部を越えてから竜王林道の分岐部付近までの流れが一番との記憶をたよりに川面を覗き込みながら走ったのですが、以前のような心惹かれるポイントに出会えません。良さそうだと思ったところも手前の木々が邪魔をして、すっきりと見渡せるところがありません。相変わらず十分に美しい流れだと思うのですが、程度の差はあれ鮎喰川同様以前より魅力が落ちているのでしょうか。下の写真、漸く川と道がうまく枠に入る部分に出会いましたが、日向と陰のコントラストが強すぎて両者の魅力を捉えることができません。一日で最も気温の上がる午後の時間帯になってきたものの、木陰に加えて時に緩い向かい風が入って暑さはさほど気になりません。標高はたかだか500m程度ですから、やはり川沿いであることが大きな因子でしょう。
 汗見川には期待が多過ぎたのかもしれませんが、県道264号線は「この道ってこんなに私好みのところだったっけ」と思い直すくらいいい雰囲気でした。新緑の季節はとっくに過ぎていますが、山肌に沿って緩く蛇行し周囲は落葉樹の緑が濃くなっていても爽やか。旧道故の緩い勾配が有難いです。支流桑ノ川方面への林道分岐部で一休みしていると、オフロードバイクが2台下ってきてまた上っていきました。地形図では道は西側に続いていませんが、何処かへ抜けられるのでしょうか。道に沿った電線が姿を消したのは、竜王林道への分岐を過ぎた辺りだったでしょうか。木陰の多い道の条件に加えてこの日の新たな発見・恩恵は、本山のコンビニで購入した凍らせたペットボトル入り飲料。どうせすぐ溶けるだろうけどボトル2本の水に加えて万が一に、と塩分補給にと手にしたのですが、結局ほぼトンネルに到着するまでの2時間半ほど、ちょうどいい具合にもちました。梅エキス入り(正式名覚えていない)の記載に惹かれて選択したのですが、この梅味がまた良し。背負ったザックのポケットに入れただけですが、少しずつ溶けながらずっと冷たく、最後はシャーベット状に。これがあって、快適さが増したことには疑いありません。
 後半になって来ると、県道5号線の愛媛側同様勾配は少し増してきますが、きつ〜いというほどではありません。県道5号線と同じくらい通行止めが多い、この県道264号線。今回も事前に道路情報提供システムで道路工事・通行止めを前日にも確認したところ、竜王林道分岐前後付近で2か所、時間通行止めがありましたが土日は解除。問題は白髪遂道の工事。土日解除の併記がありません。通行可能時間は10分なので、下手すると50分近い足止め。吉野で11時20分。白髪遂道までは25qほどなので、今の走力からすると3時間は要すると計算。14時は無理かなと思っていたところ、現地の標示では白髪遂道工事区間も土日休み。写真:下左下は、記載のあった2か所とは異なる左鋭角コーナーで汗見川最上流部を渡って少し進んだところ。道路の谷側半分近くが大きく崩落して工事中。工事が終了しきらない内に大雨にでも遭うと、また当分全面通行止めになりそうに思える状況でした。終盤に入ってきて汗見川の流れは眼下に遠ざかって見えなくなりますが、相変わらず道周囲は好みの光景が続きます(写真:下右)。

第一坂瀧遂道

右下はかなりの崩落
 汗見川も全く堰(ダム)がないわけではなく、少なくとも2か所は確認。下左の写真は、その1ヶ所のすぐ上流です。堰上はほとんど土砂で埋まっており川幅が少し広がっています。奥にこれから向かう四国山地の稜線が見えています。ふたつ続く短いトンネル(坂瀧遂道と標示あり)までやってくると、白髪トンネルまでもう一息。前半の緩勾配区間のおかげか意外と早く、もし工事中であっても、お昼休みで長い13時20分までの通行可能時間にギリギリ到着できそうです。時間通行止めがあれば、ゆっくり休憩しようと思いながらペースはそのまま維持。白髪遂道到着はまさに13時20分直前。工事車両が3台駐車していましたが、人影はなく工事中の様相は全くありません。トンネル上部にある名称の標示は取り外されていました。中は相変わらず照明がなく真っ暗。初めてやってきた1985年はライトなしだったので、真っ暗の中を恐る恐る進んだものです。最近は光量のあるライトを装備していますが、昔の薄暗いライトでは覚束ない暗さです。未だにトンネル内の照明がないのは、高知側・愛媛側ともに電柱・電線がないので電気が通っていないのかもしれません。後から写真を見直すと笹ヶ峰遂道も照明がないようです。出口が見えるので、笹ヶ峰遂道に照明が無いことはあまり気になっていませんでした。白髪遂道が真っ暗に感じるのは、全長が笹ヶ峰遂道の345mに対して倍以上の820mもあるためでしょう。ちなみにどちらも1966年竣工だそうです。トンネル前の広場には工事の人達用と思われる谷筋から引いた水が流れていたので、冷たい水で手足と顔を洗ってリフレッシュ。さらにその後走行時に体を冷やすための水も補給して、トンネル内へ。
 真っ暗な白髪遂道を抜けると愛媛県に入って道の名称は県道126号線と変わりますが、道周囲の光景もガラリと変化。しばらく平坦に近い道の周辺には、私の知る限りでは愛媛県内ではあまり見かけない杉林が続きます。間伐や下枝払いも十分に行われていて、植林された杉林の中でも陽射しが届いて明るく遠くまで見渡すことができます。山斜面の勾配も緩いため管理がしやすいのか、それとも熱意ある管理者がいるためでしょうか。
     
 下左の写真、これも40年来変わらない未舗装部分。この道を初めて走ったのは川之江で働いていた1985年。当時も短いものでは20mほど、長い区間でも200mくらいの未舗装部分は全く変わることがありません。途切れながら4ヶ所くらいあった記憶でしたが、5ヶ所でした。このまま永久に舗装されないように思えますが、部分的に舗装されない箇所が残っているのには何か理由があるのでしょうか。何度か走っている道ですが、今回走って再認識したのは結構下方まで杉林が続いていたことです。ほぼ上猿田の集落に出るまで続いていました。その間、高知側のような落葉樹が繁る区間は皆無。見晴らしもありませんが、行き交うクルマも全くなし。
 上猿田の集落まで下ってきました(写真:下右上)。谷間に平らに広がった(写真:下左)この左手には、人の住んでいない家屋が二軒(写真:下右下)。いずれも適時維持管理されているようで、荒れた様子は全くありません。耕作地が見えるように居住されている家屋もあり、下っていくと高齢の男性がひとり道脇の日陰で休まれていました。上猿田の集落から3qほど下ったところに左手への分岐、これも記憶に残っていないことです。分岐には下猿田0.5qの標示がありました。地形図を再確認すると、下猿田と思われる集落から富郷ダム近くにある藤原集落方面に軽車道で繋がっています。通行可能なら一度走ってみたいものです。
 下猿田への分岐から1qほど下った付近から道は二車線となり、それまで谷筋も深く狭く姿を見せなかった猿田川(銅山川支流)の川面が眺められるようになります。ここは立川川や汗見川よりさらに勾配がきつく水流が速いためでしょう、淵でも川底に泥の堆積がほとんど見られません。道と猿田川の関係は、写真:下左下のような感じです。全体として見ると、川幅も狭く急流で水遊びができるようなところはほとんどなく、それほど魅力的とは言えないかもしれません。水の透明度はとても高いのですが。白髪遂道へ愛媛側から登るとすれば勾配もややきつく、道周辺もさほどいい眺めもなく、白髪遂道へはやはり高知県側から登るのがいいかと思います。

猿田川

猿田川と県道126号線
 トップの写真は、下左の写真に写っていた左に切れたところを面積で16分の1くらいの部分をトリミングしたものです。浅瀬のいい感じのところでしたが、パソコンの大きな画像で見ていて気付いた部分です。フィルムカメラと異なり、デジタルカメラではモニターで写真をすぐにチェックできますが、その場で拡大することはまずないので、後で自分が意図した以外のものが写り込んでいることが時にあります。下手な鉄砲、やはり数多く打つべきですね。そんな猿田川を眺められるところは短く、まもなく銅山川に合流。その対岸には廃校となった富郷小学校跡があります。初めて走った頃は当然開校していましたが、2002年に休校となり、2013年には廃校となったそうです。
 富郷小学校前に架かっていた旧橋の姿も今はなく、富郷ダム建設のために県道6号線が一車線の旧道から幅広い二車線道に変わったのも随分と昔のことになりました。そこから今回4つ目の目的地、1973年夏から10数年に渡って毎年のように訪れてキャンプをしていたポイントへ脚を運びます。上述のように、それまでの川の概念を根本的に覆されたところ。写真:下左、ダムができる前の旧道が右下方に見えていますが、キャンプをしていたのは中央付近の川原です。県道126号線の合流部から3qほど上流。現在の道で上方から眺めた後、一度引き返して戻ヶ嶽のところから旧道も遡ってみました。水流こそ富郷ダムの放流で以前と変わらないくらいありますが、水は黒っぽく、流れのあるところでも岩や川底の表面には泥が付着しているようで茶色。川はそんなものと思って育ってきたのですが、到着した途端迷わず飛び込んだ清らかな姿はもう何処にもありません。戻ヶ嶽のすぐ横手には正式なキャンプ場があったのですが、夏休みの土曜日にも係わらず人の姿は皆無。一昨年の記録を確認すると「今年は閉鎖」と看板が出ていたようですが、今回はそれも見当たりませんでした。前回はCOVIDの影響もだったのかもしれませんが、水に魅力がないこともあって誰も訪れる人がいなくなって閉鎖されてしまったのでしょうか。1973年当時でも20qほど上流には別子ダムがありましたが、その下流で沢山の小さな支流の流れ込みがあったためでしょう、この付近はまだまだ清流でした。ダム建設で下流がどれほど変化するかを身を持って知った次第です。
 下の写真は、帰路、柳瀬ダム・金砂湖最上流部付近。上述したように県道6号線は幅広い二車線道になってしまい、ミンミンゼミの蝉時雨を耳にしながら木々の中を走る一車線道もなくなってしまいました。そうそう西讃の平地で育った私にとってセミと言えばクマゼミ、テレビで夏の画面背景に響くミンミンゼミの声を実際に耳にしたのは、この1973年が初めてでした。堀切峠への旧県道5号線同様、すっかり変わってしまった光景。以前のような魅力が失せていることはわかっているのに訪れるのは、いつまで経っても変わらない郷愁でしょうか。そんな感傷に浸りながら、後は法皇トンネルと下りだけだと走っていたところ、所用コール(仕事関係ではなく)で現実に引き戻されました。
 幸い電話対応できる程度のことでしたが、思い出に浸りながらゆっくり走る気持ちは消えてしまいました。いつもなら写真撮影に立ち止まる平野橋手前から見上げる翆波高原付近も眺めただけで法皇トンネルへ向かいます。金砂湖畔の登り口に「トンネルまで平均5%で2q」の標示がありました。ブルーラインなど自転車走行に配慮の多い愛媛県ですが、こんな標示も特に初めて走る人などにはとても有難い情報だと思います。法皇トンネルも通過中に追い越していくクルマが多かったこともあり足早に素通り。その後も立ち止まる気はあまりなかったのですが、トンネルを抜けると思いの外燧灘の眺めが良好です。川之江から県道5号線を登り始めた朝は靄っていたのですが。下の写真は、ほぼ真北へ向いて。写真ではわかりにくいですが、水平線中央付近に魚島諸島が見えており、その背後には以前に走った鞆の浦付近の本州、左手には高輪半島からしまなみ海道の島々も見えていました。
          
 下り始めにも、「平均6%で5q、注意」の標示がありました。この道も初めて走った50年前は一車線の狭い道で所々に未舗装部分が残っていましたが、現在では舗装はもちろん、かなりの部分で二車線化されています。また山肌に沿ってカーブを繰り返していた部分もトンネルや高架橋でショートカットされ勾配が上がり、自転車で上るには面白味が減りました。いつもは立ち寄る具定展望台も人が多かったため素通り。最後の写真は、そんなショートカットの高架橋から。左上に伊吹島、防波堤の上に紫雲出山を始め荘内半島、製紙工場の高い煙突の右手には高屋神社のある稲積山。荘内半島の奥にも肉眼では本州が確認できました。何度もやってきている道ですが、これまでで一番くらいの眺めでした。
          
 追憶を含めた個人的回想録めいた文章を長々と最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。何処かにも書いたと思いますが、まさか50年後に同じように自転車でこれらの道を走っているとは当時にはとても考えられなかったことです。時間の経つのは早い。さて、後何回この道を走ることができるでしょうか。

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